#3:ハアー コイツ何もわかって無い

 それは、衝撃的な視聴体験でした。

 フリースタイルダンジョンに突如現れた凄腕チャレンジャー、焚巻さん。モンスターを五人倒して賞金百万円を獲得し、苦労をかけたお母さんに渡したいというナイスガイ。無論ナイスなのはその態度以上にスキルです。高速ラップとアツい思いでモンスターを次々討伐していった彼は、ついにラスボス・般若さんを引きずり出します。

 何も知らない私は、正直その実力を疑っていました。グラサンにネックレスにバスローブ。日本人だろうになぜかお供に通訳をつけて。この人本当に強いのかな……そう思いながらラストバトルを見始めます。

 そして私は、己の無知を自覚しました。彼の肉体から、眼光からほとばしる威圧感。私のような素人でも分かる、これまでのモンスターとは別種のオーラ。私の目の前に、もしもこんな男が立っていたら。それも、こちらと戦う明確な意思を持って。緊張のあまりどうなってしまうのか、想像もできません。

 その驚愕は、実際に言葉を吐き始めてからも続きました。単に超絶技巧というだけならば、他にもっと凄い人がいるかもしれません。しかし、テクニックだけでは埋まらない、まさに王者めいたその響く声、アツいバイブス、そこに乗せて表現された、彼の長く重いヒップホップ・ライフ。外見に違わぬ、いや、外見以上の迫力、説得力を持って、彼の言葉は迫ってきます。

 しかし焚巻さんは一歩も退きませんでした。どれだけボコボコになっても、ヒップホップ・ドリームを俺は掴むんだ。その譲れぬ情熱を彼はぶつけていきます。般若さんはそれに応えるように更なる炎をぶつけ……きっとその場にいたら、私も涙を流していたでしょう。素人の私でもそう思うくらい、あの勝負は人の心に響く戦いだったのです。


 ……いや、やっぱりすごいなぁヒップホップっていうのは。こんなに人の心を動かせる音楽だったなんて。

 第九話の視聴を終え、私は素直に感動しておりました。そしてツイッターにでも感想を書こうかと思った、その時。

「般若VS焚巻戦を見終わったなら、これを聴け」

 フォロワーの方が、ひとつの楽曲を紹介してくださいました。

 その曲の名は、『Street Dreams』。二〇〇五年に発表された、日本のヒップホップ楽曲です。歌っているのは……Zeebraさん。そう、フリースタイルダンジョンでオーガナイザーをやっているかっこいいおじさん、Zeebraさんでした。

 マジに申し訳ないのですが、当時の私は音源にまるで興味を示していませんでした。フリースタイルダンジョンから得られる情報が全てだったわけです。当然、彼がどんな曲を出しているのかなんて全く知りません。主催者オーガナイザーというだけあって、やはり日本ヒップホップ界でも偉い人なんだろうなぁとはなんとなく思っておりましたが。

 促されるまま、私はその曲を聴き……ん? となりました。この曲、初めて聴いたはずなのに、既にどこかで聴いているような気が。しかもつい最近……あっ。

 そうです、般若と焚巻がそれぞれ一勝し、突入した決着の第三ラウンド。そこでZeebraさんは言いました。「次のビートはこれだ」と。そこで流れ始めた曲を聴いて、観客は一気に盛り上がりました。そこで流れたビートこそ、この楽曲『Street Dreams』だったのです。

「あっ、バトル用のビートって、元の楽曲がちゃんとあるんだ」

 本ッ当に当たり前のことに、私はそこでようやく気付きました。楽曲の一部を切り取って、それを流す。その上でラッパー達がバトルをする。フリースタイルラップバトルはそういう仕組みになっていたのです。ラップにばかり気を取られ、そこで流れているビートについて何も考えていなかった私は、ここで初めてそれを理解することになりました。

 ……それで、この曲はどんな曲なのか。私は曲を聴き進めていくことにしました。

 この曲が聴ける環境にある方は、是非聴いてみてほしいと思います。できれば歌詞も一緒にご覧ください。ちょっとここで直接引用しちゃうと管理団体の方に何か言われた時困っちゃうので。

 歌詞が用意できない方の為に、なんとなく解説しておきます。そこに描かれているのは、Zeebraという男の半生です。ただの威勢のいい若者でしかなかったあの頃。そこから「成せば成る」とキャリアを積み上げ、多くの仲間や応援してくれる人に支えられながら、日本ヒップホップの発展に大きく貢献。その裏には、志半ばで消えていった多くの仲間達。紛いモンみたいな奴がこのシーンにいくら増えたって、諦めた奴らの心まで背負った俺が走り続けるから大丈夫。だって俺はナンバーワンで、ヒップホップドリームの体現者。不可能を可能にした日本人、Zeebraその人なのだから。

 ……この楽曲を聴いて、私は悟りました。あのバトルの素晴らしさを、私が半分も味わえていなかったことを。

 般若を守る、ラップバトル界の実力者たる四人のモンスター。Zeebraさん本人ですら『無理ゲー』のつもりで設定したこの怪物達をテクニックと情熱でなぎ倒し、バトルを封印していた伝説の男を引きずり出した。焚巻さんはまさに今、不可能を可能にした日本人。彼は般若さんを倒してナンバーワンとなり、ヒップホップドリームを叶えたい。

 一方般若さんは、全国から強者の集まる大会・UMBで優勝を果たした男。まさにナンバーワンであり、ヒップホップドリームを勝ち取った男であり、そして不可能を可能にした日本人。

 そう、まさにふたりとも、『Street Dreams』をなぞったような存在なのです。志半ばで倒れた多くの屍。その頂点にいるのは、彼らの分まで走り続けたふたりの戦士。ふたりの不可能を可能にした日本人が、俺がナンバーワンだと言うために決着をつける。

 ふたりのバトルは、このビートで決着せねばならなかったのです。全力でぶつかるふたりのアツい気持ちが、『Street Dreams』の世界を舞台上に再現する。そして般若さんは、このパンチラインでバトルを締めくくります。

「俺がナンバーワン? 俺がオンリーワン ヒップホップドリーム 突くぜ核心」

 そう。『Street Dreams』の歌詞が確認できる方はご理解いただけると思います。般若さんは、この楽曲の歌詞を引用し、パンチラインとしたのです。

 この効果は絶大です。たった二小節で、彼はこう言ったに等しいのですから。

「俺はZeebraの『Street Dreams』に込められた思いをちゃんと理解している。だからこそこのバトルでは、俺なりの『Street Dreams』を焚巻に全力でぶつけたんだ」

 ……こんな高度で、そしてリスペクトに満ちたことを、即興で。

 あの戦いは、ただアツいからすごかったわけではなかったのです。最終決戦にこのビートが選ばれた意図をふたりが瞬時に読み取り、その世界観の上で全力の表現をした。そこに素晴らしさのもう半分があるわけです。

 当然あの場にいた人の多くは、今言ったようなことが分かっていたはずです。つまりですよ、あの場で盛り上がっていた人達は、私の二倍も三倍もあの勝負に盛り上がり、感動したはずなんですよ。しかも多分これが初めてじゃないはずなんですよね。私がこれまで「なんでお客さんこのタイミングでみんな盛り上がったんだろう」ってトコにも、そういう上手な引用があったりしたかもしれない。

 ……ずるくないですか! そんな、みんなばっかり分かって! 私も二倍も三倍も盛り上がりたいんですけど! 元ネタが分からないのがこんなに悔しいとは!

 例えるならば、映画を見た時に名作オマージュシーンが挟まっていたにもかかわらずその元ネタが理解できなかった時の感覚! 漫画を読んでたら読んだことない別の漫画のパロディネタをやられたせいで笑いドコロが分からなかった時の感覚!

 私だってそこでめいっぱい楽しみたい! 目の前で起きていることの面白さを百パーセント堪能したい! ウオーッ! ウオォーッ!

 ――私はしばらくじたばたし、そして気付きました。

 そういえば私、ヒップホップのこと全然知らないぞ、と。

 まずモンスターのことから全然知りません。この番組ではない、普段のバトルではどんな戦い方をしているんでしょう。どんな名勝負が語り継がれているんでしょう。というかこの人達そもそもミュージシャンですよね、どんな曲作ってるんでしょう。何考えながら曲作りしてるんでしょう。

 モンスターだけじゃありません。オーガナイザーであるZeebraさんも、司会のUZIさんも、審査員のERONEさんや晋平太さんやKEN THE 390さんや……彼らも著名なヒップホップアーティストでしょう。毎回スペシャルライブをするゲスト達も、日本ヒップホップ界では名の知れた存在のはず。彼らの曲とか、何をしてきたのかとか、そういう部分を全然気にしたことがなかった。

 それを言うならチャレンジャーだってそうです。今まで何人出てきたでしょうか。彼ら一人ひとりに人生があります。ヒップホップドリームを掴むため、日々バトルしたり音源作ったりしてるはず。彼らはどんな曲を書いているんでしょう。どれだけのバトルを重ねてきたんでしょう。

 嗚呼、なんということか。私はほんの軽い気持ちで、このヒップホップというダンジョンに足を踏み入れました。そこには想像以上の面白さがあって、私はその面白さというお宝を拾っては、キャッキャと喜んでいたわけです。

 ところが、ふと気付きます。こりゃ結構進んだなあと思ってちょっと後ろを振り向いてみたら、すぐ後ろに入り口がある。えっ、全然進んでないじゃん。結構行ったと思ったのに。そして前を見てみる。そこには無限に広がる暗黒が存在するわけです。

 私が今まで拾っていたお宝は、このダンジョン全体に転がる金銀財宝からしたら、茶碗に盛られた米粒ひとつにも及ばぬレベルだったのです。もっとデカくて、もっと輝いていて、もっと価値のある宝石は、きっとこの奥に存在する。それに気付かず、私は入り口近くに落ちた小さな宝物で満足していた。

 無論、今まで拾ってきた宝物に価値が無いとは思いません。それはそれで大変にエキサイトできたわけですからね。モンスターをふたり破ったところで帰り、得た二十万円を音源制作費に充てることにしたチャレンジャーに文句を言えないのと同じことです。どこまでガチで探索するのか、何を得れば満足できるのか。その基準はみんなちがって、みんないい。その程度の宝で満足するやつはダサいとか、俺はここまで潜ったのにお前はそんなところで満足するなんてドン引きだとか。そういう形でマウントを取るのは本当に、本当に馬鹿馬鹿しく下らないことです。


 それで、私はどうすることにしたか。

 ……もうちょっとだけ進むことにしちゃいました。他にやることもないですしね。なに、ちょっと行ってみてヤバそうだったら帰ればいいし。運良く奥まで行けたらそれはそれで儲けモンだし。まあまあ、別に死にゃしないでしょ。

 そんな、人に偉そうなこと言えない中途半端な態度でもって、私はもう少し先まで進んでみることにしたのです……。

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