#8:氷山の一角から始まる計画
想像してみてください。
ガッシリと熊のような体格。有名ラッパーで、社長もやっている。料理が得意で、猫大好き。そんなパパ。「大きくなったらラッパーになりたい!」と、子供達は目を輝かせ語ります。「何を間違ったんだ、まあ良い間違い方だけど」と、パパははにかむような笑み。
……そんな彼は、今日も自分のオフィスに向かいます。待っているのは、タトゥーを入れた男達。勿論、彼自身の腕にもタトゥーが刻まれています。煙草みたいなやつを吸ってハイになりながら、彼らは戦略を練ります。いかにカネを稼ぐか。そして、自分達をコケにした奴に、どう落とし前をつけさせるか……。
あくまでイメージですが、こんなアニメや映画って、なかなか心がときめきませんか。クスリや暴力の溢れるアンダーグラウンド。多くの日本人は、虚構の世界でのみそれに触れ、安全圏からそれを楽しみます。
では、そんな裏社会を『リアル』としてラップする方がいたら、どうでしょう。彼こそが漢 a.k.a. GAMI。ヒップホップグループ『MSC』メンバーにして、ヒップホップレーベル『9sari group』代表。新宿の闇と育った、
UMBといえば、般若さん、晋平太さん、R-指定さん、CHICO CARLITOさん……番組関係者だけでも何人も優勝経験者がいることでも知られる、日本最大級のラップバトルイベント。多くのラッパーに、本気のバトルをする場を提供。そして、バトルからヒップホップドリームを掴むという道を開拓した。そんな日本ヒップホップ界の発展に貢献した立役者のひとりが、毎週テレビで戦ってるわけです。考えるとなかなかすごい状態ですよね。
今見たように、すごい大物ラッパーである漢さんなのですが。私のような何の前知識もない素人が見た場合、彼はモンスターの中でも特に……その真の実力を理解するのに時間のかかる方でした。
不良、というよりも、ガチな犯罪をやってそうな感じの見た目……と思ったら、案外普通に喋るようなフロウ。そして、なんだかあまり言いたいことを言えてなさそうな雰囲気。事実として、番組序盤、漢さんの戦績はあまり芳しくありませんでした。
料理したり、お散歩したり、お弁当沢山食べたり、時に冗談を言ったり。実は見た目より面白い方っぽいのは、よく伝わってきました。でもそれだけで呼ばれたとは考えにくいし……。
そんな私が認識を改めるキッカケとなったのは、彼の入場曲としても知られている楽曲『my money long』でした。Youtubeに公式MVがありますので、まだの方は是非聴いてみましょう。
音が、ワルい。
これが、私が初めてこれを聴いた時の印象です。音がワルいって、音質が劣悪って意味じゃないですよ。トラック自体に、ディープな邪悪の雰囲気がある。そこにあの低く喋るようなフロウがピッタリとハマっている。そこでラップされてるのは、明らかに反社会的内容。明らかに変なクスリを販売している人の話です。
……日本は法治国家ですから、薬物を取引する人は当然逮捕されます。同時に、自白だけでは犯罪の証拠となりません。法治国家ですからね。ラップで何を言おうが、それだけで捕まるってことはないわけです。表現の自由は素晴らしいですね。
とはいえ、ここまで堂々とそんな話を。漢さんが本当に? いえ、そうと決まったわけでは……そう思った私は、更に打ちのめされることになります。
漢さんは、ある時番組内で『リミッター解除宣言』をします。これまでは己に枷をはめて戦っていたというんですね。「仕方ないな、本気で行くか」と地面がめり込むほどの重りを外すキャラは、確かにカッコ良いものです。では、漢さんがそれをするとどうなるのか。
……思いっきり変なクサを日常的に扱っている前提で話をしている。
しかも、クサを解禁した漢さんの調子の良さといったらありません。これまでにない余裕、落ち着き。ラップにも緩急があり、相手を手玉に取るような発言や冗談まで出てきています。調子は右肩上がり。これまでを取り戻すように、次々と勝利を積み重ねていくではありませんか。
これが本来の姿なのだと、私は理解しました。ストリート・ビジネスをする己を、ラップに乗せて表現する。T-PABLOWさんもそうですが、やはり重いバックグラウンドというのは、言葉にズシンと説得力を持たせます。
無論、ヤバい過去があれば偉いわけではありません。とはいえ、本音と本音が交差するのがバトルだとするならば、背景の差は時に観客の心を打つでしょう。ある人は地元を
漢さんがいかなる人生を送ってきたのか。知りたければ、自伝『ヒップホップ・ドリーム』(河出書房新社)を読むという手があります。生まれからフリースタイルダンジョンに出る前くらいまで、彼の人生が克明に描かれている書籍です。
内容を喋り過ぎると悪いので、細かくは書きませんが……漢さんが新宿で生活し始めたのは、幼稚園の頃。夜の世界やリアルな貧困が日常にある環境で育った彼は、自然と悪の道へ進んでいきます。本人曰く「ド不良ではない」らしいのですが……どうでしょうね。
驚くのは、漢さんがワルになった『キッカケ』というのが存在しないことです。家庭の事情が若干複雑だったりはするのですが、自伝を読んでいても「ページ飛ばしたか?」というくらいスッと不良になっており、またチョコレートに初めて手を出したエピソードなんかも書かれていません。我々だって、人生で初めてお菓子を食べた日のことなんて覚えてませんよね。漢さんにとって、きっとその程度の存在だということでしょう。
このように、ストリート・ビジネスで音楽や生活のカネを稼ぎ、そんな生活のありのままをラップして世間を震撼させた男。それが彼だというわけです。当時は「クスリをやっている」とラップする人はいても、「クスリを売っている」と言う人はいなかったようで、その衝撃は尋常でなかったはずです。
そんな漢さんは高校生の頃ラップを始め、そして日本語ラップ界の矛盾に気付きます。リアルなラップをせよ、と先輩方は言うが、実際のところ口だけの偽悪的な奴ばかり。そんなんじゃつまらないと、漢さんはその『リアル』をとことん突き詰め、ファンタジーを排除した『新宿スタイル』を己のルールとします。
ひとつ、「できるだけ会話に近い言葉でラップすること」。
もうひとつ、「自分の身の回りのことや生活についてラップすること」。
言葉にすると簡単なようですが、これを突き詰めると結構大変なことになります。たとえば有り得ない話ですが、私が漢さんとラップバトルしたとしましょう。
「パンパンな見た目アンパンマン アンタなんか簡単だ 俺の手にかかればワンパンさ 漢さん、あの弁当が最後の晩餐」
私がこうラップしたら、これは新宿スタイル的にアウトです。
ひ弱な私がパンチしたところで、元アメフト部の漢さんを倒せるわけがありません。ましてや殺せるわけがない。本当にワンパンで殺せると信じているならまだいいんでしょうが、私は自分でコレ言いながら「ぜってー無理だろ」と思っていますので、思ってもいないこんな言葉を口に出すこと自体がアウトです。
ここで漢さんから「やってみろ、ワンパンで殺してみろ今ここで」とすごまれたらどうしますか。「最後の晩餐……にはならねぇかもしれねぇが今日はバンバンやってく」等と言い訳しようとしても無駄です。日常会話で他人にいきなり「殺す」と言って、相手が「オイ、今殺すっつったか?」と怒ったなら「も、もののたとえだよ」では済みませんよね。一度吐いた言葉には責任が伴う。会話のように、身の回りのことだけラップするとはそういうことです。
この視点で見ると、リミッターのあった漢さんのキツさも分かります。テレビなので、放送できない話はあまりしないでほしい。モンスターの皆さんは、そう要請されているそうです。けれど、漢さんが新宿スタイルに従ってラップすると、自動的に放送できない内容が多くなります。放送できる範囲で、新宿スタイルを守る……簡単ではありません。漢さんの判断を鈍らせる原因にもなったでしょう。結果、ポリシーに反する発言もせざるを得なかったり、キレのあるパンチラインが出なかったり。かなり苦戦したはずです。
テレビ的にどうなのか分かりませんが、リミッターを外した漢さんは非常にイキイキとラップしているように見えます。本人が楽しんだりしているのが伝わる方が、私も見ていて面白いです。
さて。ここまで来れば、やはり『my money long』以外の音源が気になります。
そこで私が手にしたのは、日本語ラップ界の
印象的なジャケットは、アメリカのラッパー・Nasの1stアルバムのジャケットをサンプリングしたものだそうです。かつてはクスリを売って稼いでいたギャングスタ・ラッパーをサンプリングしたというだけあって……このアルバムもやはりタダモノではありませんでした。
ヘッドホンを装着して、イントロ的楽曲『陰と陽』を再生します。その瞬間に私は思いました。聴く麻薬が流れ始めた、と。
いえ、当然私は麻薬やったことないですから、新宿スタイル的にはこういう比喩表現アウトかもわかりませんが。吸い込まれるような音だったといいますか、脳汁が出る音だったといいますか。とにかく、このアルバムを聴くしかないと決心させる音なわけです。
それは、ドラマチックな展開の二曲目『漢流の極論』を聴いた時、確信に変わります。新宿を舞台にした、闇の世界の住人の日常を描いた作品。昼の仕事で一生懸命稼いだカネが、俺がストリート・ビジネスで稼いだカネより価値があるってんなら、具体的にどういう価値があるのか目に見える形で教えてみろ。俺が信じるのは、思想を共有する仲間と、この目で見たものだけだ。ゾクッとさせられるような内容です。
そこからはもう、漢さんの特別な気配りによって用意された楽曲が、次々とデリバリーされてきます。右から左から手前から奥から、気持ち良くなる音と反社会的リリックが襲ってくる。この聴いていてクセになるような独特の音は、古いレコードをサンプリングしたことによって生まれているのでしょうか。そこから得られるのはまさに、筆舌に尽くしがたい背徳的快感。これ聴きながらクスリをやるとえらいことになるのではないでしょうか。酒を飲んでノリのいい音楽を聴いた時の気持ち良さを何倍かに増幅させたような……これ以上深く考えるのは危険かもしれません。無論本作は反社会的行動を推奨するものではありません。この作品から発される暗いエネルギーについて、あまりじっくり考えすぎるのはよそうかと思います。
ともかく、イントロ『陰と陽』で催眠導入されてから、爽やかなアウトロ『無法者』でそれが解除されるまで、取り憑かれたような気持ちにさせられるのは間違いありません。どうして名盤なのか、聴けば納得というやつです。危険な曲ばかりなのですが、個人的オススメ曲をどうしても挙げろと言われたら、私は『巡回』『覆水盆に返らず』等が特に好きだと答えるでしょう。
このように、ストリートとは何の接点もありはしない人生を送ってきた私ですら、漢さんの楽曲に震えてしまったわけですが。そうはいっても漢さんと私の人生は違い過ぎるし、ラップの内容も遠い世界の話ばかり……かというと、そうでもありません。彼のラップする内容は、しばしば明るい世界で生きる者もハッとさせます。
そのうちひとつをご紹介しましょう。それは、先程挙げた『my money long』のリリック。一バース目は明らかにストリート・ビジネスの話をラップしているのですが、二バース目になると若干様子が変わってきます。どうも、『ヒップホップで生きていくこと』に関する話になっているようなのです。
特に最後の方のリリック。これにフック部分のリリック、そして『ヒップホップ・ドリーム』の記述を合わせて考えると、ラップの世界で活躍し続けた漢さんによる、なかなか厳しいお言葉が聴こえてきます。
俺は「さらさらまともにやるつもりもねぇ」の態度でここまで来た。なのに、お前はどうして三十路過ぎても俺より売れていないのか。それは、ヒップホップというのがただの音楽ではないからだ。お前はスキルばかり磨いているが、生き様まで含め全てで表現せねばならない。ラップのスポーツ的な部分ばかり見て、根本的なセンスを磨いていないんじゃないのか。三十歳ともなれば、人生の岐路的な時期。まだ夢を追い続けるのか、そろそろ諦めるのかを決断せねばならない。お前はどうする。辞めるのか。趣味の範囲で続けるのか。もしくは、死ぬ気で夢を掴みに行くのか。
……これは、私のように文章を書いている人間にも言えることです。ここカクヨムに文章を投稿している方には、ある程度長い期間文章を書いてきたよ、という方も多いんじゃないでしょうか。私も単純に期間だけ考えれば十年以上になります。常に書いていたわけじゃないので、実際にはもっと短くなりますけどね。
長く書いていれば、文章を書く能力も上がってくるでしょう。ランキング上位の書き手より、書籍化されてる作品より、よっぽど上手い文章書いてるのにな。そう悔しい思いをしている方もいらっしゃるかもしれません。
そんな時に、漢さんから言われたらどうしましょうか。お前さ、そんなに文章書くのは上手いのに、なんで売れないの。売れないってことは、スキルじゃない、根本的に足りない部分があるんじゃないのか。ちゃんと決めた方がいいんじゃないの、いつまでやるのか、どれくらい真剣にやるのか。
無論、ラップと小説を必ずしも同列に語ることはできません。小節の多くは、フィクションの内容を書くモンです。新宿スタイルみたいに、リアルな出来事だけ書くわけじゃない。しかし、この曲を聴いてからというもの……時たま心の中に漢さんが現れ、紫煙をくゆらせながら問うてくるのです。お前、なんで売れてないの、と。
おさらばするか、趣味でやるか、もしくは死ぬ気でやるか。耳の痛い話です。このまま文章書くニートを続けるわけにもいきませんし……。
……さて。私の話は置いておいて。
漢さんは現在、自身が設立した新レーベル、9sari groupで活動しています。漢さんはここで、アーティストがきちんと音楽で食っていける仕組みを作りたいそうです。
さらさらまともにやるつもりもねぇ。ストリート・ビジネスで儲けた金で、俺は音楽をやる。かつてはそう語っていたという漢さん。しかし長年の活動で、色々思うところがあったのでしょう。ヒップホップを夢のあるエンターテインメントとして盛り上げ、カネを稼げるようにしていきたい。そういうやり方もまたヒップホップだ。現在はそのように考えているようです。
番組への出演を決意したのも、そのような事情でしょう。自分がテレビに出て盛り上げていくことで、9sari groupの名を売り、ヒップホップは面白いと世間に示す。それをヒップホップを盛り上げる足掛かりとする。事実、番組は大流行し、ヒップホップに全く縁の無かった層にまで伝わり……そしてここに、音源や本を買った男がいます。それは小さなことかもしれませんが、『私』がきっと世の中には何人もいて、そしてもっとヒップホップを知りたいと思っているに違いないのです。
「俺まだドリーム掴んでねえから破くこともできねえ」
チャレンジャーのGADOROさんから「破り捨ててやるぜお前のヒップホップ・ドリーム」と煽られた際、漢さんはこのようにアンサーしています。そう、漢さんは、これからヒップホップドリームを叶えていくのです。バトルMCが成り上がる道を作った男が、再びこの世界を変えようとしている。彼の目には、きっとその道筋がリアルに見え始めているのでしょう。
なお、現在の漢さんを応援するには、やはり9sari groupのCDを買うというのが有効でしょう。漢さんのEP『9sari』などどうでしょうか。開幕一曲目『oh my way』からもう衝撃を受けますよ。1stアルバムとはまた違う、新しく洗練された、でも闇の雰囲気は受け継いだサウンド。そこに9sari groupの英雄達が次々とフィーチャリングされ、大ボスのように漢さんのラップが登場する。テレビで見ているとあまりイメージのつかないような、早口ラップも披露しています。『my money long』も収録されていますし、四曲目、前のレコード会社社長の横暴を皆でフルボッコにディスる楽曲『the first and the last diss song』は必聴です。
ラッパーとして札束をいっぱい掴み、たらふくいただく。氷山の一角から始まったその計画を、私も微力ながら応援させていただきたいと思います。今後もフリースタイルダンジョンでガッツリした勝負を見せまくり、日本語ラップの面白さを全国に届けてほしいですね。
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