第12話 旧約の中の新約聖書 (後)

 八章の四つの国の終わりの時の猛悪な王と十一章の卑しむべき者は、BC167年にエルサレム神殿を荒らしたアンティオコス四世だ。このならず者のことを記すため、ダニエル書はヘブライ語で書き換えられた。

 十一章と十二章を読む限り、アンティオコス四世がエジプト等と戦う時のイスラエルの被害を終わりの時と表現しているように思われるが、ダニエル書を近未来の終末予言とする意見は根強い。


 未来のこととする根拠は、十一章の四十節辺りから史実と異なるからだ。それは、ダニエル書修正時期がエルサレムが略奪されて間もないBC165年頃だったので、その後の預言が当たらなかったのだ。

 エルサレム神殿にゼウス像(荒す憎むべきもの)を祀り、大嫌いな豚を供えたことに怒ったガブリエルは、この大悪王を前代未聞の作戦で滅ぼす計画を立てた。


 北の王セレウコス朝シリアは、嵐のように各国に攻め入り、通過していく。勢いに乗る彼らを止められるのは、第四の獣ローマだけだ。だが、今回はそういった通常の手段はとらない。


「彼は海と麗しい聖山との間に、天幕の宮殿を設けるでしょう。しかし、彼はついにその終りにいたり、彼を助ける者はないでしょう(ダニ11:45)」

「その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります(ダニ12:1)」


 王の宿営をミカエルが襲撃するが、モーセが割った海が本物の海ではないように、ミカエル本人ではない。空中に巨大なミカエルの幻を描き出し、「大空の輝き(ダニ12:3)」で宿営を焼き尽くすのだ。

 巨大な凸レンズ、透明なガラスの壺でもいい。それをミカエルが上空から掲げて、中東の熱い太陽の光を集め、テントに当てる。レンズは幻にすぎないが、光を操れる天使なら機能上問題はないだろう。

 八章でも猛悪な王は、「人手によらずに滅ぼされるでしょう(ダニ8:25)」とあり、天使が直接手を下すが、ミカエルがいなくなったからできる芸当だ。本人がいたら、恥ずかしいからやめてくれというに違いない。焼き尽くすと書いたが、発火しなくても中の兵士は熱中症で倒れる。


「荒す憎むべきものが立てられる時から、千二百九十日が定められている。待っていて千三百三十五日に至る者はさいわいです(ダニ12:11-12)」


 神殿が荒らされたBC167年の十二月が起点なので、三年半後のBC163年の夏に実現する予定だった。エアコンも扇風機もない時代、事前に飲料水を足りなくするなどの措置をとれば、テントの中の者はただではすまない。

 実現すれば、モーセが海を割った以上の超奇跡だが、直前にアンティオコスは陣中で急死する。彼が生きていたとしても、ユダヤ人が反乱(マカバイ戦争)を起こし、善戦していたので、計画は実現されなかっただろう。


 ちなみに、アンティオコスの兄王が神殿に派遣した使節が財宝を没収しようとすると、騎士が現れ、使節と護衛兵を追い払ったと外典マカバイ記に記されている。この時代には映像が直接兵と戦ったようだ。


 ダニエル書九章は、キリスト登場時期の予定だ。エルサレム城壁の工事が行われたBC445年が起点で、そこから七十週(七十×七年)でAD45年。この年、キリストによる救済が実現する予定だった。イエスが処刑されず、ローマに伝道していれば、ちょうどその頃になるはずだが、正確すぎるということは却って疑わしい。


 エズラ記四章では、神殿工事再開の途中に城壁工事の請願文が無理矢理挿入されている。キュロス王の時代によこしまな連中の陰謀で神殿工事が中断し、ダレイオス王の時代にキュロス王の文書が見つかり、工事が再開するという流れの途中に、七十年後の城壁工事の妨害エピソードが不自然に入れられ、エズラ記の信憑性を損ねている。


 エズラの十三年後にバビロンから帰還した、ネヘミヤの手によるネヘミヤ記は、城壁工事がメインとなっており、その後にエズラの物語が続いている。エズラ記とネヘミヤ記は、内容から以前は同じ巻物に記されていたとされる。エズラは歴代誌の筆者とされ、歴代誌の文末とエズラ記の冒頭は全く同じ文章が記され、もともとは一続きの巻物だったと推測されている。

 一体、この三つの書に何が起きたのだろう。


 一世紀頃記されたユダヤ古代誌には、城壁工事期間はネヘミヤ記の五十二日ではなく、二年四ヶ月かかり、クセルクセスの二十八年(在位は二十年間なのでおかしい。息子のアルタクセスクセス一世の時代でBC458年頃)に竣工したと記されている。

 また、エズラ記のアルタクセスクセスは一世ではなく、六十年ほど後の二世のことだという説が有力視されている。ネヘミヤ記二章では、ネヘミヤは献酌官という設定で、世界帝国ペルシャの王と直接会話して、工事が決まるのも嘘くさい。


 エズラ記のギリシャ語訳には、第一エスドラ書と第二エスドラ書の二種類がある。第二のほうは、現在のエズラ・ネヘミヤ記を翻訳したものだが、第一のほうはエズラ記と少し内容が異なり、ネヘミヤ記の部分が七章の終わりから八章の途中のみ。つまり城壁工事の時期を特定する箇所が存在しない。


 どうもダニエル預言が当たったことにするために、何か工作があったようだ。城壁工事の時期はネヘミヤ記のBC445年ではなく、ユダヤ古代誌のBC458年前後だった。エズラは三代後のアルタクセスクセス二世の時代の人物で、歴代誌を執筆したが、城壁工事のような些細なことは扱わなかった。

 ダニエル九章の預言はダレイオス元年で、翌年には預言者ハガイに神殿再建の啓示が下ったことから、ダニエルへの預言は城壁工事命令ではなく、神殿再建を起点としていたはずである。


 紀元前二世紀、アンティオコスの影響でダニエル書を修正する際に、七十週の起点を神殿再建ではなく、城壁工事命令に書き換えた。その時期も調整可能な状態にするため、実際に城壁工事を行ったネヘミヤと歴代誌筆者エズラとを関連づけ、エズラ・ネヘミヤ工作を行った。


 新規に旧約聖書の巻を増やすのは難しい。工作を一度に行うのは危険が伴うので、ガブリエルはあらかじめ歴代誌の後ろ十章ほどを切り取り、エズラ記(第一エスドラ書の翻訳前)として独立させ、イエスが登場した頃、工事の時期をアルタクセスクセスの二十年(BC445)とし、預言に合わせた。

 紀元前一、二世紀頃のものが残っている死海写本にネヘミヤ記がないのは、その辺りの事情が関係しているのだろう。


 九章の七十週の内訳。

「メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り(ダニ9:25)」とあるが、七週後のBC396年頃には特筆すべき出来事はない。これは、キリスト登場時期までの六十九週を、救済実現までの七十週と間違えて、無理な言い直しをしたことによる。

 69と言い直さず、70の7まで言ったところで、62を追加して合計69としたのだ。アラム語の七十はシャーウィーで、シャーまで発音したが、間違いに気づき、七のシャーワーに変更した。ヘブライ語の七(ザイン)と七十(アイン、アは摩擦音)ではありえないので、ダニエルへの啓示はアラム語だったことがわかる。


「その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。またきたるべき君の民は、町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き、荒廃は定められています。彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです(ダニ9:26-27)」


 キリストが昇天でいなくなってから、三年半後にローマ皇帝(暴君)がエルサレムと神殿を荒らす。その三年半後、救世主は再臨し、暴君は滅ぼされる。この七年が基準となって、その七十倍の四百九十年を救済までの時間にした。紀元前六世紀の計画が、アンティオコスの影響でイエスの敵荒す者が偶像を祀るように修正された。


 イエスが処刑されていなければ、その役目を果たしたのはカリグラだ。事実、彼は西暦三十九年から四十年の間に自分の神像をエルサレム神殿に建てることを命じている。城壁工事命令から六十九週と一、二年経った頃だ。ユダヤ内乱を恐れたシリア総督が工事をわざと遅らせ、四十一年初頭(六十九週と約三年)にカリグラが暗殺されたので、神殿に像が建つことはなかった。

 

 イエスが亡くなっても、ダニエル預言が当たるように天使は計画を進めていたようだ。元老院による暗殺は、イエス本人がいない状況では無理があると天使が判断した結果なのか、それともカリグラが天使に逆らったせいか、今になってはわからない。


 ダニエル書にかなりページを費やしたが、ダニエル書こそが本来の意味での新約聖書だからだ。アウグスティヌス曰く、旧約聖書の中に新約聖書は隠されている。

         


 アンティオコスの影響による旧約聖書の修正は、ダニエル書とエゼキエル書にとどまらない。ゼカリヤ書の後半はゼカリヤ本人の手によるものではなく、後世に書かれたという意見は通説になっている。前半は神殿再建時の啓示だが、後半はアンティオコスが神殿を荒らしたことが原因で、救世主計画の一部が変更され、追加されたものである。


 その内容は、世の終わりに救世主がエルサレムに入城し、全ての国がエルサレムを攻めるが、主によってうち倒されるというものだ。マゴグのゴグ計画では、オリエントの覇者リディアは、ペルシャ、エチオピヤ、プテなど数カ国を率いて攻めてくるが、これはローマ帝国の全州から軍隊が集まりエルサレムを囲む。


 ゼカリヤ書九章では、アレキサンダー大王の攻略を書き記した。ダニエル書同様、すでに起こった事実を、これから起きることのように記すことで、信用を上げることができる。その後、イスラエルだけでなく全世界を救う救世主の登場となる。


「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る(ゼカ9:9)」


 救世主はロバに乗ってエルサレムに入城する。神殿で説教し、替え玉が処刑される。三日後に本人が姿を現し、復活。使徒を引き連れ、ローマまで伝道の旅。大広場フォロ・ロマーノで民衆を前に説教した後に昇天。それから七年間の間、世の終わりを思わせる災いや戦争が起きる。


「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり、またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである(マルコ13:8)」


 福音書から判断すると、地震や飢饉や原因で、帝国各地で反乱が起きるようだ。天使は地殻変動を起こすことはできないが、地震の音なら響かせることができる。飢饉は天候不順が原因だ。土砂降りの雨を降らせることは無理でも、日照時間を減らせば作物は実らなくなる。


「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、しるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マルコ13:22)」

 人々の不安につけ込み、偽救世主もあふれている。


 七年の真ん中、三年半後、ローマ帝国皇帝がエルサレム宮殿に異教の神を祀る。

「彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです(ダニ9:27)」

「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ(マルコ13:14)」

 と、イエス本人が述べているように、それが避難指示の合図となる。


 そして救世主の再臨直前に、地球の歴史始まって以来の天変地異が起きる。それは、主の日と呼ばれている。太陽が暗くなり、地上は闇に閉ざされる。これはイザヤ書やヨエル書にも書かれているので、旧計画の頃から考えていた世の終わりの特徴である。


「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ(マルコ13:24)」

「この事が冬おこらぬように祈れ。その日には、神が万物を造られた創造の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような患難が起るからである。もし主がその期間を縮めてくださらないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選ばれた選民のために、その期間を縮めてくださったのである(マルコ13:18-20)」


 マルコ福音書のイエスの言葉から、帝国の広範囲に渡り、地上に太陽の光が届かなくなり、最悪の場合、氷河期のような状況になると予想できる。しかし、ゴルゴダの丘を暗くしたのとは訳が違う。いくら実物大の紅海を描いたガブリエルでも、ローマ帝国全土を闇に変えることは無理そうなので、局所的に暗くする予定をイエスが誇張したのだろう。


 かつてない災いと反乱のなか、ユダヤの反乱に業を煮やした皇帝は、帝国の全州から軍隊を集め、エルサレムに攻め込もうとするが、

「その日には、わたしはエルサレムに攻めて来る国民を、ことごとく滅ぼそうと努める(ゼカ12:9)」と主がおっしゃっている。


「わたしは彼らに向かい、口笛を吹いて彼らを集める、わたしが彼らをあがなったからである。彼らは昔のように数多くなる(ゼカ10:8)」

 とあるように、主は諸国からイスラエルの兵士を大勢集めるという。だが、どこの国にイスラエル兵がいるというのだろう。


「その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、彼らはおのおのその隣り人を捕え、手をあげてその隣り人を攻める(ゼカ14:13)」

 無勢が多勢を倒すには、同士討ちを誘うことが有効だ。敵はイスラエル兵を狙うはずだ。味方であるはずの他部隊が、諸国から馳せ参じたイスラエル兵に見えれば、同士討ちは必然的に起きる。


 出エジプトの時、エジプト軍が自ら紅海に飛び込んだように、ローマ軍は自滅する。生き残った軍隊はイスラエル人の逃げた山に向かうが、難所に導かれ、暴君ともども滅ぼされる。イスラエルは勝利し、主の栄光が示される。


「あなたの太陽は再び沈むことなく、あなたの月は欠けることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆きの日々は終わる(イザヤ60:20)」

 姿を隠していた救世主は、新皇帝の待つローマの大広場に白い雲に乗って降臨する。黒雲の隙間が広がり、太陽が現れる。


 この最新計画は、救世主の威光を高めるだけでなく、天使が苦心して考え抜いたマゴグ計画を規模を拡大して生かせる。イエス本人が処刑されなければ、歴史はかなりおもしろくなったことだろう。

 残念ながら史実は、ローマ軍の兵糧責めでエルサレムは陥落。紀元前二十年に救世主の登場を予告するかのように拡張した第二神殿は破壊された。カエサル、オクタビアヌスと二代に渡り、痛んでいたフォロ・ロマーノを、華やかで美しい広場に造り替えたことも無意味となった。

  


 黙示録十六章に出てくる有名なハルマゲドンは、世界最終戦争のようにとらえられているが、イスラエルにあるメギドの丘を意味する。大淫婦を裁く話の序章として、神が怒っていることを示すため、七人の天使が鉢に入った災いをぶちまける際に出た場所だ。

 第六の天使が鉢の中身を川に注ぐと、悪霊たちが全能の神の戦いに備え、世界中の王たちをメギドの丘に集めた。第七の天使が鉢の中身を空に注ぐと、雷や地震など天災が起き、神は大バビロンを思い出し、怒りのぶどう酒を大淫婦に与えた。


 それから十七章に入り、七人の天使のうちのひとりが、ヨハネに大淫婦に対する裁きを見せる。そういう話の流れなので、ハルマゲドンは、大淫婦に対する神の怒りを、七人の天使が災いの入った鉢を注ぐという詩的かつ比喩的に表現した際に出てきたもので、刑事ドラマのオープニングクレジットで、刑事が屋台でラーメンをすすっているシーンの屋台の屋号程度の意味合いしかない。


 アグリッピナという一神教の歴史にとってとるに足らない人物に対する批判ドキュメンタリーのオープニングの一コマで、終末の最大イベントを啓示するほど天使は馬鹿ではない。世界最終戦争についてのはっきりした予定があるなら、一度きりの啓示の最後のおまけではなく、複数の預言者の元を何度も訪れ、その一連の預言だけで聖書に数書が加わるはずだ。


 幕屋のサイズを信じられないほど細かく指定して来る主が、世界最終戦争について、曖昧な表現のまま二千年間放置するわけがない。核ミサイルの時代に、全ての国々がエルサレムに攻め込む必要がどこにある。天使は黙示を通して、アグリッピナに対する怒りを表現したのだ。


 とはいえ、黙示録にも十九章と二十章に終末プランはでてくる。十九章では、白い馬に乗った王の中の王が天の軍勢を率いて登場し、獣と地の王たちの軍勢を倒す。そのすぐ後の二十章では、イエスや天使がサタンを千年間封印し、千年後によみがえったサタンにまた勝利するという。


 十九章の内容は具体性に欠けるが、ゼカリヤ書や福音書の終わりの日を思わせる。二十章のそれはただの宗教話にすぎない。ゼカリヤ書後半や福音書に出てきた具体的な終末計画が、イエスの死で実現できなくなった。

 それでも天使は、できれば再臨したイエスが獣ネロを倒すような状況に持っていきたかった。だが、実現の可能性が極めて低いため、わずかな希望を曖昧な表現で濁した。かなり曖昧ではあるが、ほとんど実現不可能なことがわかっているので、さらに曖昧にすべく、サタンを千年間封印するというおとぎ話を付け加えた。


 初代皇帝オクタビアヌスによるパクス・ロマーナの実現を見て、皇帝制度が軌道に乗ったことを確認したガブリエルは、救世主計画を実行に移した。イエスが三十歳になったとき伝道を開始させ、敵役の皇帝カリグラを準備していた。


 ところが替え玉作戦が失敗し、救世主計画は大きく後退することになる。三代皇帝カリグラは暗殺された。それでカリグラをしのぐ悪の皇帝ネロを選び出したが、生きているイエスがローマで昇天した後の再臨と、二十年前にパレスチナで昇天したイエスがいきなりローマに再臨するのでは、全く意味が違う。イエスの再臨は、下手に行えば大失敗に終わるだろう。


 旧約の時代、アッシリアや新バビロニアを滅ぼすことを、王の名や国名をはっきりと出して預言した天使は、実現の自信がなく、プラン変更が予想できるネロ計画については外れてもいいように獣でごまかした。


 黙示録は人類の終末の書ではなく、終末プランの終末の書だった。ただし、完全にあきらめたわけではなく、状況次第ではイエスを再臨させることを検討していた。そのためにヨハネの前でイエスと名乗ったのだ。残念ながらネロの死後、ユリウス・クラウディウス朝は滅び、軍が皇帝を擁立するようになる。

 それでも、信徒は地味ながら増えていた。宣教が順調ならば、わざわざリスクのある奇跡を起こす必要はない。ガブリエルは、イエス再臨という派手なパフォーマンスはやめ、地道に宣教していく方針をとった。


 黙示録は一世紀の終わり頃に成立したといわれているが、啓示の時期はパウロの第二次伝道旅行が終わったAD53年頃だ。天使は、設立間もない小アジアの教会への忠告のついでに、当時暖めていた終末のやり直し計画をヨハネに見せたのだが、肝心のプラン自体が曖昧で、無意味で派手なホラー映像のオンパレードになってしまった。そこに現代の情勢を無理矢理当てはめるのは、SF好きが集まるSF大会のオープニングアニメを、現実のニュース報道と勘違いするようなものだ。 

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