あなたは月面に倒れている

倉田タカシ

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 あなたは月面に倒れている。


 夜明けを迎えたばかりの塵積もる平原に、あなたは長い影を曳き、よこたわっている。


 気づいたときにはそうなっていた。

 それまでどうしていたかを思いだせない。

 自分がなぜここにいるのか、思い出せない。

 自分が誰なのか、わからない。

 ここが月面だということだけがわかる。


 静かだが複雑な唸りがあなたを包んでいる。

 あちこちにきつい締め付けがあり、うつぶせの身体にいくつもの圧点が不快をもたらす。奇妙な臭いがこもっている。刺々しい消毒薬とそらぞらしい柑橘類の芳香、それらをしても覆いきれない、時を経て呪いのようにしみついた人間の体臭。

 ばらばらの知覚が、しだいにあなたの周りに宇宙服の輪郭をかたちづくっていく。


 フェイスプレートのむこうには、横倒しになった月面の風景がある。

 大気の不在が距離の実感を失わせ、地平線で波打つ稜線は、どれほどの遠さにあるのかわからない。地表には無数の小さな石くれがあり、それらがみな長い影を左から右へ伸ばしている。

 あなたは首を右に捻じ曲げ、日の出の方向に頭を向けてうつ伏せに倒れている。両手は頭の両脇に投げ出されている。


 誰もが月面で発見される最初の死体になりたいと望む、そんな時代がかつてはあった。あのときの子供にとって遠い未来であったいま、いくつもの夢が現実になり、非日常はただの日常になり、あなたは月面に倒れている。


 朝の月は冷たい。あなたはそれより少しだけ熱い。


 スーツのなかで全身が汗まみれであることにあなたは気づく。

 のどが渇いている。

 動かした指先が、ごわつく素材とこすれあう。幾重にも入れ子になった手袋が、湿った皮膚と真空とのあいだに不可侵の境界をひいている。横倒しになった視界のなかで、太い指が黒ずんだ塵にめりこみ、拳のなかにいくばくかの塵と砂礫を握りこむのが見える。なにかをつかんでいるという感触はまったく得られない。

 あなた自身のものなのに、呼吸の音はひどく遠い。ヘルメットの内側に貼りめぐらされた緩衝材が反響を吸い取ってしまうのだ。


 なにも思いだせない。


 自分が誰なのかわからない。


 身体に大きな痛みはない。だが、ひどい倦怠感がある。意識の混濁はおそらくない、とあなたは考える。しかし、その確信はすぐに揺らぎだす。

 なにも思いだせないのに、切迫感だけはある。ここは月面で、あなたは宇宙服を着て倒れている。幾重にも層をなす合成樹脂や金属箔でつくられた人型の密閉容器が、1000ヘクトパスカルの気体充填、極端な放射線輻射の減少といった局所的な異常をつくりだし、本来はこの場所で不可能であるはずの生存を許している。だが、それはほんのわずかな時間だけのことだ。


 戻らなければいけない。もっと大きな局所的異常の領域へ。より長い生存を可能にしてくれる場所へ。それはどこなのか。

 どこかにあるに違いない、とあなたは考える。どこかに戻るべき場所があるはずだ、と。だが、そうであると信じられるだけの心理的な裏付けはない。なんの記憶も浮かび上がってこない。ここが月であることへの強い確信に対して、自分がどこかへ戻れるという考えは、壁のない天井のように根拠を欠いて、中空に頼りなく浮かんでいる。


 中空になにかが浮かんでいることにあなたは気づく。


 あなたの頭頂のすこし先、視界からほとんど外れたあたりに、塵のようなものが凝集し、もやもやと渦を巻いている。

 あなたはそちらへ視線を向けるが、フェイスプレートのむこうへどれほど目を凝らしても、そこにあるものに焦点を結ぶことができない。


 声がきこえた。


「あなたは可能ですか?」


 あなたは動く塵を視界の中央にとらえようとする。

 焦点を合わせることができれば、ひとつひとつの粒子が見えただろう。塵はなんらかのパターンにしたがって動いているように見える。自然の現象でないことを知らせるように、ごくごくわずかに、物理法則から外れた動きをみせる。


 そこでようやくあなたは、たった今なにかが自分に話しかけたことに気づいた。

 ふたたび声がきこえる。


「あなたは様式に沿っていますか?」


 声は、通信機器を通じて聞こえてくるようでもあり、頭のなかに直接話しかけられているようでもあった。けれど、どちらなのかを判断しようとすると、うしろから素早く眼鏡を外されるように、ふっと意識の焦点がぼやけてしまう。

 質問は、不定の間隔をおいて続けられた。


「あなたは知性体ですか?」


「あなたはどこですか?」


「あなたは意識していますか?」


「あなたは正常ですか?」


「あなたはにこやかですか?」


「あなたは我々ですか?」


「あなたは光りながら回転する等方性ですか?」


「あなたはどうかしていますか?」


「あなたは渡せますか?」


「あなたは通りますか?」


「あなたは保全されていますか?」


「ここまでの質問のうち、あなたがもっとも応答しやすいと感じたのは何番目ですか?」


 あなたは首をねじまげ、必死に目をこらす。

 視界の上端にはぼんやりと塵の雲のようなものがあるばかりで、ほかにはなにも見えない。

 あなたは起き上がろうとするが、その力がない。


「わたしはやってきました。つまり、わたしがやってきたと考えていただければ問題ありません。わたしは応答によって学びます。あなたは応答可能な状態ですか?」


 ようやく、ひとつの質問があなたの口から洩れる。


「あんたは誰だ」


 声は遠く吸い込まれ、自分が発したもののように感じられない。


「このような場合に、誰であるかという質問には答えが存在しません。人称代名詞によって指し示すことのできない存在にも言葉はあり、無視すべからざる主張がある、これはそのようなケースのひとつとみなすべきでしょう」


 相手の言葉は、あなたの頭にほとんど入ってこなかった。自分が記憶を失っているという認識に、心がすぐに引き戻されてしまうのだ。


「なにも思いだせないのですか?」


 やはりあなたはなにも思いだせない。


「思いだせないなりに会話を楽しんでみませんか?」


 このやりとりは自分の頭のなかだけでなされているのではないだろうか。自分が発狂してしまったとは、まだ考えたくなかった。まだ懐疑をいだくことができる。この状況が異常であると認識している。狂ってはいないはずだ。


「あなたについて教えてください」


 なにも思いだせないのに、どうして何かを教えることができるのか。


「想像で補っていただいても結構です」


 声は平然と続いている。

 これはいったいなんなのか。


「単純化した説明でいうなら、地球外の存在です」


 その説明はあまりにも単純すぎた。

 あなたはただバイザーの向こうを凝視する。


「より詳しい説明をご希望であれば、あなたがいま思考に使っておられる器官の細胞数を倍に増やしていただく必要があります。動作肢の数を十倍程度に増やし、それぞれを完全に独立して動かせるように神経を再配置するという形でも理解のためのインフラを用意していただくことはできますが、こちらのほうが難易度が高いことはおわかりいただけるでしょう」


 言葉はあなたの頭を素通りしていく。

 自分自身が何者かわからなくなっているときに、他者が何者であるかなどということに関心を持てるはずがない。とはいえ、相手が人間ではないらしい、ということだけは、無理矢理に飲まされた薬のように頭に染みとおってきた。その認識があなたの寄る辺なさを倍増させ、不安を何倍にも膨らませる。

 これがどういう対面なのか、考えたくもない考えが次第に浮かび上がってきた。


「産業革命以降、人類はおよそ286回の〈ファーストコンタクト〉を経験しています。なにを地球外知性と定義するかによって数は変わります。もっとも慎重な基準を適用した場合、コンタクトの回数はゼロです。これがその一つに数えられるかどうかには、まだ結論が出ていません」


 地球外の存在を自称するものは、聴いているうちに穏やかさと平板さの違いがわからなくなってしまうような発声をする。


「お互いに未知である文明どうしの最初の接触が、脅迫の応酬となるケースもあり、致命的な攻撃の応酬となるケースもあります。しかし、たとえそうであっても、対称であることは好ましいものです。それは、最低のラインにおいて、なんらかの形でコミュニケーションが成立しているという幻想を双方がわかちあえるからでもあるでしょう。ここでも、おたがいに問いに答えることでやりとりの対称性を完成させることが望ましいといえます」


 望ましいもなにもなかった。あなた自身がアイデンティティを失っているということのもたらす決定的な非対称性が、コミュニケーションをほとんど不可能にしているのだ。

 夢であってほしいとこれほど強く願ったことはないだろう。だが、どういうわけか、そうでないことだけがはっきりと判る。

 ここは月面で、これは夢ではない。泥水のように濁ったあなたの意識のなかで、その認識の周囲にだけは澄み通った明晰さのようなものがひらけている。

 ここはたしかに月なのだ。


 訓練を思い出せ、とあなたは自分を叱咤する。

 訓練をしたかどうかは思い出せない。いったいどんな訓練だというのか。だが、こうしてここに来ているからにはなんらかの訓練を経たに違いない。


「なぜここに?」


 そうあなたは尋ねるが、この見知らぬ相手にではなく、自分自身に問うたも同然だった。

 なぜ自分はここにいるのか。なぜ自分はなにも思いだせないのか。


「行動に理由を必要とする思考様式は、宇宙においては主流ではありません。わたしたちがここでするべきはそのような無用な問答で時間を浪費することではありません。なぜあなたは月にいるのですか?」


 あなたは相手の語りをほとんど受け止めず、心のなかでは、蝋燭の火に暖を求めるように自分自身の疑問のうえに身をかがめている。いったい自分は月になんの用があったのだろう。なにかがあったはずだ。なにかが。

 月には、ほかにも人間がいるのか? 自分がここにいるからには、いるはずだ。数人で訪れているはずだ。なんらかの使命を帯びて。それは一体なんなのか。


「あるクレーターの底に、強力な磁場を発生させる機械的な被造物を埋没させ、それを発見できるだけの技術をもつ知性体が現れたらにわとりのような声を発する、という設定のフィクションがかつてこの衛星がめぐっている惑星の文明圏に存在したことを、わたしは観察によって知っています。月がそのように重要な秘密を隠した宝箱のようなものであると夢想する人々は後を絶ちません。あなたは、月面になにが埋まっていると思いますか? 月のクレーターには衝突の衝撃でつくられたダイアモンドが埋まっているという説がありました。ありましたか?


 月面には、たくさんの自動車が埋まっています。あなたの真下にも一台が埋まっています。自動車はあなたの文明におけるもっとも基本的な移動手段であり、月に憑かれた教祖の成功によって人類のうちおよそ三○億ほどがつねに月に祈りをささげるようになったため、意識の投射圧によってここにも自然に自動車が形成されることになりました。大気のある場所に置けば完全に動作しますが、型は古く、世間話もあまり上手ではありません。


 月面には、たくさんの銃弾が埋まっています。祭りにおいて、祝福の意味を込めて空へむけて銃を撃つという文化が地球のあちこちにありますが、このように殺意なく撃たれた銃弾は、ある条件がそろえば、祭祀の高揚を推力として大気圏外へ達することができるのです。殺意をまとわぬゆえにそれらは重力に対していくばくかの自由を行使することができ、月に着弾することも可能になります。あるとき、月面にやってきて、そのひとつを掘り出し、殺したい相手に向けて発射した者がいました。しかし、殺意を担わされた瞬間に、銃弾は地球の地表に戻り、速度を失って川底へ沈みました。ゆえなき事象の典型的な帰結であると言えるでしょう。


 月面には、たくさんの象の骨が埋まっています。地球の象、とくにインド象には、死期を悟ったときに、ふたつの選択肢が用意されています。自分で死に場所を探すか、月へ電話をかけるかです。後者を選ぶとオペレーターが対応し、月面のすきな場所に骨を埋葬してくれるのです。見返りに、オペレーターは、象のくるぶしの骨に蓄積された地球重力の痕跡を愛でることを許されます。月に骨をうずめることについては、73パーセントの象が『満足している』と答えています。


 月面には、たくさんのテレビ受像機が埋まっています。倒産した電機会社の在庫を盗み出した汎銀河窃盗団の下位構成員が整合性ドライブの不調にみまわれ、運んでいた盗品が、近傍の質量源、すなわち月に引き寄せられてその地表付近に再実体化したのです。いまも故障したまま界面下で稼働を続けているドライブによって断続的に整合性を与えられ、受像機はときどき地表の下でバラエティに富んだ番組を映し出しています。


 月面には、たくさんの砂糖菓子が埋まっています。渡りの習性をもつ金星土着の好真空性生物が、火星への移動の途上でここに逗留し、グルコースを主成分とする糞を地下に残していったのです。ちなみに、この生物は約3000万年前に絶滅しています。これらの糞は、いまから数十年後に地球人によって発見され、月みやげとして売られるようになる可能性をはらみつつ、静かに地表の下で眠っています。ただ、これに同様の商業的価値を見出しうる星間種族がやはり数十年後にここへ到達するコースをとってもいるので、トラブルが発生する可能性があります。なお、このグルコースは左旋性です。


 月面には、たくさんの種が埋まっています。これはもちろん地球でいうところの植物の種子とは違うものですが、ある地球外文明にとって同じような意味を持つものと考えてください。さらに、リンゴの種に相当するものであると言っていいでしょう。既知宇宙にあるすべての固体天体にこの種を蒔くことをライフワークとした不死の存在が、すでに蒔いてあるということを忘れて三度訪れたので、月面にはとくにたくさんの種があります。およそ2万年後に芽がでると、周辺の時空を破壊し、天体を余剰次元に畳み込み、見る人の頬を緩ませる性質をもつ粒子をひとつ放出します。


 月面には、たくさんの犬が埋まっています。これはワームホールを使った測定の名残りです。ある調査機関が、目的を不正に秘匿しつつ許可を得て月の地表下数メートルを等間隔にスキャンした際に、測定機器の照準が合わせられた地点に犬の形をした空洞が残りました。この空洞がいわゆる『ポンペイの犬』、すなわち、西暦七二年にヴェスヴィオ火山の噴火によって埋没したポンペイ市街の遺跡に空洞として残された犬の死骸にそっくりの形になったのはまったくの偶然ですが、しかるべき場所に穴をあけ、石膏などを流し込めば、『ポンペイの犬』とおなじ形をしたものを手に入れることができるのです。これは、宇宙に生じる偶然一致の事象としては中程度に珍しいものと考えられています。


 あなたも月面に埋まってみたいですか?」


 やはりこれは幻聴なのだろうか。

 それすらもやがて聞こえなくなり、このまま誰にも発見されず、塵に埋もれてしまうのだろうか。

 だが、誰かが探しているはずだ。それが誰なのかはまったく思いだせないが。待っていればいい。待っていればきっと助けがきてくれる。そう繰り返す声があなたの心の底にある。


 サインだ。


 突然あなたは思いつきを得た。

 塵のうえに大きなSOSのサインを書いて知らせるのだ。

 あなたは、どうにかして体を起こそうとする。

 まちがいなく人間がつくったものとわかる文字を、あるいは記号を、なるべく大きく描かなければいけない。軌道上から確認できるほどのものを。ナスカの地上絵のように。

 ナスカという言葉を、それらがどんな形をしているかを、あたりまえのように記憶の底から取り出せたことに、あなたは驚愕する。

 ナスカの地上絵。それはペルーにある。なぜこれだけを思いだせるのか。


「ナスカの地上絵は、一般にはカーゴカルトの一種であると考えられています。ある意味ではその通りですが、描かれているのはもちろん滑走路ではなく、また、宇宙人の姿でも、その乗り物にあたるものでもありません。地球に不時着した異星人と現地民の長年の交流の結果つくりだされた一種の共通言語であり、精神構造のまったく異なる、ふたつの知的存在の橋渡しをするための記号です。動物をかたどっていると誤解されていますが、ストロークの本数と角度だけが重要な情報で、形は偶然のものです。


 異星人は、あるときに何のまえぶれもなく宇宙へ去ってしまった、とナスカの人々は考えていました。しかし、実際には、この共通言語を用い続けることによって精神構造に不可逆の変化が生じ、異星人たちは土着の植物に同化してしまったのです。ナスカの人々は、彼らがまだ地球上にいることに気づかず、宇宙へ向かってメッセージを送り続けました。異星人が同化した植物は根が肥大して食用になる種類のもので、日々の食卓にのぼり続け、19世紀に入るまえに伝染病で絶滅したものと考えられています」


 幻聴であるのはいいとして、こんな考えがなぜ自分の頭から出てくるのだろうか。


「20世紀には、〈クロップ・サークル〉と呼ばれるものがありました。

 麦畑のなかで、幾何学的な図形を組み合わせた形に麦の穂が倒れているのが発見され、これが地球外存在のしわざではないかとの推測をよんだのです。

 最盛期には、このクロップ・サークルを模倣し、人類がつくったかのように装ってそのリアリティを競う地球外の集団が存在しました。なかには、人類を精神操作してクロップ・サークルを作成させる一派もありましたが、これには低い評価しか与えられませんでした。人類以外の道具を用いて人類が作ったかのように見せかけることのほうが高度な試みだからです。

 これまで、活動の痕跡や活動そのものを自然現象のように見せるための技術は十分に試され、すでにほぼ完成の域に達していました。しかし、不自然でなく、かつ誤解の余地も残しつつ人為的であるように装うのは、ひとつ高い段階の挑戦です。ありえないものを現出させるのは、行為者そのものがありえない存在である以上、とても簡単なことですから、かの地における娯楽は常に、ありそうなこと、起こりそうなことをありえない方法で実現するというものでした。


 マンデルブロ集合の形をしたクロップ・サークルは、この娯楽から生まれたものです。

 UFO、すなわち、未確認フラクタル観察者Unidentified Fractal Observerのしわざであろうとコメントされ、話題になりましたが、あれは人間が作ったものではありません。あきらかに人間がつくったものでしかありえないばかばかしさですが、そういう意味でやりすぎてしまい、過大な注目を集めてしまいました。ですから、評価は高くありません。メディアにさえとりあげられないほどデザインにおいて凡庸で、どう見ても訓練の足りない人間が作ったとしか思えない、しかしビリーバーの夢をこわすほどではない、というものが望ましいのです。


 同様の娯楽として、写真に撮るとどう見ても至近距離にぶらさげられた灰皿であるとしか思えないのに、実際には直径数キロメートルの宇宙航行機である、というものもいくつか作られました。

 これは、それほど巨大でありながら撮影できる人間が一人しか存在しない、というシチュエーションを用意することの難易度が高く、光学的な欺瞞を極力避けるというレギュレーションを守ると、きわめて実現しにくい課題でした。飛行機械そのものは、微小な機械を雲状に凝集させることで輪郭を適度にぼやけさせ、写真に撮ったときに小さな物体にみえるよう演出していたものが主流でした。吊り糸を表現するために、大気圏外まで長い構造物を伸ばしていたものもありました」


 あなたも、今、あなた自身にとってありえない存在であると言えなくもない、とあなたは考えずにいられない。こうしてありえない状況におかれているのが、ありえない存在の娯楽によるものだとしたら。


「現在、火星の地表には、たくさんの〈顔〉があります。

 太陽系の近傍数億光年の範囲で、現在時点を基準に約3000万年まえから4万年ほど未来までのあいだに文明形成の時期をもつ知的種族の顔がちりばめられています。

 より正確にいえば、それらの知的種族にとってはまるで〈顔〉のように見える地形が点在している、ということです。

 ここでいう〈顔〉とは、再生産を目的とした個体間コミュニケーションにおける情報の焦点となる身体部位のことで、あなたのように視覚器官が置かれている部位とは限りません。地形の総数は6503ですが、そのうちの2つは、極めて似通った外見をもつ別個の種族にとっての〈顔〉をひとつの地形で表したもので、対象となる知的種族の数は6505です。


 これは、あなた方の暦法にあてはめると西暦1746年から翌年にかけて行われた事業で、目的はまだ定まっていません。因果にしばられた思考様式を持たない存在のほうが宇宙には多いのです。そのような制約から自由である知性体のほうが宇宙的な成功を得やすいとも言われています。ここでいう宇宙的な成功とは、銀河フィラメントを一本まるごとエネルギー源として使える程度の能力と、それをほかの知性体に自慢できる環境を持ち合わせていることを指します。


 ちなみに、地球人がかつてバイキング一号の撮影した写真に見出したものは、いま説明した事業によって作られたものとは無関係です。あれよりもはるかに地球人の〈顔〉らしく見える地形が、また別の場所に作られています。ほとんどの地球人はこれを見ると発狂するでしょう。図像的強度が宇宙水準に合わせられているためです」


 あなたは、自分がすでに発狂しているという考えから必死で逃れようとする。しかし、発狂していないのだとすると、この声がなんらかの実在性をもつものであることになる。どちらのほうがましな状況なのかわからない。


「『カンガルー』という生物があなたの惑星に生息しているのではないでしょうか。

 そう名付けられたのは、異国からやってきた探検家にあの生物の名はなにかと問われた現地民が、彼らの言語で〈わからない〉を意味する『カンガルー』という単語で答えたのが誤解され、そのまま、かの惑星において当時もっとも支配力の大きかった文明圏における当該生物の呼び名として採用されてしまったのだという説があると、あなたも知っている可能性があります。

 ある意味では、あなたもここで、あなたなりの『カンガルー』を答えることを求められているといえるでしょう。

 『カンガルー』は、とても豊かな言葉です。コミュニケーションの根本的な不可能性に対する前向きな倦怠、着古したパジャマの膝のようにくたびれた親切心、無窮の大自然へのなかば忘却された畏怖、部族の叡智を誇りつつ懐疑する気持ち、既知の世界へ閉じこもることを望む臆病さ、そういったものがこの一語のなかに凝縮されているのです。

 ですから、あなたの『カンガルー』をきかせてください。それが伝達されたところから、誤解に基づく豊かな文化が生まれる可能性がごく僅かにないとも限らないのです」


 あなたは、自分が『誰でもないウーティス』と名乗るべきなのではないかと、ふと思う。だが、いまの自分には隠すべき名前すらもない。


 あなたのまわりには月面が広がっている。

 あなたが横たわっているこの場所にも名前がつけられているはずだ。ここはすでに人間の土地であり、観察にしたがって分割され、分節され、すみずみにまで名づけがゆきわたっているはずなのだ。しかし、あなたの心の中でゆっくりと回る月球儀には、なんの名前も記されていない。

 その月面がカンガルーでおおわれていく。カンガルーの海、カンガルー裂溝、カンガルー盆地、カンガルー・クレーター……。直径数百キロのものから、直径数ミクロンのものまで、月面に存在するすべてのクレーターが、カンガルー・クレーターになる。いまこの瞬間もそれは増え続けている。小さな岩粒が『カンガルー』と名乗りながら衝突し、『カンガルー』と呼ばれる小さな窪みを残す。


 はるかな昔、まだそれを『地球』と呼ぶ生物もない、表面に薄い膜をまとう溶けた岩石の球体に、半分ほどの直径をもつ岩塊が衝突した。

 衝突しながらそれも『カンガルー』と名乗り、大量の溶けた岩塊をまき散らす。それらもみな平等にカンガルーだった。ふたたびまとまり、のちに『月』と呼ばれる大きなカンガルーとなるまでの時間は、わずか一年ほどだったという。


「地球をおとずれた宇宙人の使節に、政府の担当者はキリンを見せました。

 宇宙人はいたく感じ入り、『これは牛にそっくりですね』と感想をのべます。担当者はおどろいて、いいえ、牛とキリンはとてもかけ離れた動物です、と答えてしまいます。心のなかで、やはりしょせんは宇宙人だ、地球の動物の見分けなどつかないのだ、と考えます。しかし、この宇宙人の観察眼はとても優れていると思いませんか。なにしろ、この〈宇宙人〉は、電磁的な殻に封じられた無数の珪素薄片という存在様態をもつ知性体だったのですから。ところで、あなたはウツボカズラによく似ていますね」


 あなたは、自分がどんな顔だったかを思いだせない。目はいくつあっただろうか?


「もしかすると、あなたは偉大な跳躍をしたのかもしれません。なにもないところから忽然とここにあらわれ、その達成の本質を知ることもなく、達成の代償として記憶を失ったのだと考えてみてはどうでしょうか。そこからまた想像の翼を羽ばたかせてみるのも一興ではないでしょうか」


 偉大な跳躍、という言葉が、あなたの記憶野をわずかに痙攣させる。それは月にまつわる言葉だ。なぜかはわからないが、あなたはそう確信する。


「最初に月を飛び越えた牝牛は、生後14カ月のジャージー種でした。『月を飛び越えた』とは、もちろん、牝牛を載せた宇宙船が月の周回軌道上で地球からみた月の裏側を通過することを意味しています。牝牛が生きたままであることはとても重要で、解決すべき技術的課題が山のようにありました。しかし、試みは成功に終わり、凱旋のパレードは首都を三周できるほどの長さになったのです」


 偉大な跳躍とは、月にまつわる言葉だ。あなたはそこにしがみつき、なんとか手がかりを得ようと心の中でもがく。


「その後、牝牛は関係企業の財政的な問題から持ち主を転々とし、バルセロナ郊外の闘牛場でたくさんの刺し傷をうけて生涯を閉じることになりましたが、このとき催されたのは、この時点で完全に違法化されていた闘牛ではなく、ある時代のある地方においては『キャトル・ミューティレーション』と呼ばれ目的を曲解されていた、宗教的儀式と事務処理の両側面を分かちがたい形で持ち合わせた地球外由来の行為です。月を飛び越えることと闘牛場で最期をむかえることの間には一種の詩的な連接がありますが、その情緒的根拠は地球文化とはまったく無関係です。

 ところで、カンガルーとはどういう生物ですか?」


 カンガルーがどんな姿をしているのか、あなたはやはり思いだすことができない。

 おのれが、使い切る寸前の歯磨きチューブであるかのように、身をよじって記憶を絞り出そうとするが、脳裏にはなにもよみがえる気配がない。


 身をよじるのにあわせ、耳元にコロコロと小さな音が届いた。細いチューブを、こまかい気泡を含んだ液体が流れていく音だ。


 肌着と宇宙服そのものに挟まれた中間層としてあなたの身体のまわりに存在するインナースーツには、人体を冷却するためにさまざまな太さのチューブが血管のようにめぐらされている。そこに水を循環させるためにポンプがあり、第二の心臓のように稼働しつづけている。

 実際、それは心臓の鼓動とほとんどおなじ間隔で脈を打っていた。ポンプは背中の中央やや下寄りに配置され、電流によって伸縮する素材で作られていて、ふたつの区画が交互に収縮を繰り返すことで冷却水を全身にめぐらせている。心拍数が上がり、体温が上昇すると、それを冷ますためにポンプの脈動も増えていく。心拍数が下がれば、ポンプの脈も落ち着いていく。追いつ追われつ、そのようにして二つの鼓動はほぼ同じリズムを刻んでいる。


 ここまでの知識が、容器をあるやりかたで振った時にだけ転がり出てくる飴のように、とつぜんあなたの空っぽな頭蓋のなかに落ちてきた。

 あなたの心拍数がたちまち上がる。冷却ポンプがそれを追う。


 あなたは宇宙服の構造をさらに思いだそうとする。


 この宇宙服は硬い。


 宇宙開発の初期段階で用いられていた軟式のものではなく、甲殻類じみた硬質の外装をもつ型なので、内部を通常の気圧にして運用できる。着用の際に減圧に身体を慣らす時間が不要であるというのがその大きなメリットだ。関節の配置はよく検討されていて、動きの自由度も高い。


 曖昧ながら、自分の身体をつつむ宇宙服のイメージが脳裏にかたちづくられる。あなたの身体は、たくさんのリングに囲まれている。腰、肩、肘、股関節など、関節ごとに回転のための接合部があり、密封のためのパッキングがある。

 同種の宇宙服を着た自分自身の姿を、土星よりもたくさんの環に囲まれた小さな天体として語ってみせたのは、発電衛星の大規模崩壊事故によってたった一人で軌道上を漂流することになり、その体験を書いたノンフィクションでピュリッツァー賞を得た、環太平洋宇宙機構の元職員であり後に作家となるジャマール・S・ワトキンスだ。

 ワトキンスは、この事故からの生還後も長く宇宙開発の最前線で働きつづけ、最初の恒常的月面基地の建設にも現場責任者として参加している。かたわら、宇宙にまつわる多くのフィクションとノンフィクションを世に送った。

 そのうちのひとつには、こんな一節がある。



   わたしはカモメ、と彼女はいった。


   この言葉のまわりを、ひどく偏心した軌道にのって、

   私は何十年も巡りつづけてきた。


   これが単なるコールサインでしかないと言われていることは知っている。

   だが、私は断固としてそのような俗説を認めない。


   この有名な言葉には続きがあったことを、

   いま、どれだけの人間が憶えているだろうか。


   魚の群れはどこにいますか。


   彼女はそうたずねたのだ。


   魚はみんな月へ行きました、というのが、地球からの返答だ。


   この答えにこそ謎の核心がある。

   こう答えた管制官がどんな人物であったかも、まだわかっていない。

   わかっていないとは、つまり、私の想像力がまだそこに

   たどり着いていない、ということだ。



 あなたは愕然となる。

 この知識は本当のものなのか。


 きわめて詳細な記憶があり、受賞のニュースを眺めたおぼえすらある、だが、それを眺めていたはずの自分自身のことはなにひとつ思いだすことができなかった。記憶の先はすっぱりと断ち切られ、黒々とした虚空が心のなかに広がっている。よくできた映画のセットのように、〈その先〉が存在しない。


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