春風の魔法使い

秀田ごんぞう

第一章 空からやってきた少女

第1話 とんがり帽子が落ちてきた

 辺り一面漆黒の布で覆われた部屋。部屋の中央で一人の男が厳粛な面持ちで、並べた無数の蝋燭に火を灯していく。

 無数の蝋燭は見事なまでの円を描いている。最後の一本に火をつけ終えると、男は円の中心に立ち、両手を天高く突きあげ叫ぶ。

「サモン! 魔界の王よ、我に力を貸したまえ!」


 ジジジ……ドカァン!!!


 凄まじい爆発音で辺りの物がはじけ飛ぶ。

 やがて……そこに「何か」が生まれた。

 禍々しい気を放つ穴が空中にぽっかりと出現する。

 ――決して触れてはいけないもの。そう思わせてしまう「何か」がそこに出現していた。

 エルシア陰歴1308年にマグナ高原に出現したと言われる、摩訶不思議な力場。


「やった……! とうとうやった! 僕は遂に成功したんだ!」


 彼の目の前で広がり続ける穴は、強烈なうねりをもって広がりつつある。

 それは到底人の手に扱えるものでは無かった。

 彼は空間に不自然に浮かぶ穴を見つめ、一人恍惚の表情を浮かべる。


「これで……これで遂に僕の長年の苦労が報われるというもの。ふん……僕をはみ出し者として学会から追放した奴らに目に物見せてやる! この僕、エドガーこそ、史上最高の魔術師であるということをなァッ!」


 その瞬間、エドガーが振り上げたその手が、強烈な吸引力によって、穴に吸い寄せられていく!


「な……バカな! そんなはずはない! 僕の研究はここに完成したんだァァァッ!」


 ぱさりと帽子が床に落ちる。不気味な力場を発生させていた穴は、気づくと何処かへ消えていた。それと同時に、帽子の主の姿もまた忽然と消えていた。

 この事件は後に門外不出として、歴史から忘れられることになる。


 なぜか。


 ――恐れたからだ。権威ある者達は、魔術師エドガーが呼び出した「何か」を恐れた。

 しかし、遠い悠久の時を経て、ある一人の魔術師によって封印は破られる。

 今、嵐は再び巻き起こる――。






「――ちん! れっちんってば聞いてるの!?」


 誰かが私を呼んでいる……気がする。ま、いっか。よしよし……我ながらいい感じのアイデア。この後エドガーが実は復活して、魔王となった彼が、怪獣映画がさながらに城をぶっ壊して歩く。ふふん。ファンタジーな世界に怪獣映画を持ってくるなんて、やっぱ私って才能あるのかも? 「家達先生」と呼ばれる日も近い、か。どゅひひひ――


「だあああああ!」



 世界が、揺れた。



 なんてかっこよく言ってみたが、実際は私の机が蹴とばされて、机の上に置いてあったノートやら筆記用具やらが床に散らばって……って、わわわわ!

「な、何するのよ沙織!」

「れっちん……小説に没頭するのはいいけどさ。返事位しなさいよっ!」

 ゴスっ! と脳天に彼女の手刀が炸裂。ジンジン痛む頭を押さえながら、私は言う。

「……あんたはホントに手加減しないのね……」

「ふんだ。手加減してもあんたのためにならないでしょ。お仕置きに手加減は無用! なっはっは!」

 私は床に散らばった鉛筆や消しゴムを拾いながら尋ねた。

「……それで私に何か用があったの?」

「あ、そうそう。実はね……ちょっと面白い噂があってさ――」

 そんな時、鐘の音が校舎中に響き渡る。こうして、またいつもの日常が始まる。


 私の名前は家達麗華やだてれいか。平凡な公立校、一宮高校に通うごく普通の高校一年生。特徴はレンズがびんの底みたいに厚いとんぼメガネ。あんまり好きじゃないけど、目がすごく悪いんだから仕方ない。どれくらい悪いかというと、眼鏡を外すと周りがほとんど見えなくなっちゃうくらい。ちなみに愛称はれっちん。……沙織しか呼ばないけど。


 あ、沙織っていうのは、私の友達のこと。名前は白雪沙織しらゆきさおり。ついさっき、私に痛烈なチョップ攻撃を浴びせた人である。沙織とは小学校からの幼馴染で、家も近いのでよく一緒に遊んでいる。沙織はとっても明るくはつらつとしていてスポーツも万能。よく気が利く優しい性格で(怒るときは怒る)、クラスの皆から慕われているクラス委員長だ。


 考えてみれば見る程、私とは正反対。私はといえば……好きなことは読書やゲームといった典型的なインドア系。運動なんて、てんでダメ。勉強はそこそこできるけど、まあ威張れるほどじゃない。そんな私だけど沙織とは不思議とウマが合う。お互い気張らずに話し合える間柄ってのは意外と貴重なものである。

 趣味の事で相談に乗ってもらうこともままある。

 私の趣味というのは創作小説。自分でオリジナルの小説を書いたりして楽しんでいる。完成した小説は恥ずかしくってとても人には見せられないけどね。とはいえ、賞に応募したことは一度も無い。もちろん書くだけじゃなく、読むのも大好き。好きなジャンルは推理小説かな。……と、私の好みについては置いといて。

 私は小説を書いている時や、本を読んでいる時、ついついその世界に没頭してしまう癖があるのだ。一度スイッチが入ると、周りの音なんて聞こえやしない。それでさっきも沙織を怒らせてしまった。自分でも治したいとは思うんだけど……癖ってなかなか治らないんだよね。困ったもんだ。


 そんなことをぼんやりした頭で考えているうち、担任の奥山先生が入って来た。

「え~、ちょっと静かにしろ。皆に伝えておくことがある。しっかり聞くように。

 さて……知ってる人もいるかもしれないが、最近、学校付近の公園や原っぱで、いたずらと思われる謎の印がいくつか現れているらしい。町内会の人達からは、この学校の生徒が遊び半分に作ったのではないか、との苦情も寄せられている。

 先生は皆がそのような、下らんいたずらをしたとは思わない。けれど、疑われるような行動や、人に迷惑をかけるような行動は厳に慎むように。高校生なんだから、言われなくてももうわかるよな?

 連絡は以上。じゃ、十分後に授業始めるから、Aクラスは遅れずに西校舎に移動な」

 それだけ言うと、先生は教室を出て行った。


 謎の印……ねぇ。一昔前にもこんな悪戯がニュースで報道されてたな……。

 私は教科書とノート、筆箱一式を片手に抱え立ち上がる。一時間目は数学。私の高校では数学の授業はAとB二つのクラスに分かれて行う。出席番号順でクラスを半分に分け、早い方がA、遅い方がBである。私はAクラスなので、西校舎まで移動しなけりゃならないのだ。まったく面倒である。

 ため息をつこうとした私の肩を掴む手が。

「あ、れっちんちょっと待って」

「早くしないと遅れちゃうよ」

「わかったってば」

 私と沙織は西校舎へとすたすた歩いていく。

 じりじりと照りつける日差しは夏が残していった置き土産。登校時に降っていた雨はいつの間にやらやんでいて、コンクリートもすっかり乾いてしまっていた。朝っぱらからこんなに熱いとは。うだるような暑さというのは……大仰だけど、それでも、アイスが食べたくなるくらいには暑い。

 歩きながら沙織が私の顔を覗き込んでつぶやいた。

「れっちん、今日は元気ないわね。……風邪でも引いた?」

「……別に。朝っぱらから、兄が、ちょっとね」

「なるへそ。れっちんのお兄さん疲れるもんね。わかるわかる」

 言いながらしみじみと頷く沙織。わかってもらってもなんだか悲しいのだが……。ま、残念な兄のことは忘れておこう。その方が楽に違いない。

「それよりさ」

 目をキラキラさせながら沙織がつぶやいた。

「先生が言ってた話、どう思う?」

 先生が言ってた話……? ああ、謎の印のいたずらのことか。

「どうもなにも、下らないいたずらでしょ。そのうちすぐにおさまるよ」

 すると、沙織が立ち止まり、ちっちっち、と誇らしげに話し始めた。

「やっぱり、れっちんは知らないんだね。例の噂」

「……噂?」

 へっへ~ん! 知らないのなら教えてしんぜよう! とでも言いたげに、沙織は腕を組んで話す。

「実はね……私達が帰り道で通ってる二丁目の公園、あるでしょ。あの公園に謎の印……ミステリーサークルが出現したって噂。なんともミステリアスな雰囲気じゃない?」

「それで、あんたはどうしようっていうのよ?」

「もちろん……行くに決まってんでしょ!」

 はぁ~、とため息をついて私はつぶやく。

「あのね、さっき先生も言ってたじゃない。疑われるようなことはするな、って。大体そんなの見に行ってどうすんのよ?」

「もし……もしもだよ! 宇宙人とか現れちゃってさ、友達になれたらきっと楽しいでしょ! だからさ、れっちんも一緒に行こうよ!」

 再び私はため息をつく。

 ……何とも胡散臭い話である。


 ミステリーサークル。ヨーロッパやアメリカを中心に報告されている、地面に描かれた不思議な円形模様である。テレビで見たことがあるが、実際に見たことは無い。宇宙人が作っただの、未来からの暗示だの、色々言われてるけど、そんなの信じられっこない。以前、自分がやりました、って白状した人もいたし。結局、そんなもんなのだ。


「どうせ、どっかの大学の怪しいサークルがいたずらで作ったんじゃない?」

 私が言うと、沙織は心底残念そうな顔をして言った。

「れっちんはロマンが無いわね~。なんだか私まで冷めちゃったよ……と、早くしないと鐘なっちゃう。急がなきゃ」

 

 数学の授業を受けながら、私は窓の外をぼんやり見つめていた。

 先程の沙織の言葉が脳内で再生される。


 ロマンがない……か。


 こう見えて、私は結構オカルトとかそういう類の物に興味がある。胡散臭いのはわかってるけど、そうした科学では解明できない未知の世界には夢があると思う。


 ……思う……けど、現実に存在するかと聞かれたら、やはりNOと答えるだろう。そういう怪しいものが、この世の中に本当に存在していると信じている人の方がどうかしていると思う。そんなのは小説の中、物語の中の話なのだ。



   ◆



 ~キーンコーンカーンコーンというリズムで、今日の授業終了を知らせる鐘の音が校舎中に響き渡る。

 部活をやっている生徒は荷物をまとめていそいそと教室を出て行く。高総体も終わったというのに、まったくご苦労なことである。部活をやっていない私は帰り支度を整えて教室を出る。

「あれ、れっちん帰るの? どっかで遊んで行かない?」

 帰ろうとする私を呼び止めたのは沙織だ。

「……ごめん。今日バイトだから」

「そっか。じゃ、また明日ね」

「うん。またね」

 私は沙織に軽く手を振って教室を後にする。


 学校を出た私は空を見上げ、ため息をつく。

 ――私は嘘をついてしまった。胸がちくりと痛む。

 ほんとはバイトの時間まで余裕があるし、沙織と遊んで帰っても十分、バイトに間に合った。でも、今日はなぜだかそんな気分になれなかった。気が乗らない……、たまにはそんなこともある。


 そうだ、近くのスーパーに夕食の買い物にでも行こうか。そう思い立って、私は少し重い足取りで歩き出した。




「あ……」

 立ち止まって、ふと声を漏らす。

 スーパーへ行く途中で公園を通りかかった。

 沙織が話していた胡散臭い噂の……二丁目公園に。人気が無くがらんとしている。

 彼女の話を馬鹿にしていた私だったが、その時は自然と足が公園の方へ向いた。生でミステリーサークルなんか見たこと無かったし、どんなもんかと見物がてら。そんな単純な興味本位だった。

 二丁目公園には遊具が置いてあるスペースから少し離れて原っぱがある。

 原っぱの中央には確かにそれはあった。

 草がある種の規則性に従って倒れているようで、これが偶然できたものだとはとても思えない。何者かの手によって人為的に造られたもののように見えた。だが、それほど大きくは無い。

 ここからでは全体の模様がよくわからなかったので、私は近くにあった滑り台を登って上から見た。

 見ると、ただの円形模様ではない。円の内側に六芒星が描かれている。

 誰が作ったかわからないが、その技術には感嘆する。これはそう簡単に作れるようなものではない。それほど鮮やかな模様が公園の原っぱの上に描かれていたのである。いたずらだとしても、よく人に見つからずにここまでできたものだ。


 私は滑り台から降りて、何気なくミステリーサークルへと近寄る。そして、六芒星の中心に立って、右手の人差し指を天高く突きあげた。



「――サモン! 魔界の王よ我に力を貸したまえ!」



 …………。


 私の他には誰もいない公園にぴゅ~っと一筋の風が過ぎ去る。


「……なんてね……はぁ~」

 一人でアホなことやって、なんだか疲れたみたい。

 誰も居なくてよかった。つい口をついて、創作小説の台詞を言ってしまうとは。もし誰かに見られていたら、恥ずかし過ぎて卒倒していたことだろう。


 私は何事も無かったかのように素知らぬ顔でふと空を見上げた。その瞬間、私は口をぽかんと開け放ちその場に立ち尽くしてしまった。


 見上げると、空にぽっかりと穴が空いていた。穴の奥は真っ暗闇になっていて、どうなっているのかわからない。空中に出来た不思議な穴は、だんだんと大きくなって、ちょうど、Lサイズのピザくらいの大きさになった。


 呆気にとられてぽけーっと不思議な穴を見つめていると、突然、穴の奥から耳を劈くような悲鳴が聞こえてきた。

 なにごとか! と思った時にはもう遅い。

 悲鳴と共に人が落ちてきたのだ。

 ……ちょうど穴を見つめていた私の真上から。

 当然、鈍い運動神経で反応できるわけもなく、私は強烈なヒップドロップをくらって、地面に対してうつ伏せという格好で下敷きになってしまった。


「いてて……。ここは……成功したのか……?」


 声の主はどうやら生きている様子。そんなことより。

「あの……どいて欲しいんですけど」

「うわぁ!?」

 どうやら私には気づいていなかったようで、私の上に着陸した人物は素っ頓狂な声をあげて飛びのいた。

 私は土埃を払いながら体を起こす。お、意外と痛くないぞ。不幸中の幸いだった。

 起き上がった拍子に気づく。ついさっきまでぽっかりと空いていた穴がどこにもなくなっていた。

「あ、その……ごめん」

「……別にいいよ」

 私にぺこりと頭を下げたのは、スミレのように可憐な少女だった。

 背丈は私よりも小さくて、ちょうど私の胸元くらいの高さ。肩の辺りまで伸ばした艶のある銀色の髪が見目麗しく、瞳は淡いオレンジ色。丈の長い先のとんがった黒い帽子をかぶり、長くてだぼだぼの、これまた黒っぽいローブを身に纏っている。小さく握ったその手には、ホームセンターなどで見かけたことがある、身の丈ほどの長さの箒が握られている。あどけない童顔から察するに、入学したての中学生だろうか。なんにせよ非常に可愛らしい。

 少女の姿はおとぎ話に出てくる魔法使いや魔女を絵に描いたみたいだ。その格好はどう考えても、現代日本では一般的とは言えず、私は彼女に対して僅かな不信感と同時に興味が湧いた。ちなみに、今はハロウィンの季節には少し早い。……学芸会の練習をしてたとか、たぶんそんなのだろう。


「あなた、中学生? こんなところで何してるの? それにその変な格好は?」

「……? きみの方こそ、言ってる意味がわからない。第一、きみは誰だい?」

 やや高飛車な言い方に少しむっとする。最近のちびっ子はませてるとテレビやらで聞いてはいたが……。

 少女は私を不審者でも見るように睨むと、つっけんどんに言った。

「聞きたいことがある。ここはどこ? それに……きみのその妙な格好は一体なんだ?」

 心外な。学校の制服を妙な格好と言われたのは初めてだ。確かに最近ミニスカとか腰パンが問題視されていて、外国人観光客が自国の高校生と比べてギャップを感じる、というのはよく聞く話である。が、私はこう見えて模範的な生徒である(と思っている)。ギャルギャルしい格好やハデハデな格好をする勇気はないし、そもそもする気も無い。だって足寒いじゃん。

 したがって、学校が定めた基準に則っている制服を着こなしている私が、どこの馬の骨とも知れぬ糞ガキに妙な格好扱いされる謂れは無い。絶対ない。

 しかし、相手はまだ子どもである。こちらがムキになってもしょうがないというもの。ここは大人の対応をということで、あくまで平静な態度を保たねば。

「どこって……響ノ町ひびきのちょうでしょ。あなたこそ、その格好……学芸会かなにかなの?」

「学芸会? なんだいそれは? いや……待てよ、もしかすると……」

 少女は左手で口を覆うようにしながら、思案顔でなにやらぶつぶつ独り言を言っている。

 この子に付き合っているのが何だか馬鹿らしくなってきて、その場を立ち去ろうとすると、唐突に銀髪の少女は私に向かってつぶやいた。

「そうか……! ひょっとするとここは……《向こう側》。するとつまり……ボクは《向こう側》に転移してしまったというわけか! あちゃ~……こんなはずじゃあなかったんだけどなぁ……。アリアの家に出てくるはずが、何をどう間違ったか、《向こう側》に来てしまうなんて。けど、まあ……成功は成功だ!」

 一転して突然はしゃぎだした少女に、私は辟易するばかり。

 少女は笑顔で私の肩に手をかけて言った。

「きみには感謝するよ。また会うことはないだろうけど、達者で」

 この少女は一体何を言っているのだろう? ま、まあ感謝されるのはいいとして。また会うことは無いだって? ますますもって意味不明な少女である。

 私がわけもわからず狼狽えている間に、少女は懐に手を入れて菜箸くらいの長さの茶色い木の幹のような色をしたタクトを取り出す。そして、何やらぶつぶつとひとりごちながら、手に持ったタクトをまるでクラシックの指揮者のように流れるような手つきで振った。


「Ишф□∥÷Å―― 今こそ狭間に捻じれを引き起こし我を時空の彼方へと誘え ――【ルーンムーブネス】!!」


 そうつぶやくと少女は口を閉じ、タクトを振っていた右手をぴたりと止めた。

 私には彼女が何をやっているのかわからなかった。それに、彼女が大変早口だったので、何を言っているのかさえわからなかった。

 口をぽかーんと開けていると、次の瞬間! 少女の体が光に包まれ――

 ……なんてことが起きるわけもなく、結局何も起こらなかった。


「あれ!? なんで!? どうして何も起こらないんだ!?」

 少女はすっかり冷静さを失い、パニック状態。知らんぷりするのも悪い気がして、私は腰を低くして少女に声を掛ける。

「あの、どうかしたの? さっきのって……劇の練習?」

 しかし、少女は私の言葉には耳を貸さず、

「ええい! もう一度だ!」

 と言い放ち、またさっきのわけのわからない言葉をぶつくさとつぶやきながらタクトを振る。しかし、やはりと言うべきか、今度もやっぱり何も起こらない。

 少女は悲痛の面持ちで地面に手を着いた。

「どうして何も起こらない? これはまずい……まずいぞ……」

「あのさ……だから、何がそんなにまずいわけ? 結構演技上手いじゃない。私、すっかり見入っちゃってたもの」

 そこで、ようやく少女は傍にいた私に気がついた。

「劇って……まあいいや。言ってもわからないかもしれないけど……」

「それでもいいから」

「わかった。まず、世界というものは一つではない、ということを前提として聞いて」

「えっ!? あ、はい」

 何やら突拍子も無くて難しそうな話になる予感。私はひとまず黙って少女の話に耳を傾けた。

「この世界――つまり、今きみとボクが立っているこの世界を、ボクらは《向こう側》と呼んでいるんだ」

「《向こう側》?」

「そう。ボクらがいた世界が《こちら側》とすれば、今、きみとボクがいるここは《向こう側》の世界ってことさ。二つの世界は表裏一体。切っても切り離せない関係なんだ。わかりやすく例えるなら……そう、ちょうどパラレルワールドみたいなものさ。どちらの世界にも、色んな人々が生活していて、動植物が息づき自然に溢れているのさ」

「パラレル……ワールド……」

「あくまで簡単に言うと、ね。……きみの反応を見ていて思ったけど、もしかしてここには魔法っていう概念が存在しないのかい?」

「魔法って……知ってはいるけど……」

「なんだ、だったら話は早い。つまるところボクは特別な魔法を使って、時空間に穴をあけ、実験がてら隣の家に行こうとしたら、間違って《向こう側》に来てしまったんだ」

 彼女の言う《向こう側》とはすなわち、私にとって《こちら側》ということか。ううむ……なにやらこんがらがってきたぞ。それに彼女の言っていた話。魔法でこの公園にやって来ただって!? なはは……まさかそんなワケ……。


 ――魔法。杖を一振りしただけで火が出たり、不思議な現象を起こす夢の力だ。でも、そんなのは本やゲームの中での話。現実にそんな夢の力が存在するわけがない。

 少女はきっと、ひどく夢見がちな性格で、自分で考えた夢のある面白い話を他人に語って聞かせたいお年頃なのだ。今は主人公にでもなりきっているに違いない。私にもそんな時期があったっけ。


 少女の話は続く。

「ボクはこっちのことはあまりわからないけど……ボクがいたところ、《こちら側》では魔法技術が発達していて、誰もが当たり前のように魔法を使ってる。今やボク達にとって、魔法は生活になくてはならないものなんだ」

 私は要領を得ない少女の話に辟易していた。

「う……もうね……あなたのお話が面白いのはわかったから。いい加減教えてよ。あなたはどこから来たの? 名前は? お母さんとはぐれちゃったのなら、私も一緒に探してあげるから」

 少女は落ち着き払った表情で私を見て言った。

「……まあ、信じられないのも無理はないよ。ボクにとっても、この世界は驚くべき発見で満ち溢れている。例えば、きみの持っているもの。それは一体何だい?」

 少女が指差したのは、私が持っていた携帯電話。アニメキャラクターのストラップがついている、何の変哲もないただの携帯電話である。

「これ……? これは携帯電話。私はまだガラケーなんだ。特に不便じゃないから別にいいんだけどね」

「携帯電話……? やはり、ボクはそれを見たことも聞いたこともない。古代の文献にも載っていないそれは、何をするものなの?」

 今時ケータイも知らないなんて……。まさか、さっきまで言っていたのは劇の練習なんかじゃなくて、ほんとにほんとのことだったとか?

 ……はっはっは……まっさか~。

 私は目の前に立っている少女が少し怖くなった。だんだん得体の知れない不気味さを感じ始めたのだ。

 少女は引き攣った顔の私をきょとんとした目で見つめている。

「え、えっと……これはその……簡単に言うと、離れた人に連絡するための道具よ」

 私が言うと、少女は長い銀髪を揺らしながらぴょんぴょん飛び跳ねる。そして、私に羨望の眼差しを向けながら言った。

「うわぁ~すごいや! そんなすごいものを持ってるなんて、きっときみはこの世界の上流貴族なんだね。それとも王族かなにか?」

「ただの高校生よ」

 一介の高校生に何を言っているのか。私はお金持ちじゃないし、どっちかって言うと貧乏だ。財布の全財産は三百円だ。どうだ、文句あるか。えっへん!

 それにしても……さっきから彼女の話を聞いていると、なんだか小説や漫画の中みたいだ。すでに頭が混乱しておかしくなりそうだ。

 そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな……。

 私は混乱する頭を押さえながら彼女に尋ねた。

「あなた……名前はなんていうの?」

「そうか、まだ名乗ってなかったね。ボクはネル。ネル・G・フレイリィだ」

 ネル。語感からして外国人だろうか。もしかするとハーフかもしれない。会った時から思っていたが、綺麗な銀髪はかつらではなく地毛だということか。

「ネル……ね。私は麗華。家達麗華よ」

「そっか麗華。よろしくね」

「こちらこそよろしく、ネル。ところで……ネル、私はあなたの誇大妄想にはもう飽きたわ。いい? 魔法とか、そういうものは、悲しいけれど、おとぎ話の中だけの話なの。いい加減に本当のことを言わないと警察に突き出すわよ!」

 痺れを切らした私が語気を荒げて言うと、ネルは慌てて弁解した。

「も、妄想じゃないよ! そもそもきみは何か誤解している。断言する。ボクは嘘なんて一つも言ってないよ」

 魔法が嘘じゃなかったら……それは素敵なことかもしれないけど、そんなの絶対ありえない。私はロマンよりも、今まで生きてきて培った常識を信じることにする。ネルを猜疑心の籠った目で見つめ、冷たく言い放った。

「あっそ。そもそも、私はあなたが魔法を使えるということ自体疑問だわ。さっきだって、思わせぶりなことしておいて、結局何も起こらなかったし。それに、絵本に出てくる魔法使いは、大体髭の長い爺さんか、怪しい鍋をぐつぐつ煮込む醜い顔の老婆だったもの」

「偏見だ! ボクは魔法使いなんだ! 魔法を使えないわけないでしょ!」

 ネルは必死になって言うものの、やはり私には信じられない。私は眉一つ動かさず、子供をからかうような物言いでつぶやく。

「ふーん……そこまで言うんだったら何かやってみせなさいよ」

「くっ、随分馬鹿にしてくれるね……。こんなに馬鹿にされたのはアイツ以来だ。……いいよ。きみがそう言うなら、見せてあげるよ。未来の《偉大なる魔法使いグランドマジシャン》の魔力……とくと見るがいいッ!」

 そう言い放つと、ネルは流れるような動きでタクトを振り始める。

 二丁目公園に一筋の風が吹きすさび、道端に落ちていた空き缶が風で転がっていく。季節的に少し早い落ち葉が、風によっていずこかへと運ばれていった。

 それはそれは何とも空しい沈黙が辺りを包む。

「ほらね。やっぱり何も起こらないじゃないの」

 しかし、ネルは唇の端をぎゅっと結んで、真剣な表情で空の彼方を見つめている。

「まだだ……」

「目を覚ましなさいよ。魔法なんてね……存在しないの! わかったらとっとと家に帰りなさい。そんな格好でお巡りさんに見つかったら補導されるわよ」

「そんなわけはない。嘘だ! よもや下級呪文まで使えないなんて……一体ボクはどうしてしまったっていうん――」


 ぱたり。


 言いながらネルの顔がだんだん蒼白になっていく。そして、言葉の途中でそのままぱたりと地面に倒れてしまった。

「えっ……ちょっと、貧血!? 大丈夫!?」

 声を掛けても返事が無い。これはまずいと思った私は救急車を呼ぼうと携帯を開く。

 しかし、運命か、神のいたずらか。携帯の画面は真っ暗になっていた。こんな時に不幸にも電池切れになってしまったのだ。

 こうなっては仕方ない。とりあえず家に運ぼう。

「ちくしょ~めぃっ!!」

 女子高生にあるまじき掛け声でネルを背負う。意外な程に彼女は軽く、楽に背負うことができた。

 彼女は急にどうしたのだろう。よもや落下のショックが今になって出てきたのだろうか。どんどん悪くなるネルの顔色を見て、家へと急ぐ私の足も自然と早くなる。


 私の家は二丁目公園から近いので、三分くらいで帰ってこれた。

 家に着いた私は、リビングのソファにネルを寝かせ、タオルケットをかけてやる。洗面所でタオルを絞り、彼女の小さくて透き通るように白いおでこに乗せてやる。すると、ネルの顔色が少しずつだが良くなっていく。

 ほっ……。この分なら救急車を呼ばなくとも済みそうだ。私は傍に椅子を持ってきて、彼女の様子をじっと見守る。

 見れば見る程、可憐な少女だと言わざるを得ない。

 精緻な、まるで人形細工のような顔立ちに加え、芸術的にさえ思われるほど美しい銀色の髪が目を引く。

 ふと、自分の髪を触る。何の変哲もないただの黒い髪の毛。特にパーマをかけていないが、生まれつきのくせっ毛で、先っぽが少しうねっている。それをゴムひもで一本に縛っただけの簡単でありふれたヘアスタイル。

 別にファッショナブルでありたいという気持ちはない。……それでもこうしてふと、ネルのような美人が羨ましく思えることがある。

 自分は他人の目にはどういう風に映っているんだろう。それはきっと、鏡で見る自分とは少し違う自分のはずで、その自分はその人にどういう影響を与えているんだろう。


 ……いけない、そんなことを考えている場合じゃなかった。


 私は再び意識をネルの様態に集中させる。だが、彼女の安らかな寝顔を見ているうち、自分も眠くなってきて……いつしか、こっくりこっくりと舟をこいでいた。

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