第14話 ロックのちから
まるでジェット機のようなスタートダッシュをした箒だったが、ゲートを通り過ぎた直後、ヒトダマが恐るべきスピードで猛追する。
背後からヒトダマの氷柱針が飛来する。ネルは片手間に魔法を発動し、風の弾丸で飛来してきた氷柱針をことごとく撃ち落していく。
私は振り落とされないように、箒の柄にしがみつくだけで精一杯だった。
ネルは負けじと、さらに箒の速度を上げ、風を切り裂き飛んでいく。あまりの速さに目を瞑ってしまう程だ。
「見えてきたよ!」
ネルの一声で、私は一瞬だけ目を開く。
すさまじい風が襲ってくるが、確かに見えた。中央広場だ。
私は箒から飛び降りて、広場の真ん中に着地。すぐさま、ウエストポーチの中を探る。
上空からネルが呼びかけてくる。
「麗華! 何する気?」
私は空を飛んでいるネルに聞こえるように大きな声で言った。
「五分でいいわ。時間を稼いで!」
青い焔は今にもネルに襲い掛かりそうだった。しかし、それに反応したバンチョーが箒の上から果敢に飛びかかった。
「バンチョーさん!」
だが、やはりバンチョーの決死の攻撃は空しく空を切るだけだった。バンチョーは猫。少しくらい高いところから飛び降りたって、なんら問題はない。見事に着地を成功させたバンチョーはそのまま私の方に走り寄る。
「くっ……ボクも五分が限界だと思う! 何とか頼むよ!」
その言葉を皮切りに、上空では再び凄まじい空中戦が始まった。
ネルがヒトダマを引き付けてくれている間に、私はウエストポーチからポータブル音楽プレイヤーを取り出して、手持ちの小型スピーカーと接続させる。
その時だ。
「な……嘘でしょ……!」
ネルの声に振り返る。
上空のヒトダマは辺りに強烈な冷気をまき散らしながら不気味に発光し始めた。と思ったのも束の間、ヒトダマの周りを無数の氷の礫が漂い始めた。
そして次の瞬間、ヒトダマが無数の礫を私に向けて放つ。凄まじい数の氷の礫が私に向かって降り注ぐ。
「逃げて!」
叫びながらネルが全速力で飛んでくる。ネルは私の盾になろうとして、数多の礫の矢面に立った。
私はその時、世界に六人しかいないという《偉大なる魔法使い》になる可能性を秘めた子の力の真髄を垣間見た気がした。
ネルは両手の指それぞれに風を纏わせ、弾丸として撃ち出す。強い推進力と貫通力を併せ持った風の弾丸は、瞬く間に無数に飛来する氷の礫を撃ち落としていく。無数に思われた氷の礫も、少しずつその数を減らしていく。
しかし、その時私は気づいた。ネルの身に迫った危険に。
ヒトダマは無数の礫を放った後、何もしていなかったわけではない。
奴は無数の氷の礫を囮にし、一本の巨大な氷柱針を具現化させていたのだ!
よもやあの怒涛の攻撃の全てを囮とするなんて……操っているドロシーという魔法使い、ネルが言っていた通り只者ではない。
ネルは氷の礫を撃ち落すだけで精一杯。今にも倒れてしまいそうなほどに疲れた顔をしている。
ヒトダマは作り上げた氷柱を今、発射した。それはもはや氷柱とは言えない。小型氷山とも思えるほど巨大な氷の柱。それが今、全力を出し切ったネルに向けられた!
いけない……このままではネルが危ない!
垂直に発射された氷柱は凄まじい速度で飛来する。逃げられない。
ネルが決死の魔力で風の弾丸を撃ち出す。
だが、無情にも弾丸は巨大な氷柱の前にあっさりと掻き消えてしまった。
氷柱が直撃する! 私は思わず目を瞑った。
だがその時、声が響いてきた。
「ネル……やっと見つけた。私はずっとあなたを探していたのよ……」
聞き覚えのある声。あの穏やかで透き通った水のような綺麗な声。
……妙に静かだ。
恐る恐る目を開けると、そこには私のトラウマが具現化していた。
そう……私の心を不安で満たしていた顔だけ女が目の前に現れたのだ!
顔だけ女は、見えざる障壁を展開し、ヒトダマが放った巨大な氷柱を受け止めていた。
顔だけ女がつぶやく。
「……今よ、ネル!」
顔だけ女の掛け声に乗じて、ネルが魔法をさせる。
「―― 集いし風よ 竜の爪となりて 壁を滅っせよ ――【フレイルドラグーン】!!」
すると、後ろから突風が吹き付け、ネルの銀色の髪を散らす。ネルは両手を掲げ、巨大な氷柱を見定める。風がうねり始め、小さな竜巻がそこに生じた。竜巻はあっという間に巨大な氷柱を包み込んで粉々に砕いてしまった。
相当大きな力を使ったのだろう、ネルはがくりと肩を落とし喘いでいる。
まさかあの憎き、顔だけ女が助けに来てくれるとは予想もしなかった。しかも、どうやらネルの知り合いらしい。あらためて目にすると、そんなに怖くもないし、不気味でもない。あの時は未知のものに対する恐怖が、私の想像力を暴走させたのだろう。
実際に目にすると、声に似つかわしい本当に可憐な顔である。……顔だけなのが不気味ではあるけど。
おっと、そんなことより!
思わずヒトダマとネルの凄まじい攻防に気を取られていたが、大きな魔力を使ったのは向こうも同じ。今やヒトダマも動きもずいぶん遅い。奴も多少なりとも疲れているようだ。
今がチャンス! とばかりに私は作業を再開する。
「ふ……音楽はいつの世も人の心を癒す、ってね」
つぶやきざまに、音量を最大に設定して音楽プレイヤーに入っていた曲を再生する。
静まり返っている商店街に突如として、大音量でロックテイストの音楽が流れ出した。もうすぐ午前三時という深夜帯にもかかわらず、耳をつんざくような音量だ。さすが、高い金払って買っただけのスピーカーだけある。
アップテンポの曲調は、聴く者の胸を高ぶらせ興奮させる。そして、今、曲はクライマックスへと突入した!
そのうちに、空中で荒れ狂っていたヒトダマがユラユラとゆっくりとした動きで地上に降り立った。そして刹那、閃光のごとき輝きを放つと、次の瞬間には、はじけて消えてしまった。そう、まるでシャボン玉のようにはじけて消えてしまったのだ。後に残るのは雨粒のみ。
「消え……たのか……?」
ネルは呆然自失と言った体で私の前に立ち尽くし、ぼんやりと死んだ魚のような瞳で私を見つめている。ネルには一体何が起こったのかわからず、状況が呑み込めてない様子だ。
「麗華、ヒトダマはどうなったの?」
私は仰天しているネルに向かって、ニィッと笑って見せた。
私たちの前に小さな青い火がぽつぽつと現れ始めた。それは徐々に数を増し、だんだんと一つに集まっていき、やがて、人の形の焔になった。
その瞬間、人の形を形成していた青い焔をまばゆい光が取り巻き、光が消えるころには鎧兜を身に着け、刀や槍、弓などの武具を携えた男たちが目の前にいた。
彼らの中の一人がぼそりとつぶやく。
「そこのおなごよ。我々の……思いを理解したというのか……?」
私は彼らをじっと見て、静かに首肯する。
「あなたたちは昔、ここで行われた戦で亡くなった方たちですね?」
「……左様」
唖然とするネルを見て、一息ついてから私は話し始めた。
「……説明してあげる」
彼らは今よりずっと昔にこの近辺で起こった激しい戦で命を落とした。そう、それこそ無念のうちに……。やり残したことや、未練もあったのでしょうね……、私には彼らがどんなことを考え、死んでいったのかまではわからない。けれど、結果的に、彼らは成仏できなかった。だからと言って、どこでも自由に行けるわけではない。入り混じった複雑な思いが、きっと彼らをこの地に縛り付けていた。
そんな時に現れたのが……ネルの知り合い、ドロシー。
彼女は彷徨う魂たちに取引を持ちかけた。この地から解放してやる代わりに、力を貸せとでもいうような内容の取引をね。
「そして、彼らはドロシーの魔法によってヒトダマと化し、後のことは見ての通りよ」
「……驚いたな。そこまでわかっておったとは! そなたの話したことは概ね合っておるが、一つだけ違っておるな。我々は確かに件の魔女と契約をかわし、そこのネルという者を探しておった。しかし、我らが契約をした理由は、この地から解放されるためではない」
「……というと?」
「この場所から離れることが出来ない我らは、せめて……静かに穏やかに過ごしたかった。それなのに……そなたも知っておろう。ここ最近の乱開発や、地方の都市化などで、以前に比べればこの場所も随分と小うるさくなってしまった。だから、この場所を静かな土地に戻すために我々は行動を起こした。化け物の噂でも広まれば、この地も少しは落ち着くかと思ってな……」
「そう……だったんですか……」
満足げな表情をして、目の前の男はつぶやく。
「フッ……。だが、我らの思惑を、あの短時間に理解してみせるとは……そなた一体何者なのだ? 名は?」
私はすっかり砂埃で汚れてしまった眼鏡をはずし、袖口でしっかり拭いて掛け直す。
「私の名前は家達麗華。ただの高校生ですよ」
すると、目の前の男たちが晴れやかな顔でつぶやいた。
「……そうか。麗華よ、ありがとう。心からそう思う。実に清々しい思いだ。本当に、いくら感謝しても足らんな。最後にいいものを聴かせてもらった。これでやっと……」
その言葉を最後に、彼らはすぅっと、消えて行った。私には見えないけれど、きっと白い翼を持った天使が、彼らを天へと導いてくれたのかもしれない。
消えて行った彼らを見送るように、天を仰ぎ、ネルはつぶやく。
「……すごいや。魂が天に帰っていくさまはこんなにも綺麗なのか……」
私には見えないものが、ネルには見えているらしい。遥か天空へと昇っていく男たちの晴れやかな笑顔を想像して、私は小さく笑った。
「それで、結局……麗華は一体何をしたのさ? ヒトダマが消えてしまったってことは、ドロシーの魔法を打ち破ったってことだ。あの形なき媒体を、麗華はどうやって破壊したの? ボクはあんな魔法見たこと無いよ」
ふふん、と私は自慢げに笑って言った。
「ロックよ」
「ロック? なあにそれ?」
「ロックって言うのはね……自由を謳う音楽なのよ」
「……それで?」
「んもう! だから、音楽って人の心の琴線に語りかけるものでしょ! 中央広場なら、音がいい具合に反響して、こんな小さいスピーカーでも結構な音量になるのよ」
呆れた顔で私を見つめるネル。彼女はため息混じりにつぶやいた。
「……まさか……それだけで、あんな作戦を決行したっていうの……?」
「そうよ」
「『そうよ』……じゃないよ! 無謀にもほどがある! もし、あのおじさんたちが音楽を快く思ってくれなかったらどうしてのさ!」
しつこく言うネルに、私は少しむっとして言い返す。
「うるさいわね~……いいでしょ、別に。あの人たちの魂はきちんと成仏したし、作戦大成功。結果オーライよ」
実は、流していた曲は私の大好きなアニメのオープニング曲だったのだが……。これは黙っておくことにしよう。絶対そうした方がいいはずだ。うん。
時代を超えて人を感動させるアニメソングに、私は少なからず感動していた。
「あ、あの~お取込み中悪いのですが……」
バンチョーが何やらしきりに騒いでいる。何をそんなに騒いでいるのか。
「なによもう……ヒイッ!」
後ろを振り返って私はぎょっとする。振り返った先には、女の子の顔が浮かんでいたのだ。
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