第5話 そのとき御使いは自ら名を明かす (前)

 主はモーセの後継者を、モーセの従者ヌンの息子ヨシュアに決めた。主は、モーセにヨルダン川を渡らせなかった。主から水が出るように岩に命じろと言われたのに、岩を杖で打ってしまったことで、主は彼を約束の地に入れなかったらしいが、これは言いがかりで、それ以前から主はカナン入りを徹底的に遅らせるようにしていた。


 モーセのせいで主はおかしな名前を名乗ることになり、エジプトに向かう途中でもモーセは主を激怒させた。ファラオとの会見に際して、主はモーセではなくアロンに杖を投げるように命じたのも、主がモーセのことを嫌っていたからだ。モーセが死ぬと、主はヨシュアにヨルダン川を渡り、カナンの地に入るよう告げた。イスラエル人たちは、先住民族と戦い、カナンの地を手にいれた。


 主は、お気に入りのヨシュアにアブラハムやモーセの物語を語ったのだろう。それがモーセ五書のもととなった。もちろん、ヨシュアがモーセから直接聞いた内容も含まれている。

 アブラハムの物語から始めては格好がつかないので、後世の律法学者が、天地創造神話や洪水伝説などを物語の始めに付け加えた。ノアの箱舟の原型は、シュメール文明の粘土板に記されている。それに追加して、律法の一部である、肉は血抜きすることなどをノアが神と契約したことにしてしまった。


 ヨシュアが死ぬと、しばらくの間、イスラエルには啓示がおりなかった。これは新しい世代が主をないがしろにし、バアル崇拝をした事が理由とされているが、主そのものが天使集団の中で発言権を失うか、お気に入りのヨシュアが死んでやる気をなくしていたのだろう。それで周りの諸族から侵略されるようになると、天使たちは士師と呼ばれる指導者に啓示を授け、イスラエルを救おうとした。一旦は救われたものの、堕落したイスラエルは士師の言うことを聞かず、また侵略された。


 この頃活躍したサムソンは、イサクやイエスのように主の御使いから、その誕生を預言されていた。彼の父が御使いに名を尋ねると、御使いは何故尋ねるのかと困ったような返事をし、その名を不思議、驚異とはぐらかした。

 この頃は主テラが健在で、御使いごときが名を名乗れる状況ではなかったようだ。成長したサムソンは怪力で獅子を裂き、ひとりで千人を撃ち殺した。創作でなければ、獅子や敵兵、あるいはサムソン自体が、御使いの描いた幻だったのだろう。


 紀元前十一世紀に、彼らの中から王が現れることになるが、主は王の存在に賛成しなかった。権力に目がくらみ自分たちの言うことを聞かない、俗物にすぎない王による統治を嫌っていたのだろう。当時、イスラエルの指導者はサムエルだった。彼は、絶えて久しかった啓示が下ったことが評判になって指導者になっていた。


 民がどうしても王が欲しいといって言うことを聞かないと、サムエルが主に言うと、主は仕方ないとあきらめたのか、サウルという若者をサムエルのところに送った。サムエルはサウルに油を注ぎ、サウルは王になった。しかし、主の懸念どおり、サウル王は逆らうこともあった。勝手にいけにえを捧げたり、戦利品を惜しんで、アマレク人への聖絶を行わなかったりした。


「また主はサウルをイスラエルの王としたことを悔いられた(サムエル15:35)」


 サウルの息子ヨナタンは、主に忠実で、ペリシテ人との戦いにたった二人で挑んだ。岩場の狭い隙間だったことも幸いして二十名もの敵を倒した。それをきっかけに、控えていた味方も前に出た。


「こうしてサウルおよび共にいる民は皆、集まって戦いに出た。ペリシテびとはつるぎをもって同志打ちしたので、非常に大きな混乱となった(サムエル14:20)」


 天使が幻を描いて敵に同士討ちを起こさせることは、戦術の基本中の基本だ。後の時代、ユダ王ヨシャパテの治世。アンモン、モアブ、エドムの連合軍が攻めてきて、ユダ王国は絶体絶命に陥った。


「そして彼らが歌をうたい、さんびし始めた時、主は伏兵を設け、かのユダに攻めてきたアンモン、モアブ、セイル山の人々に向かわせられたので、彼らは打ち敗られた。すなわちアンモンとモアブの人々は立ち上がって、セイル山の民に敵し、彼らを殺して全く滅ぼしたが、セイルの民を殺し尽すに及んで、彼らもおのおの互に助けて滅ぼしあった(代下20:22-23)」


 神がサウルの後継者に選んだのはダビデだった。ダビデは琴弾きとして、サウルに仕えていた。サウルはダビデに嫉妬し、彼を殺そうとしたので、ダビデは逃亡した。

 サムエルが死ぬと、サウルは霊媒師のところへ行き、死んだサムエルを呼び出させた。サムエルはその場に現れ、いかにもサムエルが話しそうなことを告げた。このサムエルは天使が化けたものだ。サムエルの言葉は、サウルがペリシテ人に破れるという内容だった。

 ペリシテ軍はイスラエルに勝ち、主に従い続けたサウルの息子ヨナタンも殺された。天使は少人数なので、脇役のヨナタン警護に人員を配置することができなかった。サウルは自殺し、その子供が王位についたが、部下に殺されて、ダビデが王となった。


「人は外の顔かたちを見、主は心を見る(サムエル16:7)」

 と、主はサムエルに語っているが、サウルは非常な長身で姿が美しく、ダビデも容姿に優れていた。容姿が王になるための決定要因ではなくても、主や天使の注目を浴びやすいのでやはり有利といえる。


 ダビデはエルサレムを都に定めた。あるとき、主はエルサレムを滅ぼそうとした。事の発端は、主がダビデにイスラエルの人口調査を命じたことにある。ダビデは命令に従い、イスラエル人を数えたが、何の落ち度もないのに主は怒り、疫病で七万人が死んだ。


 衛生状態が悪い時代だ。媒介となる動物を使ったのだろう。さらに御使いが出現し、剣でエルサレムを滅ぼそうとした。そのとき主は御使いにやめるように命じた。このことはサムエル記下の二十四章と歴代誌上の二十一章の双方に記されている。しかし、ダビデに人口調査を命じた存在が異なっている。


「主は再びイスラエルに向かって怒りを発し、ダビデを感動して彼らに逆らわせ、『行ってイスラエルとユダとを数えよ』と言われた(サム下24:1)」

「時にサタンが起ってイスラエルに敵し、ダビデを動かしてイスラエルを数えさせようとした(代上21:1)」


 同じ事象なのに主語が異なるが、主イコールサタンならば納得がいく。イスラエルの繁栄に手応えを感じた主テラは、人口調査を命じ、百万を越える兵士の数に満足した。それだけの兵力があれば、御使いの助けなどなくても、どんな強敵にも勝てるなどと誇ったりしたのだろう。これには御使いはおもしろくない。御使いは、主に反乱を起こし、主ご自慢の人口を削減し、首都エルサレムを滅ぼそうとした。  


「主の使が地と天の間に立って、手に抜いたつるぎをもち、エルサレムの上にさし伸べていた(代上21:16)」

 御使いは大巨人のごとく、エルサレムにそびえ立った。もし御使いがイスラエルを全滅させたら、主は拠り所を失うことになる。御使いの力を目の当たりにした主は、恐れおののいたに違いない。


「もうじゅうぶんだ。今あなたの手をとどめよ(代上21:15)」

 という主の命令(懇願)で御使いは踏みとどまり、エルサレムは救われた。


 歴代誌はサムエル記より後の時代に記された書で、ダビデの人口調査についてはサムエル記を参照したはずだが、主ではなくサタンの指示となり、しかも御使いの様子がより詳しく書かれている。筆者といわれるエズラは、その御使いから直接聞いたのかもしれない。

 御使いの反乱は、他にも聖書に影響を及ぼしている。サムエル記はダビデと同時代のサムエル、ナタン、ガドの三人が作者と言われている。サムエル記はダビデの人口調査で終了し、続きであるダビデの晩年以降は、バビロン捕囚時代のエレミヤが作者と言われる列王記に記されている。天使集団の下克上で、歴史の記録が中断したのだろう。


 イスラエル王国は、ダビデの子供のソロモン王のときに全盛期を迎えた。ソロモンは主の言葉に従い、エルサレム神殿を建設。諸国との貿易で莫大な富を築いた。しかし、ソロモンの栄華には条件があった。

「しかし、あなたがた、またはあなたがたの子孫がそむいてわたしに従わず、わたしがあなたがたの前に置いた戒めと定めとを守らず、他の神々に行って、それに仕え、それを拝むならば、わたしはイスラエルを、わたしが与えた地のおもてから断つであろう(列王記上9:6-7)」


 そこまで主に言われたにもかかわらず、ソロモンは主に背いた。外国の女たちを後宮に入れた影響で、異教の神々に仕えたのだ。主はソロモンをいさめた。

「このようにソロモンの心が転じて、イスラエルの神、主を離れたため、主は彼を怒られた。すなわち主がかつて二度彼に現れ、この事について彼に、他の神々に従ってはならないと命じられたのに、彼は主の命じられたことを守らなかったからである(列王記上11:9-10)」


 ソロモンは、庶民だった父王ダビデが、主の取り立てで王位についたことを知っていたはずである。知恵者といわれる彼は、主に背くことがどんな結果をもたらすかわからなかったのか。


 これはソロモンに落ち度があるように、主がとりつくろったのだろう。クルアーン2章102節。ソロモンは不信心ではなく、サタンたちが不信心だった。サタンたちは人々に妖術を教えた。バビロンで妖術を学んだ二人の堕天使ハールートとマールートも、同じように妖術を教えた。


 イスラエルを率いエジプトを出た天使達は、カナンの地を征圧し、主に従えば栄える、背けば衰えるという原則を示しながら、イスラエルに栄華の極みをもたらした。目標を達成し、発展の限界を悟った彼らは、今後の方向性を話しあったはずである。ミカエル派は、絶頂を極めたイスラエルの今後について、思い切った没落を体験させ、主に従うことで再び栄えるという方針を主張。

 もし、本来の主であるテラがまだいたのなら、子孫の経済的繁栄を願うゆえに活動を始めた彼は必ず反対する。議論は平行線をたどり、すでに実権を握っていたミカエル派は、テラとその支持者を追放した。それがイスラムで、サタンと二人の堕天使として表現されているのだろう。


 イスラエルは他の国と異なり、神により、その最大版図があらかじめ決められている。いくら軍事力が強くても、約束の地を大きく越えた大国になることは許されていない。他国を属領には出来るかもしれないが、国家としてのイスラエル自体は、国土の広さに制約がかかっている。ソロモン王以上の繁栄は無理だということだ。

 一度頂点に上り詰めてしまえば、それを維持し続けても、民は主のありがたみを感じない。それならば、繁栄維持より、落ちるところまで落として、また主の栄光により、かつての繁栄を取り戻すほうが、民は主をあがめるに違いない。


          


 主は、預言者アヒヤを通じて、北イスラエル王国初代王となる人物にこう告げた。

「見よ、わたしは国をソロモンの手から裂き離して、あなたに十部族を与えよう(列王記上11:31)」


 イスラエル王国は、四代目の王ソロモンが死ぬと、天使の介入により、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。両国は互いに争い、主から周辺国との戦闘指令はなくなった。サウルやダビデの頃までは、主は頻繁に指示をしてきたが、分裂後はほとんどなくなり、あっても悪政を批判する程度にすぎない。聖絶指令がサウル王の時以降なかったことからも、テラはいなくなっていたのだろう。


 列王記上13章では、分裂直後の北イスラエル王のもとに、主の命を帯びた神の人が訪れ、ダビデ家のヨシアにより人骨が王の上で焼かれると告げる。神の人は帰る途中、老預言者からパンを食べることを勧められたが、主から食べないよう命じられていたので、誘いを断った。

 しかし、老預言者も主の御使いからパンを食べさせるよう言われていたと嘘を吐き、神の人はパンを食べ、獅子に殺された。老預言者が悪いように思えるが、罰せられることもなく、老預言者を信じた神の人が死に、納得がいかない。


 筆者の推測。

 神の人の預言は、三百五十年後に南ユダの王ヨシヤが祭壇を訪れたこととされるが、本来は分裂直後の北イスラエルがすぐに南ユダに蹂躙される運命だという預言だった。三百五十年後に、天使たちが列王記に合わせて、ヨシアを遣わしたにすぎない。


 その背景には、追放されたテラ派の抵抗があった。彼らは巻き返しを狙い、北イスラエルを滅ぼし南に吸収することを計画した。預言者を北イスラエル王のもとに遣わしたが、ミカエル派の老預言者達により殺害された。


 前九世紀。分裂後は活動を減らしていた天使たちが、立ち上がる時がきた。北イスラエルの王アハブがバアル神崇拝を行うようになったからだ。そこで登場したのが、モーセに匹敵する大預言者エリヤだ。


 バアル信仰はもともとカナン人の信じるものだったが、雷と矛を持つ豊穣の神を仰ぐバアル信仰は、神の姿を形にすることを禁じ、律法で凝り固めたユダヤ教よりも、素朴でわかりやすく、カナンの地にはいったイスラエル人の中にもそれに惹かれる者が少なくなかった。


 エリヤはアハブのバアル神信仰を諫め、命を狙われるが主の指示により生き延びた。四百人ものバアルの預言者たちと対決して勝利し、預言者たちを皆殺しにした。エリヤが諫めても、アハブ王はなかなか悪行をやめない。しかし、ついに主の脅しが功を奏し、アハブは断食して反省した。


 天使の指示でエリヤの弟子エリシャも預言者となった。エリヤ一代では、この国に根付いた偶像崇拝を根絶するのは難しいのだろう。天使の読み通り、アハブ王が死んでもバアル信仰は続いた。アハブの息子アハズヤ王は、エリヤによって死を予告された。アハズヤはエリヤのところに五十人もの軍隊を派遣した。天からの火で五十人隊は焼き尽くされた。アハズヤは後続部隊を送ったが、皆、天からの火で滅ぼされた。アハズヤはエリヤの言葉通り死んだ。


 エリヤは弟子のエリシャをヨルダン川に呼び、モーセのようにヨルダン川をまっぷたつに割ってみせた。火の馬に引かれた火の戦車が現れ、エリヤとエリシャの間を分けた。そしてエリヤはエリシャの目の前で天に昇っていった。


 エリヤの昇天は五十人隊派遣のすぐ次の章である。軍隊がエリヤのところにむかい、次の章でエリヤが「火の戦車」の登場後に天に召された。きっとこのふたつは、深い関係にあるに違いない。

 天からの火で軍隊が滅ぶだろうか。そんなことができるなら、出エジプトはもっと簡単に解決したはずである。天からの火らしきものが軍隊を襲い、軍隊は混乱した。だが、その火は熱くなかった。

 これはただの幻だと気づいた軍隊は、火など気にせず、エリヤを連行したか、その場で殺害した。そのときエリヤに付き添っていた天使は、エリヤの姿を見えなくするといった高度な技が使えず、みすみす大預言者を死なせてしまった。大預言者の無様な死を隠そうと、より能力の高い他の天使がエリヤに化け、弟子の前で昇天を演じてみせた。


 エリシャは数々の奇跡を行った。もちろん、天使がそう幻を描いたのだ。北イスラエルの首都サマリアがアラム軍に囲まれたときは、

「これは主がスリヤびとの軍勢に戦車の音、馬の音、大軍の音を聞かせられたので(王下7:6)」というように、音を作り出し、軍隊を追い払った。


 アハズヤの次の王もバアル信仰をやめなかった。エリシャは天使の指示に従い、現王朝を倒し、将軍イエフを王にして、北イスラエル王家のバアル信仰に終止符を打った。しかし、ヤハウェの象徴とされた金の子牛はそのまま残った。


 イザヤ書の作者とされるイザヤは、前八世紀のユダ王国の預言者だ。当時は大国アッシリアにより北イスラエルは滅び、南のユダも危機的状況にあったが、主の遣わした御使いにより窮地を免れる。イザヤはイスラエルの将来についての予言を数多く残している。なかでもイエス出生とされるインマヌエル預言は有名だ。


「見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる(イザヤ7:14)」


 名前はイエスでなく、インマヌエル(神と共にある)である。信仰バイアスさえあれば都合よくイエスと解釈できるが、事はそう単純なものではない。これは、アラムと北イスラエルの同盟を恐れるユダの王に、主がアッシリアを使って両国を滅ぼす予定であることを告げた際に出てきたもので、当時計画されていた預言者の名前と思われる。おそらく、その預言者は救世主的役割を果たす予定だったのだろうが、結果的に登場しなかった。


 北イスラエルは紀元前722年にアッシリアによって滅ぼされる。前701年には、アッシリアは南のユダも攻め、行く先々を破壊した。最後にエルサレムを包囲し、陥落は時間の問題かと思われたが、主はヒゼキア王の祈りに答え、ひとりの御使いを遣わし、アッシリアをうち破った。


「主の使が出て、アッスリヤびとの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆死体となっていた(イザヤ37:36)」


 その御使いは、出エジプトで幻の海を描き出しエジプト軍を滅ぼした存在に違いない。疫病を風で運んだのでなければ、闇夜に乗じて幻の敵兵を描き、同士討ちを誘ったのだろう。このエルサレム包囲は、聖書だけでなく、アッシリア側の記録にも残っている。ヒゼキア王をかごの鳥のように閉じこめたと記されているが、その後の記録がない。無惨に破れたから残さなかったに違いない。


「そしてアリエルを攻めて戦う国々の群れ、すなわちアリエルとその城を攻めて戦い、これを悩ます者はみな夢のように、夜の幻のようになる(イザヤ29:7)」

 イザヤ書二十九章のアリエルはエルサレムのことだ。アッシリア軍は夜の幻を見た。敵国にエルサレムを攻めさせて、幻で混乱させて滅ぼす手法は、その後の計画でも採用されるが、このとき偶然思いついたものではなく、かなり以前から構想を練っていたようだ。


 ヨエル書は前830年頃書かれたとされる。

「わたしは万国の民を集めて、これをヨシャパテの谷に携えくだり、その所でわが民、わが嗣業であるイスラエルのために彼らをさばく(ヨエル3:2)」

 ヨシャパテの谷とは、エルサレムとオリーブ山の間を南北に延びるキドロンの谷だといわれる。そこに敵を集め、主は応援部隊を送り込む。


「多くの強い民が暗やみのようにもろもろの山をおおう(ヨエ2:2)」

「彼らは武器の中にとびこんでも、身をそこなわない(ヨエ2:8)」

「主はその軍勢の前で声をあげられる。その軍隊は非常に多いからである(ヨエ2:11)」

幻の軍隊を描き、敵軍に向かわせ、相手方の指揮系統に混乱を引き起こす。


 紀元前六世紀には、新バビロニアが勃興し、エルサレムは陥落する。ユダの王族や学者などがバビロンに連行された。モーセの出エジプトは、イスラエルが自分たちの意志でエジプトに住み着いたことが原因だが、バビロン捕囚は強制連行である。強制連行だったが、比較的自由が与えられ、律法学者により、旧約聖書が編纂されたと言われる。


 エゼキエルはバビロン捕囚時代の預言者で、宇宙船のような生き物を見たと記している。また、彼はエルサレムまで空の旅をして、再建されたエルサレム神殿を見ることになる。この頃、天使の幻影投影力は凄まじいレベルに達していたことがわかる。


 預言者たちの活躍にもかかわらず、北イスラエルとユダの衰退は止まらなかった。紀元前八世紀後半に北イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、ユダ王国はアッシリアの属国となった。その後、ユダはエジプトの支配を受け、紀元前六世紀初頭には新バビロニアによってエルサレムが破壊され、支配階級はバビロンへ連行された。


 アケメネス朝ペルシャによって新バビロニアは滅びた。ペルシャ王キュロス二世によって、バビロンのユダヤ人たちは帰還を認められた。イザヤ書によると、キュロスは主の牧者らしい。イザヤの活躍した時代は、キュロスはまだいなかった。イザヤ書の四十章以降は、第二イザヤと呼ばれるキュロス以降の時代の人物によって書かれたとされている。


 天使がキュロスに啓示を下した可能性は高い。キュロスは新バビロニアのネブカドネザル同様勝ち続けた。主の僕ネブカドネザルの死後数年でペルシャは独立した。イスラエル人を解放したことで、キュロスはメシア(救世主)とされている。


 帰還は認められたものの、出エジプトのように全員が帰ったわけではなく、大半は住み慣れた場所に残っていた。帰還後もユダ王国の独立は認められなかった。その後も、マケドニア、そこから別れたシリアやエジプトの支配を受け、ローマの同盟国を経て属州になった。紀元七十年には、ローマに反乱を起こし、神殿は破壊され、イスラエルは滅びる。


 史実からわかることは、前八世紀半ばに一時的に盛り返したことをのぞけば、分裂後のイスラエルは、主の栄光が示されることなく衰退し続けたという現実だ。


 これはどういうことだろう。主はイスラエルを見限ったのか。

 イザヤ書十九章には、エジプトとアッシリアも主に仕えるようになると記されている。イスラエルの民族宗教から、オリエント全体の宗教に、拡大するということだ。ソロモン王でイスラエルの頂点を体験した天使たちは、その限界を悟り、異邦人への影響力拡大を志向するようになったのだろう。


「その日、イスラエルはエジプトとアッスリヤと共に三つ相並び、全地のうちで祝福をうけるものとなる(イザヤ19:24)」


 紀元前8世紀ヤロブアム二世の頃書かれたというアモス書には、

「イスラエルの子らよ、あなたがたはわたしにとってエチオピヤびとのようではないか(アモス9:7)」とある。このアモスの頃から、言葉ではっきり指示する啓示ではなく、幻を見せ、それを預言者に解かせるスタイルが始まった。


 紀元前6世紀。バビロン捕囚時代のエレミヤは、

「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る(エレミヤ31:31)」と主の言葉を記している。

 エレミヤは列王記、エレミヤ書、哀歌の作者だとされている。エレミヤ書を読めば、主は意図的にユダ王国を弱体化させているのがわかる。しかる後、また繁栄し、旧北イスラエルの領土を取り戻し、南北が合併することも約束している。


「わたしはエルサレムを荒塚とし、山犬の巣とする(エレ9:11)」

「見よ、わたしがわが民イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る(エレ30:3)」

「その日には、ユダの家はイスラエルの家と一緒になり(エレ3:18)」


 急速に台頭する新バビロニア王国に、エジプトと組んで対抗しようとするユダ王国に、エレミヤは抵抗をやめるよう警告したが、王は聞き入れず、エルサレムは陥落した。すでに北イスラエルはなく、残るユダ王国もバビロニアに蹂躙され、ユダの新王はバビロニア王ネブカドネザルが決め、バビロンに連行された。


 ユダの没落は約束通り起こったが、

「七十年の間バビロンの王に仕える(エレ25:11)」という捕囚期間は十年以上短くなり、予定より早くキュロスは新バビロニアを滅ぼした。捕囚が終わっても、北の領土は回復せず、南北合併は実現しなかった。

「ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない(エゼ37:22)」と、主はエゼキエルにも言っている。エゼキエルはエレミヤより少し後の時代の預言者だ。


 主は、エレミヤやエゼキエルとの約束を違えたのか。


 エレミヤは、敵であるはずの新バビロニア王ネブカドネザル二世を主の僕と呼び、ユダヤ人から批判を受けた。ネブカドネザルも、自分を訪ねてきたエレミヤを傷つけることはなかった。ネブカドネザルの父が建国した新バビロニアは、彼の活躍で強大化した。彼一人の力だったのだろうか。出エジプト、アッシリア撃退と軍事的な実績を積んだ天使たちなら、彼を覇者にすることも可能だろう。


 誰にでも化けることができ、姿を消し、壁をすり抜ける。これほどの諜報員はいない。主として、あるいは占い師や賢者に化けて、敵国情勢をふまえた的確なアドバイスを告げる。敵に偽情報を流し、混乱させる。戦場で幻を描き出したり、将軍や伝令に化けて偽の指示を出せるなど、天使は味方にすると心強い。クルアーン八章でも、アラーが敵軍を多勢や無勢に見せた場合のことが記されている。出エジプトで海を割ってエジプト軍を滅ぼして以来、天使たちは自分たちの軍事力に自信を持っていたに違いない。

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