第二章 事件発生!? 響ノ町商店街に現れし不気味なヒトダマ!

第3話 バニシングブローチ


  

 ネルが私の家にやって来てから一週間ほどたったある日の朝。

 トントンというノックの音で私は目を覚ます。

 窓の外からはチュンチュンと、雀のさえずり声が聞こえてくる。

 私は重い瞼を開けて大きくあくびを一つしてから、だるそうに布団から体を起こした。

 すると、階下の方から声が聞こえてくる。

「は~や~く~! 遅刻するよ~!」

 私はむっとしたしかめ面で返答する。

「もう! わかったわよ!」

 不機嫌な面持ちのまま、布団を押し入れにしまって部屋を出る。

 階段を下りて居間に行くと、銀色の髪をなびかせて台所を駆けまわるネルの姿があった。

 異界からやって来た彼女は、向こうの世界ではとんでもない魔法使いだったらしいが、帰る方法がわからなくて途方に暮れていたところ、家事全般の手伝いをすることを条件に私の家に居候することになったのである。そんなわけで今朝も、目覚まし代わりに私を起こすために小うるさく叫んでいた、というわけだ。

 私が起きてきたことに気づいたネルは、持っていたおたまを私の方にビシッと向けた。おたまについていた味噌汁が顔に飛んでくる。

「もう……やっと起きた! その寝起きの悪さは何とかならないの?」

「うるさいなぁ……低血圧なんだから仕方ないでしょ。ふぁ~……これくらいが普通なの」

「自覚が無いのがまた厄介だね……」


 私はネルの用意してくれた朝食を口に運んでいく。

 私にとってはごく当たり前のことであっても、ネルにとっては新たな発見の連続らしい。

 それは、ガスコンロや電子レンジに対する尋常ならざる驚きに留まらない。食材も、彼女の居た世界とは少し違うようで、はじめのうちは慣れない調理器具や食材に手間取っていた。が、彼女は物覚えがいいようで、すぐにそれらを使いこなせるようになった。今では朝食も彼女に任せている。

 今日のメニューはご飯と味噌汁、そしてハムエッグだ。出来立ての味噌汁の香りが、腹を空かせた私の鼻腔を刺激する。なんとも美味しそうな匂い……。だが、そんな場合ではない。早く食べないと遅刻してしまう。悠長に味わっている場合ではないのだ。

 私は、大食い大会に出ているような気持ちで、がつがつ急いで食べる。もはや食べるというより、飲むに近い。ご飯とハムエッグを頬張り、味噌汁で流し込むのだ。

 私が無心でがつがつ食べている時、ふと、ネルが話しかけてきた。


「ねえ……ところでさ……」

 私は箸を止めずに答える。

「ばに?」

「今日も学校……行くんでしょ」

「ばばりばべべひょ」

「付いて行っても……」

 私は箸を茶碗の上に置いて、味噌汁を一口。口の中がすっきりした状態で言った。


「ダメ」


 ネルはテーブルにうなだれた。


「なんで~いいでしょ~! ボクだって、せっかく来たんだから、色々と見物したいよ!」


 私とネルが出会ってから、実に一週間程が過ぎたが、その間、彼女が家から出たことはまだ一度もない。見物をして回りたいというネルの気持ちもわからなくもない。だが……。


 ただでさえ目立つ銀髪に加えて、黒いローブにとんがり帽子を身に着けた彼女のファッションは、現代日本においてはあまりにも奇抜すぎる。何度か私の服を貸してあげようとしたこともあったが、不思議とネルは真っ赤な顔してかたくなに拒んだのだ。何がそんなに私の洋服のセンスって駄目なのかなあ……。


「あのね、あんたのその格好は、この日本という国においてはあまりにも目立つの。変な騒ぎになったら困るでしょ? だから、ダメ」

 私がため息とともにつぶやくと、ネルは顔を上げてにっと不敵にほほ笑んだ。


「麗華の言いたいことはわかった。つまり……見つからなければいいんでしょ?」


「はあ? まあ、それは……そうだけど」

「それなら……これを着けて……っと」


 ネルは、きらりと鮮やかなエメラルド色に光るブローチをポケットから取り出して、そっと首の下あたりに着けた。そして、身に着けたブローチをいじり始める。カチカチという歯車が擦れ合うような機械音がした。ネルは、私の方を見ていじわるっ子のように笑いながら数を数えはじめた。


「三……二……一……」

 数え終わるや指パッチンをした。



 その瞬間、目の前にあった彼女の姿が、煙のようにぱっと消えてしまった。



「えへへ。どうだい?」

 姿は見えないが確かに声がする。ネルの声だ。

「何よコレ!? どうなってるのよ!?」

 ふっふっふ、という自慢げな声が聞こえ、その後オホンという咳払いが聞こえた。声の主の姿はやはりどこにも見あたらない。


「これは《バニシングブローチ》。身に着けると、煙のようにぱっと消えちゃう魔具なんだ。……って言っても、透明人間とは違って存在自体はちゃんとある。ブローチの効果で、自分の姿を他人の意識から消すんだ。それで麗華にはボクが見えなくなったってわけ」


 なるほど……いいなぁ、魔具。私も一個くらい欲しいなあ。

 ……ん、ちょっと待てよ。ネルの姿を知覚できないってことは……。


「ネル。あのさ……気配を消すことで目立たなくするってのはいいアイデアだと思うんだけど、それじゃあ私、あんたがどこで何してるのかわからないんだけど」

「ほえ? 別にいいじゃない」

「ダメよ。あんたはこっちの世界のルールというか……、常識を全然知らないでしょ? そんな状態で放っておけないし、絶対騒ぎになると思うわ。あんただって、面倒事はいやでしょ?」

「ぐむ……」

 ネルが声を漏らす。顔は見えないけど、声から彼女が本気で悔しがっているのがわかる。

 少し可哀想になってきて、私は思わず彼女に問いかけた。

「……そんなに行ってみたいの、学校?」

 カチカチと歯車がずれるような音がしたと思うと、急に目の前にネルが現れた。私の問いに対し、ネルは俯きながらも強く頷いた。その瞳にはうっすら涙がにじんでいる。

 しょうがないなあ……。すごい魔法使いと言っても、まだ子供。知りたい、という純粋な探究心を抑えるのはやはり辛いことなのだ。もしも私がネルだったら、きっと同じように、あちこち見てみたい! と言ったかもしれない。そう思った私は、ネルに一つ提案してやった。

「あなたのことでしょう……、その消えるような力も調節できるんじゃないの?」

「え……できないこともないけど」

「なら、私にだけはあんたを視認できるようにしてちょうだい。逆に、他の人には見えないように。……できる? それなら付いて来てもいいわよ」

 私の言葉に、ネルは目をきらきらと輝かせて、ぱあっと希望に満ちた表情を浮かべる。そして、早速ブローチをいじり始めた。

 すると先程までは見えなかった彼女の姿が、今、目の前にくっきりと存在している。

「これでどうだい? ボクのブローチは自分で作った特別製だからね、スイッチで魔力波を調節することで、声だけ聞こえるようにしたり、細かい調整が可能なんだ。スイッチの調整具合次第で、身に着けた物や持っている物体の気配は自動で消すこともできる。一般に普及してるブローチにはこんな機能は付いていないんだけどね。麗華には今、ボクの姿がはっきり見えるでしょ?」

「う、うん。急に現れたからちょっとびっくりしたわよ。けどそれ……本当に他の人には見えないの……?」

 私にはネルの姿がはっきりと見えている。これが他の人には見えないなんて、ちょっと信じられない話である。

「んじゃ、証明してみせる。そこで見ててね!」

 そう言うと、ネルは窓をがらりと開け放ち、箒に乗って外に飛び出した。

 見ると、隣の城谷さんがゴミ出しをしている。

 あ、今日ゴミの日だっけ。後で出しとかないと……。などと思っているのも束の間。私はその光景に目を見張る。

 ネルは何を思ったか、箒に乗って城谷さんに急接近して、周りをぐるぐると回り始めた。私は城谷さんが驚きのあまり、目を見開いて気絶する光景が思い浮かんでぞっとする。

 こうして、響ノ町に新たな怪談、〈空を飛ぶ箒に乗った少女〉が誕生するのか……。


 だが私の心配を余所に、城谷さんは平然とした顔でごみ置き場を去っていった。一体どういうことだ? もしかして、本当に城谷さんにはネルが見えてなかったのか?


 ゴミ置き場からネルが大きな声で言った。

「ね? 大丈夫だったでしょ」

 その声にもやはり城谷さんは反応しなかった。普通、何もないところで音がしたらびっくりすると思うのだが……、反応がないということは、城谷さんはネルに気づいていないということになる。

 私はネルを手招きして家の中に入れてから、急いで窓を閉めた。

「ふ~。全く冷や汗もんだわ! もし、隣のおばさんが気づいたらどうするのよ!」

「でも、気づかなかったからいいじゃない。それより、早く支度しないと遅れちゃうよ?」

 ネルに言われて時計を見ると、もうすぐ八時というところ。しまった! 急いで支度をしないと!


 私は階段を駆け上がり、机の上の教科書類を乱暴に鞄の中に放り込む。急支度を整えた私は、勢いままにドアを開け放つ。

 ドアを開けた瞬間、爽やかな風が流れ込んでくる。この季節の風は何だか心地よい。今日はそんなに暑くもなくて、涼しくていい天気。


 ……って、そんなこと言ってる場合じゃない!


 私は愛用のママチャリにまたがり、ペダルをこぎ出した。

 ネルはというと、しっかり戸締りをして、箒に乗ってふわふわと暢気な顔で私の横を飛んでいた。

 校門をくぐり、暴走列車のようなスピードだった自転車はキキッという音を立てて止まった。

「ここが……学校……」

 ネルは好奇心に満ちた眼差しを校舎に向けている。そんな彼女に私は睨みを利かせる。

「わ、わかってるよぉ! 他の人の前ではあんまりしゃべんないから!」

「そう……ならいいのよ。行くわよ」

 私はネルにもう一度強く念を押して、走り出した。

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