第13話 麗華の思いつき
響ノ町商店街正面入り口まで戻って来た私は辺りを見渡す。しかし、ネルの姿はどこにも見当たらなかった。
顔に焦りの色が浮かび始めた時、上空に猛スピードでやって来る箒の姿が目に入った。そのすぐ後ろには、青いヒトダマがぴったりとくっついていて、着かず離れずの距離。
あわや、ヒトダマが箒の尾っぽに接触してしまうと思われた寸前、ネルはなんとか、ゲートをくぐり抜けることに成功する。ヒトダマは見えない何かに遮られているように、こちらに向かってくる様子はない。放たれた氷柱針も、不思議な壁に阻まれて霧散する。
青白い焔はしばらくの間ゲートの付近で漂っていたが、やがて煙のようにその場から消えてしまった。
どっと疲れた表情のネルが、額の汗を拭いながら私を見て言った。
「はあはあ……消えた……? 麗華、こうなるってわかってたの?」
「カン、だけどね。考えてみれば、あのヒトダマの噂は商店街の中だけで広まっていたの。学校でもヒトダマの噂なんてちっとも流れてなかったし。これはおかしいなと思ったわけよ。けどまあ、何にせよ助かったわね」
とりあえず不気味なヒトダマから逃れることが出来たようで、ほっと胸をなでおろす。
「ふぅ……とりあえず今日のところは帰りましょ。この事件、もはや私たちの手には負えないもの。警察に任せた方がいいと思うわ。……ネル?」
私の言葉にうんともすんとも言わずに、ネルはヒトダマが去った方向をじっと見つめていた。
「……麗華には悪いけど、ボクは帰るつもりはない。奴をこのまま放ってはおけないよ」
「で、でも! あんた殺されかけたのよ!? 見たでしょ、あの氷柱針! あんなの一発でも喰らったらそれでお陀仏よ。あんなのをバカスカ撃ってくる相手にどう戦うっていうのよ!?」
するとネルは虚空を見つめながらつぶやいた。
「さっきの氷柱針で確信したよ。やはりボクは奴を知っている」
「知ってる、ってあのヒトダマを?」
「正確にはあれを操っている奴、だけどね」
あのやたらおっかないヒトダマを操っているのが、ネルの知り合い?
「あの氷柱針。あれは間違いなくあいつの魔法【アイスアロー】だ。だが、どうしてあいつがこの世界に……。それに何故、あいつには魔法が使えるんだ……?」
「さっきから聞いてれば、あいつ、あいつって……一体誰なのよ?」
するとネルは、すっと細くなった目で私を見つめてつぶやく。
「ドロシー・G・クリスティーナ。それがあのヒトダマを操るものの名さ」
「ネルと同じG……?」
「ああ、麗華は知らなくて当然だね。ボクの名前にもある、このG、っていうのは世界でたった六人だけに与えられる称号なんだ」
「世界で六人だけが……」
「そう。Gは《偉大なる魔法使いになりうるもの》を意味している。《
「じ、じゃあ! あんたもその世界中に六人しかいないスーパー魔法使いの一人っていうこと!?」
ネルは少し赤くなった顔で私の言葉に短く頷いた。
今まで、ただのちっこい元気な少女だったと思っていたが、ネルがそんなにすごい魔法使いだったなんて。なんだかとっても……意外だ。
「ドロシーは氷系魔法のスペシャリストでね、〝氷雪の魔女〟と呼ばれているくらいだ。あんな威力の【アイスアロー】は彼女以外にはできない芸当だよ」
氷雪のマゾ……じゃなかった。氷雪の魔女、ドロシー・G・クリスティーナ。ネルの話から察するに、私みたいな平凡な人間が到底及びもつかない人だということはわかる。
「けど、ドロシーが何を目的にこっちに来たのかがわからない。それに彼女が魔法を発動できる理由も不明だ。……そもそもあの魔法は……」
「ちょっと! 私達にもわかるように話しなさいよね!」
私とバンチョーに睨まれて、ネルは頭をポリポリ掻きながら話し出す。
「う、うーんと……。まず、これは魔法の基本なんだけど、魔法は無から有を生み出すわけではないってこと。ある現象が起きるのには必ず理由がある。氷の矢を作るのだって、空気中の水分を瞬間的に凝縮させ凍らせたに過ぎないんだ」
「ふうん……」
「でも、あのヒトダマはその原則を無視している。見たところ、アレには媒介のようなものが存在しない。あの氷柱針の魔法は間違いなくドロシーの魔法。けれど、彼女がどういう方法でヒトダマを操っているのかがわからない。それがわからない以上、どうやってヒトダマを止めていいかわからないんだ。くそっ……ボクにも魔法さえ使えれば、あんな奴……」
要するに魔法も万能ではないってことだろう。何もないところからパンを出現させる、なんて芸当は不可能ってことらしい。しかし、さっきのヒトダマは何を糧に存在しているのかが不明だという。
まあ、私にしてみれば魔法自体、ひどくオカルティックであやふやなものなのだが。
私は眼鏡を外して考え始める。こうすることで周りの視界がぼやけて、集中力が格段に増すのだ。……そんな気がする。
ドロシーにはどうして魔法が使えるのか……。
それに、あの時聞こえてきた綺麗な声は一体なんだったんだろう……。私にはネルを心配しているように思えたんだけどなぁ。
ふと、店長から聞いた話を思い出す。商店街を含むここら一帯は、ずっと昔、戦国時代の頃、大規模な戦場だった。熾烈を極めた戦いによって、数多の死者が出たという。そうして無くなった亡者の魂が集まって、何やら霊的なエネルギーによってヒトダマと化してもおかしくはないのではないか。霊的なものの存在を認めれば、だけど。
だが、同時に一つ、頭の隅に引っかかっていることがあった。店長は言っていた。今でこそヒトダマが悪い噂として流れているが、店長が子供の頃は、幸運の象徴とされていた。
しかし、先程私たちの目の前に姿を現したヒトダマは、明らかにこちらに敵意を持ち、襲ってきた。
幸運の象徴。不幸の始まり。一体どちらがヒトダマの真相なのだろうか……?
あの時、ヒトダマは私たちに向かってタチサレ、と言っていた。なぜ、商店街に来る人を拒むのだろう……? そこになにか大切なことが隠れているような気がする。
私はしばしの間考え込んでいた。アーチ状のゲートの前には二人と一匹がいるだけで、他には誰もいない。雨は相変わらずやむ気配を見せず降り続けている。前髪の先からぽつり、と雫が零れ落ちる。
その瞬間、稲妻のような閃きが私の脳裏をよぎる。それはまさしく、天啓と呼ぶべき一つの発想。
私は唐突に口を開き、ネルに尋ねる。
「ネル、一つ聞きたいことがあるの。あなたが持ってる箒やブローチ、魔具って言ったわよね。魔具っていうのはあなたの他にも持っている人がいるの?」
「魔具……? うん。魔具は皆が普通に使ってる、ボクらにとっては当たり前の道具。生活の必需品に近いかもしれないね。麗華、魔具がどうかしたの……?」
「魔具は誰でも持っていて当たり前……。魔具にはどんなものがあるの?」
ネルは少し困ったような表情を浮かべた。
「どんなって言われても……」
「例えば、誰かを洗脳するための魔具、とか」
「洗脳って……。そんな危ない魔具は普通持ってないよ。持っていたとしても、悪い魔法使いが自分で作ったとかじゃないかな」
「つまり、作ろうと思えば作れる。……そうね?」
「まあ、そうだけど。もしかして、誰かがそんな魔具を使ってヒトダマを操ってるっていうの? それはいくらなんでも無理だよ。異界の生物を生み出したり操ったりするなんて、古の時代に存在した、大魔王シルフィローゼくらいだ」
「ふうん……。まあ、それは私も思ってたけど。もし作り出せるなら、きっと、複数のヒトダマがこの辺りを飛び回っているはずだし」
ネルは私をじっと見て、若干むっつり顔で言った。彼女同様に、バンチョーも傍に歩み寄ってきて、私を睨み付けてくる。
「……麗華、バンチョーさんが『お前は頭がおかしいんじゃねぇのか』って言ってる。ボクにもわからないよ。麗華の頭の中ではどんなことが起こっているのか」
とりあえずバンチョーにげんこつをお見舞いする。一呼吸おいてから私は口を開いた。
「……ネル、あんた多分魔法使えるわよ。とりあえず何かやってみなさいよ」
「ほ、ほんとに!? でも、わかった。やってみる」
ネルは懐からタクトを取り出し、流れるような動作で振り始めた。
「―― 風よ 今こそ我の指に纏い 全てを貫け ――【ウィトルシア】!」
…………。
「れ、麗華! ダメだ。やっぱり魔法が発動しないよ!」
「まあ、そりゃあそうよね。だってマナがないんだもの」
私がさも当然のように言うと、ネルは怒って言い返す。
「麗華……ボクのこと馬鹿にしてない……?」
「じゃあ次はそうね……そのブローチでいいわ。ブローチを握りしめながら、マナをブローチから取り出すようなイメージをしながら魔法を唱えてみるの」
「そんなことしたって……」
「いいから! やってみて!」
私に強く言われて、ネルはおずおずとブローチを外して握りしめた。そして先ほどと同じように呪文を唱え始めた。
「―― 風よ 今こそ我の指に纏い 全てを貫け ――【ウィトルシア】!」
ネルが言い終わった瞬間、彼女の人差し指から恐るべき速さで空気の弾丸が飛んでいく! 弾丸は空を切り裂き、はるか向こうのくずかごに大きな風穴を開けた。
「発動……した……?」
予想外に発動した自分の魔法に唖然とするネル。横で見ていた私も驚きを隠しえない。実際に見る魔法っていうのは、やはり想像とは段違いである。
「す、すごいや麗華! 発動したよ! ボクの魔法が発動したんだ! けど……どうして?」
「内蔵魔力を使ったのよ」
「内蔵魔力?」
「簡単な話よ。あんたが握っている、そのブローチ。それに内蔵されたマナを魔法に転用しただけ。そもそも私はおかしいと思っていたのよ。ネル。あんたが言うには、この世界にはマナが無いから魔法が発動できないって。でも現に、その箒やブローチはしっかり発動してるじゃない。あんたは自分で言ってた。その箒やブローチには内部に貯蔵式マナタンクってのが搭載されてる、と。
私には正直言って意味不明だったから、要するに電池のようなものだと解釈したの。
電池っていうのはもともと、内部の電力を取り出し、利用するために作られた技術よ。であれば、当然マナタンクも、内部に貯蔵されたマナを人為的に取り出すことが出来るのではないか、と考えだけのこと。
これで、ドロシーが魔法を使える理由がわかったわね。きっと、彼女も魔具に内蔵されたマナを利用しているのよ。さて、あとはヒトダマの媒介についてだけど――ネル?」
突然えらく饒舌に語りだした私を見て、ネルは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして驚いている。
「れ、麗華……あの一瞬で、今話してくれた考えを思いついたの?」
ん? 何をそんなに驚いているのか私にはわからない。私はただ、起きた出来事を順に追って整理しただけ。その上で導き出した結論を述べたまでだ。
「……それで……あんたはヒトダマが何を基にして作られているかわからない、って言ってたわね」
「うん。まさか麗華はそれもわかったっていうの!?」
「いや……ある考えを思いついたってだけよ。確証はないわ」
「それでもいいから! 教えてよ、あれの媒体を」
「……魂よ」
「魂?」
「店長が言ってたの。この商店街はずーっと昔、ひどい戦場だったんだって。大勢の人が無念の内に亡くなったらしいわ。幽霊や霊魂の存在を認めるなら、彼らの魂が未だ成仏できずにこの商店街に残っているとは考えられないかしら? 私はドロシーが成仏できずにいる無念の魂を糧に、あのヒトダマを作り出した……と考えた。根拠なんてあってないようなものだし、ほとんどが私のカンだけどね。昔、そんな漫画を読んだ気がする」
「……なるほどね。麗華の考えも一理あるかもしれない。けど……魂を媒介にする魔法なんて……高度すぎる。少なくともボクにはできない。きっと、ドロシーにも。魂を扱うってのは古の大魔法【ネクロマンシー】に通じているほどで、禁忌とされているんだ。よもやあいつがネクロマンシーに手を出したなんて、考えにくいよ」
私が考えたアイデアはやはり現実離れしたものだったらしい。確かに魂は人がそう簡単に触れていいものでは無い気がする。
「でも……仮に麗華の考えが当たっていたとしてもヒトダマと戦える理由がないよ。魔法を打ち破るには、術者を倒すか、術の媒介そのものを消さなきゃならない。魂を消すなんて、ボクの魔法では無理だよ……」
「ふふん。その点なら私に考えがある。さ、ここでしゃべっていても事態は進展しないわ。行くわよ、二人とも! いざ中央広場へ!」
ネルは驚いた顔で私の言葉に反発する。
「中央広場って……またあのヒトダマが追ってくるよ!?」
「追ってきたら、あんたが何とかすればいい。ネル、あなたはもう魔法が使える。仮にも世界に六人しかいないスーパー魔法使いなんでしょ? それくらいの働きはしなさいよね」
「……わかったよ。あのヒトダマの攻撃はボクが何とかしてみせる」
「あ、それからあなたの箒に私も乗せてくれない?」
すると、ネルは苦い表情を私に向けた。
「前にも言ったと思うけど……これ、《ソアリングブルーム》は定員一名なの! だから、麗華を一緒に乗せるなんてできません! これは相乗り禁止なんだから」
まあ、ネルの言ってることも正しいのかもしれない。自転車だって二人乗りは犯罪だしね。でも、今はそんなことを考えている場合ではないのだ。
「つべこべ言わずに乗せなさい!」
「ダメ」
「今は四の五の言ってる場合じゃないのよ! あなたにだって本当はわかってるはずよ。あのヒトダマを、ドロシーを倒すにはネル、あなたの協力が必要なの!」
ネルは奥歯をぎゅっと噛み締めて俯く。やがて、苦悶の表情を浮かべながら顔をあげてぼそっとつぶやいた。
「……今日だけだよ。絶対だからね!」
「もち!」
私はぐっと親指を突きだすと、彼女の肩に手を置く。
「そうと決まれば、さっさと行くわよ。ほら、バンチョーも」
話の成り行きを見守っていたバンチョーがトタタと駆け寄ってくる。私はバンチョーを小脇に抱えて、ネルと共に箒に乗り込んだ。
「目指すは商店街の中央広場! 全力で飛ばしてね!」
ネルはふてくされたような顔で、一瞬ニヒルに笑う。
「……了解ですよ」
宙へと舞い上がった箒は、商店街の中央広場を目指して一直線に飛び出した。
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