第8話 ヒトダマ伝説

 私とネルは商店街を中心に、伸兄はその周辺の地域を調査することになった。はっきり言って、調査をしても無駄な気がするのだが。お寿司のためだ……ここはぐっと堪えてガマンガマン。


 商店街はいつもよりも人が少なく感じた。休日の朝っぱらだからだろうか。まさか……噂の悪影響?


「とりあえずは聞き込みかしら? ネル、あなたは空を飛んで何か見つけたら私に教えてくれる?」

「わかった!」

 そう言うと、ネルは箒にまたがって、びゅーんと飛んでいく。ブローチはちゃんとつけているから大丈夫だろう。こういう時に魔法ってのは便利である。私は地道な聞き込み調査だ。


「……さて、店の人たちに聞いて回るか」

 商店街の店を回って片っ端から声をかけていく。しかし、噂を耳にしたことがある人はいても、有力な情報は得られなかった。


 はぁ……。回らない寿司のためとはいえ、疲れてきた……。


 私は近くにあったベンチに腰を下ろす。

 と、視線の先で猫と戯れているネルを見つける。

 私があくせく聞き込みをしていたというのに、あいつは一体何をやっている?

 商店街を歩く人たちは猫の集団を不思議そうな目で見ている。

 まあ、それもそうか。繰り返すが、今、ネルは私以外には見えない。だから、何もないところに猫が集まっているという、ある種異様な光景だったのだろう。

 それにしても、彼女は本当に調査する気があるのだろうか? 回らない寿司をゲットするためには私が頑張る他ないようだ。ベンチを立ち上がり、再び聞き込み調査を開始する。


 だが、結局、それから十軒程の店を回って見ても、有力な情報は得られず、とうとう柚子屋書店の前まで来てしまった。

 私は、挨拶がてら店に入ることにした。


 店はまだ開店準備中で静かだった。店長が一人でせっせと品出しを行っている。

「おはようございます!」

「おや、れいちゃんじゃないか。今日は休みじゃなかったかな?」

「はい。ちょっと調べたいことがあったので……」

「調べたいこと?」

「店長、その……商店街のヒトダマの噂って知っていますか?」

 店長は少し考え込むようなそぶりをして言う。

「……ああ、知っているとも」

「ちょっと聞かせてもらえませんか」

「いいだろう。ただし私が知っているのはもうずっと昔のお話だけどね」


 店長の話によると、昔――といっても戦国時代まで遡る――ここら一帯で大規模な戦が行われていたらしい。戦の激しさはとどまることを知らぬ勢いで、本当に、たくさんの人が死んでいった。そうして、無念のうちに亡くなってしまった死者の魂が、青白いヒトダマとなって夜な夜な現れているという話だ。


「ま、昔話だから、信じちゃいないけどね」

 店長は苦笑交じりに言う。


 当たり前だが、店長もヒトダマを実際に見たことはないという。


 だが、店長の話と、ネルから聞いた噂ではいくつか食い違っている部分があった。店長の話には、ヒトダマを見た人は不幸になる、というフレーズは含まれていない。それにうまく言い表せないが、話のリアリティとでも言おうか……。ネルから聞いた話は背筋が凍るようなゾクッという感じがしたけど、店長の話を聞いても別に普通。ふ~ん、っていう感じだ。これは単なる直感でしかないけれど。


「……噂の一人歩きっていうのは恐ろしいね」

 店長がそっとつぶやいた。

「ヒトダマ伝説自体は、私が子供のころからこの商店街に伝えられてきていたんだけど、最近は物騒な噂になってきたもんだねえ……。それこそ、私が子供の頃なんかは、ヒトダマを見ることができたら、それはとても幸運なこととされていたんだよ」

 幸運というキーワードに耳がぴくりとする。

「無念の人の魂が化けて出てきたのに、ですか?」

「うん。ヒトダマのような不思議な力が、不幸から守ってくれると考えられていたんだ。だからこそ、そういったものが見える人は幸運だとされたんだね、きっと。私もこぞって友達と一緒にヒトダマを探したものさ。結局見ることはできなかったけどね」

「そう……ですか……」

「さ、話は終わりだ。もう店の準備を再開しないとお客さんが来ちゃうから」

「あ、お話、ありがとうございます。私も手伝います」

「いやあ、悪いね」

 やがて、開店準備を終えた私は裏口から店を出て、さてどうするかと空を見上げた。


 すると、上空から箒に乗ったネルが降りてきた。

「麗華、ちょっと聞いて」

 と、耳打ちしてきた。


 幸いにして、ここは路地裏に近く人通りが少ない。ネルと会話しても誰かに妙な目で見られる心配はなさそうだ。


 ネルは商店街の表通りを指さして言う。

「さっき、あの人たちに聞いてみたんだけど……」

「まさか、ブローチはずしちゃったの!?」

 私はパニックに陥りそうだったが、彼女の胸元にしっかりとブローチがついていることを確認し、どうにか平静を保った。

「ち、違うよ! あっち!」


 ネルが指差していたのは、先程まで彼女と一緒にいた猫の集団だった。

 そっか。この子は動物と会話できるんだった。すっかり忘れてた。


「野良猫?」

「うん。あの人たちにはどうやら、ヒトダマが見えるらしいんだ」


 犬や猫など、動物は時として、人間には見えないものが見える、という話は耳にしたことがある。だが、それが真実かどうかは大変疑わしいものである。


 訝しげな表情の私に向かってネルははっきり言った。


「いや、本当なんだってばあ! だって、バンチョーさんが言ってたもん」


 バンチョーさん、と言えば、先日危うく私と激突しかけたスカした愚かな黒猫ではないか。私は野良猫の集団へスッと視線を向ける。


 そこには確かに、他の猫たちに比べ、一際威張り散らすようなふてぶてしい態度の黒猫――バンチョーがいた。


「あいつは、その……ヒトダマが見えるっていうの?」

「うん」

 ネルの表情からは、彼女が私をからかっているようには思えない。瞳は、彼女の真剣さを私に訴えてきている。

「本当に見たことがあるなら……、いつ、ヒトダマが現れたのかわかる?」

 言ってから気づいたが、猫に時間を理解する能力はあるのだろうか? まあ、そもそもバンチョーがヒトダマを目撃したこと自体、私には疑わしいのであるが……。


 しかし、そうした私の心配は杞憂であった。


 ネルがバンチョーに尋ねたところ、ヒトダマは丑三つ時に現れるらしい。丑三つ時……。いわゆるオカルトタイムというやつだ。ホラー映画や怪奇物の作品では事件は深夜二時くらいの遅い時間に起きるのが定番である。


 野良猫たちが丑三つ時に見るというヒトダマ……。昨日私が遭遇したアレとは別物と考えるが良いのだろうか……。

 他に有力な情報も得られなかってので、バンチョー達の目撃証言を信じるしかないか。


「明日も休みだし、バカネコの言うことを確かめてみますか」

「……っていうことは?」

 ネルは私を覗き込むようにして、目をキラキラと輝かせている。

「今日は張り込みよ」

「張り込み! わくわく」


 自分で言っておいて、刑事ドラマじゃないんだから……とつっこむ。とは言っても、ヒトダマが現れた時間に商店街で待ち伏せをするというのは、まあ悪い案でもないはずだ。昨日のアレが出てこないことを祈るばかりだが。


「そうと決まれば……まずはあんパン調達よ!」

「了解です、キャプテン!」

「誰がキャプテンよ……」

 呆れた声でつぶやく私。


 真昼の空は気持ちがいい青空だったが、向こうの方で灰色の雲が見え隠れしていた。

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