Rec1:ヒップホップの初期衝動

#1:DISる理由?最低ですね でも

 フリースタイルダンジョンをご覧の方々、あるいは元々ヒップホップにお詳しい方々。そういった皆様には、「何を今更」というような退屈な話が少々続くかもしれません。申し訳ないことです。


 さて。ヒップホップ、そしてラップに関する知識が全くない状態からラップバトルを観戦したとしましょう。初めてフリースタイルダンジョンを見た時の私のように。真っ先に楽しみを見いだせる部分ってのは、一体どこでしょうか。

 私は、「ラップで語られている内容」だと思います。少なくとも私はそうでした。

 ヒップホップに縁の無かった私は、ラッパーというものにものすごい偏見を持っておりました。悪そうな奴は大体友達で、親に感謝したり一生恋人を守ったりするのに忙しい、反社会的で怖い人々である、くらいには思っていたと思います。

 そんな彼らがお互いの悪口を言い合う……つまりディスり合う現場を眺めるのが、そんなに面白いのだろうか。偏見まみれの色眼鏡かけて今日も視界良好な私は、ステージ上に現れた『不良のイデア』みたいな感じのふたりに漠然とした不安を覚えながらも、私は動画を見ていきます。

 案の定、はじめは何も分かりません。チャレンジャーとモンスターのやり取りを、私は訳も分からず見続けます。音楽が八小節流れる間に先攻の人が悪口を言い、次の八小節では後攻の人が悪口を言い、それを二回繰り返し。すると審査員の人が判定を下す。勝敗が決まる。な、何だったんだこりゃあ。

 するとそこで、審査員の方々がコメントをするんですね。今の戦いはどこが良かったのか。その人は何を評価したのか。ああなるほど、よく分からんかったけども、そういうところで勝負してたんだ、と、ここでようやく少し納得します。

 するとすぐに次のバトルが始まります。意識的にせよ無意識的にせよ、私は次のバトルをその知識を基に見るわけです。すると、景色が少しずつ変わってくる。先程までリズムに乗って悪口を言い合っているようにしか見えなかったステージ上で、どのようなやり取りが行われているのか。少しずつ分かってくるのです。

 なんだか、新しい言語を獲得する過程に似てる気もしますね。単語や文法が分かってくるから、ただの記号の羅列が、音の並びが、意味の通った言語として伝わってくる。私が体験したことはまさにそれでした。ちょうどNHKのテレビ教育番組で英語を学習したようなものかもしれません。

 それで、ヒップホップという言語に片足を突っ込んで、ようやくおぼろげながら理解できてくることがありました。それは、彼らがしているのが別に『ということです。

 ……イヤ、確かに結果として悪口の言い合いにしか見えない場合も多々あるんですけどもね。そうじゃなく、そのディスり合いはあくまで手段でしかないのではないか、ということです。

 審査員の方々の言うようなところに注目しつつ、何試合も見ていく。すると気付くことがあります。ラッパーの方々って、ただ相手を貶める発言を繰り返してるワケじゃないんです。彼らは確かに相手をディスっているが、話の要旨はそこじゃない。自分自身のヒップホップ・ライフについてなんですよね。

 俺はこんなにすごいスキルを身に着けた。俺はこんなにお客さんを盛り上げられる。俺はこんなに機転が利く。俺はヒップホップでここまでカネを稼ぎ、こんなに名誉を得た。ヒップホップにかけるこんなに強い思いが、俺にはある。

 当然、『』。

 そう、誰よりもスキルフルだと示すには、誰よりも盛り上げられると示すには、誰より頭の回転が速いと示すには、自分の名声が揺るぎないものだと示すには、誰にも負けない思いがあると示すには。少なくとも、すぐそこにいる相手より強くなければならない。マイクを握ってそれを証明せねばなりません。

 彼らとて、人を傷つけるのが大好きだからバトルをしているわけではないのです。まぁひょっとしたら世の中にはそういう方もいらっしゃるかもしれませんけれども、恐らく多くの方はそうじゃないでしょう。

 俺はすげぇ奴だ。俺の言うことはこんなに正しいんだ。それを言うのは誰でもできます。しかしそれを証明するとなると、どうしても比べる相手が必要です。比較対象がないと、その人がすげぇかどうかなんて分からないのですから。だから、今目の前にいる相手を倒さねばならない。相手をこき下ろしてやりたいからじゃなく、自分自身の強さ、正しさを証明するために。

 だから、特に恨みの無い相手でも、マイメンでも、パイセンでも……あるいは、実力の明らかに違うと分かっている相手であっても。俺がナンバーワンを言うために、全力で人生をぶつけに行く。そこにドラマが生まれないはずがありません。

 アニメの好きなフォロワーの方々が、どうして口々にこの番組を勧めていたのか。私はようやく納得しました。

 怖そうな人たちが悪口を言い合っているという状況は、一見すればアニメとはまるで無縁。しかし少しだけ近付いてちゃんと見れば、そこにあるのは全く違う景色。まるでアツいバトルアニメのように、交差する本音と本音。火花を散らす人生と人生。お互いの主張が交わり合い、勝者と敗者が決まる。しかもこれがフィクションでなく現実に起こってるってんですから。

 ヒップホップに興味があろうがなかろうが、魂のぶつかり合いは人の心を動かすものです。五話まで見ろって割とハードル高くないかな、なんて心配は全くの杞憂。私は導かれるように番組を視聴していきました。

 そして同時に、浮かび上がってくるひとつの気持ちがありました。


 この人達が、羨ましい。


 人生で築き上げてきたものを、相手とぶつけ合う。それは私にとって、とても勇気のいることです。

 皆さんは普段から、誰とでも本音で付き合っていらっしゃるでしょうか。相手の意見ややり方がおかしい、自分の方が正しいはず。そう思ったら、その相手とキッチリ決着をつけていらっしゃるでしょうか。もしそうなら非常に羨ましいことです。

 私にはそれができませんでした。おかしい、間違ってる、そう思えることは世の中にはいくらでもあります。でも、それを糾弾するほどの勇気はありません。そんなことをしても、私のような愚か者はあっという間に相手に反論され、丸め込まれ、時には無知を嘲笑われるのではないか。結局ネットの隅で酒を飲みながらグチグチ言うことしかできず、気付けばこのような状態。

 勿論、ラッパーが完全に自由だとは思いません。彼らだって社会の一員、人間関係の一部なんですから、言いたいけど言えないことくらいあるでしょう。それでも、自分の譲れないものを持ってステージに上がり、それを全力で相手とぶつけ合う。彼らの生き様に、私は非常に感銘を受けたのです。

 私が羨ましく思った点はもうひとつあります。それは、彼らの自己肯定感がとんでもなく高いというところです。

 無論こちらも事実は分かりません。ひょっとしたら自分に自信が持てなくて、いつもステージに上がる前はびくびくしている方だっていらっしゃるかもしれませんよね。それでも舞台の上に立ったら、彼らは毅然としています。そしてマイクを握って、相手に向け言い放つのです。「お前なんかより、俺は遥かにすごいぜ」と。時に根拠が薄弱だったとしても、ブレることなく。

 これもまた、私にはとても真似できぬことです。私は、自分で自分を信じてやるということがなかなかできません。自分の悪いところを無限に挙げては、どこまでも落ち込むことなら可能です。格上の相手が目の前にいたら、震え上がって「勝てるわけない」と最初から諦めてしまうでしょう。

 嗚呼、なんてパワフルな人達なのだろう、ラッパーっていうのは。




 強い自己肯定感。魂のぶつけ合いを恐れぬ心。私に無いモノを持っているラッパーという人々。私は彼らに、強い憧れを抱くようになりました。

 そして思ったのです。ラップを、ヒップホップを。もっと知りたいと。

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