第6話 

「!」


「あだだ⁉ 目、目がああああ⁉ いててててて!」


 亀男の腕から射出された液体が顔面に降り注ぎ、蒼也の眼球に焼け付く様な激痛を与え視界を奪った。立ち上る噴煙は強い酸性のものであることを物語る。

 人類最強ではあるが、急所への攻撃に脆いのは変わらない。太郎と言わずとも、中位ランキングの生徒の攻撃でもそれなりにダメージは受けていた。失明や骨折といった重傷もすぐに治癒するほどの代謝を誇っているため一時的にすぎないが、効果はある。

 紳士の様子から、前もって蒼也を想定していた装備なのだろう。だが、寸分たがわず扱う技量は一朝一夕のものではない。相当に鍛え込まれているようだった。


「この! 亀なんてだせーんだよ! 格好悪いぜ!」


「黙れ!」


「がべ―‼」


 視界が利かなくとも、体は動く。

 蒼也が駄々っ子のように振り回した拳の間を縫って、亀男が顎に強烈な肘を入れた。蒼也にダメージはない。が、衝撃は殺せない。僅かな揺れでも顎を伝い、脳に達したことで一瞬足がもつれた。

 隙を逃さず、蒼也の急所に的確な重打撃が積み重ねられる。僅かな間に10数発。亀男は体術も相当であるらしかった。


「くそおお! ふざけんな!」


 ようやく蒼也の視力が回復した。

 反撃の焦りをどうにか抑え、タイマーを確認しようとした瞬間、背に重い打撃が突き刺さり、床に倒れ込んだ。

 間髪入れず頭部に放たれた踏みつけが、顔面と床をより親密にさせ陥没を祝いに寄越した。


「ああもう! いい加減にしてよ!」


 蒼也はうつぶせのまま腰を廻して、身を起こしつつ蹴りを放つ。当たればダメージはないかもしれないが、吹き飛ばし距離をとれる。

 が、すでに亀男は側面に回りこんでいた。強烈な鉄槌が蒼也の顔に叩きこまれ、今度は後頭部が床にめり込む。鼻血も出ず、痛みもないが間を置かず足刀で喉へ打撃が叩きこまれ、反動で下半身が一瞬浮き上がり、せき込みそうになった。


「っげ……!!!! ぶっ潰す! ぶっ潰すぶっ潰すぶっ潰すううう‼」


 握りつぶそうと伸ばした手から逃れ、亀男は距離を取り構えた。表情は上半分がマスクで覆われているとはいえ、いささかの変化もない。

 一方の蒼也は憤怒を隠さなかった。いや、隠せない。元来の子供っぽい性格から来る負けず嫌いと、いいようにされている苛立ちが完全に精神を支配している。

 当初の目的である、円を起こして盤石の体制を整えるという作戦は瓦解した。

 今の彼に、亀男の排除以外の選択肢は残っていない。

 蒼也は首を捻ると同時に、そこにいるはずの亀男に眼から熱線を放つ。間違いなくとらえたはずのそれは、対象を失って空を切り、壁に2点の焦げを残す結果に終わった。

 今度は膝裏に打撃が食い込む。倒れ込み膝立ちになった蒼也の首を、亀男は押さえこみ肘鉄を叩きこもうともう片方の腕を振り上げた。 

 2人は初めて近接体面を果たした。

 蒼也は見た、ニキビだらけの肌に深いほうれい線、巨大な鼻、分厚い唇から覗いた歯並びの悪さ。

 おお、なんと―


「ぶっさいくだなあ! 顔の下半分だけでわかるよ!」


 つい言葉が出てしまった。


「う、うるさい!」


「あ、気にしてるな⁉ 上半分もあれなんだろ!」


「……っ黙れ!」

 

 初めて亀男の顔が歪んだ。

 悲痛な叫びと共に、装甲の手首からカプセルを数個取り出し、蒼也の口に放ると肘鉄を降ろして距離を取った。


「顔がなんだ! 顔が!」


「あ、おい……待て‼‼‼⁉」

 

 

 蒼也の口が爆発した。強烈な、『辛味』。唐辛子の何百倍ものそれが、カプセルに詰まっていたのだった。

 口、食道、内臓、眼、耳、呼吸すら熱を持って、熱い。毒には耐性を持っているが、これは味覚だ。さしもの蒼也も悶絶するしかない。


「‼‼ ……っ‼」


 亀男すかさず金的に蹴りを叩きこむ。ダメージこそないが、衝撃の逃げ場がない。蒼也に再び、重爆のような打撃が襲い掛かった。


(辛い辛い辛い辛い‼)


 ダメージはない、しかし、辛味カプセルの影響で凡そ五感が役に立たなかった。

あと何分何秒残っている? パニック状態で、そもそも大前提とすべきことをようやく思い出した。口がしびれて『天罰』も唱えられない。

 逃げなければ……。まずは逃げて円に状況を知ってもらえないと……。

 死。

 がむしゃらに飛び上がろうとした蒼也を、亀男は背中の甲羅装甲を手に取って、叩き落す。飛び上がるエネルギーそのままに、床に激突した。

 ダメージはない。

 立ち上がろうとして、再び叩かれそのきっかけを失う。激烈な辛味がようやく引き始めた途端、髪を掴まれ顔を引き上げられ、再度カプセルを口に放り込まれた。

 再びの爆発。間髪入れずに、甲羅の打撃が今度は頭を打つ据える。

 ダメージはない。

 だが、蒼也の寿命はもう尽きかけている。


「ぐ……! ぐ、くっそおおお! 死んでたまるかあああ‼」


 一瞬だけ、打撃が止んだ。

 そして、尻に何か柔らかなものがふれる感触があった。

 チャンスはここだけだ、戦略も考えも何もない、脱するために蒼也はしゃにむに前方に突進した。

 ここから抜け出て、外へ出る。それだけを目的にした突進、どんな壁でも破壊して、通り抜ける覚悟があった。


「!」


「ぬあ!」


 賭けに、負けた。

 突進のために、力を込めた無防備の瞬間、打撃が再び股間に襲い掛かった。

 ダメージは、ない。しかし、わずかの硬直の間に、時間が来た。


「……!」


 心臓の痛み。何度経験しても、これには慣れない。痛みだけじゃない。今度は円がいないという恐怖が蒼也を襲う。

『死』

 正真正銘の『死』。

 せめてこの騒ぎを円が聞きつけているか、太郎か瞬が近くに来てくれることを願った。怖くてたまらなかった。夢も希望も何もかも失った。


「ここまでだね」


「……はい」


「いいいいいいいいいいいいいいいいい‼」


 地獄か、天国か。

 声を聴いて蒼也は顔をあげる。自分は死んだのか? これは天使の声か、地獄の鬼か。


「どうだね?」


「すっごくいいいいいいい! さいこおおおおおおおですうううううう! あああああああああああんんんんん‼」


「それは何より」


 最初に感じたのは違和感だった。変身が解けていない。 天国か地獄では、こうなのだろうか? 


「蔵くん、如何かな?」


 体を起こした蒼也の前に、3人が立っていた。

 一人は、あの紳士。

 一人は、憮然としている亀男。

 もう一人は、新顔だった。


「ダ~リン! もっと! もっとよおお! 運命の人よおおお!」


 身をよがらせ、蒼也に熱っぽい視線を送る、同年代の少女だった。

 喪服のような黒ドレス、やせ細り、病的なほど白い肌に差した紅潮が否が応でも人形を思わせた。


「もっと! もっとおおおおお!」


「わ、こら」

 

 しがみつく少女の感触に、蒼也は自分が死後の世界ではなく現実にいるらしいとなんとなく実感した。少女を引きはがし放り、改めて自分の体を確かめる。

 変身したままだった。タイマーはすでに時間を過ぎ、3分を指し示し停止していた。

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