第14話 読者よ、悟れ! 救世主計画の失敗を (後)

 マルコ福音書とマタイ福音書では、イエスがダニエル書を引用し、異教の偶像が神殿に置かれたら、山に逃げるように語っている箇所に、(読者よ、悟れ)と注釈が入っている。マルコに載っているということは、ガブリエルの言葉ではない。マタイにもあるので写本の段階ではなく、福音書記者マルコ本人によるものと考えられる。


 これはどういう意味だろう。

 マルコ福音書が成立したのは、AD50年以降とされる。ダニエル書九章の預言を素直に受け取れば、キリストによる救済がAD45年だとわかる。マルコはダニエル預言とイエスの終末預言がともに外れたことに気づくよう、読者に促したのではないだろうか。マルコはパウロの宣教の旅に付き従ったが、途中で帰ってしまった。彼の信仰心が弱いのには理由があったのだ。


 マルコの母はイエスの信者で、自分の家を集会場として提供していたと伝えられている。最後の晩餐が行われた場所も、彼女の家という説もある。イエスの死後も、弟子たちはその家に集まり、イエスに関する記憶を、仏典結集のごとくまとめたのだろう。

 その内容は、その家の子供だったマルコに引き継がれた。それなのにどこからかQ資料なる部外者による別の記録が出現し、ルカとマタイ福音書に影響を及ぼしたと考えられている。


 イエス本人も復活したイエスも、マルコの家に出入りした。マルコは、両者の顔を見ている可能性が高い。弟子たちの前では気を遣った替え玉も、子供の前では油断し、普段の自分でいた。あるいは、天使と替え玉が廊下で打ち合わせしているところを見聞きしてしまった。


 イエスと別人だとマルコ少年は気づき、そのことがきっかけで救世主劇の真相に近づくようになった。それで、イエスが連行された時にそばにいた若者が替え玉だと、それとなくわかるように福音書を構成し、ガブリエルは問題のある文末を改変した。


 

 結びの部分を除けば、マルコ福音書は信憑性が高い。イエスの墓を最初に訪れたのは、マルコ福音書にあるように、磔の時も遠くから見守ったマグダラのマリア、小ヤコブの母マリア、ゼベダイ兄弟の母サロメだったのだろう。


 マルコに記されているように、彼女達は墓の中に天使を一人目撃し、帰った後もそのことを黙っていた。だが、黙っていたままなら、そのことがマルコ福音書に記述されるはずはない。その後、イエスに対する想いが人一倍強いマグダラのマリアは、また一人で墓に出かけ、墓の中に二人の天使を見つけた。

 振り向くと、天使の化けた替え玉イエスがいた。声でイエスだと気づき、ペテロとヨハネ(そのまま彼女を尾けていった天使)に墓の異変を報告した。


 墓に天使がいたことは偶然ではない。安息日が終わったので、誰かが見に来ると予測して、中で待ちかまえていたのだ。そのとき、天使は替え玉をイエスとして紹介するはずだった。替え玉のデビューだ。

 ところが替え玉はいざ本番になると、別人のイエスを演じることに躊躇し、天使の一人は替え玉の説得に当たっていた。そこに三人の女性が訪れたので、墓の中には天使がひとりしかいなかった。替え玉の説得に失敗した天使は、墓に戻り、そこにマグダラのマリアがやってきた。そこで天使の一人は、咄嗟の機転で替え玉に化けた。天使はマリアが信じ切ったことを替え玉に力説し、替え玉はイエスを演じることに同意した。



 ネロの死後、しばらくの間、キリスト教への迫害はなくなった。広大な領土を持つ大帝国には、古代ローマの神々、古代ギリシャの神々、エジプトの神々、オリエントの神々、グノーシス派など、多種様々な信仰が広まっていて、最初のうちはキリスト教は少数派で、帝国の秩序をおびやかすほどの存在ではなかった。

 広大な地域、様々な民族からなりたつローマ帝国は、宗教に寛容だった。キリスト教徒だけは、兵役拒否や皇帝崇拝の伝統に逆らうなど、為政者にとって都合が悪かった。 


 紀元前一世紀、東方よりミトラ教がローマ帝国にもたらされ、光の救世主ミトラは古き神々を駆逐していった。目立つことを恐れてか、キリスト教同様信者は地下の祠に集まった。三世紀にはローマ帝国内における最大勢力になった。

 二世紀。五賢帝の統治により、帝国は安定した。しかし、キリスト教徒への迫害はひどくなった。


 四世紀初頭、「主にして神」ディオクレティアヌスによる史上最大のキリスト教迫害が起きる。専制君主は、広大でありながら衰退していく帝国を効率よく統治するため、元老院の権限を弱め、国土を東西に分け、二人の正帝と二人の副帝を置く四分治制を始めた。正帝ディオクレティアヌスよりも副帝のガレリウスのほうが、キリスト教を危険視し、迫害に熱心だったとされる。


 それ以前の時代にもキリスト教禁止、教会禁止、教職者処刑などの禁止令はあったが、303年のディオクレティアヌスの発令は、キリスト教を捨てない者は処刑されるというかつてない厳しさだった。ディオクレティアヌスの引退後には、迫害の張本人ガレリウスが正帝になり、弾圧は続いた。


 ミトラ教はキリスト教より一足先に、ローマ帝国内で広まっていた。マニ教迫害令などの事例もあるが、神が複数いてもよいとする多神教のほうが弾圧の少ない分、キリスト教より布教に有利だったのかもしれない。このままでは世界はミトラ教のものになる。天使は、そのミトラ教の信者に恩を売り、キリスト教に回心させる手段にうって出た。


 キリスト教最大の迫害者ガレリウスは、病床で反省して、311年に、キリスト教を公認とまではいかないが、信仰を容認する勅令を発効し、最後の大迫害は終わった。ガレリウスの死後、四人の正帝、副帝による後継者争いが起こる。

 西の副帝なのか正帝なのか立場がはっきりしないコンスタンティヌスは、同じ西のマクセンティウスと戦い勝利する。東では、リキニウスがマクシミヌス・ダイアを滅ぼす。コンスタンティヌスとリキニウスが争い、コンスタンティヌスが勝利する。


 熱心なミトラ教徒といわれたコンスタンティヌスは、マクセンティウスと戦う前、空にXとP、さらに「これで勝利を収める」というギリシャ文字が浮かんでいるのを目撃する。そこで彼は、XとPを記したラバルム旗を掲げ勝利した。地勢的には不利だったが、彼の部隊のほうが機動力に優れていた。どちらの味方につくべきか天使たちもわかっていたようだ。


 XとPはギリシャ文字で、救世主を意味するクリストスの最初の二文字となる。順調に信者が増え続けていたので、長い間啓示は必要とされなかったが、ディオクレテアヌスの大弾圧に天使は焦ったのだろう。結果、XとPのたった二文字で、キリスト教は勝利した。五百年以上かけた救世主計画とは一体何だったのだろう。


 313年のミラノ勅令で、キリスト教は公認された。それからは、ライバルであるミトラ教を迫害する一方、ミトラ教の信者を取り込むため、ミトラの聖誕祭十二月二十五日をイエスの聖誕祭クリスマスにしてしまう。ミトラ教徒にとっても、救世主が代わっただけで、違和感は少なかったのではないか。


 キリスト教が国家から公認されたからといって、喜んでばかりはいられない。権力の不興をかわないよう教義をねじ曲げるなど、権力と結びつき腐敗していく宗教などいくらでもある。キリスト教も例外ではない。聖職者たちは特権階級と化し、信者は兵役を受け入れるようになった。


 さらに、ミトラ教からとりいれた救世主思想が発展して、ガブリエルの僕にすぎないイエスが、神と同質とされてしまった。ミトラ神が、最高神アフラ・マズダと同格になったように。それが公式に認められたのが、ニケヤ公会議だった。

 救世主イエスは、父なる神の本質から生まれ、父なる神と同質であるという信条が宣言された。この会議で、イエスを人間の預言者と説くアリウス派は破れ、三位一体論を説いたアタナシウスが勝利した。アタナシウスは、正典として聖書に載せる資料を決めた。彼の思想にあわないものは排除され、焚書になったものもある。


 三位一体論。

 イエスと神は同質だ。一神教なのに神が二人いるようなものだ。天使たちはこの教義をどうとらえたのだろう。新約聖書のヘブライ人への手紙でははっきりと、

「神は、その長子を世界に導き入れるに当って、『神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきである』と言われた(ヘブ1:6)」とある。これでは、天使よりもイエスのほうが格上に聞こえるではないか。


 しかし、こうなったのもガブリエル自身が蒔いた種だ。392年にはキリスト教がローマ帝国の国教となった。その三年後には第四の獣は役目を終えたかのように東西に分裂する。キリスト教は成功したのだ。イエスの下におかれるくらい、寛大なガブリエルなら我慢できるはずだ。


 だが、その寛大なガブリエルにも、どうしても許せない事が起きる。

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