第四章 彷徨える魂は何処へ

第10話 黒猫の仁義

 やがて、私たちは商店街の大きなアーチまでやって来た。このアーチ状のオブジェは響ノ町商店街の名物の一つで、待ち合わせ場所としてよく使われている。

 だが、時間帯も時間帯なので、通りには人の姿は見られない。

 当然ながら、こんな時間に営業している店があるわけもなく、月明かりだけが懇々と商店街に差し込んでいる。

 昼間の喧騒はどこへ行ってしまったのかと思ってしまうくらい、夜の商店街は不気味な程の静寂と街灯の灯りすらない暗闇に包まれていた。


 ……と、暗闇の中で何かがうごめいているような気配を察知する。うごめく何かはじりじりと一歩一歩距離を詰めるようにしてにじり寄ってくる。


 思わず、額から冷や汗が一滴こぼれ落ちる。

 夜の商店街でうろうろしている者。それは少なくとも普通ではない。ただの酔っ払いかあるいは……もっと危険な何か。

 不安や恐怖といった感情が私の心の内を、粘っこく気持ちが悪いもので埋め尽くす。それはだんだんと領域を増していく。


 逃げようと思えど、足がすくんで動けない。そいつは一歩一歩、着実に私たちに歩み寄り……そして、とうとうそいつは私の目の前に姿を現した。


 私の前に現れた者。それは、スカした黒猫――バンチョーだった。


 闇でうごめく者の正体がバンチョーだったと判明し、私はほっと胸をなでおろす。

「おや、バンチョーさんじゃない。どうしたの?」

 箒に乗っているネルは暢気なものだ。

 バンチョーは私を見て、ニャアと鳴いた。

「ネル……、こいつ今、私のことバカにしたでしょ」

「えっ、麗華もバンチョーさんの言葉わかるの? うん、そうだよ。ビビり女だってさ」

 ネルの言葉を聞いた私はすかさずバンチョーを蹴り飛ばした。

 バンチョーはフニャア! と悲鳴を上げて軽く吹っ飛び、頭をくずかごにぶつけた。

「わかるわけないでしょ、猫の言葉なんて! でも、ま、こいつに限っては何となくわかるけどね。……バカだから」

 バンチョーは打った頭を痛そうにしてよろよろと立ち上がり、にゃあごろりんと私に何やら言っている。

「それで、こいつ何でこんなところにいるのさ? ネル、ちょっと通訳して」

「わかった。うーんと……、『いってぇな、このアマ! 何しやがる! せっかくお供してやるっていうのによぉ!』……だって」

「……頼んだ覚えはないわ」

「……ふむふむ。商店街に変な噂が立って人が来ないと、おやつをくれる人がいないから、バンチョーさんも困るんだってさ。だから、俺も手伝ってやるって言ってるよ」

「おやつ……? くっだらないわね~」

 するとすかさずバンチョーが喚きはじめた。

「『バカにしやがって! おやつはな! 俺ら野良にとって生きる生命線なんだよ! 文句あんのかコンチキショウ!』ってバンチョーさんが」

「あっそ」

 私はバンチョー無視して歩き出す。すると泣きつくような声をあげて、バンチョーが私の足に引っ付いてきた。

「な、何よ!? 離しなさい!」

 ぶんぶん振り回してもぜんぜん離れようとしない。根性だけは一人前である。

「麗華、バンチョーさんが言ってる。『待ってくれ! 俺には俺なりの目的があるんだ! もちろんおやつの為だけじゃねえ! ダチの命がかかってんだよぉ!』だってさ」

「ダチの命……? どういうことか説明しなさいよ」

 バンチョーはひとまず息を整えて落ち着くと、にゃあにゃあ鳴き始めた。


 ネルの通訳によればこうだ。


 ヒトダマの噂が商店街に流れ始めてからというもの、街の野良猫たちがぽつり……またぽつりと行方知らずになっているらしい。野良猫たちの間では、ヒトダマに連れていかれたんだ、という噂が流れるようになる。噂によれば、一匹の猫が、夜、不気味な光に包まれたかと思うと、ゆらゆらと歩き始めた。仲間が声を掛けても返事はなく、次の日にはそいつの姿は無かった。仲間が隈なくあちこちを探し回ったが、結局行方知らずだという。


 バンチョーはそんな噂、これっぽっちも信じていなかったが、友達と遊び半分で肝試しをやることになった。


 それが一昨日のこと。彼は仲間と一緒に商店街のあちこちを見張っていた。そして実際に見たのだ。不気味な火の玉が、一匹の野良猫の体を取り囲み、どこかへと誘導していくのを目の当たりにしたのである。彼はその猫を追いかけたが、目に見えない壁のようなものに阻まれて足を踏み出すことが出来ない。結局、翌日、猫の姿はどこにも見つからなかった。


 不幸なことに、行方不明になった猫は、彼の唯一無二の親友だった。


 彼は噂のヒトダマと親友の行方不明には絶対に何か関係があると確信し、捜査のために毎夜商店街中を駆け回っていた。それで偶然、同じ目的の私たちと出くわしたというわけである。


 話を聞き終えてわたしはつぶやいた。

「……あくまで私はヒトダマなんて存在しないと思う。噂は単なるデマってね。けど、あなたは本気でヒトダマの存在を信じてるってわけね」

 私はバンチョーを一瞥する。その瞳からは彼の強い意志が見て取れた。

「……勝手にしなさい。邪魔だけはしないでよ」


 私はアーチをくぐり抜けた。箒に乗った銀髪の少女と、スカした黒猫を引き連れて。

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