第五章 風と一緒に
第16話 ドロシーの手紙
私は気が付くと、居間のベッドに寝かされていた。
「お、麗華。起きたのか」
「お兄ちゃん? ここ……家? 私はどうしたの?」
「ああ。お前、商店街の調査中に倒れたらしくてな。ネル君がここまで運んできてくれたんだ」
「ネルが……。そうだあいつはどこに行ったのよ!」
すると、伸兄は人差し指を口にあてながらつぶやいた。
「しーっ……。ほら、あそこで気持ちよさそうに眠ってら」
壁に背を持たれて、ネルはすやすやと寝息をたてていた。アリアもその横でぐっすり眠っている。
「二人とも相当疲れたんだろうな。お前を家に運んでからすぐに寝ちまったよ。部屋に布団を敷いてやったのに、お前が心配だからここで寝るって言って聞かないんだ」
そう言う伸兄は優しく微笑んでいた。下痢もすっかり良くなったようで、顔にも赤みが戻って来ている。
ん……? そう言えば、私は伸兄に何か言わなければならないことが……。
「あ~! そうだお兄ちゃん! ちょっと聞いて!」
「何だそんなに大きな声を出してうるさいぞ、二人が起きちゃうじゃないか」
「そんなことより聞いてってば! ネルってば実は男の子だったのよ!」
「……それがどうした?」
兄は能面のような無表情の顔で私を見つめている。まさか、兄さえもネルが男の子だと気付いていたって言うのか!
ひどく淡泊な反応の伸兄に私は辟易する。これじゃあ、一人だけ騒いでる私はバカみたいじゃないか。
「麗華、あのな。男だとか女だとか、そういうのはどうでもいいじゃないか。大事なのは心。ネル君はネル君だ。そうだろ?」
伸兄の言葉に反論する言葉が見つからない。
「う……。まあ、そうかもしれないけどさ……」
なんだか肩透かしを食らった気分だ。このことはもう忘れてしまおう。
やがて、ネルとアリアがむっくりと起き上がる。
二人は元気そうな私を見て安堵の表情を見せる。
「麗華、良かった……」
「急に倒れた時はどうなることかと思ったんですからね!」
「あ、うん。ありがとう二人とも」
「俺からも礼を言わせてもらおう。ありがとな、ネル君にアリア君」
「……ていうか、伸兄はアリアのこと知ってるの?」
「ああ。ネル君から話は聞かせてもらった。大好きなネル君を追ってここまで来たそうじゃないか、見上げた根性だ。がっはっは!」
「それじゃあ、商店街で起きた出来事も?」
「おお。何やらネル君の知り合いの魔女が騒動の中心だったとか。まったく、人騒がせな奴もいるもんだな」
私は伸兄を見ていて、驚いて何も言えない。普通の人間だったら、何かしら疑ったりするはずなのに。魔女が原因だったとか、ヒトダマの正体は魔法だった、とか言われて平然としていられる方がどうかしている。伸兄の底知れぬ状況適応能力を目の当たりにして、私は絶句していた。だが、この何でも受け入れられるところが、伸兄のいいところでもあるのだと思う。
「そういえば、バンチョーはどこへ行ったの?」
「アレ? ボクもあの時は倒れた麗華を運ぶのに必死で気づかなかった。確かにいないね。どこいったんだろ、バンチョーさん」
「自分の悩みが解決したもんだから帰ったのかしら? 意外と薄情な奴だったのね、あいつ……」
その時、アリアが窓の外を指さして言った。
「あ、あれ! バンチョーさんじゃないですか?」
見ると、バンチョーが何やら加えて窓脇に立っている。中に入れてほしいのか、前足でガラスをカリカリとひっかいていた。
伸兄が開けてやると、バンチョーは急いでネルの下へ駆け寄った。
「バンチョーさん……よかった、無事だったんだね」
「ネル、こいつ何か咥えてるみたいよ。これは……手紙?」
私はバンチョーから手紙を受け取り、封を切る。
手紙には次のように記されていた。
帰る方法が知りたいか。知りたくば、今日の夕刻に一宮高校の裏山に来い。私はそこで待っている。今こそ決着をつけようではないか。私に勝った暁には、知っていることを全て話してやろう。もちろん……勝てれば、の話だがな。せいぜい頑張るがいいさ。
氷雪の魔女 ドロシー
アリアがやって来て、手紙を覗き込む。
「これは……ドロシー様からの手紙ですね」
「そのようね。あの女、一体何を考えているの?」
「彼女はきっと――」
アリアが言いかけた時、ネルが箒を手にして窓脇に立つ。
「……ボクは行くよ。ドロシーとの決着をつけるんだ」
はぁ。もう何度目かと思うため息が出た。私はネルを放っておくことなんてできない。ネルが行くっていうのなら、たとえ危険であってもついていく。だって、友達を放っておけないじゃないか。
「ネル」
「なに、麗華? 止めても無駄さ。ボクは行くよ」
「止めなんてしないわよ。私も一緒に行くわ」
「……ダメだ。挑戦状を送りつけるってことは、向こうもそれだけ本気ってことだよ。恐らく危険な戦いになる。そんな戦いに、魔法を使えない麗華を巻き込むことはできないよ」
ネルは私の身を案じてそう口にする。確かにそれは事実かもしれない。私には彼らみたいに魔法が使えるわけでもないし、特別な力があるわけでもない。でも、それでも……。
「帰りたいんでしょ、元の世界へさ」
「……うん」
ネルの言葉にアリアも小さく頷いた。
つまりこれは、ネルとアリアが元の世界へ帰るための戦いということになる。
正直言って、私はネルと別れたくない。身勝手な願いだということは自覚している。
しかし、それでも私は彼らが元の世界へと帰る手助けをしたい。
いつの間にかネルは私の中でそれほどまでに大きな存在になっていた。はじめはただの小うるさい糞ガキだったのに……いつの間にか私の中で、本当に大切な心の友になっていた。
ネルと、アリアと……ついでにバンチョーと。皆でずっと笑っていたい。
けれどそう思う一方で、ネルとアリアを元の世界に戻してあげたい。矛盾する二つの感情が心の中で交錯していた。
ネルのことを本当に友達と思っているから……だからこそ元の世界へ帰るという彼女、いや彼の願いを手助けするのが真の友人なのではないだろうか。
「……私はあなた達の手助けをしたい。何もできない私かもしれないけど、それでもついていきたい。だって私は――」
――あなた達の友達だから。
言おうとして思わず口をつぐむ。ここでこんな台詞、とても私にはかっこよすぎて言えない。だが、その時ちょうどいい言い回しが浮かんできた。
「――だって私は……いや、私たちは……《ひびきのバスターズ》でしょ!」
こんな時にチーム名が役に立った。
しかし自分で言っておいて何だが、これでも青臭い台詞だなあと思う。だが、それでもいい。これが今の私の本心なのだから。
しかし、恥ずかしさはつい顔に出てしまうもの。頬が自然と赤らむ。
ネルとアリアも笑ってくれた。
二人の笑顔が心地よくて、嬉しかった。
ついでに伸兄がハンカチを取り出してむせび泣いていた。
別に泣かなくてもいいと思うんだけど……。
◆
学校の裏山は家からわりとすぐ近くのところにある。
近所の人たちが散歩で行くこともあるような小さな山で、頂上まで行くのに三十分とかからないほどだ。
「いい、麗華? 絶対に自分の身の安全を優先してよ?」
「はいはいわかったわよ。私だって死にたくないもの。けどね……ふふふ。ドロシーに一瞬の隙を作ることくらいは私にもできると思うわよ」
「どうやって? まさか妙な音楽を流すとか言わないよね?」
「んなわけないでしょ! ま、私のことはいいから、とっとと歩く!」
裏山は木々が鬱蒼としていて空気が冷たく、少し肌寒かった。
不意にネルが立ち止まり、にっこり笑顔でつぶやく。
「ここなら、〈ソアリングブルーム〉に乗ってもいいよね?」
暢気な顔して言うネル。やっぱりこの子は箒に乗って飛ぶことが、どれほど目立つことなのかわかっていないらしい。
「ダメ! それはすっ……ごく目立つんだからね! 私がいいっていう時以外はダメ!」
「ちぇ! 麗華のけちんぼ!」
山を登りながらふと、アリアがつぶやいた。
「ネル……ドロシー様はどうしてしまったのでしょうか?」
「それはボクも思った。あいつの身に何かあったとしか思えない」
二人ともシリアスな顔でそんなことをつぶやいている。
「何よ、二人してこそこそと。隠し事は良くないわよ」
ネルとアリアが立ち止まって話し始める。
「向こうにいたころのあいつはあんなんじゃなかった。あんな……ヒトダマを作り出す魔法なんて使わない……クールだけど、優しい奴だったんだよ。少なくとも全く関係ない他人を攻撃するような性格じゃなかった」
アリアが続けて話す。
「はい。私たちの知っているドロシー様は、凛とした立ち振舞いの素敵な方で、とても真面目な方でした。それゆえ、戦いにもフェアな方でしたから。昨日の麗華さんを狙った攻撃には目を疑いました。ドロシー様がそんなことをするわけがないって」
私は当然初対面だったから特に変だとも思わなかったが、知り合いである二人にしてみれば、昨日のドロシーはまるで別人のようであったという。
「何よりおかしいのは――」
ネルがつぶやく。
「あいつの服装さ。あんな露出度の高いえっちな服装……真面目で清楚キャラのあいつがするわけないんだ。気が狂ったとしか思えないね。だが一方、麗華の乳なんか及びもしないあいつのナイスバディを見れたのは少しラッキーだったともいえる」
すかさずパンチを入れる。アリアも同時にパンチを放ったようでネルはその場に崩れ落ちた。自業自得である。こいつはもっと、女心というものを研究した方がいい。
アリアも同じ気持ちなんだろうと思って彼女の方を見た。
すると、アリアは自分の胸元と私のそれを見比べて勝ち誇ったような顔をしている。
……この世は不平等である。
ふ、ふ~んだ。人間、中身が大事なもの。外見なんて関係ない! 関係ない……。関係……グスン。
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