問題点3 じっくり考えることが大事だろ? ――無暗に時間を浪費してはいないか?

「そこまで言うならわかったよ、学校のプリントやってみようか。秀ちゃん、試しにそのプリントやってみてよ。でも、このあたりは難しすぎるから、まずはこのあたりからね?」

「おう、まかせとけ」


 ビシッと親指を立てると、俺はシャーペンを手に取り、テスト範囲の対策プリントと向き合った。


「とりあえず、秀ちゃんの勉強の仕方を確認するね。いつも通りでいいから、自分のやり方でやってみてよ」

「俺の勉強の仕方? 勉強なんて、問題解く他にやり方なんてあるのかよ」


 夏子の言葉に首をひねりながらも、俺は目の前の問題へと視線を落とす。

 夏子に解くよう指示されたのは、対策プリントの中でも一番はじめの方の問題だ。こいつ、どんだけ俺が頭悪いと思ってるんだよ。

 どれどれ……ああ、2次方程式の計算か。そういえばやったな、こんなの。最初の基本問題くらい、俺にだってわかるさ。


 …………。


 あ、あれ……? これ、どうやるんだっけな? いや、ちょっと考えれば思い出すだろ、うーん、うーん……。

 ああ、そういや明日は少年チャンプの発売日だったな。あいつ、結局あのままやられちゃうのかな……。


「ねえ秀ちゃん、お取りこみ中のところ悪いんだけど……」

「なんだよ、今考えてるんだよ。気が散るから、話しかけないでくれないか」


 俺が邪険に言うが、夏子は構わず続ける。


「私もそうしたいのは山々なんだけど……。秀ちゃん、もうその問題1問に3分かかってるよ?」

「え?」


 夏子の指摘に、俺は時計へと視線を向ける。


「意外と時間たってたんだな。でも、まだ始まったばかりじゃねーか。たかが3分たったくらい、いちいち気にすんなよ」

「駄目だよ、1問に3分もかけてたら、あっという間に時間なくなっちゃうよ? わからないなら、問題を飛ばすなり解答見るなりしなきゃ」

「お前、わかってないなあ」


 夏子と向き合うと、俺は彼女を諭すように言った。


「いいか? 勉強ってのはな、思考力を鍛えることが大事なんだ。で、そのためにはな、1つ1つの問題にじっくり取り組まないとダメなんだよ。時間がないからって、ちゃんと考えずにすぐに解答見たりしてたらいつまでたっても思考力が身につかないだろ? まして問題を飛ばすなんてもってのほかだ」

「うーん……弱ったなあ……」


 何か言いたそうな顔をしていた夏子だったが、結局そのまま黙りこむ。どうやら俺の正論に、反論が思いつかなかったらしい。

 思考力を鍛えるってのは大事なことだからな。夏子は元々できる奴だからあんまり意識してなかったみたいだけど、少しはわかってくれたかな?







 さて、今回は上の例について見ていきましょう。一見してすぐにはわからない問題とぶつかった時、時間をかけてじっくり考えるというケースです。

「え? それのどこが問題なの?」と思われた方も多いかもしれませんね。今回の問題点は、成績低迷者よりもむしろある程度学力が高い人や真面目な性格の人こそ気をつけるべき点だと思います。


 もっとも、上の例を見れば、わからない問題に時間を費やすことによって生じる問題はすぐにわかってもらえると思います。そうです、それをやっているとすぐに時間がなくなってしまうのです。

 時間というものは有限ですから、与えられた範囲の中で有効に利用していかなければなりません。上の例のような試験前勉強などはその最たるものです。

 そして多くの場合、期間内に処理しなければならない課題は膨大な量になるはずです。これらの課題を期間内にいかに効率的に処理することができるかが大事になってくるわけですね。

 このような状況下で、わからない問題1つ1つに時間をかけていてはあっという間に他の課題を処理する時間がなくなってしまいます。そうすると、気づいた時には「あんなにがんばったのに、予定よりまだ全然進んでない」ということになってしまいます。


 でも、それは仕方ないことじゃないか、と考える人もいるかと思います。むしろそれこそが正しい学習のあり方だ、という人も多いかもしれません。解ける問題に時間を割いてどうする、わからない問題にこそ時間を割くべきだ、というわけですね。あるいは、冒頭の例のように「解答を見なければわからないような難問にじっくり向き合ってこそ思考力が鍛えられるのだ。それを問題だなどと考えるのはナンセンスだ」と怒り出す人もいるかもしれません。

 実は、そのような考え方そのものが皆さんの学習効率を大きく削いでしまっているのではないか、と私は考えています。それはいったいどういうことか。これから私は、各方面から大いに怒られそうな発言をします。皆さんもまずは落ち着いて聞いてください。


 断言します。99%以上の人間にとって、「理解不能な問題を時間をかけて考える」という行為は無駄以外の何ものでもありません。その行為によって思考力が鍛えられる、などということはありえません。それは単なる時間の浪費でしかありません。


…………。


 お、落ち着いてください! 別に私は悪気があってこんなことを言っているわけではありませんから。これからその理由を述べていきますので、どうか落ち着いて話を聞いてもらえればと思います。

 はじめに断っておきますが、私は別に「難問をじっくりと考える」という行為そのものを否定しているわけではありません。ただし、それは基本的には条件を十分に満たし、かつ時間的に十分な余裕のある者にのみ意味がある行為であり、そのような人は全体の1%にも満たないであろうと考えているのです。平たく言えば、「難問をじっくり考えるのもいいけど、その前にやらなきゃいけないことが山ほどあるよね?」ということです。


 では、残る99%以上の者にとって「理解不能な問題を時間をかけて考える」という行為がなぜ無駄なのか。実は、その主な理由は以前すでに説明しています。そうです、問題点1のパートで説明した、課題処理のプロセスです。

 ざっくり確認しておくと、課題処理のプロセスにおいて重要なのは「ある課題を処理するためには、その前提となる知識・技術等を身につけていなければならない」ということでした。もうこの時点である程度私が何を言いたいか察してもらえそうな気もしますが、これを念頭に「理解不能な問題を時間をかけて考える」という行為について見ていきたいと思います。


 問題がわからないのはなぜかと言えば、それはもうほぼ間違いなく、前提となる知識や技術が身についていないからなんですね。これはもう、断言してもいい。

 たとえば「三直線によって囲まれる三角形の面積を求めよ」という問題を解こうとした時に、交点の座標の求め方がわかっていないとか、直線の式の求め方がわかっていないとかですね。公式が思い出せない、使い方がわからないなどというのも多いです。というか、だいたいの場合において、問題の解き方がわからない理由などというのはそんなのばっかりです。

 さて、そんな状態で問題とにらめっこして、はたして問題が解けるでしょうか? 無理に決まっています。問題を解くために必要な道具が全然そろっていないんですから。まして思考力なんて鍛えられるはずもありません。

 思考力は「手持ちの道具を適切に用いて未知の課題に対処する能力」と言い換えることができると思いますが、この場合、未知の課題うんぬん以前にまず道具をそろえろということになります。肝心の道具がないのでは、その使い方なんていくら説明しても無意味ですからね。


 でも、必要な道具がそろっているのにわからないという場合があるじゃないか。そんな風に思われた人もいるかもしれません。たとえば、方程式の計算は完璧になったけど、文章題になると式が立てられない、などといった場合ですね。

 この場合はじっくり考えた方がいいのか。結論から言えばノーです。この場合であっても、すぐにわからないのであればさっさと解答なり例題なりを見るべきです。すでに必要な道具がそろっていて、あと少しでその問題を処理することができる場合、その「あと少し」をわざわざ自分で編み出す必要はないのです。これについては解決編でもう少し詳しく述べることにします。


 ここで話をまとめます。「理解不能な問題を時間をかけて考える」という行為は、基本的には時間の無駄です。なぜなら、問題が解けないのはその前提となる知識・技術等が身についていないからであり、そのような状態でいくら考えたところで問題も解けないし思考力も育たないからです。


 今回の話は、人によっては衝撃的、あるいは受け入れがたい内容だったかもしれませんね。ですが、ここを意識してもらえれば皆さんの学習効率は間違いなく改善します。

 次回の話は、今回の話とも密接なつながりを持つ内容になります。題して「日頃から時間を意識しているか?」。ぜひお楽しみに!




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