第15話 天使によるプロテスタント (前)

 テオドシウス帝の時代、キリスト教はローマ帝国の国教になる。それからほんの数年して、ローマ帝国は東西に分裂した。ディオクレティアヌスが東西に皇帝を置いたことや、ゴート族の侵入など様々な原因が考えられるが、栄枯盛衰の原則はどんな組織にも当てはまるのだろう。それを見越して、四匹の獣を代替わりさせたのだ。


 巨大な第四の獣を作り上げた天使すら、目標であるキリスト教の普及を達成した後は、獣が落ちぶれていくのを放置していた。だが、さすがにフン族のローマ蹂躙はくい止めた。フン王アッティラがローマ教皇レオ一世と会見したとき、パウロとペテロの姿になり、神の鞭と恐れられる獰猛な王を恫喝し、騎馬軍団は後退した。


 西暦476年、西ローマ帝国は滅亡した。西ローマ帝国を滅ぼした傭兵隊長オドアケルは、ローマ教皇の権威のもとに自分の王国を作り上げる。強大な第四の獣が滅んだことで、キリスト教の発言力は却って強くなった。

 キリスト教一色になったことで、ローマの神々は死に、人々もローマ人らしさを失ってしまった。ローマの伝統主義者たちは、キリスト教のせいでローマが滅んだと主張した。


 西暦70年のローマ帝国のエルサレム攻囲戦(キリスト教が原因ではない)以降、エルサレム教会は衰退してゆく。その結果、キリスト教の主導権は異邦人教会に移る。帝国分裂後、ローマ、コンスタンティノポリス、アンティオキア、アレキサンドリア、エルサレムの五本山が確立される。西ローマ帝国滅亡後、東ローマ帝国ではコンスタンティノポリス教会が中心となり、ローマ教会と張り合う。


 東西ともに、イエスと神を同質としたことで、イエスやマリアの像をおがむなど偶像崇拝が進んでいた。東方教会は、カエサルパピズム(皇帝教皇主義)という言葉に表されるように、国家権力と深く結びついた。


 それでも天使たちは、自分たちの作り上げたキリスト教を見捨てなかった。ローマ帝国の迫害に耐え、宿敵ミトラ教を滅ぼしたのだ。そう簡単に捨てるわけにはいかない。しかし、その天使もついに我慢できない事態が訪れる。


 西暦590年。貴族出身のグレゴリウス一世は、ローマ教皇に就任した。政治的手腕に優れ、ゲルマン諸族を改宗させた。典礼を整え、教会のヒエラルヒーを確立し、大胆な教会改革を行った。グレゴリウス教皇は、その業績から大教皇と呼ばれる。中世ローマ教会の始まりだった。


 彼によると、人は神の恩恵に授かるだけではだめで、教会の定めた徳を積むことが必要とされる。アウグスティヌスの「煉獄(天国と地獄の中間)」の概念を発展させ、熱心に神を信じても、教会の司祭から罪の許しを得ないと煉獄にとどまるという教義が、キリスト教の主流となった。


 信者は教会を通してのみ、天国にいける。ローマ教会は、神を自分たちの商売道具にしようというのか。こういったキリスト教会の動きは、やがて献金で罪が許されるとする免罪符につながり、その反動でルターによるプロテスタント宗教改革をもたらすことになる。地獄の沙汰も金次第。金持ちは天国にいけないというイエスの言葉は、完全に覆された。


 それ以上に問題だったのが聖像崇拝だ。グレゴリウス大教皇はゲルマン民族への布教のため、イエスの聖像を使い、聖像崇拝の父として知られている。これは十戒でいうところの偶像崇拝だ。

 さすがにこうなると、天使も黙ってはいられない。実は、ルターの千年前に、天使もプロテスタント運動を始めていた。


 最初のうちは、教皇の前に主もしくは御使いとして現れ、自身の非を認めるように訴えたのだろう。しかし、教皇側は、ルターを異端とみなしたように、天使による勧告を悪霊と決めつけ、相手にしなかった。

 そのとき聖パウロの言葉、「サタンも光の天使に擬装するのだから(2コリ11:14)」が引用されたに違いない。天使の抵抗にもかかわらず、604年にグレゴリウスが亡くなっても、後継者は前任者の路線を引き継いだ。


 そうなると、約束通りイエスを再臨させて、腐敗した聖職者たちを糾弾させるべきだ。しかし、ローマ教会は再臨したイエスを偽物と扱い、大衆はイエスの再臨を信じず、イエスの再臨は現実的に不可能だ。そこでガブリエルは、ユダヤ教の枠を越え、キリスト教を作りだしたように、キリスト教から問題点を取り除いた別の宗教を作り、新しいタイプの預言者を用意して宣教する作戦に出た。


 行き過ぎたイエスへの個人崇拝を排除し、二度とそのようなことがないよう、神に子供がいるとか、神から生まれたなどということはなくし、絵などに預言者の姿も残さない。そうやって徹底的に偶像崇拝を禁じる。

 律法を廃止したことを何をしてもいいと勘違いし、反ユダヤの意味から嫌がらせのように豚肉を食べるキリスト教徒に対する警告の意味から豚肉はとことん禁止し、早世したイエスが語らなかった断食を教義に入れる。中世ヨーロッパでは豚肉を食べなかったということだけで、敬虔なキリスト教徒が、異端審問にかけられたこともある。


 礼拝と断食の方法も、あらかじめ決めておく。偶像を崇拝するのではなく、エルサレムの方角を礼拝させる。断食は誰でもできるように、日が出ている間のみにする。

 とうの昔にユダヤ選民主義とは決別した。預言者はユダヤ人である必要はない。むしろ、異邦人のほうが適任だ。


 第二の獣アケメネス朝ペルシャに小国だった第三の獣マケドニアが隣接していたように、第三の獣マケドニアの近くで第四の獣ローマが発展したように、第五の獣イスラム共同体は、第四の獣ローマ帝国の版図に隣接する地域を本拠地にする。第四の獣を飲み込み併呑するには、近くのほうが都合がいいからだ。


 キリスト教やユダヤ教の広まっている地域では必ず迫害される。啓示の都合から、言葉はヘブライ語と似ていたほうがいい。教えを広めるには、貿易で商人が行き交う町がいい。

 などの理由もあって、ガブリエルが預言者を探す場所に選んだのは、地中海とアラビア半島との交易で栄える商業都市メッカだった。ちなみに、アラビア語は、ヘブライ語、アラム語同様アフロアジア語族に属し、かつてはどちらもセム語族に分類されていたように、天使には比較的修得が容易である。


 第五の獣は、単に巨大なだけではない。当時、アラビア半島は部族社会で、いずれの国家にも属していなかった。教会が権力と結びつき堕落したことで誕生した第五の獣は、誕生の段階から宗教組織が権力の頂点に位置し、黙示録の獣カリグラやネロなどの帝国内部の暴君に弾圧されることがないため、版図の拡大と宣教のペースが一致する。


 ガブリエルは、自分の考えを二人の天使にも話した。反発は当然だった。何のために苦労して、キリスト教を広めたんですか? イエスのときには彼に無条件に従った二人も、今回だけは天使長のいうことを聞かなかった。二人は彼と決別し、天使集団は解散した。

 大天使ガブリエルは、ただひとり、アラビア半島のメッカに向かった。


 預言者には、名門クライシュ族の血を引き、正直者の評判が高い商人ムハンマドが選ばれた。決め手となったのは、洞窟で瞑想をしていたことだろう。ムハンマドはメッカ郊外の岩山の洞窟に出かけ、何日も過ごすことがよくあったようだ。これは、ムハンマドに限ったことではなく、当時のクライシュ族に伝わる慣習だったが、そんなことはガブリエルは知らない。自ら瞑想をする人物なら、預言者にふさわしいではないか。


 ムハンマドが四十歳のときのある夜、瞑想後の仮眠時に布を持った幽霊のような存在に起こされた。首を絞められているような感覚があったというが、恐怖でそのように感じたのでなければ、ガブリエルは映像を見せるだけでなく、人体に物理的影響を与えるまでに進歩していたのかもしれない。


 相手は「読め」といって、文字のしたためられている布を彼に見せた。しかし、ムハンマドは文字が読めず、相手は声で啓示の内容を告げた。相手を悪霊だと思ったムハンマドは、啓示が済むと命からがら逃げ帰った。洞窟から出たところ、後ろから声がした。

「私の名はジブリール」


 ムハンマドにはガブリエルを通して、アラーの言葉が授けられた。それをまとめたものがイスラム教の聖典クルアーンである。クルアーンとは声に出して読むものという意味だ。アラビア語での啓示は、異邦人の天使にとって簡単なものではない。初回の啓示では、布に文字をしたため、それを預言者として選ばれたムハンマドに読ませるというやり方をとろうとした。


 しかし、ムハンマドは文字が読めなかった。ガブリエルからすれば、ムハンマドは名門出身の裕福な商人なので、多少の学はあるだろうと思ったのだろうが、貧乏暮らしが長かったムハンマドは文盲だった。当時、裕福だったのは、結婚相手が裕福だったからであって、ムハンマドは苦労人である。


 まず自分が誰か名乗り、その後で事情を説明し、その後で啓示を告げるのが順当だ。ガブリエルがいきなり読めと言ったのは、いきなりのアラビア語での会話より、そのほうが啓示がスムーズにいくと考えてのことだろう。

 これまでイスラエル人に対する啓示では、天使と遭遇した者達は恍惚感を感じたり感激したりしたのだろうが、そういった文化のない地域に暮らしているムハンマドはひどくおびえた。


 ちぐはぐなやりとりが終わり、ムハンマドが山から下りるとき、ガブリエルは大切なことを言い忘れたことに気づき、慌てて彼を追い、「私はジブリール」と名乗った。言語の問題と文化の違いは、ガブリエルの想像より大きかったようだ。


 ムハンマドは自分がおかしくなったと思い、妻に相談した。妻は体験を信じるよう彼を励ました。それからしばらくの間、啓示はなかった。ファトラ(中断)は半年とも、一、二年とも言われている。ガブリエルは、ムハンマドに預言者が務まるかどうか迷ったのだろう。

 瞑想をするような見上げた人物と思っていたが、子供のようにおびえ、文盲のため啓示の言葉を文字に残せない。他にも預言者としてふさわしい人間がいないか、探し回ったりしたと思われる。   


 結局、預言者はムハンマドに決まったが、二度目の啓示も順調とは言い難かった。ムハンマドが山腹を彷徨っているとき、空中で一人の男が椅子に座っていた。恐ろしくなって家に逃げ帰って、毛布にくるまって震えていると、また男が現れて、布にくるまって怖がっていないで、預言者として活動するように告げた。


 しかし、三年間で信者の数は三十人程度。イエスは一、二年(ヨハネによると三、四年)の宣教活動でキリスト教の基盤を築いたが、ムハンマドの信者は近親者ばかり。業を煮やしたガブリエルは、広く社会全体に広めるよう催促する。

 その結果、ムハンマドに対する迫害が起こる。一族は貧乏になり、頼みの妻と育ての親である叔父も相次いで亡くなってしまう。ムハンマドは意気消沈し、宣教もここまでかと思われた。


 イエスのように、信者から崇拝されないように、預言者ムハンマドは絵に描くことすら禁止され、奇跡を示すことは避けてきた。預言者が異邦人であることを気遣って、ダニエルやエゼキエルに示してきたミステリアスな幻ではなく言葉のみの啓示にしてきたが、ガブリエルは、彼を励ますためやむを得ず奇跡を起こす。

 

 それは夜の旅と言われる架空エルサレム旅行だ。白い馬のような生き物に乗ったムハンマドはメッカからエルサレムまで、空の旅をした。夜にしたのは、映写室は暗くする必要があるからだ。エルサレムにしたのは、他の都市はあまり詳しくなかったのと、イエスやエゼキエルの時にもエルサレムでやっているからだ。

 

 その後、ムハンマドは天に昇り、モーセら預言者と会った後、ついにはアラーにもお目にかかることができたという。そこで礼拝と断食のやり方を告げられた。ムハンマドは感激し、再び宣教に励む。


 アラーとは、アラビア語で神を意味する普通名詞で、神の名前ではない。アラーの名前はヤハウェということになるが、テラが姿を消してからもう千五百年以上経つ。

 ムハンマドがやる気を出したせいで、迫害はさらに激しくなり、暗殺計画まで持ち上がる。ガブリエルはムハンマドの逃亡を助けるため、もう一度奇跡を起こし、多神教徒に囲まれたムハンマドの姿を敵の目に入らないようにした。イエスは目的半ばで処刑されたが、最後の預言者は生き延びた。


 ムハンマドはヤスリブ(今のメディナ)に移り住んだ。これをヒジュラ(聖遷)という。西暦622年のことだった。メディナでムハンマドは強力なイスラム共同体を作り上げ、敵対する勢力と戦い、やがてメッカを手中に収める。632年、ムハンマドは62歳で亡くなる。


 

 クルアーンのもうひとつの特色は、外国語に翻訳したものはクルアーンではないことである。これも、ヘブライ語の聖書をギリシャ語に翻訳したとき、かなりニュアンスが変わったせいだろう。ムハンマドが文字を読めないこともあって、イスラム教の啓示は当初文字にされず、ムハンマドの言葉を弟子達が記憶していた。


 ムハンマドの死後、内部対立から殺害される弟子も出てきて、保存が危ぶまれ、文字に残すことになった。クルアーンは全一一四章からなるが、ムハンマドの死後まとめられたので、啓示を受けた時期と章番号が一致しているわけではなく、同じ章の中に異なる時期の啓示が混在している場合もある。しかし、研究によってどの章がどの時期かおおよそ見当がつけられている。


 一一四章のうち八六章がメッカ期に受けた啓示で、残りがメディナ期とされる。

 メッカ期は短文が多く、内容は宗教的だ。これがメディナ期になると文は長く、内容は生活規範など現世的なものが多い。どちらの時期もムハンマドが啓示を創作していると疑われていたようで、これはムハンマドの創作ではない、嘘だと思うなら自分で一章でも作ってみよ、といった箇所が多く見られる。


 ムハンマドは、天使と遭遇しておらず、自分でクルアーンを創作したのだろうか。

 彼は裕福な商人だったが、迫害によって困窮する。当初は布教のペースも鈍く、やる気が感じられない。ムハンマドは文盲で到底知識人といえない。クルアーンの内容どおり、一章ですら作り出すことは困難だと思われる。彼は、自分がおびえていたことを正直に語っている。

 また、有力者に説教中、貧乏人の信者が話しかけてきて、嫌な顔をし、それをアラーにとがめられたことを、クルアーンとして残している。預言者の格を落とすような話をするのは、正直な証拠に思える。などの理由で創作説には無理がある。


 だが、クルアーンはペルシャの宰相が出エジプトのファラオの家来になっているなど聖書と内容に違いがある。やはり、創作ではないか? 

 クルアーンはムハンマドの死後にまとめられた。最初から創作ならば、内容を聖書に合わせるくらいの努力はするはずだ。それがアラーの言葉だから、そのまま残したのだ。


 本当にアラーの言葉なら間違えることはありえないが、ガブリエルが記憶を混同することだってある。北イスラエルにいたアッシリア人とイスラエル人の混血であるサマリア人が、モーセの時代に登場したのも、七世紀のガブリエルから見れば、アッシリア人もサマリア人も同じようなものだからだ。


 創作でないとすると、ムハンマドは幻覚を見たのか。最初は本人もそう思った。しかし、生涯にわたり彼は現実的な人間だった。瞑想していたのは宗教的理由ではなく、クライシュ族に伝わる風習で、聖書の知識の無いムハンマドが見る幻覚とも思えない。


 それでは、ガブリエルを名乗る悪霊の仕業か。最初の啓示のとき、山から下りるムハンマドは、どこに視線を移しても相手の姿が目に飛び込んできたという。文字の記された幻の布を用意できることからも、相当能力の高い存在ということになる。


 ひどい迫害でムハンマドが宣教に挫折しそうになったときなど、ムハンマドは、エルサレムまで空中旅行をし、そこからさらに天に引き上げられ、モーセらの預言者と出会った。エゼキエルやペテロと同じ体験をしたということは、エゼキエルやペテロに幻を示した存在と思われる。ガブリエルの他に、そんなことの出来るものがいるだろうか。


 ルターをはじめとするカトリック教会に対するプロテスタント運動が人間によるものなら、イスラム教は天使による教会へのプロテスタント運動である。ただし、聖書に帰れ、ではなく、神に帰れ、という意味において。

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