問題点2 いい参考書教えろよ! ――参考書評論家への道(成績は一切上がらない)




 しばらく何ごとか考えこんでいた夏子だったが、何かを思いついたかのように自分のカバンへと手をかける。


「あ、そうだ! それより秀ちゃん、私秀ちゃんのためにいくつか問題集持ってきたんだ! プリントより、こっちを先にやってみようよ!」

「お、さすが優等生! 早く見せてくれよ」


 さすが夏子、準備いいな! こいつのことだ、さぞやスゴい問題集を持ってきてることだろう。そうそう、そういうのがほしかったんだよ。いい参考書さえあれば俺だってすぐできるようになるさ。

 何せ学校の授業はわかりにくくてクソだもんな。塾に行ってない俺の成績が悪いのは、そんなクソな授業しか受けてないからだ。むしろ学校のクソ授業だけでここまでやってこれた自分をほめたいくらいだ。


 せかす俺に、夏子はカバンから問題集を取り出した。


「とりあえず、この辺をやってみてもらおうかなって思うんだ」

「へえ、どれどれ……って、これ1,2年の復習じゃねーか! 今さらこんなのやってどうするんだよ! げーよ、そうじゃないだろ!」

「どうするって、だって秀ちゃんこのあたりからもうわからないんでしょ?」

「テスト範囲と関係ないだろ! だいたい何だこのタイトル、『つまずいたところがよくわかる』って!」

「そのまんまの意味だけど……」

「そうじゃなくてさ! お前が使ってるようなもっとスゴい参考書あるだろ? 『最高峰の数学』みたいなの! ああいうの見せてくれよ! そしたら俺も頭よくなるだろ?」

「え、え~っと、それはどうかな……」


 夏子はあいまいに笑いながら、話をはぐらかすのだった。







 さて、今回は教材について見ていきましょう。ここでの問題点は、大きく二つに分けられます。


 まず1つ目は、上の例にあるように、自分の力に見合わない教材を選んでしまうパターンです。内容的には、前回指摘した「課題の難易度が適切ではない」という問題点とほぼ共通します。

 このパターンの恐ろしいところは、客観的に見ればおかしいということが容易にわかるにもかかわらず、自分のこととなると途端にわからなくなるというところです。いや、本当にわからなくなるんですよ。

 上の例を見れば秀哉がとんちんかんなことを言っているのはすぐにわかると思うのですが、これが自分のこととなると本当に不思議なくらい「いや、それは無理だろう」というものを選んでしまうわけですね。

 自分の力に見合わない教材を選んでしまう原因としては、たとえば見栄をはりたくなるなどいろいろと考えられます。その中でも私は、理想の自分を追い求めてしまうという自己のアイデンティティにかかわる部分が大きく影響しているのではないか、と考えています。


 つまり、こういうことです。多くの人たちは、今の自分と比較してよりよい自分を追い求める、言い換えれば自己肯定へと向かう傾向があると思います。ここで言う「追い求める」というのは、何か具体的な行動に出るというような積極的な意味ではなく、もっと漠然とした「こうだったらいいのになあ」という願望のようなものです。たとえば、「もっと勉強ができたらいいのになあ」と思ったり、ということですね。あるいは、「自分はここまでひどくはない」といった感情も自己肯定に含まれるでしょう。

 この「こうだったらいいのになあ」や「ここまでひどくはない」といった自己肯定が、教材選択の場面にも影響を及ぼしていると思うのです。上の例で言えば、1,2年の復習教材に対して「3年生の俺にこんなものをすすめるとは何ごとだ、俺はそこまでひどくはない」と思ったり、あるいは「俺にはもっとレベルの高い参考書がふさわしいはずだ」というような気持ちがあると思うんですよ。

 これはなかなかやっかいな認識で、特に「ここまでひどくはない」と思っている場合は下手に否定すると本人が傷つくことにもつながりかねませんので注意が必要です。教材を選ぶ時には、このような自己認識が背後にある場合も多いので気をつけたいところです。

 なお、このような自己肯定の感情は教材選びの時のみならず、学習のあらゆる場面で首をもたげてきます。自分を評価する時はこれでもかというほど厳しいくらいがちょうどいいと思ってください。



 さて、もう1つの問題は、よりよい教材を求めるのはいいものの、いつまでも教材が決まらなかったり、あるいは逆にいつもコロコロと教材を変えていくパターンです。

 あなたの周りにもいませんか? やたらといろいろな参考書や問題集に詳しい人。詳しいのはそれはそれで結構なのですが、ではその中のどれをどのくらいやったのか? と聞くと結局ほとんど何も手を付けていないというのがほとんどではないでしょうか。

 言うまでもないことですが、どんなに素晴らしい教材を見つけたとしても、それを使わないのでは意味がありません。まして貴重な勉強時間を潰して参考書選びに時間を費やしたとなれば、それは本末転倒というものです。


 実は参考書選びには、他にも危険が潜んでいます。それは、読んでいるだけでなんとなく内容が理解できているような気になってくるということです。

 世に出回っている参考書は、基本的によくできています。まともにぶつかっては手も足も出ないような問題であっても、前回説明した「課題処理のプロセス」に必要な情報を散りばめ、理解しやすく解説されています。ですから、本来その問題を処理するには力が足りなかったとしても、なんとか理解できてしまうのですね。

 ですが、断言します。参考書を読んで自分の手には余る難しい問題が理解できた気がしたとしても、それは気のせいです。たくさんの参考書を読めば読んだだけ頭が良くなった気がするかもしれません。ですが、それは気のせいです。いざ模試なり問題集なりに挑んだ時、あなたは今までの「勉強」が全て幻だったことに気づくことでしょう。


 だったらどうすればいいんだ、参考書は無駄なのか、といった声が聞こえてきそうですね。もちろん、そういうわけではありません。あくまで、参考書選びに夢中になったり、参考書を読んだだけで勉強した気になったりしてはいけないと言っているだけです。

 それでは具体的にはどうすればいいのか? それは解決編に譲るとして、次回は三つ目の問題点について見ていくことにしましょう。




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