第9話 使徒達の黙示録 (前)

 イエスが捕まったとき恐れをなし逃げかくれした弟子達は、イエスの復活後は何故か迫害を恐れずに、宣教に邁進するようになる。イエスのことをほら吹きの類と疑っていたのが、本当に復活したと信じ込み、本物の神の子だと認識を改めたのだろう。

 ゲッセマネでのイエス逮捕時には、敵方の耳を切り落としたものの、知り合いではないと偽り、イエスを見捨てたペテロもすっかり回心し、信者たちの前で説教をするようになった。ペテロは初代ローマ教皇とされ、使徒の頭と呼ばれるようになる。


 ナグ・ハマデイ文書ヤコブのアポクリュフォンによると、イエスは死後五百五十日後に弟子達の前に現れ、ペテロとヤコブの二人に天の国の光景を見せたとある。五百五十日の空白期間は、二人の天使がローマにいるガブリエルのもとを訪れて、今後のことを相談していたのだろう。

 コリントの信徒への手紙2の十二章で、とあるキリスト教関係者が十四年前にパラダイスに引き上げられたとパウロが記している。このときのことを言っているのかもしれない。


 正典の福音書では、

「イエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった(ルカ9:1)」そうで、

「みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた(使徒2:43)」

 とあるので、イエスの死後、天使達は使徒達を宣教の尖兵として使うため、イエスのときに使った奇跡を行ったのだろう。


 しかしながら、ユダヤ教ナザレ派と呼ばれた初期のキリスト教にとって最大の貢献者は、彼らイエスの直弟子ではない。


 イエスの時代、パレスチナ周辺では、アラム語、ヘブライ語、ギリシャ語が混在して使われていた。アラム語とヘブライ語は方言ほどの違いしかないが、ギリシャ語は国際語としての役割を果たしていて、話せるユダヤ人と話せないユダヤ人がいた。また、ギリシャ語しか話せないユダヤ人もいた。


 イエスの死後、キリスト教はアラム語を話すユダヤ人たちによるパレスチナのエルサレム教会と、ギリシャ語を話すユダヤ人が主導した異邦人教会の二つのグループに別れた。前者はペテロ、後者はユダヤ教の律法学者だったパウロに率いられ、当初は対立をしていたとされる。

 ペテロとパウロ、実はこの二人には、ある時期から天使が付き添っていた。天使付きの使徒はもっと数が多い方がいいのだが、天使の人数は三人で、一人は管理職だから、二人までしか用意できない。ペテロとパウロはローマまで伝道の旅をした。


 パウロはキリスト教を迫害する側の人間だった。ダマスコという町で信者を見つけ、エルサレムに連行しようとしていた。ダマスコに近づいたとき、天から光が照らし、イエスと名乗る声がした。目が見えなくなり、従者に手を引かれてダマスコに入った。ダマスコに住むイエスの信者アナニヤに、主がパウロのいる場所へ向かうよう告げた。

 アナニヤが言われた通りにすると、パウロの目は「目から鱗」が落ちたように見えるようになった。天使はパウロの目の前に幻影を投影して、視力を奪った。三日間もパウロのそばに張り付いていなければならないので、手間のかかる手品だ。


 それだけの労力を費やしたかいがあり、パウロ回心の効果は絶大だった。イエス本人を知らないパウロは、イエスを神格化した。キリスト教に回心したパウロをダマスコのユダヤ人たちが殺そうと企んだが、パウロはエルサレムに逃げた。自分から進んで逃げたのではなく、天使が逃げろと命じた。エルサレムでもギリシャ語を話すユダヤ人たちが、彼の命を狙った。パウロはエルサレムから脱出した。


 二人の天使から救世主計画の失敗を聞いたガブリエルはパレスチナに行って、使徒達の中から二名の宣教者を選ぼうとした。使徒筆頭のペテロとナンバー2のヤコブが候補になり、イエスに化けたガブリエルは二人に、あなたたちは師と同じように十字架にかけられると告げ、天国を見せたが、ヤコブの反応がいまひとつ鈍く、代わりに信仰心が厚くギリシャ語に堪能なステファノが選ばれた。


「さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた(使徒6:8)」


 迫害者パウロはステファノの殺害に賛成し、議会で演説したステファノは群衆の手で殺害され、遺体はパウロの足下に置かれた。天使達はステファノの代わりに、ダマスコの信者アナニヤを候補に決め、ダマスコに向かった。途中、偶然パウロで出くわした。目の前でステファノを殺された担当天使は、怒りを抑えきれなかったに違いない。

 

 だが、ガブリエルはパウロを殺さず、アナニヤが奇跡を起こすための目の見えない病人役として活かした。恨みに満ちた担当天使は、パウロの目をふさいだ。ガブリエルはアナニヤをパウロのもとに導き、アナニヤがパウロの目を見えるようにした。

 そのとき、アナニヤよりもパウロのほうが強く感激した。高い学識と語学力も考慮に入れて、ガブリエルは迫害者パウロを宣教者に選んだ。


 ステファノは殺害される直前、アブラハムはウルで主の啓示を受けカナンに向かったと証言した。そのときの彼の顔は天使のようだった。天使の目の前でそう言い、聖書にそう残されているということは、天使の認識がそうだったということだ。

 天使達は、アブラハム時代のことを何も知らないのだ。


 三日間目が見えなくなったパウロは、キプロス島ではユダヤ人魔術師の目を見えなくした。おそらく魔術師の目は、天使が離れた後に見えるようになったのだろう。自在に幻を描き出せる天使が、一緒にいてくれるということは、下手な護衛より心強い。それでも行く先々でユダヤ人から迫害を受けた。初期のキリスト教にとって最大の敵は、その母体であるはずのユダヤ教だった。

 そのことを予測したガブリエルは、周辺諸国を強化してイスラエルを弱体化させた。ソロモン王が統治しているような状態では、キリスト教の宣教は困難だ。ただし、ユダヤ教の改革なので、完全に滅び去ってもらっても困る。ローマの属州程度が宣教にとってちょうどよい。


 パウロは、腐敗してからではなく、死んでから間もない青年をよみがえらせるなどの奇跡を起こしながら、小アジアを中心に宣教していった。異邦人の割礼問題を話し合うために、エルサレムに戻ったこともある。結論は、異邦人に妥協し、一部宗派を除きキリスト教は割礼と決別した。それは割礼を子孫に伝えようとしたテラとの決別だった。アブラハムの宗教の流れをくむとはいえ、キリスト教はガブリエルのオリジナルなのだ。

 

 さらに、「偶像に供えたものと、血と、絞め殺したものと、不品行とを、避けるということである。これらのものから遠ざかっておれば、それでよろしい(使徒15:29)」

 とされ、大半の律法は過去のものとなった。パウロはユダヤ教ナザレ派ではなく、ユダヤ教の枠を越えたキリスト教を目指していた。イエスは敵を愛せと言ったが、イエス本人を知らないパウロは隣人愛を説いた。ガブリエルは、ムハンマドに隣人によくしろと強調していた。


 何度も投獄され、船上で暴風(天使の仕業ではない)に遭うなど苦心惨憺しながら、パウロは各地を巡り、首都ローマにたどり着く。ローマで家を借り、宣教に努めたが、やがて処刑されたという。


 パウロたち使徒の活躍で増え続けるキリスト教徒に脅威を感じたのか、西暦49年、皇帝クラウディウスは、キリスト教徒をローマから追放する命令を出した。

 西暦54年、クラウディウスに代わり、ローマ皇帝にネロが即位した。皇帝ネロをヘブライ語にして数えると獣の数字666になる。ヨハネ黙示録は一世紀末頃のものとされるので、黙示録の獣はネロを指しているという説が有力である。


 この黙示録の獣は何をしたのだろう。

 母親や妻を殺すなど暴君で名高いが、初めて一般のキリスト教徒を殺害した。それ以前の迫害はユダヤ教関係者によるもので、宗教関係者同士の仲違いだったが、ネロはローマの大火をキリスト教徒の犯行とし、数万人の群衆の前で猛獣の餌食とした。


 割礼会議以降活動が記されていないが、ペテロもエルサレム教会を離れローマに来ていた。初期のキリスト教宣教の最大のキーパーソンでローマ教会の礎を築いたパウロとペテロは、ネロの統治時代に処刑された。二人の処刑が同時かどうかは不明だが、二人とも天使に選ばれ、天使が奇跡を起こし、天使に守られたのだが、最後はイエスや洗礼者ヨハネと同じく、公権力の手で処刑された。


 その後、ユダヤは反乱を起こし、ネロのローマ軍に攻撃された。ネロの死で一時中断したものの、西暦七十年にはエルサレム神殿が崩壊し、今日に至るまで再建されていない。


 ローマ帝国は、ガブリエルのプランによって成長させられた第四の獣だった。王制から共和制に変わり、その後、時代に逆行するように帝政に変わった。初代皇帝オクタビアヌスの母アティア(カエサルの姪)は、懐妊時と出産前に不思議な夢を見た。彼が皇帝になることを、あらかじめ天使が決めていたのかもしれない。

 

 オクタビアヌス誕生の数年前、彼の大叔父に当たるカエサルは、アレクサンダー大王の像をみて奮起する。その後、富豪の娘と結婚し、その財産を使って、ローマ転覆を企てていると噂された。元上司のクラッススがパルティア戦争で戦死する一方、カエサルはガリア戦争で勝利。ルビコン川を渡り、ローマ内戦を勝ち抜いた。元老院の力をそぎ、自らは終身独裁官に就任。オクタビアヌスを後継者に決め、元老院派に暗殺される。


 三人の天使たちは、手分けして名門貴族の中から皇帝候補を探していた。ユリウス氏族のカエサルが、アレキサンダー大王像の前で、感情を高ぶらせている様子を見て、天使は彼を候補に選んだ。

 だが、一代では帝政を築くのに時間が足りない。それに、クレオパトラの色香にうつつを抜かし、敵を許す理想主義者的なカエサルよりは、クレオパトラの誘いに動じず、敵を殲滅する冷徹なオクタビアヌスこそ、初代皇帝にふさわしい。

 カエサルの陰に隠れて目立たないが、オクタビアヌスは大叔父に負けぬほど英雄的な人物だった。二十代で権力闘争に勝ち抜き、暗殺を免れ、皇帝の座に何十年も居座り続けたのは並大抵のことではない。


 共和制を帝政にし、皇帝に権限を集中させたのには理由がある。広大な領土を持つ大帝国で、皇帝を回心させ、キリスト教を国教にすれば、一気に信者は増える。それは、コンスタンチィヌス帝の回心後のキリスト教の歴史を見れば明らかだ。

 だが、そうなるまでに三世紀も必要としたのはどういうことなのだろう。イエスの替え玉処刑作戦が失敗したからに他ならない。では、本物のイエスが処刑されなければ、キリスト教の宣教はどのような経緯を辿ったのであろうか。復活後の昇天劇や終末預言、パウロやペテロがローマに向かったことなどから、次のようなものと推測できる。


 イスカリオテのユダは大祭司の家に顔を布で覆った替え玉を連れてくる。顔の覆いがはずされるとイエスの顔が投影されている。取り調べは天使がイエスの声で応答する。ゴルゴダへの移動中は、替え玉でもばれないように空を暗くする。磔の間も暗くしたり、顔を投影したりする。替え玉は処刑され、墓に葬られる。


 処刑の三日後、見張りのローマ兵により、替え玉の遺体が外に運び出される。姿を隠していた本物のイエスは、弟子達とともに神殿に現れ説教をする。


 イエスは十二使徒とともに、奇跡を起こしながら、首都ローマに向かい、宣教の旅をする。イエスは、ローマの広場で人々に説教をし、その後で天に向かって上がっていく。もちろん、昇天するのはイエスに化けた天使だ。

 演じるのは最も魔術の得意な天使で、人々の記憶に残るように、エリヤのときとは比べ物にならないほど、壮麗でドラマティツクなシーンになる。何百年も構想を練ったのだ。真昼のローマが突然暗くなり、天から柔らかな光が差し込み、荘厳な音楽が流れ、イエスは輝きながらゆっくりと上がっていく……というような筆者が思いつけるようなレベルではなく、想像を絶するものになるはずだ。


 三人の天使による終末の演出。モーセの時代、エジプトを混乱させた災いの幻を各地で描き出し、人々に世の終わりが来たと思わせる。ダニエル書によると期間は七年間。


 災いがピークに達したとき、皇帝や民衆の見守る中、雲に乗ったイエスがやってくる。もちろん、天使がイエスに化けている。だが、地上で待機していたイエス本人と入れ替わり、人々に身体を触れさせ、パンを食べるなどして、幽霊でないことを証明する。

 再臨したイエスが本物だと証明するためには、弟子や民衆、ローマの権力者などイエスの顔や声を記憶している人たちが、再臨したイエスを目撃し、声を聞き、抱き合うなどの必要があり、イエスの再臨はイエスが生きている間に行わなければいけない。


 イエスの登場で災いが終わり、皇帝はキリスト教に回心し、キリスト教はローマの国教になる。最も早く教えを広め、最も犠牲者を少なくできる最良の宣教プランだ。


「パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない(使徒27:24)」

 本来の計画では、皇帝の前に立つのは、パウロではなくイエスだった。


「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう(マルコ13:24-27)」

 というイエスの言葉から判断すると、首都の人間以外も証人となるよう、ローマ帝国の各地から人々を大広場に集め、空を暗くし、天使に囲まれたイエスが雲に乗って登場する演出だったようだ。


 紀元五十年頃には、キリスト教がローマ帝国の国教になる予定だった。イエス本人も、

「よく聞いておくがよい。神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる(マルコ9:1)」と断言している。


 国教化に成功すれば、皇帝の存在は邪魔だ。そこで再び共和制に戻し、皇帝(アウグストゥス)を廃止する。政務官のうち宗教関係だけでなく、執政官や護民官も教会関係者が務め、新共和制ローマは神の国になる。


 だが、現実はプラン通りにいかず、キリスト教はローマ帝国から敵視され、ネロ以降も弾圧は続いた。天使は計画の失敗で、自信をなくしてしまったのだろうか。

         


 ヨハネ黙示録が書かれたのは、ネロの統治時代か、それ以降とされている。エーゲ海のパトモス島にいたヨハネの前に天使が現れ、幻を見せる。おどろおどろしい表現や暗号が多く、オカルト愛好家は現代のことだと考え、ファンタジーに浸っているが、これは一世紀中頃のローマ帝国の事情と宣教計画を、天使が示したものである。


「もう時がない。第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される(黙10:6-7)」

 もう時がない、と海と地の上に立つ天使自身が語っているではないか。


 オカルトファンにとっては、近未来の予言が重要なのだろうが、燃える炎のような目をした存在が最初に語ったのは、七つの教会に対する忠告で、天使はそれが目的でヨハネの前に現れ、獣や終末などの幻はついでに示したにすぎない。


 七つの教会は全て現在のトルコ西部に位置し、天使は、大手外食チェーン店のエリアマネージャーのように、それらの教会を巡回し、抜き打ちでチェックしていた。その結果、七つの教会それぞれに問題点が見つかり、個々に指導するのではなく、改善要求をまとめてヨハネに語り、ヨハネはそれぞれの教会に手紙を出した。

 ペルガモン教会にはニコライ派の教えを信奉する者がいるので悔い改めさせよとか、ティアティラ教会にはイザベラという女とみだらなことをするな、などと具体的である。天使は、せっかく足を真鍮のように輝かせて姿を現したのだから、二匹の獣と来るべき終末を謎解きのようにヨハネに示した。

 

 この天使はミステリクイズが好きで、アモスの頃から預言を象徴やイメージで現すようになり、後世のミステリ好きに格好の娯楽を与えることになった。絶対にありえないが、テラがアブラハムに同じことをしていたら、アブラハムはハランの地で生涯を終えたであろう。


 ヨハネは天上に上がり、玉座の周りの長老達が主を称える光景を目にする。子羊によって七つの封印が解かれ、七人の天使が登場する。七人の天使がそれぞれラッパを吹くと、様々な災いが起きる。三番目の天使の災いは星の落下だ。その星の名は苦ヨモギという。

 ロシア語でいうとチェルノブイリで、事故を起こした原発の名前だ。だからといって未来の核戦争の予告だと判断するのは早計である。その星が落ちることによって水が苦くなるたとえとして苦ヨモギが出されただけで、放射線自体は無味無臭だ。エレミヤ書やアモス書でも民への罰として苦ヨモギという言葉が登場するので、その苦味から象徴的に出されただけである。


 ただし、原発事故との関連が全くないとは限らない。人間、悪霊、天使などが、聖書に合わせて原発の名前を名付けたり、たまたま聖書に出てくる名前なので、事故が起きるとおもしろいなどと考え、そうなるように行動した可能性がないとはいいきれない。少なくとも、天使がこの時点で未来のことを見抜いていたわけではない。


 八章から十一章で描かれている、七人の天使がラッパを吹くことで起こるこれらの様々な災いは、十二章以降に登場する獣や龍、大淫婦のためのオープニングセレモニーにすぎず、ひたすら派手に描かれているが、特に意味はない。


 天使は、獣や大淫婦で当時の帝国の情勢を暗喩した。十二章には太陽を着たひとりの女が登場する。彼女が産んだ男の子は、全ての国民を治めるそうだ。悪魔とかサタンと呼ばれる龍が、この親子に干渉してくるが、うまくいかなかった。


 十三章。二匹の獣が登場する。最初の獣は、四十二か月の間、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられていることから、三代皇帝カリグラのことだろう。カリグラの在位は四十六ヶ月だが、最初の七ヶ月は本性を出さずにおとなしかった。天使の認識として暴君の治世は、四十二ヶ月程度といったところで、ダニエル書九章の一週の半分、三年半としたのだろう。


 次に地中から出てくる第二の獣は、その数字が666であることから、五代皇帝ネロのことだ。皇帝ネロのギリシャ語表記ネロンカイサルを、ヘブライ文字に置き換え、文字が意味する数字を合計すると666になる。第二の獣は、人々の額や右手に刻印を押させて、先の獣の像を拝まない者を処刑するということだが、無理な計画なので実現しなかった。


 二匹の獣の後は、七人の天使がラッパを吹くと災いが起きるという儀式的な流れが続く。深い意味はなく、十七章で登場するバビロンの大淫婦登場のファンファーレだ。


 カリグラの妹小アグリッピナは、兄と肉体関係を持っていたと言われ、叔父のクラウディウスを誘惑して結婚、連れ子のネロを養子にさせる。カリグラの暗殺を謀ったり、クラウディウスを彼女が暗殺したとも言われていて、最後は息子のネロに殺された。

 殺されるとき、ネロが派遣した兵士に向かい、「刺すならここを刺すがいい。ネロはここから生まれてきたのだから」と自分の腹を指さしたという。黙示録には、獣に乗ったバビロンの大淫婦が登場する。バビロンは大バビロン(ギリシャ語Babylon he megale)とされているので、新バビロニアを巨大化したローマ帝国のことだろう。大淫婦はその首都ローマのことでもあり、当時その中枢にいたアグリッピナのことでもある。


 獣の十本の角はこの淫婦を憎み、火で焼き尽くすと予言されている。十本の角はローマ帝国の支配層の象徴だろう。その中のひとり、666の獣ネロによって彼女は殺害された。二匹の獣と深い関係だった彼女こそ、大淫婦にふさわしい。


「彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている(黙18:7)」

 という大淫婦の特徴から、アグリッピナが皇帝夫人として女王のようにふるまっていたことと、黙示録の啓示の時期がクラウディウスの在位中(AD41―54)だったことがわかる。ネロが刻印を強要した事実がないのは、ネロが皇帝になる前の計画だからだ。


「ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている(黙17:9-10)」


 カエサル、オクタビアヌス、ティベリウス、カリグラはすでに亡く、クラウディウスは現皇帝で、ネロの世はまだ来ていない。七人に一人足りないので、BC91年に執政官(共和制ローマのトップ)を務めた、カエサルの叔父セクストゥス・カエサルがもう一人なのだろう。十本の角がローマ帝国の権力者の象徴なら、七つの頭は大淫婦が属するユリウス氏族カエサル家の王のことだ。


「あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである(黙17:8)」

 カリグラはすでに亡く、ネロはまだ皇帝になっておらず、最後は元老院に追いつめられ自殺した。


「彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ(17:14)」

 獣ネロと配下の十人の王(十の地域の長官、あるいは十人の政務官)はイエスに挑むが、敗北する。


 獣がカリグラとネロで、大淫婦がアグリッピナならば、十二章の太陽を着た女とその子供の正体もわかる。ローマ帝国初代皇帝オクタビアヌスとその母アティアだ。

 男の子は全ての国民を治めているし、その母は獣であるカリグラとネロ、大淫婦アグリッピナの血のつながった先祖にあたるので、獣たちの登場する直前に出てきたのだ。女と子供に干渉しようとした龍は悪の象徴だ。龍から逃れた親子が悪ではないことを示し、「龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた(黙13:2)」とあることから、子孫のカリグラが悪に染まったことを示した。


 カリグラもネロも、本来はまじめでおとなしい性格だったのかもしれない。残虐だったティベリウスが亡くなり、評判の高いカリグラが即位したことで、ローマ市民は喜んだ。それが病に倒れてから突然性格が変わり、側近を次々に殺害、女装、近親相姦、船を三キロメートルに渡って並べて二日間だけの橋を作る、馬を執政官に任命しようとするなど狂気の行動に走る。


 血を見ることが嫌いで芸術を愛したネロ。治世のはじめの頃はまれに見る善政と呼ばれた。普通よりも三年も早く成人式を挙げ、若くして即位したのは、黙示録の天使がネロ計画を急いでいたからだ。イエスの敵役は大悪人でなければならない。二人は天使に命じられて、やむなく悪行を演じ、暴君、愚帝として歴史に汚名を残した。

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