エッセイと小説

 エッセイは小説とは頭の使い方が違っていて、とても面白いです。


 特に知的興味という側面から見たら、間違いなく面白い。

 小説を書けるくらい文章に慣れている方ならば、絶対に一度は書いてみた方が良いと断言します。そこで得るものは、とても多いです。


 しかしその反面、労力という面では、エッセイは恐ろしく大変なものでした。小説を書くのに比べたら、とても割に合いません。

 これって初めはわかりません。書き進めていてある瞬間に、突如気付くのです。それを経験するためにも、一度書いてみたらどうですかと、お薦めします。


 筆者の僅かな経験から言うと、小説にはオチがあって、最初にそれさえ決めておけば、途中は何も決まっていなくても、突き進めば形になります。

 しかし、エッセイにはスカッとするオチが設定しづらいし、事実をもとに書き進めていくので、話数が進んで行くに従って、当初落とそうとしていたオチに、落ちなくなっていきがちです。

 小説ならば過程をいじる事が出来ますが、エッセイは事実の積み重ねなので、それが許されません。


 過去に読んできたエッセイやノンフィクションが、最後に期待外れに終わることが多いのは、なるほどこういう事なのかと、しみじみと感じました。

 最初はスイスイ書けて、小説より簡単だよって思っていたのに、いやいやこれは大変だと気付くのは、予定する分量の半分を過ぎた頃あたり。

 もう後に引けない状態なので、書く側にとってみたら大問題です。


 小説や漫画なら、非難ごうごうでも、最後には夢オチと言う最終手段がありますが、エッセイにはそれが使えないというのも、事態をより深刻にします。


 筆者の経験をもとに、乱暴に定義すると、オチに向かって嘘をつくのが小説で、事実を積み上げながら、オチを探していくのがエッセイ。

 と言ったところでしょうか。


 因みに、筆者の欠片ほどのプライドのために申しておきます。

 一部で、ちょっとだけ物議を醸してしまった、拙著『あるアニメ製作スタジオの終焉について』の休載は、オチが見つからなかったからではありません。本作は未公開ながらも全91話+αを書き終え、筆者としては理想のエンディングに落とし込みました。休載は全く別の理由によるものです。


 だからこそ訳知り顔で、こんな文章が書けているのですけれどね。

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