気弱青年とピザ
のらい
気弱青年とピザ
雨の中、一台の車が高速道路を滑るように走る。運転手は若い男。助手席には見事な化粧を決めた女が乗っていた。
「ねえ、ガムちょうだい」
「あ、うん。どうぞ」
男はよれたYシャツの胸ポケットからガムを一枚取り出す。それを女は受け取り口へ放り込んだ。
「うげ、これミントの辛い奴じゃないの。私こういうの苦手なんだよね」
「え……あ、ごめん」
男の目は泳いでいた。
「ねえ、いちいちそうやって気弱になるのやめてくれない?」
女の言う通り男は気弱で、今日はいつにも増してそうである。それは男が立てていたある計画のせいであった。
(今晩は絶対成功させるんだ)
男は緊張のあまりナーバスになっていたのだ。
さて、この男女が辿り着いたのは一軒のイタリアン・レストランだった。山間にあって、まさに山男の隠れ家といった風情である。
「いらっしゃいませ。今晩は雨の中、よくぞいらっしゃいました。それでは店内へどうぞ……」
そういって現れたのはここの店主だ。熊のような大男で、店に似つかわしく山賊でもやっていそうな顔立ちをしていた。彼は丸太のように太い腕を差し出し、男女を店の奥へ案内する。その際、店主は男に視線を交わらせた。
(今日はうまくやれよ)
店主は男の計画の心強い協力者だった。話は3日前に遡る。
「それで?お前その女の子と上手くいっているのかよ」
「うーん、二人で一緒に遊びに行けるくらいにはなれたよ」
男と店主は高校以来の友人で、たまにこうして二人で酒を飲んだ。今日は駅前の安い居酒屋だ。
「じゃあもう一息じゃねえか、告白してしまえよ」
話題に上っているのは男の恋愛事情についてだ。現状、男と女は気の置けない友人程度の仲に収まっている。しかし、男はさらにその先の関係になることを熱望していた。
「だけど僕さ、昔からあがり症だろ?気も弱いし……その気になれないんだ。異性に告白するのだって初めてなんだよ」
「告白が初めてって……そんなの最初は皆そうだよ」
それはその通りだが、だからといって男が人より臆病という事実は変わらない。
「要は一線を越える勇気がないわけだな。それなら考えがある。お前、その子をウチの店へ連れて来いよ……」
そして今日という日がやって来たのである。
(やっぱり緊張するな……)
男は意を決したものの、腹を括るという事は出来なかった。さっき以上に目が泳ぎ、もはや挙動不審者の域に達している。食事も進まず、女の方がよく食べた。
「ねえ、どうしたの?さっきから見てて面白いよ」
女が苦笑いを浮かべて言った。見透かされているのかな、と男は思う。
店内には他に老年カップルが1組、男女混合の若者グループが2組いた。それぞれの席で話は盛り上がっているようだったが、店内は概ね静かな雰囲気といえた。
そうこう言っているうちに次の料理が運ばれてくる。
「地元農家のトマトと自家製ベーコンのピザです」
出てきたのは薄手の生地に厚切りベーコンにチーズが載せられたシンプルなピザだ。トマトソースの香りが食欲をそそる。男もこうまで緊張していなければガツガツと食べただろう。
男がピザを適当な大きさに切り分け、女に渡した。
「すごーい、おいしそう。いただきまーす!」
そして女はピザを口へ入れる。糸を引いたチーズが頬につき、彼女は笑いながら手で拭った。男はその様子を黙ってみている。
「何考えてるのか知らないけどさ、食べなきゃ損だよ?」
それもそうだ、と男は思い目の前の料理に手をつけた。これ以上神経質に振舞っていれば、女にも店主にも失礼に当たるだろう。来るところまできたのだ。覚悟を決めなければならない。そして切り分けたピザを一片、丸ごと口へ入れた。
(うん、おいしい)
チーズが口の中でとろけ、それに接した舌が幸福感に包まれた。厚手のベーコンからは塩っけのある肉汁がたれる。全体的に濃い味だ。だけれどもトマトソースが酸味があるので、無理なく食す事ができた。男らしさと面倒見の良さを併せ持つ、店主らしい料理といえる。
(俺はアイツがうらやましい……こうも自分らしく生きられる人間は中々いない)
それに対する今の自分は少し情けなかった。
食事も概ね済み、後はデザートを待つのみとなった。すると店内の電気が消え、店主がマイクで喋り始める。
「えー、本日は当店にお越しいただき、ありがとうございます。突然ですがここで、私の友人のある挑戦を見守ってはもらえないでしょうか……」
すると男の席がライトで静かに照らされた。女が何事かとあたりを見回す。
店主の作戦の内容はシンプルそのものだ。男には告白する勇気が出ない。だったらこうやって、告白せざるを得ない状況に彼を追い込むまでだ。小心者の男にとってこれは大胆すぎる作戦ではあったが、店主の強い勧めに押し切られ、実現することになった。
(頑張れよ……)
店主は腕を組んでその様子を見守った。男が立ち上がり、そしてゆっくりと口を開く。
「あの……す、すみです!」
好きです、というつもりが、男は盛大に噛んでしまった。あまりに見事に噛んだので、客の一人が笑い出してしまったほどだ。
(どうしよう!失敗した!完全に!)
男は泣きそうになりながら店主の方を見る。店主は腕を組んだまま微動だにせずこちらを見るのみだった。男は次に女の方を見る。女は苦笑して所在無さげに立っている。だが、その視線にはどこか暖かいものを感じた。
それを見た男は大きく息を吸う。大丈夫だ。僕は拒まれてはいない。
「好きです。付き合ってください」
それを聞いた女は笑って答える。
「なんかこういう状況って断りにくいわね……いいわ。付き合いましょう」
すると店内は歓声と大きな拍手に包まれた。デザートは大きいサイズのイチゴのショートケーキだった。
帰り際、男は女を待たせて、店主の下へ話をしにやって来る。
「お陰で、あの子とカップルになれたよ。ありがとう」
「良いって事よ。あがり症で気弱なのも少し克服したんじゃないか?」
「いや、分からない。でも、次また勇気が出ないときは今日みたいに背中を押してもらおうかな」
「いいぜ。次は結婚のプロポーズか?」
それはともかく、男と女は何かの記念日には必ずこの店を訪れるようになったという。
終わり
気弱青年とピザ のらい @desuyodog
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