第2話 免許がないと箒は乗れない


 突然流れ出した軽快なメロディーで目を覚ます。テレビで再放送していた、超有名お笑いコント番組でお馴染みの、あのメロディーである。

「電話?」

 私はのそのそと椅子から立ち上がり、テーブルの上で充電中の携帯電話を手に取る。

 画面を開くと、着信はバイト先の店長からだった。

 慌てて電話に出る。ちらりと時計に目をやると、時刻はもう六時過ぎ。

 あちゃ~……すっかり寝坊してしまった。どうしよう……。

「れいちゃん! 連絡もなくて心配したよ! 今日は風邪でも引いたのかな?」

 店長の口調が穏やかだったので、少しホッとする。

 嘘をつくのも嫌だったし、私は寝坊するに至った理由をありのままに話すことにした。

「すみません! 公園で倒れている女の子を介抱している間に、私も眠っちゃってて……。今から急いで行きます! 本当にすみませんでした!」

 すると、店長は笑いながら言った。

「はっは、大丈夫だよ。今日は休みにしておくから。それにしても、倒れている人を助けたなんてなぁ……感心、感心。今日はゆっくり休むといい。それじゃ、明日は頼んだよ」

「本当にすみません! 迷惑かけます」

 最後にもう一度店長が笑って、通話が終わる。

 店長はああ言っていたものの、やっぱり悪いことをしてしまった。……全く、誰のせいでこんな目に……。

 ネルはまだソファの上で眠り続けていた。ずれたタオルケットをそっと掛け直してやる。すやすやと寝息を立てて、見るからに健康そうな寝顔だ。顔色もずいぶん良いし、もう大丈夫だろう。彼女はこのまま寝かせておくことにして、のんびり夕飯の支度でもしよっか。

 今日の夕飯は~と冷蔵庫を開けると、ひとりでにため息が出た。あったのは卵一個、牛乳、おさかなソーセージ3本セット、ジャガイモいくつか、ニンジン少し、そしてプリンが二個だけ。何とも貧相な食材である。これで何ができるのか。

 他に何かないかと台所を探っていると、救いの手とも言えるものがあった。カレーのルウである。

 ――カレー。それはいと素晴らしきもの。ピーマンが嫌いな人はいるかもしれないが、カレーが嫌いな人に私は今まで出会ったことがない。もちろん、私自身カレーは大好きだ。

「よし、決めた! 今夜はカレーよ!」

 愛用のエプロンを巻いて、いざ料理開始である!

 こう見えて、私は料理がそこそこ得意。なんたって、家庭科は4なのだ。(体育は1)

 ジャガイモとニンジンを切って鍋に入れる。肉もタマネギもないが、今日はこれで我慢。コトコト煮たてたら、用意しておいたルウを投入する。甘口である。蓋をして、あとは待つだけ。福神漬けの代わりに……おさかなソーセージでいいや。袋をはがして、ソーセージを一口刻みに刻んでいく。

包丁がまな板に当たる音がトントントン……と小気味よく響く。

「う……ん……?」

 どうやらネルが目を覚ましたらしい。私は作業を中断して、彼女の下へ駆け寄る。

 ネルはまだ寝ぼけ眼でぼんやりしていた。

「……麗華? ここは……?」

「ようやくお目覚めですかな、眠り姫」

「……ふぇ?」

「……何でもないわ。ここは私の家。急に倒れて心配したんだから!」

 ネルは呆けた目で自分の手のひらを見つめてつぶやいた。

「ボクは倒れたのか……。ごめんなさい。迷惑かけたね」

 なんだ、意外と素直で礼儀正しい子じゃないの、と私は一人で感心する。

 ネルは目尻をこすりながらゆっくりソファから起き上がると、傍に立てかけてあった彼女の箒を手に取った。

「それじゃ、ボクはこれで……」

 それだけ言うと、箒を手にふらふらとした足取りで歩いていく。

「いやいやちょっと待ちなさいよ!」

「ボクはもう大丈夫。麗華には世話かけたね」

 だがそう言う彼女の足取りはおぼつかない。よろよろと歩く様子は、体がまだ全快していない証だ。そんな彼女をこのまま行かせるわけにはいかない。

「何強がってるの? あなたフラフラよ!? 大丈夫なわけないでしょ!」

「でも……」

 ネルは遠慮がちな瞳で私を見る。知らない他人の家に世話になるという彼女の気持ちも、わからないでもない。それでも、私は彼女を引き留めた。そうしなければならなかった。

 だって、私がバイトを休むことになった原因は彼女なわけで。彼女がこのまま家を出て行ってしまったら、なんとなく、ずる休みしたみたいではないか。それに私は、こんな状態のいたいけな少女を放っておける性分ではなかった。

「いいから! ここにいなさい。せっかくカレーも作っているんだから……」

「カレー?」

 きょとんとした顔で聞き返すネル。彼女はカレーを知らないのだろうか? 広い世界だから、きっとそんな国もあるのだろう。それにしても不思議な女の子である。

 と、カレーがいい感じに煮立ってきたのか、台所の方からプーンとスパイスの香りが漂ってくる。

「なんかいい香り……」

 ネルも目を閉じて鼻をクンクン言わせ、カレーの香りを楽しんでいるようだ。

「良い匂いでしょ? これがカレーの匂いよ。もうすぐできるから、そこのテーブルに座って待ってて」

 ネルはうん、と頷くと、持っていた箒を置いてテーブルの椅子を引いてちょこんと座る。

 それから約数分の後、カレーは完成した。鍋の蓋を開けた瞬間、悩殺するような香しい匂いが台所から広がっていく。私が腹ペコなのもあるが、それを差し置いても今日のカレーが十分な出来だったことは、この素晴らしい香りが証明していた。

 私は皿にご飯とカレーをよそってテーブルに運ぶ。付け合わせは先程刻んだおさかなソーセージ。

 両手を合わせていただきますを言おうとすると、ネルが不思議そうな顔で見つめてくる。

「なあに、それ?」

「何って……、食事の前の挨拶じゃない」

「へぇ……こっちではそんなことをするんだね」

 確か海外では、いただきますやごちそうさまの挨拶をする文化が無い国が結構あるという。テレビで見た気がする。もしかすると、ネルがいた国もそうなのかもしれない。

 ともあれ、二人でいただきますの挨拶をして、アツアツのカレーを口に運ぶ。スプーンを頬張った瞬間、頭の中が真っ白になるような感覚を覚えた……と、ネルが言った。

 そんなに美味しかっただろうか? まあ美味しいけれども、頭が真っ白になるってどれ程の味か、私には皆目見当もつかない。

 ネルは余程美味かったらしく、呆れる程のスピードでスプーンを口に運ぶ。あっという間に彼女の皿は空になった。

「麗華、おかわりないの?」

「はいはい。たくさんあるからもっとゆっくり食べたら? あんまり急ぐとお腹壊しちゃうよ?」

「だ、だってこんなに美味しい料理食べたこと無いんだもん!」

 自分の作った料理がこんなに褒められたのは初めてだ。なるほど悪い気はしない。


 夕飯を終えるころには、鍋の中のカレーはすっかり無くなっていた。一応、明日の朝くらいまでは持つ予定だったのに。ほとんどネルが一人で平らげてしまったのだ。皿にはご飯粒が一つも残ってない。

「いや~美味しかった! こんなに美味しいものを作れるなんて、もしかして麗華は伝説のシェフ?」

「ふつーの高校生よ」

 洗い物を終えてテーブルに座った私は、未だ口の中に残っているカレーの余韻を満面の笑みで楽しんでいるネルに問いかけた。

「ねえ、ネル。教えて、あなたは一体何者? どこから来たの?」

 私の言葉で、恍惚状態だったネルがはっと我に返る。

「だからさっきも言ったじゃない。ボクはこことは違う世界から時空間に開いたワームホールを通って、ここに辿り着いたの!」

 こことは違う場所……ネルが公園で言っていたパラレルワールドってこと? 異世界の存在なんて急に信じられないけど……彼女の反応を見ていると、どこか浮世離れしたものを感じる。あながち彼女の言っていることが間違っていないということだろうか……。

「……わかった。とりあえず、そういう事にしておくわ。それで、あなたはこれからどうするつもりなの? きっと、お父さんやお母さんも心配しているよ?」

 すると、ネルの顔が急に強張る。私、何か気に障ること言っちゃったのかな……?

「ネル?」

「……ふん。あの二人がそんな心配をするわけない。フレイリィ家は放任主義だからね。少し度を越しているような気がするけど。まあ、ボクの家の話は置いといて。今は何故か魔法が使えないけど、なるべく早く原因を究明して帰るつもりだよ。……向こうでやり残したこともあるしね」

 ネルは手をぐっぱと開いたり閉じたりを繰り返してはため息をついた。

「どうして魔法が使えなくなっちゃったんだろう……」

「ネル……私やっぱり、魔法なんて夢物語にしか思えない。だって、魔法は私たちの日常とあまりにかけ離れたものだから……」

 ネルがきっ、と鋭くなった目つきで言う。

「そんなわけない! だってボクはつい昨日までは普通に使えたんだから。この世界に来てから急に……」


 ネルはふと口を閉じて沈黙し、やがて虚空を見つめてつぶやいた。

「まさか……マナのせいか? そうか考えてみれば、ボクの常識が《向こう側》でも通じるとは限らない。……うん。きっとそうなんだ!」

 ネルはなにやら一人で納得してしまった様子。不思議な顔をしている私を見て、ネルはつぶやいた。

「麗華、『マナ』という単語で何かピンとくる?」


「……まな板?」


 ふぅと短く息をついて、得心した様子でネルは話し出す。

「やっぱり……この世界にはマナがないんだ。少なくとも、マナという概念が無いことは確か。すなわち、ボクが魔法を使えないのも必然というわけか……」

「一人で納得してないで教えなさいよ! その『マナ』って何よ? あのね……言っておくけど、まな板のばい菌は定期的に除菌してるから、うちのまな板は清潔よ。それに……私の胸は決してまな板なんかじゃないんだからね!」

「なんで一人で怒ってるのさ……。いい? マナっていうのは魔力の源。つまり、魔法を使うためのエネルギーみたいなものなの。だから、マナが無ければ、あるいは必要量に達しなければ、たとえ術式や詠唱が完璧であっても魔法は発動しないんだ」

「ふうん……」

「《こちら側》――ボクがいた世界をこう呼んでいる――にはマナが当たり前のように存在している。それこそ、空気みたいに、あって当たり前のものだったんだ。だが、それがこの世界でもそうとは限らない。いただきますの挨拶みたいに、ところ変われば文化も変わるもの。よもやマナが無いとは思わなかったけど、そういうことなら説明がつく」

「それじゃ、結局あなたは魔法が使えないってコト?」

「まあ、そうなるね。あくまで現状は。いや……ちょっと待って。内部に貯蔵式マナタンクを搭載した魔具ならば……あるいは……」

 そう言うとネルはリビングの窓を開けて、箒を手にして縁側に出た。なんと靴下のまま。

「ちょっと! サンダルくらい履きなさいよ!」

 ネルはくるりと向き直ると、自信たっぷりにつぶやいた。

「……魔法なんて存在しない。麗華はそう言ったよね。……それは違う。魔法は確かに存在するれっきとした技術なんだ。今からボクがそれを証明してみせる」

「な、なに言って――」

 ネルは手にした箒にまたがると、目を瞑ってぶつぶつと独り言を始めた。早口で何と言っているのか全く聞き取れない。

 やがてネルが目を開き、小さくつぶやく。


「――箒よ 今こそその身に風を纏い 我をいざ天空へと導きたまえ――【飛翔フライト】」


 やがてネルが口を閉じると、驚くことに箒が宙に浮かび始めたではないか!

 私は奇跡としか言いようのない光景を前に、へなへなとその場に経垂れこむ。


「う……浮いてる……!?」


 人間はあまりに現実離れしたものを目にしたとき、呆然とするほかないのかもしれない。私も目の前で浮遊する箒を見てただただ唖然としていた。そうした私の姿を見て、ネルはしてやったりという微笑を浮かべた。

「これで少しはボクが魔法を使えるって信じてくれた?」

 信じるも何も、目の前で起きてしまったことだ。ほっぺたをつねってみると、確かな痛みを感じる。痛覚が正常に機能している以上、これは夢ではなく現実の出来事なのだ。

「わ……わかったわ。信じてあげるから一つだけお願いしてもいい?」

「お願い?」

 私は心の中に、何かふわふわとしたものがいっぱいに広がっていくのを感じていた。子どものころ、新しく買ってもらった絵本を読み進めていく時に得た、あの何とも言えない感覚。誰しも子どものころは持っているのに、成長するにつれていつの間にか失くしてしまう、大切な何か。それが胸いっぱいに広がっていくのを。


「私にもそれ、貸してくれない?」


 しかし、私の純粋な思いはネルの言葉によって、砂上の城のごとく瓦解した。

「ダメ」

「ちょっとくらいいいでしょ!」

「ダメダメ! 《ソアリングブルーム》に乗るには免許が必要なの! ほら、コレ」

 ネルは懐からカードを取り出して私に見せた。渡されたカードには〝ブルームライド認定免許証〟と書かれており、その下にネルの名前が書いてあった。見た感じ、車の免許証に非常によく似ている。

「これが免許?」

「そう。これを持っていない人は乗れないんだよ」

「もし乗ったらどうなるの?」

 ネルはふふんと嘲るように言った。

「まず、軍の留置場にぶち込まれるのがオチさ」

「軍なんてないんだけど……」

「う……。でも、事故ると思うし危ないからダメ!」

 私は心底落胆し、本気でつまんない表情をして言った。

「ちぇ、つまんないの! それで、変人……あなたこれからどうするのよ?」

「変人じゃないよぉ! 帰るって言っても、さすがにソアリングブルームでは帰れないし。マナがないんじゃ、転移魔法陣も発動できないし……」

「でも、あんた……すごい魔法使いなんでしょ? 色々できるんじゃないの? 例えば、手を叩いただけでパンを出現させたり、お菓子の家を出現させたりとかさ」

「……魔法なめんなぁ!」

 ネルは真っ赤になった顔でそう言った。魔法っていっても万能ではないらしい。私が想像してたのとはだいぶ違うみたいだ。

「もう、わかったってば。要するに、元いた世界に帰る方法がわからないってことよね?」

 ネルは私の言葉にコクリと首肯すると、やがておいおいと泣き始めてしまった。気丈に振る舞っていても、やっぱりまだ子ども。家に帰れない不安は決して小さくない。涙は徐々に勢いを増し、どこに貯めていたのかと思ってしまう程、豪快な滝のような涙がネルの目から溢れ出す。


 見知らぬ世界に一人ぼっち……か。まだ小さい女の子だし、不安になっても仕方ないよなあ。むせび泣くネルを見ながら、ふと、私は遠い日の自分を思い起こす。




 あの時、私はただ泣いていることしかできなかった。辺りを見回してみても、道行く人々は皆、自分の知らない人達ばかり。知らない人に声をかける勇気など持ち合わせているはずもなく、ただ泣きながら、途方もなく大きな不安を抱えながら歩いていた。

 私は目の前がだんだんと真っ暗になっていくのを感じていた。頼る人がいないから……。帰りたくても帰れないから……。それらの不安はどんどん重たくなって私の心に圧し掛かり、足取りもだんだん重くなっていく。

だが、その時だ。私の肩に手が置かれた。はっとして後ろを振り返ると、そこには野球帽をかぶり、鼻に絆創膏を付けた兄――伸一郎の姿があった。兄は泣いている私を見て、にしし、と笑いながら私の髪をぐしゃぐしゃに掻きあげた。

「麗華、一人で泣いてどうしたんだ?」

「えぐっ……おにい……ちゃん? おうちがどっちか、わかんなくて……。おかあさんも、ひっく、いなくなっちゃって……」

「そっか。んじゃ、ちょっと後ろ乗れ」

 兄はそう言うと、私を自転車の後ろに乗せた。

「よし、じゃ行くぞ。しっかりつかまってろよ」

 自転車は走り出す。落ちないように必死で兄の背中にしがみつく。兄の背中はとっても暖かくて、いつしか私は泣き止んでいた。

 その後しばらくして、母と巡り合えた私はこってり叱られた。



 私は今でも、あの時のことが忘れられない。あの時、兄が私を見つけてくれなかったら、きっと――。

 だから、私はその時決めた。ささやかなことでいい。一人で困っている人がいたら、できる範囲で助けてあげようと。きっとその人は、あの時の私のように、先の見えないような暗闇に閉じ込められている。私が、あの時の兄のように途方もない暗闇を照らす一筋の光になる、と。……そんなかっこよくはなれないと思うけど。


 そして今、私の目の前には一人で困ってむせび泣く少女がいる。


「……ここにいたら?」

 私の発言が思いもよらないものだったのか、ネルはピタと泣き止んだ。

「……え……?」

「だから、行くとこないんでしょ? だったら、ここにいればいいじゃない」

「でも……」

 どうやら自分のことを厄介者だと思っているらしく、ネルは私の提案に遠慮する。

「今、この家には私一人しかいないの。父さんはここ数日すごく仕事がハードらしくて、しばらくいない。母さんもちょっとした事情でしばらく家に帰れないの。伸兄は……しばらく帰ってこないと思うし」


 世間でいう一般的な家庭と比べて、うちの家族はちょっと変わってる。


 学者である父は、今、世間をあっと言わせるような一大プロジェクトのリーダーをやっているらしく、最近はずっと大学の研究室に泊まり込んでいる。私ももう三週間くらい顔を見てない。


 母さんはごく普通の専業主婦。……なのだが、つい先日、商店街の福引で海外旅行を当ててしまい、今は一か月間の海外旅行中。どうせなら私も付いていきたかったが、学校があるので仕方ない。


 兄はといえば……ずいぶん特殊な職に就いているせいで、帰りがこの上なく不安定だ。

 私の兄、伸一郎は私立探偵である。……嘘ではない。ホントの事である。といっても、テレビドラマみたいな殺人事件の捜査をしたり、といったことはほとんどない。依頼はもっぱら、ペットの捜索であったり、浮気現場の写真を撮ったり……といった地味なものだ。依頼は不定期で舞い込むので、家に帰ってきたり来なかったり。今日も朝連絡がきて、何やら厄介な依頼を掴まされたらしく、私に応援を求めてきた。当然、蹴ってやったが。

 私はそうした面倒事に首を突っ込むのはあまり好きじゃないタイプなんだ。

 そんなわけで、兄もきっと一週間くらい帰ってこないだろう。

 居候が一人増えたところで、私としては別段なんら問題は無いのだ。


 しかし、ネルは遠慮がちな目でつぶやいた。

「だからって……悪いよ……」

 ふう、とため息交じりに私はつぶやく。

「それじゃあ、ネルがこの家に滞在するための条件を付けます」

「条件?」

「さっき言ったでしょ。今、この家には私一人しかいないの。だから……」

「だから……?」

「だから、あなたには私の代わりに炊事、洗濯、掃除、その他もろもろの家事を手伝ってもらうわ。魔法使いなら……それくらい簡単でしょ?」

 私はにんまり笑って見せる。

「……本当にいいの?」

 恐る恐る尋ねるネルに私は、もちろん! と言って親指を突き上げた。

 すると、ネルはそれまでの曇った表情から一変、ぱあっと晴れた明るい表情。淡いオレンジ色の瞳を輝かせ、意気揚々と叫んだ。

「ありがとう! ボク頑張るからね!」

 ネルは私に手を差し出した。

 私はほっとしたような、それでいてこれから騒がしくなるなあ、という入り混じった思いを噛み締めながら、ネルの手を握り、ぐっと握手を交わした。

「あ、もう一つ」

「何?」

「箒貸して」

「……それだけはダメ」

 



 ――こうして、私と不思議な少女ネルの、ちょっぴり変わった毎日が始まったのだ。

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