第11話 現れし青白い焔
静まり返った商店街の中を私たちは物言わず進んでいく。
何か重々しい雰囲気に包まれているような、違和感とも呼べるようなものを感じる。足取りはいつもよりも重く、疲労感だけが蓄積されていく。
違和感を抱いているのは私だけではなかったらしく、周囲に気を張っているバンチョーも表情には疲れの色が窺える。平気な顔をしてのほほんとしているのはネルだけだ。
ふと、言葉にし難い気持ち悪さを感じずにはいられないような生温かい温風が、私たちの後方から吹いてくる。
咄嗟に後ろを振り返ったものの、そこにはもちろん、誰もいない。むしろいたら大問題だ。……例の顔だけ女? い、いるわけないじゃない! あれは疲れが見せた幻! きっと、そうに違いないんだから……あははは……。
◆
再び歩き始めた私たちは、程なくして商店街の中程までやって来た。
響ノ町商店街は中央が少し広い広場になっていて、よくここで誰かが演説したり、コンサートなどが行われる。お祭りの時も、一番賑わうのはこの中央広場だった。
そんな、普段は人でにぎわっている広場も、今夜は誰もいない。深夜だから当たり前と言えば当たり前なのだが。
手元の腕時計で時刻を確認する。
時刻は深夜二時過ぎ。バンチョーの目撃証言によれば、そろそろヒトダマが現れてもおかしくない時間帯だ。
だが、それらしいものが現れる気配はない。
「特に……何も起こらないわね……」
辺りを見回してみても、不審な気配は感じないどころか、バンチョーの他に野良猫一匹すらいない。
ここに来るまで感じた体のだるさ、背中に圧し掛かるような悪寒は、きっと考えすぎによるものだろう。私はそう思うことにした。
「つまんないの~」
暢気な顔でネルがぼやく。
「……帰りましょうか」
私があくび交じりに言うと、ネルももらいあくびで頷く。
あくびをしたら、目に涙がたまった。眠気も強くなってきたし、帰って布団にばったりと倒れこみたい。
そうしてくるりと踵を返した瞬間だった。
全身を突き刺すような鋭い感覚が走った。それと同時に、真冬の北風と錯覚してしまう程の凍てつく風が私の背中を貫いた。それは、先刻の生温かい風とはまるで性質の違うものに思えた。
凍てつく風は、私の眠気やだるさといったものを、あらいざらい一瞬でかすめ取り消失させた。そしてその代わりに、こめかみに銃口を突き付けられたかのような鋭く冷たい恐怖が私の全身をめまぐるしく駆け巡る。恐怖心は私の心臓を鷲掴みにし、今や全身を支配しようとしていた。しかし、そんな中、ある感情が私の胸の内で恐怖心に抗い始めた。
心臓の鼓動はかつてない程に加速し続け、背中はいつしか、雨に濡れたかのようにびっしょりになっている。
バンチョーがけたたましく鳴いている。
脳が振り返ってはいけないと命令を下している。本能が走って逃げろと命じている。
しかし、その時の私の好奇心はついに恐怖心を打ち負かした。本能が下す逃走命令すべてに抗って、意を決して私は後ろを振り返った。
そこには、空中でゆらゆらと不安定に揺れながら、明滅を繰り返す青白い焔があった。
これが――ヒトダマ。
青白い焔を睨んでいると、瞬間、何かが頭の中に流れ込んでくる。
「――タチサレ」
確かにそう聞こえた。だが、逃げ出そうにもどうすればいい? 再び芽生え始めた恐怖心は私の足をがんじがらめに縛り付ける。
私、こういうのはホントに無理なんだよ。さっきは怖いもの見たさ、というやつで振り返ったが、今では後悔している。あの時素直に逃げればよかった。どうしよう、どうしよう……。怖い怖い怖い怖い怖い――――。
「ニャァゴ!」
私が震えて立ちすくんでいる間にも、バンチョーが雄叫びと共に特攻を仕掛けた。右手の先にある鋭い爪は正確にヒトダマを捉え、真ん中から切り裂いた――ように思えた。
まるで青白い焔をすり抜けてしまったかのように、ヒトダマは変わらず空中に浮遊している。バンチョーはわけもわからず着地した。その表情から鑑みるに、おそらく切り裂いた手ごたえが無かったのだろう。ヒトダマが霊体とするならば、物理的な攻撃は効かないということか……。ゴーストタイプにノーマルや格闘タイプの攻撃が当たらないのは、こういうことだったのだろう。
だが、そんな悠長なことを考えている場合ではなかった。
やがて、ヒトダマはゆっくりと動き出し、攻撃を仕掛けてきたバンチョーに対して、じりじりと近づいていく。
マズイ……。根拠はないけど、このままではバンチョーが危険だ!
そう直感した私は、咄嗟に懐中電灯を取り出して、まばゆい光をヒトダマに浴びせた。こんなフラッシュ攻撃が効くとは思えないが……。
「……やった……?」
しかし、ヒトダマは一瞬動きを止めただけ。ターゲットを私に変えて、ゆらゆらと近づいてきた。あの時の恐怖が思い出される。女の不気味な笑いがフラッシュバックして、思わず足が震えてしまう。
くっ……。仕方ない。こうなりゃ、逃げるが勝ちだ!
「ネル、バカネコ、走るわよ!」
「退散~!」
「ニャ!」
私は後ろを振り向くことなく一目散に逃げ出した。筋肉が悲鳴を上げようが、持てる限りの力を全力で振り絞って走った。そんな状況下でも、ネルは神妙な顔をしながら、口元にはかすかな笑みがこぼれていた。
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