そのエッセイを商品にするのか?

 まず、エッセイには自分のためのものと、他人のためのものがあると思います。

 分かりやすく言うと、自分のための備忘録としてのエッセイと、商品として価値のあるエッセイという事です。


 私たちが有名人で、その存在自体に価値のある人間であれば、備忘録でも商品価値が生まれます。例えば人気アイドルが、毎朝の朝食を事細かに記録していたとしたら、ヒットするかどうかは別としても、そこそこの商品価値ではないでしょうか?


 素人が商品としてのエッセイを書くのならば、まずは何を置いても題材選びが重要でしょう。

 例えば食レポを書くとして、もしもあなたが著名料理評論家であれば、”合鴨のロースト”、”ほろほろ鳥のポアレ”のような高級料理を食べ歩いても、その文章は商品になるでしょう。しかし、素人であれば難しいですね。きっと食べ物を庶民的なラーメンか、カレーにしておいた方が無難でしょう。


 例えばあなたが、全国紙に載るような、誰でもが知っている大事件を起こした犯人であれば、それだけで商品価値がありますね。手記というやつです。

 でも、それも無理のある話です。


 あなたが筆者と同じように普通の人間だったら、誰でも知っている企業、人物、キャラクターなどを題材として、文章を書くのが妥当な選択でしょう。


 しかし、それを商品にして良いかどうかは別問題です。そのものが本来持っていて、”誰でも知っている” という事実の源泉となるものに、触れる権利をあなたが持っているのでなければ、きっとどこかで”無断使用”という問題が出てきます。


 それを避ける方法はあります。

 まずは取材をしてきて、いちいち使用許可を得ることですが、それは難しいでしょう。素人作家の取材に応じる有名人はそういないでしょうし、万が一取材できたとしても、使用許可まではもらえないと思います。


 次なる方法は、起きた出来事をあなたの経験として、一人称で書くことです。恐らくそれが唯一の方法だと思います。あなたの体験談であれば、誰も邪魔ができないはずです。と書いたのは、それが絶対ではないからです。

 名誉棄損という方法で、訴えることは誰にでもできます。


 このを回避する方法もあります。

 まずは登場する全ての人物や企業に、敬意を払う事です。敵役を設定すれば、物語はダイナミックになるでしょうが、リスクが何倍にも増幅します。


 ここまでやれば、残すはだけです。

 万全を期した。

 全ての人に敬意を払った。

 それで訴えられるのであれば、私はそれに抗弁してみせるという、最後の踏ん切りが有ればもう大丈夫です。


 そうそう、先程は一人称で書けばよいとお薦めしましたが、必ずしもそうではありませんね。

 もしも自分の経験と同じくらいに、自由に扱える取材ソースがあれば、その相手を動かして3人称で書くこともできるとは思います。


 こんな風にして、やっとエッセイが商品になりそうな気配がしてくるわけです。

 何度も言って恐縮ですが、これは素人作家がエッセイを書いたらばという話です。有名人やプロのライターであれば、取れる選択肢が違ってきますからね。

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