第13話 読者よ、悟れ! 救世主計画の失敗を (前)

 四つの福音書のうち、イエスの生誕エピソードはマタイとルカの二つだけに記されている。両者ともマルコによる福音書をベースにしたと言われている。ルカでは、ガブリエルがザカリヤの前に現れ、妻が妊娠したことを告げ、六ヶ月後ガブリエルは妻の親戚のマリアのところに行き、聖霊による懐妊を告げる。


 マタイでは、マリアが聖霊により身ごもったと主張し、ヨセフが縁を切ろうと迷っていたとき、主の天使がヨセフの夢に現れ、二人は結婚した。また、マタイではイエスが誕生すると東方の三賢人が訪れ、ルカでは訪れたのは羊飼いとなっている。

 話を整理すると、元の資料であるマルコの福音書に記述のない処女懐胎が、マタイとルカでは内容に矛盾がなく補足しあうような関係で記され、イエス誕生を祝福しに訪れた存在については食い違っている。


 これはどういうことなのだろうか。それぞれ別の資料をもとに、マルコに追加したということなのか。

 まず、イエス本人は自分の出生の秘密について、両親から何も知らされておらず、弟子に語ることがなかったことが推測できる。マリアもヨセフも口が堅く、イエスの誕生について口外することがなかったのだろう。そのため、マルコ福音書に救世主の威光を示す逸話が抜けてしまった。そのことを危惧した天使は、マタイやルカに直接教えるか、偽の資料などを渡して、福音書に追加させた。


 順序はまずルカからだろう。

 ガブリエルが実際にとった行動と、適当に作ったイエス・キリストの系図と、少年時代のイエスが学者たちと対等に問答するというフィクションを加えた。しかし、ヨセフに語った内容もあったほうがよく、訪問者が羊飼いでは物足りない。そこでヨセフへの啓示の追加と、東方の三賢人の訪問をマタイ福音書に書かせた。


 マタイ福音書に養父ヨセフへの啓示だけが記されているのは、ルカで書き漏らしてしまったからだ。ついでに、自分でイエスと名前を決めたくせに、イザヤ書のインマヌエル預言の通りだとした。


 先に挙げた三つの福音書は共通の記述が多く、共観福音書と呼ばれる。マルコによる福音書が最初に書かれ、ルカとマタイは、それをベースに他の資料から追加してできたと言われる。それに対し、ヨハネによる福音書は、譬え話がなく、奇跡の扱いも少ないなど、独自の視点から書かれており、第四福音書とも呼ばれる。


 マルコはパウロの協力者だ。ペテロの通訳もしていたようで、マルコによる福音書は、ペテロの視点が大きく影響しているらしい。福音書の中で一番短く、イエスや弟子達が人間臭く描写されている。一番古く成立されたとされるが、イエスのありがたみがあまり伝わらず、マルコ自身も信仰心が弱かったようなので、他の福音書よりも低く扱うキリスト教関係者もいる。


 準備だけで五百年以上かかり、そのために世界の覇権を変えていったキリスト教の最重要聖典が、マルコ福音書だけでは天使の苦労は報われない。マルコ福音書を読んだガブリエルは、パウロの協力者で医者のルカを福音書記者に決め、自分の思うとおりに執筆させた。


 実際にあったイエス生誕のエピソードや少年時代の架空エピソードを追加した他、処刑時には神を非難せず、わたしの霊を御手にゆだねますと修正した。イエスが実際に語った譬え話に、創作分を追加した。さらに、山から降りたイエスが弟子たちに平地で説教をしたとするくだりを創作した。

 筆者がイエスの替え玉だと推測した、マルコに記されたイエス逮捕時にそばにいた若者は、公表すべからざる人物なので扱いをやめた。


 ガブリエルはその後、ルカ福音書だけでは満足できず、マタイ(十二使徒のひとりだが、本当に執筆者かどうか不明)にも福音書を記述させた。ルカよりもさらに虚構の度合いが強い。

 羊飼いを東方の三賢人にして、賢人に騙されたヘロデ王が二歳児以下皆殺しでエレミヤ預言が当たったとしたり、墓のシーンでは天使が岩をどけたなどと明かな嘘を書かせた。イエスだけでなく、弟子のペテロも湖の上を歩いた。


 不正に購入した土地で体が裂けて死んだと噂されていたユダが、本当は自殺していたことを記し、彼がうけとった銀貨の数がまたしてもエレミヤ預言どおりだとした。ルカでの平地での説教を拡大し、山上の垂訓としてまとめあげ、イエスの死後、死者が蘇ったとした。


 ルカと系図が異なり、

「アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である(マタイ1:17)」

 などと、イエスのありがたみを強調したいあまりに、余計なことをしていて、より信憑性に欠けている。


「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る(ミカ5:2)」


 ミカ書には、ベツレヘムから救世主らしき人物が出てくると読みとれる記述がある。そこで、マタイ福音書では、イエスがベツレヘム出身とされた。


 マタイ福音書は、磔でイエスが神を非難した部分をマルコから取り入れているが、イエスが話していたアラム語ではなくヘブライ語である。ガブリエルはイエス本人が処刑されたことを知らないので、その場を盛り上げるための現場の天使の演出と考え、特に修正しようとはしなかった。ユダヤ人であることを強調するためヘブライ語に置き換えたのだろう。

 墓にいた天使の服装も、マルコでは真っ白な長い衣だったのが、ルカでは輝いた衣で、マタイでは稲妻のように輝き、雪のように真っ白と、次第に大げさになってきている。


 ヨハネによる福音書は、作者がはっきりと明かされている。最後の晩餐でイエスのそばにいた、イエスに愛されていた弟子だ。

「これらの事についてあかしをし、またこれらの事を書いたのは、この弟子である(ヨハネ21:24)」 


 その弟子は、復活後のイエスが誰だかわかっていない他の弟子達に、あの方はイエスだと教えた。ペテロがイエスにその弟子のことを尋ねると、イエスはその弟子が不死身であるかのように話した。


「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい(ヨハネ21:22)」

 それで彼は死ぬことがないと噂された。たしかにヨハネ福音書は成立した時期が遅く、イエスの死後六十年以上経っているとされる。それも不死身の存在の手によるものなら納得がいく。


 ヨハネ福音書は、イエスの逮捕や処刑、墓のシーンなどが妙に細かく写実的だ。マグダラのマリアは墓石がどけてあるのを知ると、ペテロとある弟子を呼びにいった。ペテロとこの弟子が自分の家に帰ったあと、マリアは復活したイエスと遭遇する。そのやりとりは他の福音書にはない。筆者は、どうしてマリアとイエスの会話の細かい内容まで知っているのだろう。マリアはヨハネの筆者にだけ、自分の体験を語ったのだろうか。


 他の福音書では、イエスが大祭司の家に連行されたとき、ついていったのはペテロだけなのに、ヨハネでは名前のわからない弟子も一緒についていっている。その弟子が大祭司の知り合いだったので、ペテロは中庭に入ることができた。ペテロは中庭で火に当たりながら、大祭司の僕から知り合いかと問いつめられて知らないと答えた。


 すると、イエスの予告どおり、鶏が鳴いた。その鶏の声は天使が出したものだ。天使は、イエスの弟子に化け、大祭司と知己を得て、晩餐でのイエスの言葉が当たるようにペテロを誘い出し、鶏の鳴き声を真似したのだ。その弟子とはイエスに愛された弟子、すなわちヨハネ福音書の筆者だ。天使はゼベダイの子使徒ヨハネと協力して二人一役を演じ、イエスと復活後の替え玉をそばから見守った。


 キリスト教の概念をある程度は理解しており、役者としても優秀なイエスと違い、台詞丸暗記の替え玉はアドリブがきかず、台詞もよく間違えた。


 復活したイエスが、ペテロに自分のことを愛しているかという質問を三回続けて投げかけた時。

イエス「あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか(ヨハネ21:15)」 

ペテロ「愛します」

イエス「わたしの小羊を養いなさい(21:15)。わたしを愛するか」 

ペテロ「愛します」

イエス「わたしの羊を飼いなさい(21:16)。わたしを愛するか」 

ペテロ「愛します」

イエス「わたしの羊を養いなさい。よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう(21:17-18)」


 三度も同じことを聞かれ、ペテロは困惑しただろうが、これはペテロに宣教者としての自覚を持たせるために、誰よりも師を愛するという返事をさせるのが狙いだった。

 羊はイエスの信者のことで、若い頃は気ままでよくても、これからは責任が大きくなるという教訓だ。それが羊の譬えをした後に、ペテロの回答にこの人達以上という比較が抜けていることに気づき、質問を繰り返した。


 ところが、今度はイエスの質問から比較の部分が抜けてしまい、ペテロは同じ返事をした。もう一度同じやりとりが続き、これ以上はまずいと気づき、台詞を最後まで言った。

さらに羊の箇所が微妙に違う。日本語訳だけでなく、原文も違っている。この後イエスは、愛する弟子が不死身であることをばらすというミスを犯した。


 これを見た天使は、替え玉が本物のイエスのようには機転がきかないことに気づき、これ以上は無理だと判断し、復活して間もないイエスはベタニアで昇天することになったのだろう。


 愛する弟子は、最後の晩餐では単に隣に座っていただけではなく、胸元によりかかったということだから、他の弟子に聞こえないように、小声でイエスに指示をしたのだろう。イエスがろばに乗ってエルサレムに入城する以前、こっそりエルサレムの祭りにでかけた際、ユダヤ人達が捕まえようとしても捕まらないことをヨハネで記述しているのは、その正体が天使だと知っていたからだ。


 ヨハネ福音書にゲッセマネでの祈りがないのは、筆者がイスカリオテのユダに付き添っていたからで、共観福音書での群衆が、ヨハネでは、

「一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役ども(ヨハネ18:3)」

 とやけに詳しく、耳を切られた僕の名まで記されている。

 

 断食中の誘惑がないのは悪魔がガブリエルだったからだ。処刑時に空が暗くなったり、イエスが神を非難したことは、この天使にとっては恥ずべき記憶なのでヨハネでは省かれた。逆に、使徒トマスが復活したイエスの傷を見て感動するシーンは、よく練りこまれた自慢のアイデアなので採用した。


 トマスはラザロの復活にも協力した。布で巻かれて墓の中で待機し、イエスに呼ばれると墓から出る。人々はトマスの体を覆う布をはがすが、その顔は天使が投影したラザロの顔となっている。

 トマスはイエスがラザロの家に行こうと言うと、積極的に賛成し、こういった。

「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか(ヨハネ11:16)」

死のうではないかの意味は、死人の真似をするということだ。


 イエスの磔のとき、共観福音書ではマグダラのマリアと使徒の母二人が遠くから見守っていたとあるのに、ヨハネ福音書ではイエスの母や叔母、マグダラのマリアがそばにいたとされる。そのときイエスは母と愛する弟子に声をかけた。兵士達の見張る中、十字架のそばにいることはできない。

 事実は共観福音書の通り、女性達は遠くから見守っていたのだろう。それを見た天使は、イエスを慰めようと、彼のそばに母親たちの幻を描いたのだ。正教会の伝承では、マグダラのマリアは晩年、イエスの母と使徒ヨハネと一緒に暮らしたという。ヨハネやマグダラのマリアに化けた天使は、イエスの遺言を守り、彼の母親の面倒をみたのかもしれない。


        


 現場の天使の視点でまとめられたヨハネ福音書だが、共観福音書との矛盾から、史実ではないという批判もある。使徒アンデレがもともとは洗礼者ヨハネの弟子になっていて、イエスが受難時以外にもエルサレムに何度も出かけている。


 福音書には、偽典とされるものが多くある。ガブリエルはそれらをチェックするなかで、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった(1:1)」から始まるヨハネ福音書の文章に魅せられ、部下の天使に正典として採用できる福音書に修正することを命じ、天使は六章以降を自分で作り直した。きっと元の文章の六章以降は、とんでもない内容だったのだろう。


 マルコ十六章の九節以降は結びと呼ばれ、〔 〕マークで囲われており、写本によっては存在しなかったり、別の文章だったりするため、後世の追加文だという説が有力である。しかし、八節で終わるにはギリシャ語として不自然で続きがあったとも言われている。


 筆者は、後世の追加というよりも、非常にまずい記述が含まれていたので、内容を変更したものだと考える。文章の途中を削除するのは無理だが、文末なので紙を切ればすむ。その後、別の資料がどこからか出現し、写本に追加したのだ。


 それはおそらく、復活したイエスが本人ではないとわかるような表現があったので、違った姿で現されたにとどめたのだろう。たとえば、「蘇ったイエスのことを、『先生が捕らえられたときにいた若者と似ている』と言う弟子もいた」では、替え玉計画がばれてしまう。

 ルカでは、「彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった(ルカ24:16)」と、さらに遠回しな表現になっており、マタイではその辺りのことは省略してある。


 現場にいた天使の視点から書かれたヨハネでは、マグダラのマリアが園丁と勘違いするという具体的な記述だが、このときイエスは、

「わたしにさわってはいけない(20:17)」

 と言っているので、替え玉ではなく、替え玉に化けた天使だ。会話の途中からイエス本人の声色を真似たのだろう。


 替え玉がいるのに、わざわざ替え玉に化けるのはおかしい。だから他の福音書に載せていない。他にもヨハネでは、頭の覆いの位置や、パンが出せず説教でその場をごまかし弟子たちが離れていったことなど、かなりまずい点も記述されており、ヨハネによる福音書はガブリエルの検閲が甘かったようだ。


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