第7話 ミトラ教的な、あまりにもミトラ教的な (前)

 新約聖書の福音書はイエスの言行録である。イエスの死後数十年以内に、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四人の筆者(福音書記者)により別々に書かれた。他にも福音書はあるが、内容に問題があるようで偽書とされる。正式に聖書に採用された四つの福音書も、内容に食い違いがある。


 イエス本人は文章を残さなかった。当時は文盲が当たり前だった。イエスは大工の子どもで、イエスや弟子たちも読み書きはできなかったと思われる。それなのに、イエスは聖書の知識に詳しかった。


「わたしの教はわたし自身の教ではなく、わたしをつかわされたかたの教である(ヨハネ7:16)」

「わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していた(ヨハネ8:28)」


 自分の思想というものはなく、天使に言われるままに行動し、語っていたのだ。


 イエスを遣わした存在は、ユダヤ教を越えた宗教を目指し、イエスをそれまでのどの預言者より格上の預言者にしようとした。ヘブライ人への手紙にあるように、「彼は、モーセ以上に、大いなる光栄を受けるにふさわしい者とされたのである(ヘブ3:3)」。


 新しい預言者は、ただ優れているだけではだめだ。人を惹きつけるスター的要素が欲しい。衰退するイスラエルの民のあいだでは、イザヤなどの預言者が救世主の登場を預言した。それはイスラエル民族を苦境から救ってくれる、他民族に打ち勝つ軍神のごとき勇ましいメシアだ。


 しかし、彼らの願いは届かなかった。ガブリエルの思い描いた救世主は、全人類を救う太陽神ミトラのごとき存在だった。モーセの活躍した頃にインドで編纂されたリグ・ヴェーダに登場するミトラは、まばたきもせずに庶民を見守り続けるありがたい神であった。


 古代インド・ペルシアを起源とする原始ミトラ教は、ヘレニズム文化の影響を受けて、西方ミトラ教となる。ミトラ教は東にも広まった。ミトラは弥勒となり、大乗仏教に影響を与える。西方ミトラ教はBC七〇年頃、キリキアの海賊討伐に参加した兵士を経てローマ帝国にもたらされた。AD百年頃に信者が急増し、三世紀にはスコットランドにまで広がった。


 その後にローマ帝国に広まったキリスト教も、ミトラ教からかなり影響を受けている。たとえば、今日イエスの聖誕祭とされるクリスマスの十二月二十五日は、本来ミトラ神の生誕日である。イエスの誕生日は定かではなく、世界中のキリスト教徒は知らずして救世主ミトラの生誕を祝っている。


 他には、

 ミトラは敵を許し、友とする。

 ミトラの誕生を羊飼いから知らされた三人の占星術師が祝いに訪れる。

 死者をよみがえらせる、目の見えない者の目を見えるようにする、歩けない者を歩けるようにするなどの奇跡を起こす。

 ミトラは十二星座に囲まれ、死んだ後に蘇る。

 キリスト教の安息日である日曜日を聖なる日とする。

 聖牛を供養し、全世界を救う。

 ミトラは布教の旅をした。昇天した。処女アナヒタから生まれたという説もある。他にも、最後の晩餐、洗礼、聖餐等々。


 こうしてみると、イエス・キリストこそはミトラ神の化身である。処女から生まれたという説は元の文献が無いようで、前八世紀のイザヤ書に、おとめが男の子を産むと記されていることから、ミトラ教の影響ではないかもしれないが、エジプト神話などにも処女伝説があるので、キリスト教オリジナルとはいえない。


 すると処女マリアがイエスを産んだとか、最後の晩餐とか、イエスが救世主というのは全部嘘で、後世の人間がでっちあげた作り話なのか。ミトラ教がローマ帝国で本格的に普及するのは、イエスの誕生より、一世紀も後のことだから、その影響によるものなら、イエスの物語自体が後世の創作と言われても仕方がない。しかし、イエス誕生以前から影響を受けることだってありえる。


 紀元前六世紀、一神教の大天使ガブリエルは、バビロンのユダヤ人を解放するため、アケメネス朝ペルシャのキュロス二世に加担して、彼をオリエントの覇者にした。キュロス自身は宗教に寛容策をとったが、当時のペルシャではゾロアスター教が浸透しつつあったといわれている。


 ゾロアスター教は、アフラマズダを最高神とするが、ミトラ信仰がとりいれられていた。ミトラ神の人気は高く、イエスが主ヤハウェと同質とされたように、やがて最高神アフラマズダと同格とされるようになる。メシアと称えられたペルシャ王キュロス二世。彼の支配する広大な国土では、救世主ミトラが着々と浸透しつつあった。その救世主思想は、一神教の理論を作り上げたガブリエルに、大きな影響を与えた。


 ガブリエルはキリスト教を作り上げる過程において、ミトラ神について学び、その救世主思想を宣教のイメージ戦略としてとりいれたのだ。頭の固いユダヤの律法学者より、光輝く救世主のほうがはるかに大衆を惹きつける。事実、イエス登場後も、ミトラ教はローマ帝国の人々を魅了し、帝国全土にミトラ神殿が建設された。


 三世紀にピークを迎え、四世紀初頭、コンスタンティヌスが神の啓示で後継者争いに勝利し、皇帝となったことで、ミトラ教はキリスト教に敗北した。その後、キリスト教徒はミトラ教を徹底的に弾圧した。ミトラ神殿は破壊され、その上にキリスト教の教会が建った。


イエス伝の著者エルネスト・ルナンは、

「もしキリスト教の発展に致命的な弊害が生じていたなら、世界はミトラ教のものになっていた」と述べている。


 ミトラ信仰は、一世紀から三世紀に存在した北インドのクシャーナ朝にとりいれられミイロ神となった。それが仏教に伝わりマイトレーヤとなる。漢訳で弥勒。するとミトラ神イエス・キリストは弥勒菩薩でもある。実は、エジプトのホルス、インドのクリシュナ、ギリシャのアッティスやディオニソスなど、イエスと特徴が似た神々はミトラ以外にもみられる。古代の太陽神は、どれも似通っているのだ。


 しかし、キリスト教はその他の多神教と決定的な違いがある。イエスが実在の人物であることだ。加えて、イエスがミトラ神のエピソード通り、登場し活動するように仕組んだ勢力が存在したこと。彼らは、ノアの箱舟をシュメール神話から、モーセの出生をアッカド王サルゴンから借用する。


 キリスト教の内容が決められていく一方で、宣教の舞台となる第四の獣ローマ帝国も育っていった。


 イタリアの都市国家のひとつにすぎなかったローマは前509年王を追放し、共和制を敷く。マケドニアが分裂した時点では、イタリア半島すら統一していなかった共和制ローマは、その後拡大を続け、紀元前一世紀には世界帝国になっていた。王政を廃し共和制になったものの、紀元前27年にはオクタビアヌス(在位前27~後14)がアウグストゥスの称号を用い、共和制ローマは帝政となった。


 初代皇帝オクタビアヌスの統治は長く、パクス・ロマーナを実現した。第四の獣は、巨大な世界帝国になり、強力な権力を持つ皇帝に統治され、救世主登場の舞台は整った。ローマにいたガブリエルは、パレスチナ(カナン)に戻り、キリスト誕生の準備を始めた。


 まずは救世主となる人間の親から見つけなければいけない。天使たちは、手分けして、救世主の親候補をさがした。その結果、ついにキリストの母親となるにふさわしい若い女性マリアを見つけた。


 違う!

 母親より父親のほうが重要だ。彼らはまずキリストの父にふさわしく、子供の教育上有利で、天使たちとのコミュニケーションをとりやすい宗教関係者を調査した。

 その結果、祭司ザカリヤの妻に食欲不振、めまい、吐き気、熱など妊娠一、二ヶ月目の初期症状が見られることがわかった。ザカリヤは妻の妊娠をまだしらなかった。早速、大天使ガブリエル自ら彼のところに出向き、啓示を授けた。祭司ならば父親の職業上申し分ない。ただし、その子供は救世主ではなく、救世主に洗礼を授ける役割だ。


「あなたはおしになり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる(ルカ1:20)」

 男の子が生まれるが、まだそのことを話してはいけない。女の子が生まれた場合にそなえて、ザカリヤに口止めしておいたのだ。


 天使たちがザカリヤの身辺を調査する過程で、ザカリヤの妻の親戚のマリアという娘が大工ヨセフと婚約していることがわかった。マリアはまだ未婚の処女だ。ガブリエルは、異教の神々が処女から生まれたという伝説を思い出した。


 そこでザカリヤに、マリアとの間に子供をもうけ、そのことを隠して、処女なのに聖霊の力で妊娠したことにするよう指示した。ガブリエルはマリアにも啓示を授けた。ザカリヤへの啓示から六ヶ月目のことだった。


 マリアは男を知らないという。しかしガブリエルはもう妊娠していると告げた。そして、ザカリヤの妻のところに行くよう告げた。創世記のイサク誕生のエピソードを思い出して欲しい。アブラハム夫婦の間に子供が生まれると神が語った直後の章で、御使いがロトのもとに向かった。続けることで関連性を暗に匂わせているのかもしれない。


 ルカによる福音書にも、ガブリエルの啓示の直後にマリアがザカリヤの妻の元で三ヶ月滞在したとある。二つのエピソードには、深いつながりがあるとほのめかしているようだ。三ヶ月経って、マリアにも妊娠の兆候が現れたので、実家に帰したのだろう。そしてもうひとつ、イスラムの伝承からもザカリヤがイエスの父だと導きだせるが、それは後の章で述べる。


 イエスと洗礼者ヨハネは異母兄弟だった。大工の子供が救世主で、祭司の子供が洗礼を授ける役なのは、洗礼者はユダヤ教の知識を身につけたそれなりの思想家に育てる必要があるが、救世主は誰でもいいということだ。


「さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる(イザヤ9:1)」


 救世主候補はイエスひとりとは限らない。イエスはイザヤ書の預言通り、ゼブルンとナフタリの地カファルナウムから伝道を始めたが、イザヤ書には63章でもエドムから救世主らしき人物が出現すると預言されており、十一章でもダビデ家から救世主を思わせる若枝が生えるとある。

 それがミカ書ではベツレヘムからイスラエルを治める者が出ることになっている。ナザレという地名は旧約聖書にはなく、ヘブライ語で若枝(ネツェル)という言葉の発音がナザレに似ている程度の関連しかない。


 ベツレヘムやエドムなど預言の地にそれぞれ候補者がいて、無事成人に成長した者の中から、救世主にふさわしい性質に育った人物が最終的に選ばれる。おそらく本命候補のベツレヘムのインマヌエルは、幼少の頃から奇跡を起こし、近所の評判になっていたが、病気になったり、救世主のプレッシャーに耐えきれず、普通の暮らしをしたいなどといって役目を拒否した。その結果、山間の寒村ナザレのイエスがキリストとなった。


「キリストはまさか、ガリラヤからは出てこないだろう。キリストは、ダビデの子孫から、またダビデのいたベツレヘムの村から出ると、聖書に書いてあるではないか(ヨハネ7:41-42)」


 イエスは文盲だったが、救世主としての資質が備わっていた。救世主に必要な資質とは、役者としての才能である。演技力はもちろん、豊かな声量、天使の書いた台本を覚える記憶力、さらに状況に応じてアドリブ対応する能力も必要とされる。しかし、聖書を丸暗記することは無理なので、会堂での説教などはイエスに化けた天使が行った。


 マリアの出産が近づいた。救世主にふさわしい壮大なセレモニーを用意しなければいけない。岩から生まれたミトラにならい、当時岩屋の中にあることが普通だった厩で出産させるのと、羊飼いや三人の占星術師の来訪だ。


 救世主生誕の地も寒村ナザレより、ミカ書の預言通りベツレヘムのほうがいい。ルカ福音書では、ガリラヤのナザレに住むヨセフ夫婦は住民登録のためベツレヘムに向かい、イエスはそこで誕生する。


 マタイ福音書では、ヨセフはもともとベツレヘムに住み、そこを三博士が訪れたとされる。マタイは明らかに創作だが、ガブリエルが皇帝オクタビアヌスに住民登録を命じたのではなければ、ルカの羊飼いの訪問も創作だろう。

 もし創作でなければ、夫婦は旅先で馬小屋を借りて、イエスはその飼い葉桶で産まれたことになる。そのとき、近くにいた羊飼いが天使の声に導かれ、馬小屋を訪れ、祝福した。


 天使長ガブリエルはそれからローマに戻った。帝国の情勢のほうが、救世主の養育より重要だ。救世主が成人する頃には皇帝が代替わりしている。救世主の教えに回心することになる予定の、二~四代目の皇帝の人選は極めて重要だ。福音書に洗礼前のイエスのことがほとんど書かれていないことから、時折生存確認をする程度だったのだろう。


         

 イエスとヨハネは無事成長し、イエスは父親の大工仕事を手伝い、病人を治すこともなく、パンを出現させることもなく、普通に生活していた。


 ヨハネは、「悔い改めよ、天国は近づいた(マタイ3:2)」と宣教し、ヨルダン川で人々に洗礼を施していた。その中のひとりにイエスもいた。天使からイエスのことを聞いてきたヨハネは、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか(マタイ3:14)」と謙遜した。


 イエスが洗礼を受けたとき、天使が鳩のように空中に飛んでいた。鳩という表現から、この天使は、ヘレニズム文化のキューピッドの影響を受け、翼を持つようになっていたのかもしれない。ガブリエルがイエスの洗礼を見に来ていたのだろう。というよりむしろ、ローマにいたガブリエルは、帝国情勢から今が洗礼のタイミングだと判断し、パレスチナに来たのだ。


 イエスは四十日間断食した。ヨガの行者によれば、一月くらい食べなくても生きていけるようだから、これは誇張でも比喩でもなく、実際に行ったものだろう。断食中、悪魔がイエスを誘惑した。エルサレムに連れていかれ、世界の全ての国を見せたということから、悪魔の正体はエゼキエルに幻を示した天使だろう。


 イエスが悪魔を追い払うと、天使が来た。悪魔が去った直後に天使が来たということは、天使はその様子を観察していたことになる。あらかじめ悪魔と打ち合わせて協力してもらったとは考えづらいから、天使が悪魔に化けてイエスを試したのだ。悪魔に化けた天使が、去る途中で元の姿にもどり、イエスのところにまた行く。イエスは、相手の天使がさきほどの悪魔だとは気づかない。


 その後、ガブリエルはイエスのもとを離れ、ローマに戻った。クルアーンの内容から、彼はイエスの死の真相を知っていないと推測できる。イエスを二人の天使に任せ、第四の獣ローマ帝国のコントロールに専念し、復活したイエスと十二使徒が、天使に付き添われながら、ローマにやってくるのを待っていたのだ。

 そこで、救世主劇のクライマックスを、自ら手がけることになる予定だった。天使長ガブリエルがシナリオライターで、部下の二人の天使が現場監督、イエスが主演俳優といった関係だ。


「自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ(マタイ3:9)」

 などと、ヨハネもイエス同様、ユダヤ選民思想を否定していた。指導する天使が同じだから、基本的な思想はイエスと等しい。


 しかし、ヨハネはイエスと異なり、弟子達に断食を指示した。イエスは断食については曖昧にしたまま、昇天してしまったので、一部の宗派を除いては、キリスト教徒は断食をしない。イエスが断食について指導しなかったのは、当時のガブリエルがまだどうするか決めかねていたからだ。


「あなたがたは、花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食をさせることができるであろうか(ルカ5:34-35)」


 ローマ貴族が一緒にいるのに、キリスト教徒に断食させることがあなたがたにできるであろうか。

 パンとサーカスという言葉に代表される退廃的で享楽的なローマ市民。特にローマ貴族たちは贅沢を極め、数時間に及ぶ宴席で食べ続けるため、一度食べたものを吐瀉剤や鳥の羽根などで吐き出し、胃を空にする風習があった。彼らに断食ができるだろうか。断食を嫌がり、キリスト教への改宗を避ける可能性もある。それで、キリスト教では、断食は義務づけられなくなった。


 イエスは天使の協力のもと、行く先々で奇跡を起こす。ガリラヤ湖では魚の集光性を利用して大漁を見せつけ、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネの二組の漁師兄弟を信者にした。弟子達を強制的に舟に乗せ、天使が風を起こし、イエスが舟に乗ると、天使は風を止めた。

 健康な村人の前に、突然天使が現れ、病気のふりをしろと言われ、しばらくすると、天使に道案内されたイエスがやってくる。村人はその場で病気が治る。皮膚病に見せかける業は、天使がモーセの手を白くしたときにも使った。弟子の中に協力者がいれば、さらに成功率は高い。


 奇跡の噂には尾ひれがついて、作り話も喧伝されるようになったのだろう。イエスはその噂を聞きつけた群衆を集め山に登り、天使から教わった言葉を語る。山上の垂訓だ。セリフを忘れた場合は、姿を消した天使がそばでささやいてくれるが、代わりに声をだしてくれる。あるいは、最初からイエスの姿をした天使だったのかもしれない。


 ヨハネ福音書七章。イエスはユダヤ人に殺されることを恐れてユダヤ地方に向かわず、ガリラヤに留まっていた。兄弟たちからエルサレムの仮庵の祭に出かけるように勧められたが、断った。自分から断ったくせに、こっそり出かけて、エルサレム神殿で説教をして、その豊富な知識でユダヤ人達を驚かせた。


「そこで人々はイエスを捕えようと計ったが、だれひとり手をかける者はなかった。イエスの時が、まだきていなかったからである(ヨハネ7:30)」

「また、『わたしを捜すが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所には来ることができないだろう』と言ったその言葉は、どういう意味だろう(ヨハネ7:36)」


 イエス本人ではなく、イエスの姿をした天使なので、見つけようもなく、捕まえようもない。


 イエスが病に苦しむ十二歳の少女の家を訪れたとき、大勢の野次馬の中に出血の病に苦しむ女がいた。彼女はイエスの服に触れただけで病が治り、イエスは誰が触ったのか問いただした。なぜイエスはその程度のことを問題にしたのだろう。あれだけの奇跡を起こしながら、誰が触れたのかわからなかったのか。これは、あらかじめ打ち合わせ済みの狂言で、都合良くイエス訪問直前に死んだふりをした少女が生き返ったのも狂言である。


 グノーシス派の教典には、十二使徒のひとりトマスによる福音書がある。それによると、イエスはトマスに自分が彼の師ではないと語り、その後で密かに三つのことを告げたとある。そのうちのひとつでも知れば、トマスに石をぶつけることになるそうだ。

 トマスはイエスの奇跡を信じようとしなかったが、イエスは一体、彼に何を告げたのだろうか。ペテロが西方のローマに伝道の旅をしたように、トマスも東のインドに赴き、主の教えを広めたと伝えられる。大乗仏教にキリスト教の影響がみられるのは、彼の活躍による。


 牢獄のヨハネはイエスの噂を聞き、弟子を送った。ヨハネの弟子の前でイエスはヨハネを称える一方で、かつての預言と律法はヨハネまで有効だと、新時代の到来を宣言した。その言葉通り、イエスは安息日に病気を治し、律法学者の反感を買う。


「身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである(マルコ3:21)」


 突然、救世主になったイエスのことを家族は心配した。イエスが故郷ナザレに帰ると、人々は、あの大工の小倅が、どこからそんな力を得たのだろうと驚いた。故郷では疑いの目で見られていたため、手品がばれないように、

「そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった(マルコ6:5)」。


 故郷では見せなかったイエスの奇跡はさらに続く。イエスに化けた天使が海の上を歩き、それを見た弟子達は、奇跡を見慣れているはずなのに、幽霊だといっておびえた。弟子達は正しかった。そのイエスは本当に幽霊だった。


 イエスの周りに大勢の群衆が集まった時、イエスは五つしかないパンを引き裂き、弟子たちに配らせると、パンは増えていた。パンはあらかじめ大量に用意してあったが、天使が見えないようにしていた。

 翌日、パンを求める群衆はイエスを探し出したが、二回分も用意していないので、イエスは、人を生かすものは霊であって肉は役に立たないと説得した。それを聞いた弟子達の多くは、

「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか(ヨハネ6:60)」と不満を口にし、「それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった(ヨハネ6:66)」。


 難問を持ちかけられ、即答できなかったこともある。律法学者達が姦淫した女を連れてきて、イエスにどう対処するか尋ねた。イエスは何も答えず、地面に何か書いていた。だが、しつこく問い続けられ、

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい(ヨハネ8:7)」

 とだけ答え、何かを書き続けた。それで律法学者達は去った。


 心霊研究家でシャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルは、このときのイエスは霊団の憑依により本人の意思と無関係に手が勝手に動き地面に書き記した、いわゆる自動書記をしていたと考えた。

 イエスが霊団の指示を受けていたのはドイルの読み通りだが、このときに限り指示がなかった。イエスは、文盲なのに文字を書く振りをして、正面からの対応を避けて時間かせぎをしたのだ。このくだりは初期写本に無い。イエスの対応がどこかおかしいので採用を見送ったが、じっくり考え抜いた答えがそれなりに名答なので後世に追加したのだろう。このとき天使も同じように返答に困り、イエスに指示できなかったに違いない。

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