第4話 ネル、学校へ行く!


 教室の戸を開けるといつもの見慣れた光景が広がっている。クラスメイト達は皆思い思いにおしゃべりを楽しみ、教室内はざわめきに満ちている。

 時計を見ると、八時二十五分。なんとかギリギリ間に合った。家からここまでぶっ飛ばしてきたので、さすがに疲れた。私は自分の席について机の上にべったりと項垂れた。


「おはよう。朝っぱらからお疲れね」


 その声に私は顔を上げる。私の前に立っていたのは沙織。卵形の顔はあどけなく、手入れの行き届いた髪は今日もサラサラだ。今日も沙織はにこにこと、見てるこっちが楽しくなるような笑顔だ。


 ……と、私はそいつの存在を忘れていた。

 ちょっと目を離した隙に、そいつは沙織の机を物色して筆箱を開けたりしている。

「ねぇねぇ、麗華。これなあに?」


 私は電光石火の速度で右足を繰り出した。


(~~!)


 私の一撃が見事に命中して、ネルは苦悶の表情を浮かべ、声にならない声を上げる。彼女が手に持っていたキーホルダーが沙織の机の上にこぼれ落ちて、こん、という小さな音がした。


「ん? 今、何か落としたような音しなかった?」


 振り返って辺りを見回す沙織にぎくりとする。

「え!? いや!? 私は何も聞こえなかったけど!」

「なんでれっちんがそんなに慌ててるの……?」

「い、いや別に何でもないってば!?」


 ちらりと前の方に目をやると、ネルは教室の隅っこにへたりこんで、一人でべそをかいていた。しかし、同情の余地はない。私はキッと鋭い目つきで彼女を睨み付けた。


「今日のれっちん、なんかヘン……」


 すると、ちょうど担任の奥山先生がやってきて朝のホームルームが始まる。

 ……おっといけない。今日の日直は私だったんだ。

 私が立ち上がって号令をかける。


 ネルは私の渾身の蹴りのダメージからすでに立ち直ったようで、面白そうに私の号令に従っていた。無邪気な彼女の姿を見ていて、自然と笑みがこぼれそうになる。



 その日の授業は大変だった。



 学校に行く前にあれほど注意したのに、ネルが嬉々として教室のあちこちをうろついては、麗華~これなあに? と大きな声で言う。彼女の声や姿は、魔具のおかげでわつぃ以外には認識できないらしいが、そうとわかっていても冷や冷やする。

 授業中、ノートをとる合間にネルの様子を窺う。彼女は私の横にちょこんといて、感心するほど熱心に授業に聞き入っていた。時折、先生の話に頷きながら、刺すような眼差しで黒板を見つめている。そんな彼女の真摯な姿勢を見ていると、私もちょっと頑張ろうという気持ちになって、結果的にいつも以上に真面目に授業を受けていた。



   ◆



 やがて午前中の授業が終了して、生徒たちの休息の時間、昼休みになった。


 私はいつものように沙織と机を向い合わせにして、弁当が入った包みを机の上に広げる。

 ……と、不意に袖を引っ張る手が。


 私の袖を引っ張ったのはネル。彼女は私に何かを訴えるような眼差しを向けている。


 う~む……表情だけでは、なんとも彼女の考えていることがわからない。教室だと一目があるから、普段ほとんど人気が無い体育館近くの自動販売機のところに行くか。指でサインを送ると、ネルも私の意図を察したらしい、黙ってついてきてくれた。




 体育館裏に着いて、辺りに人がいないことを確認し、ぶっきらぼうにネルに話しかけた。

「どうしたのよ」

「もう話してもいいの? あのさ、お腹がぺこぺこなんだ。皆、美味しそうなもの食べてるから余計にお腹が減っちゃってさ。困ってたんだ」


 しまった……! 今日の朝はドタバタしてたから、ネルのお弁当のことなんて忘れてた! ……購買でパンを買うことにしよっか。


 しかし、財布を開けると、そこに入っていたのは三十四円という残酷な金額だった。こうなれば……仕方ない。沙織に頼んで貸してもらうしかないか……。


「ネル、ごめん! ちょっとここで待ってて。パン買ってくるから!」

「りょ~か~い」

 私は教室に向かってダッシュした。

 ネルと学校に来るなんて初めてだからなぁ……、ついお弁当のこと忘れちゃった。なんか、悪いことしちゃったな……。


 沙織は自分の席で一人でご飯を食べていた。

「あ、れっちん。さっきは急にどうしたの? それに、急いで走って来たみたいだけど?」

「ごめん、沙織。パン買いたいんだけど、今手持ち無くって……。必ず明日返すからお金貸してくれない?」

「パン? お弁当食べてまだ食べるつもり? ……太るわよ~」

 迂闊だった……。沙織と向い合わせになっている私の机の上には、まだ中身の詰まった弁当箱が置いてある。確かにこれに加えてパンを食べるともなれば、私は大食い女と見られるだろう。

 私は頭の中であれこれと必死に言い訳を探した。


「……新たなる挑戦」


 沙織はプフッと笑ってから、

「なにそれ? ほら。太ってから、泣きついても知らないからね~」

 と言って、私の手のひらにちゃりんとお金を落とした。

「ありがとう! 恩に着るわ!」

「別にいいわよ」

 沙織はニヒルな笑みを私に向けて、いってらっしゃい、と手を振った。

 私は購買部へと急ぐ。この時間は弁当を持ってきていない生徒や、デザートのプリン目当てで大量の生徒、特に男子が押し寄せる時間だ。早くしないとパンが売り切れてしまう。

 それにしても、ネルのおかげで困ったもんだ。あれで、沙織に大飯ぐらいだと思われてはたまったものではない。そもそも私は小食なのだ。

 購買部では、おにぎりなど、人気のある商品はすでに売り切れてしまっていた。デザートのプリンの姿もそこにはない。

 と、私の目を魅惑的に釘付けにする商品を発見する。

 しかし、同時にそれを取ろうと延ばされている手もあった。

 私は雷のごとく一直線にそれに手を伸ばし、掴み取る。

「おばちゃん、これください!」

「あいよ。百五十円ね」

 栄光を掴むことのできなかった手の持ち主は、いかにも残念そうな面持ちで去っていく。

 その後姿には何とも言えぬ哀愁が漂っていた。

 なんにせよ、これでネルの昼飯は確保できた。


 勝ち取った昼飯と、お茶のペットボトルを手に、私はネルのもとへと急いだ。

 しかし、自動販売機の前に彼女の姿はない。

「この忙しい時に一体どこへ……?」


 ……と、私は体育館の周りを箒に乗ってふわふわ優雅に飛んでいる少女を発見した。


 足元に落ちていた小石を拾って、少女に投げつける。投げた小石は緩やかな放物線の軌道を描いて、見事に少女の脳天に直撃した。

「いたた……。あ、麗華!」

 頭を痛そうに抑えながら、ネルはふわりと私の近くに降りてきた。

「……ここで待ってろ、って言ったわよね」

「違うよ。¨ちょっと¨ここで待ってて、って言ったんだ。だからボク、ちょっとはここで待ってたんだけど、つまんないからその辺探検してたんだ」

 私は彼女の発言に呆れてむっとする。

「あっそ。ひねくれ者にやるご飯はないわ」

 言い捨てて踵を返し、教室へ戻ろうとすると、ネルが箒から飛び降りて、トタタと私に駆け寄ってきた。

「ま、待ってよ~! ボクが悪かったよ~!」

 私は無邪気な子犬のような顔をしているネルを一瞥し、昼飯とお茶を渡す。

「おっ、ありがとう。そんなに睨まなくても……。にしても、これだけなの? これじゃ、全然足りないよう!」

「文句があるなら返しなさい! その焼きそばパン、私だって食べたいのよ!」

「わ、わかったよ! 我慢しますよ。トホホ……」

 落胆の表情を見せるネルは袋をピリピリと開けてパンを取り出し、口に頬張った。

 すると、少しの間彼女は沈黙する。その後突如雄たけびを上げた。

「何なのよ! うるさいわね!」

 私もつい怒声が出てしまう。幸い近くに人はいなかったから良かったが。

「こ……これは、凄い。こんなもの、食べたことない。もしかして、伝説の食材とか使ってあるの?」

「百五十円の普通の焼きそばパンよ。私も好きだけど……そんなに叫ぶ程おいしい?」

 ネルは焼きそばパンを掲げ、恍惚の表情で見つめている。


「焼きそばパン……。この世界の人にとっては、これが普通。やはり……面白いな、この世界は……」


 なにやらブツブツとつぶやきながら、ネルは夢中になって焼きそばパンを食べた。そして、読んで字のごとく、あっという間に食べ終えてしまった。

 あまりの速さに私も驚きの声を上げた。

「はや!」

「いや~ホントにおいしかったな~。こんなにおいしいものをありがとう麗華。量は少なかったけど、それにも勝るとても貴重な経験をした気がする」

「む……、どういたしまして。それじゃ、教室に戻るわよ。……くれぐれも変なことしないでよね!」

「は~い」


 本当にわかっているのやら……。疑問に思ってしまうような返事をするネルを尻目に私は教室へと戻った。

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