第10話 使徒達の黙示録 (後)

 啓示の最後に、天使は自分についての謎かけをする。

「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである(黙22:13)」


 天使は自分のことをイエスと名乗っているが、これはイエスがまだ生きていることにしたいからだろう。獣の幻が出るなど、ダニエル書と啓示の表現方法が似ていることから、ダニエルの前に現れた天使と思われる。ダニエル書第十章で、ダニエルがチグリス河の岸で見た天使の姿は、ヨハネの前に現れた天使とよく似ている。


「足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。(中略)顔は、強く照り輝く太陽のようであった(黙示録1:13-16)」


「ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、ウパズの金の帯を腰にしめていた。そのからだは緑柱石のごとく、その顔は電光のごとく、その目は燃えるたいまつのごとく、その腕と足は、みがいた青銅のように輝き、その言葉の声は、群衆の声のようであった(ダニエル10:5-6)」

 ちなみに、エゼキエル書八章の天使も青銅と火を特徴とする。


 ダニエル書八章と九章に登場する天使は、はっきりガブリエルと明記されている。黙示録の天使と似たダニエル書十章の天使は、ミカエルのことを第三者として語っているのでミカエルではない。ひとりの預言者に複数の担当がいるとは思えないので、十章の天使もやはりガブリエルだろう。以上の理由から、アルファでありオメガであるものはガブリエルと推測できる。


「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしのほかに神はない(イザ44:6)」

 彼は第二イザヤにもそう啓示を告げていた。第二イザヤ、ダニエル、エゼキエル、ヨハネに啓示を告げたのはガブリエルのようだ。


 エゼキエル書に出てきた、マゴグとゴグという名前が黙示録にも出てくる。

「メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる(エゼ38:3)」

 エゼキエルはダニエルと同時期の預言者だ。エゼキエル書の36章と37章では、エレミヤ書同様、北イスラエル(エフライム)とユダがひとつになって栄えると、主が約束している。39章。主が北の果てマゴグの地のゴグにイスラエルを攻めさせるが、イスラエルによって倒される予定だそうだ。


 ゴグは単独ではなく、ペルシア、クシュ、プトらと連合を組む。これが世に言う世界最終戦争で、ゴグは旧ソ連だと解釈したい人たちが世の中には大勢いるようだが、主はエゼキエルにマゴグのゴグに向かって言えと命じているので、エゼキエルが生きている時点で存在しているはずだ。


 では、どこだろう。

 マゴグはノアの孫で、ゴグはメシェクとトバルの総首長だ。今のグルジアにあるトボリシはトバルの都という意味だ。

「ヤワン、トバル、およびメセクはあなたと取引し(エゼ27:13)」とあるように、今のレバノンにある海洋都市ティルスの取引先なので、十二世紀になって初めて歴史に登場する遥か遠方のモスクワとは思えない。小アジア(アナトリア半島、トルコのアジア部分)の好戦的な民族とする説が有力だ。


 当時のオリエントは新バビロニア、メディア、エジプト、小アジア西部のリディアの四つの勢力が競いあっていた。イスラエルから見た北はメディアとリディアになるが、メディアならメディアとそのまま記すはずだ。旧約聖書にはリディア王国の記述がない。イスラエルから遠方のリディアは、あまり人々の話題にならなかったのだろう。

 

 天使はリディアを念頭に置き、マゴグの地のゴグと表現した。ただし、状況次第では他の勢力がマゴグのゴグとなれるよう、はっきりとした国名は避けた。黙示録の七つの教会は、ちょうどリディア王国のあった場所にあたり、天使はヨハネに語る際、地上の四方にいる諸国の民の象徴として、ゴグとマゴグという言葉を出してしまった。


 ということは、エゼキエルの時代、まだキュロス王が台頭する以前は、ダニエルに示したような、四匹の獣が前の獣を喰らい次第に巨大化していくプランではなかったことになる。

 まずメディア(ペルシャ)が新バビロニアと戦い、両国は体力を消耗する。リディアが体力を温存し、相対的に力を増してゆく。

 バビロニアの弱体化により、ユダ王国は独立し、旧イスラエル王国の版図を取り戻す。わが民イスラエルの安らかに住むその日に(エゼ38:14)、強大化したリディアは、メディアなどを率いイスラエルを攻める。しかし、イスラエルの山々に導き(39:2)、イスラエルの山々に倒れる(39:4)とあるので、狭く険しい山道などの地勢的に不利な場所に誘導され、進路と退路を塞がれたり、幻の道に足を踏み入れ転落するなどして壊滅。

 火を送り(39:6)、火を降らせる(38:22)という表現から、空から火が降ってくる幻や山火事も考えられる。それでイスラエルが勝利し、主の栄光が示されるという、いささかローカルで、ユダヤ教徒が望みそうなプランが進行中だったようだ。


 しかし、現実はメディアが全オリエントを飲み込んでしまった。ダニエルが四匹の獣を見たBC550年頃は、キュロスがメディア王アステュアゲスを倒し、三年後にリディアを倒した。新バビロニアは最後の王ナボニドゥスの息子ベルシャザルが摂政をつとめていて、まだキュロスに倒される前だった。

 エゼキエルへの預言はBC590年頃である。エゼキエル書四章でイスラエルの罰の年数が390年と定められているので、BC200年には北イスラエルは復興するはずだが、そんな史実はない。BC590~550の四十年の間に、計画の変更が起き、天使はダニエルに新計画に基づく啓示を示したのだ。


 計画が変更した原因は、当時ペルシャに広まっていたゾロアスター教から、天使が大きな影響を受けたことにある。救世主が全人類を救うという発想は、天使を虜にしたに違いない。狭い約束の地でイスラエル人が主の栄光のもとに栄えることよりも、全世界を相手に愛の教えを広めるほうがやりがいがある。


 ダニエルはイスラエルのために祈ったのだが、それを聞いて飛んできた(急いで来たという意味ではなく、文字通り空を飛んだ)ガブリエルは、イスラエルの栄光を語ることなく、メシアの登場時期を示した。神の計画は変更されたのだ。計画の変更とは、キリスト教誕生の瞬間でもある。


 紀元前八世紀に書かれたとされるイザヤ書は、前半がアッシリアの脅威とインマヌエルという名の救世主のことが記され、後半はキュロスが登場し、イエスを思わせる従順な救世主らしき人物のことが記されている。

 文体の違いなどからも、後半は第二イザヤと呼ばれる前半とは別人の手によるものとされる。これはおそらくその通りで、キリスト教の構想をまとめたガブリエルは、ダニエルに宣教地域と時期を、第二イザヤに救世主の特徴を示した。


 イザヤ書に追記する形をとったのは、救世主インマヌエルのことが預言されているからだろう。さらに、過去の預言に追記すれば、その後起きた出来事を事前に言い当てたことになり、信頼性が高まる。

 ユダヤ教では古い写本をゲニザと呼ばれる保管所に集め、そこで廃棄する決まりになっており、死海写本などの例外を除けば古い写本が存在しない。写本を写すのも専門家の仕事だ。そういった事情と、主からの啓示、写す際に元の写本の文字を幻影で変えるなどすれば、聖書の内容を意図的に変えられる。

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