第8話 

「気を付けるんだぞ」


「ちゃんと野菜を食べるんですよ」


「わかったわかったよ。心配性だなあ」


 部屋で、変身を解いた蒼也、円、太郎、瞬によるささやかな別れの挨拶がなされていた。

 財前理事長の指示で、生徒たちにこの出立は伏せられている。仮に知らせたところで、塔乃たちが来るか来ないかで変わらなかったろう。元々、友人のいる蒼也ではない。

 乱暴者の問題児、いなくなって喜ばれこそすれ、惜しむものもなかった。

 蒼也に両親はすでにない。小学校を卒業するかしないかのころに、2人とも事故で死んだ。それ以前から、身近にいた円が姉代わり母親代わりだったからか、蒼也には実の両親の記憶が殆どなかった。

 荷物も詰め終わり、改めて向き合うと、蒼也は急に寂しくなった。無論、まだ喜びが勝っている。だが、初めてできた友人と呼べる2人と円との別れの重さがそれをどんどん侵していくのを確かに感じていた。


「蒼也あ」


「うん」

 

 いざとなると、言葉が湧いてこないものだった。互いに互いを知り過ぎていた。

 蒼也は円の気持ちがわかる。

 円は蒼也の気持ちがわかる。

 だから、何も言えない。


「……体に気を付けてえ」


「……お、おう……平気だって! 太郎! 決勝で俺と当たっても、手加減しねーからな?」


「……ああ」


「僕がいるのを、忘れないでくださいよ?」


「ふふーん、時間制限なかったらオレ負けないもんね」


 虚勢による明るさだ。

 それが2人にはわかっていたから、同じく明るく返した。見送りに、湿っぽいのは似合わない。


「電話しろよ?」


「いつでもいいですから」


「おう、円姉ちゃん。オレちゃんと―」


 言い終わる前に、蒼也は円の胸の中にいた。抱きしめられていたのだ。

 嗅ぎ慣れている香水が、妙に懐かしかった。蒼也は、自然に目を閉じた。暖かな、大きなものに包まれている安心感がそうさせた。

 太郎と瞬は、物音を立てないように部屋を出る。そうすべきだと、直感で理解していた。

 抱擁から解放された時、目の前にはいつもの円がいた。


「いってらっしゃい」


「うん」


 それ以上はいらなかった。

 それ以上あったら、お互いにどうにかなってしまいそうだった。

 蒼也はバッグを持って、部屋を飛び出した。


 玄関に待機していた車に飛び乗り、学園をあとにした。振り返ることは、しなかった。

 振動をまるで感じない車内が、蒼也にどこか夢の中にいるかのような感覚を与えていた。窓から時折差し込む照明灯が、それを助長する。

 亀男と紳士は、運転席と助手席で背中しか見えない。蒼也の隣には、うっとりと体を預ける少女がいるだけだ。

 

「なあ」


「なあに?」


「名前、聞いてないんだけど?」


「みとれ、通天院みとれよダーリン」


「ダーリンはやめてくんねえかなあ……お前は?」


「……」


「古城道夫くん。無口でね」


 亀男に代わって、紳士が答えた。


「そして理事の東堂正義だ。改めて、歓迎するよ蔵蒼也くん」


「……ちょっと寝よう」


「じゃあ膝を貸してあげる」


 みとれの言葉を無視して、ドアに身を預けて蒼也は眼を閉じた。

 ふと蒼也は、これが何か手の込んだ悪戯かなにかではないかと思った。それは、円たちとの別れの寂寥感が生み出した、一種の願望だった。

 


 

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