第15話 顔だけ女の正体と大いなる勘違い

「あ、あんた! な、ななななんなのよ!」

 すると、ネルがすっくと立ち上がりつぶやく。

「そうだ忘れてた。アリア、どうしてきみがこんなところにいるんだい? それにその姿……」

「あ、あんた達知り合いなの!?」

 慌てふためく私を見て、ネルと顔だけ女は顔を見合わせて笑う。

 くっ……こいつら、馬鹿にしやがって。目を合わせないように下を向くと、バンチョーが、これまた馬鹿にするよう顔をして笑っていた。


   ◆


「麗華……いきなりバンチョーさんを蹴りつけることなかったんじゃない?」

「ふん。いいのよあんなバカネコのことは。それより……あんたは一体なんなのよ。……うわっ! ちょっと私はまだ慣れてないんだから、あまりこっちを見ないでよ! あんた私の中でトラウマになってるんだからね!」


 顔だけの女の子は困ったような顔をしてつぶやく。


「あ、はい。申し遅れました。私の名はアリア・カルヴァート。……ネルの……妻です」


 頬をぽうっと朱に染めて、いじらしく言う彼女。

「つ、妻! かぁ~……ネル、あんた人外が好きなタチだったんだ。すごく意外よ」


 私がしらっとした顔で言うと、ネルが両手を振りながら慌てて否定する。

「ち、違うよ! ボクはそんなんじゃない! だいたいアリア! お前、ボクの妻じゃなくて、ボクの家の家政婦じゃないかよ! でたらめ言うなよな!」

「ま、まあネルったら恥ずかしがっちゃって。言わなくてもわかりますよ……私はあなたの未来の奥さんだものね」

「だあああ! 違うったらもう! 麗華~こいつ何とかしてくれよ~!」


 頭を掻きむしりながら叫ぶネル。彼女がこんなに混乱しているのを見るのは初めてかもしれない。それにしてもアリアの姿が顔だけ、ということを除けば実に微笑ましい光景だなあ。


 そんな時ふと、アリアの言った言葉が私の頭の中で反芻する。



 ――私はネルの妻です。



 ……妻? あっはは~! 何言ってんだか。ネルは女の子だよ? まさかこの娘たちそんな危ない関係なのかしら……?

 私はあくまで確認を取るために、二人に尋ねた。


「あ、あの二人とも。一ついいかしら。ネルもアリアも女の子でしょ。女の子同士って言うのはちょっとその……まずいんじゃないかと、お姉さん思うんだけどなぁ……」


 私の言葉を聞いた二人は能面のような顔で私を見つめている。


「麗華、何言ってるの?」

「そうですよ。麗華さん。少しお疲れなのでは……?」


 二人とも私の体調を心配する始末だ。

「ま、ままま待って! ひょっとして、ネル。あんたまさか……男の子だったの?」


 ネルはさも当然のように首を縦に振った。

 その瞬間私の、ネルに対するあらゆる認識が音を立ててがらがらと崩れていく。


「嘘でしょ!?」


 ネルとアリアは顔を見合わせきょとんとしている。いつの間にやら復活したバンチョーは私を見て、腹を抱えて地面を転がりまわっていた。


 私は知ってしまった真実を前に、思わずその場にがくりと膝をついた。

「ば、バカな……そんなことって有り得るの?」

 すると、アリアがそっと近寄ってつぶやいた。

「麗華さん……。もしかして、ずっとネルのことを女の子だと……?」

 きっ! と鋭い眼光でネルを睨む。

「ネル! あんたね……女の子じゃないならそうと言いなさいよね! なんか私、ホント……バカみたいじゃない!」

 ネルが不思議そうに私を見つめてつぶやいた。


「麗華……。ボクはどうして女の子に間違えられたのか不思議でならないよ」


「…………」

「麗華は見る目ないねぇ~」

 ネルの脳天にげんこつを一発お見舞いした。だって、普通女の子だと思っちゃうよ。こんなかわいい容姿をしてるんだから、男の子だと思うはずないじゃないか。


 穴があったら入りたいような気持ちになって、私は体育座りになって膝に頭を埋めた。

 バンチョーが私を見てプフフと笑っていたのが見えたが、今はどうでもいい。あとで覚えていろ、バカネコめ。

 恥ずかしさで燃えるように体が熱い。今思い起こしてみると確かに思い当たる節はあった。私が下着を貸そうとするとすごい顔をして断ってきたし、洗濯する時、変に顔が赤面していることがあったり……。


 ネルが女の子だと思ったのは、本当は、彼女の容姿だけが理由ではない。私が自然に、ごく普通に話せたからだ。内気な性格の私はほとんど男子と話したことがない。それどころか、たまに話しかけられても緊張してあたふたしてしまって、会話どころではないのだ。


 それが、ネルとはごく自然に、友達のように会話することができた。だからこそ、私はネルが女の子だと無意識に思っていたのだ。


 思い起こしてみると彼女、いや……彼と出会ってからは毎日がとても楽しい。ずっと同じような日が続いていくんだと思っていた日常が、まるで魔法にかかったみたいにわくわくやドキドキを感じるものに変わったんだ。その変化はちょっとしたものかもしれない。けれど、私にとってはとても劇的な変化だった。ふと、笑っていた自分に気づく。どうしてか自然と笑みがこぼれたのだ。


 ネルはネルだ。それは今も、そして、これからもずっと変わらない。ふう、と一つため息をついて、私は顔をあげた。目の前には、心配そうな顔をしているネルと、アリア、そしてニヒルな表情のバンチョーがいた。


 私は二人と一匹に向かって小さく微笑む。

「……その……さっきは殴ってごめん」

「……いいよ、別に」

 なんとなくすっきりした気分になって、私はすっくと立ち上がる。

 そんな私を見て、ネルとアリアはそっと微笑んだ。私も小さく笑い返した。



   ◆



「ところでさ」

 夜明けの商店街を歩きながらネルが唐突につぶやいた。

「バンチョーさんの友達、見つからないね……」


 それは私も思っていた。ヒトダマに連れ去られたという野良猫たち。彼らは結局何処へ行ってしまったのか。バンチョーも仲間を発見できず、ひどく落胆している様子だ。


 するとアリアがにこやかな表情で言った。

「あの猫さん達なら、私知ってますよ」

「ほ、ほんとなのアリア?」

「ほんともほんとよ。だって、猫さん達にあなたの居場所を教えてもらったんだから」


 間抜けた顔になるバンチョー。アリアは行方知れずの猫たちを知っている?


「この世界にやってきた私はずっとネルを探していたのですが、一向に見つからず……猫さん達に相談したのです。彼らはこの辺りの地理に詳しく、ネルについても知っているんじゃないかと思って。彼らは私を見て、はじめは警戒して何も話してくれませんでいたが……根はいい人たちなのですね。お菓子をあげたら、皆さん喜んでいろいろと教えてくれました」


 お、お菓子って……野良猫ってそんなものか……。


「フニャアゴロ!」

「彼らの居場所ですか? う~ん……一週間くらい旅に出るって言ってましたよ。皆さん、私と出会ったのを機に、未知への好奇心が掻き立てられてしまって」

「つまり……一週間も経てば戻ってくると?」

「恐らく。私も久しぶりに旅行してみたいものですね」


 どて。行方知らずの野良猫たちを心配していたバンチョーは思わずずっこけてしまう。

 私も肩透かしをくらった気分だ。そんなの……アリ?


「これでバンチョーさんの心配事も、まあ……一応解決したってわけだね。けど、ボクには二つわからないことがある。一つはアリア、お前がどうやって時空間転移したのかってこと。二つは、どうしてそんな姿をしてるのかってことだ」


 アリアは空中をふよふよと漂いながら言った。

「私はあるお方にお願いして、こっちまで飛ばしてもらったのよ。ネルならわかるでしょ?」

 すると、ネルは苦い顔をしてつぶやく。

「……父さんか」

「そう。リカード様も奥様も、突然消えたあなたをとても心配していらしたわ。残されたあなたの魔力痕を追ってこの世界にいることを突き止めたはいいんだけど、立場上、二人が来るわけにはいかないものね……。代わりに私が行くことになったの。もちろん代わりじゃなくても行くつもりだったけどね」


 ネルの父さんが、消えたネルを心配してハウスキーパーのアリアを派遣した。

 ネルの父さんって一体どんな人なのだろう……。まだ見ぬネルの父さんを思い浮かべながら、ふと自分の父親の事を思い浮かべる。

 父さんの研究って、いつ終わるんだろうな……早く帰ってくればいいのに……。


 ネルが渋面のままアリアに尋ねた。

「……父さんは怒ってた?」

「それは、もう。けど……それ以上に心配していらしたわ。ずっと、あの家で働いてきたんだもん。私にだってそれくらいわかります」

「……それで、お前のその姿はどうしたんだよ」

「うふふ……これは修行の成果よ。もとの、人間の姿にだって戻れるの」

 その言葉に私は絶句した。

「だったら、早く戻りなさいよ!」


 てへ、と舌を出しながらアリアはぶつぶつ文言を唱え始めた。

 光の玉がぽつぽつと現れる。それはとても綺麗で、ふっと消えてしまいそうな淡い光。現れた光の玉はだんだんと一つのところに集まっていく。そして、それは……一つの小さなヒトダマになった。不気味な青い焔ではない。現れた光の玉と同様、消えてしまいそうな儚げで……でも、とっても綺麗な淡い小金色の焔。例えるならば、落ちてしまう寸前の線香花火のような、そんな儚く綺麗な光を放っている。


 瞬間、辺りが眩いばかりの光に包まれると、やがて光は薄らいでいって、そこには栗色の髪を二つに結った、あどけない表情の少女が立っていた。


 見るも可憐な少女。荒野に咲いた一輪の花のごとく可憐なその容姿に加え、舞い散る雪のように白い肌。大きくて綺麗な空豆色の瞳がとってもチャーミングだ。


 目の前に現れた少女に、ネルはポカンと大口を開けて、目は少女に釘付けだった。

 少女はネルを、その空豆色の瞳の中に捉えると、彼女に向かって駆け出し、胸に思いっきり飛びつく。


「あ、アリアやめろよ~!」

「ふんだ。ネルのばぁ~か。私、急にあなたがいなくなって、凄い心配したんだからね!」

「いや、だから……ボクも実験の途中だったんだって!」

「そんなの嘘よ! 一人で遊びに行こうとしたんでしょ~?」

「ち、違うったら! いい加減離れてよ、もう~」


 微笑ましい二人を見ていて、私は一人毒づいた。


 リア充め……爆発すればいいのに。


 踵を返し歩き始めると、バンチョーも黙って私についてきた。今回に関しては珍しく彼と意見があったらしい。まったく最近の若者は、ところ構わずいちゃつきやがって……。


 その時だ。後ろからネルの叫び声。

「麗華、横に跳んで!」


 その声で、私は咄嗟に横っ飛びする。

 さっきまで私がいた場所には、無数の氷の矢が突き刺さっていた。


「フン、邪魔を」


 見ると、上空に一人の女性が浮遊している。

 豊かな胸元を前面に押し出す大胆なデザインのレオタードを身に着け、腰に届くほど長い髪の毛は藍色だ。手には錫杖を握り、怜悧な瞳で私を見定める。


「もう少しのところだったのに……、貴様よくも邪魔をしてくれたな!」

「あなたは!」

「私はそこのちんちくりんと同じ、《偉大なる魔法使い》の資質を持つ者。名はドロシー・G・クリスティーナ。だが、そこの貧乳の女。私の特性魔導球を打ち破ったことに関しては褒めて遣わそう」


 彼女の口から出た一言は私を鬼へと昇華させた。口は災いのもと。世の中には、口に出してはいけない言葉というものが確かに存在する。貧乳だと? ふざけやがって! 私は普通だ、普通。絶対そう。Aっていうのはどんな時も強いものの代名詞。大富豪だって、Aは強力なカードだ。


 ドロシーは慌てふためいてつぶやく。

「な……この禍々しい気は? まさか、貴様が!?」

「ふふん、ドロシー。きみは麗華を怒らせたんだ。麗華はね、怒らせると……魔王のごとき力を発するんだよ。ボクもこれには驚いた」

「バカな……魔王の力? そんなわけないだろう! 大魔王シルフィローゼはとうの昔に滅びた。お前も知っているだろう、ネル・フレイリィ!」

「ああ。……けど、麗華の顔を見てみろよ。この顔を魔王と呼ばずして、何て呼べばいい。それ以外の言葉をボクは持ち合わせていない。確かに麗華のおっぱいは悲しいくらいに小さい。それは事実だ。けどな、ドロシー。人には言っていいことと悪いことがあるんだ!」


 ケタケタと不自然な笑顔で、私はユラリと立ち上がる。

 私の形相があまりに恐ろしかったのか、睨み付けられたドロシーは口をパクパクと開け閉めして、その場から動くことができない。


「くっ……仕方ない。そろそろ結界の有効時間も過ぎる頃合いだしな。貧乳女に免じてこの場は退いてやる。さらばだ!」

 そう言って、ドロシーは姿をくらませた。後に残るのは霞のみである。


「ふぅ……奴め、恐れをなして逃げたか。さすが、麗華の貧乳パワーは最強だね!」

 ケラケラと笑って見せるネル。しかし、幽鬼のように歩み寄る私を見て、徐々に表情が強張っていく。


「ネル……あんた……いい加減にしなさいよ……」


 急に体中の力が抜けていく。視界が黒く染まっていく。

 ネルとアリアが叫んでいる。

 体全体が制御を失ったように傾き始める。


 ――それから後のことは良く覚えていない。

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