不思議な魔法書

冬空ノ牡羊

前編

 妙な気配に目が覚めた。なんというか、不思議な感じの気配だ。

 私はベッドから起き上がり、その気配のもとを探した。薄く、ほんの少ししか感じない、けれど、確かな存在感のある気配。その気配は、どうやら窓の向こうから発せられているようだった。

 窓から外を覗く。そこには、手入れの行きとどいた芝生の庭を、天上から満月の青白い光が照らすいつもの夜の風景があった。けれど、気配を辿りながら注意深く庭を観察すると、なにやら妙なものが落ちていることがわかった。

 私は外へ行き、その妙なもののもとへ向かった。そして、それに近づいていくたびにそれが何なのかが判別できるようになり、どうやら四角いものだということがわかった。私はそれを拾い上げた。

「……本?」

 なんで本が、と私はその本の表紙を見た。そして、この本がただの本ではないと気がついた。

 その本の表紙には、絵が彫ってあった。禍々しい渦の絵だ。タイトルのようなものを探したが、背表紙にも裏表紙にも渦の絵が彫ってあるだけで1文字も書かれてはいなかった。

 その本は、魔法書に分類されるものだった。


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 魔法書。

 それは、魔法使いが所有する魔道具のひとつである。一口に魔法書といっても様々なタイプがある。呪文が記されている物だけでも、特定の属性を司る呪文がいくつか記されているもの、術者の能力によって呪文が解放されるもの、最初はなにも書かれておらず、術者が書き記すもの、術者の魔力を消費しない代わりに使用限度があるもの等々だ。そんな魔法書に共通している特徴は、魔力に反応することと、本の形をしているということだけだ。

 私は部屋に戻ると、早速机の電気を灯し、その魔法書を机に置いた。私の住む世界では、魔法書はおろか、魔法そのものは対して珍しいものではない。問題なのは、“この世界に魔法書が落ちていた”ということだ。

 この世界には、私と同じ時空間からやってきた魔法使いが、約20名潜入している。目的は、この世界の基本技術である電気工学技術を持ち帰ること。そんな私たち約20名は、一人一人が別々の“国”と呼ばれる場所へ分かれて行動していた。そして、この世界には魔法工学は存在しない。

 つまり、この日本と呼ばれる国に私の知らない本。それも、この世界に存在しないはずの魔法工学を用いた魔法書が存在するというだけで、不自然なのだ。私の荷物に紛れ込んでいたのだと考えたが、この魔法書は外にあって、突然不思議な気配を漂わせたのだ。その可能性はあまりにも低い。私の住む時空間から送られてきたものだとしても、なぜ真夜中に送るのか疑問だし、誤って送られてきたのだとしたらそれはそれで大問題だ。

「まあ、取り敢えず開いて見ればいいか」

 考えれば考えるだけ袋小路にぶつかりそうなので、私は気を取り直してその魔法書を開いた。

 1ページ目。

 通常、1ページ目にはこの魔法書を使う際の注意事項が書かれているはずだ。けれど、そこにはなにも書かれてはいなかった。見開きの2ページ目も同じく。

「変ね……。まあいいわ。次よ、次」

 私はまた気を取り直し、ページをめくる。

 3ページ目。

 普通なら、このページから呪文が書かれているはずだ。けれど、そこに書いてあったのは……。

「へ? え、これ、どう読むの?」

 そこには、“どう読めばいいのか分からない”、というより、“そもそも読むものなのか自体怪しい文字の羅列”がズラーっと書かれてあった。例えるなら、パソコンのキーボードを適当にガタガタ打ち込んだ時のあの感じだ。

 この魔法書はただの失敗作なのではないか。そんな予感が、私の脳裏をよぎる。きっと誤作動を起こして空間転移でも引き起こしたのだろう。うん、きっとそうだ。そうに違いない。

 私は、取り敢えず残りのページをめくっていった。一応、読めないながらもその文章を目で追ってみた。しかし、どうやっても解読は出来そうにもない。

 けれど、一つだけ分かったことがある。それは、この羅列に書かれている文字の種類が尋常ではないということだ。半分以上はアルファベットだが、英国のものだけでなくドイツ文字やロシア文字など、様々なアレンジタイプも使われていた。日本語も、漢字とひらがなが確認できた。他にも、ヒエログリフや韓国文字等々だ。普通に適当に書いても、こうはならない。

 つまり、なんらかの意図があってこんな羅列にした可能性が高い。私には解読不能だけど、この本を書いた人なら、それがわかるはずだ。

 私はその魔法書の最後のページを開いた。通常なら、ここの隅っこの方に作者の名前が書いてあるはずだった。だが、今までの例に溺れずそこにはなにも書かれてはいなかった。

「ハァ、まったくどうなってるのよ……。しょうがない、あの人に相談しよっと」

 私は椅子から立ち上がると、転移魔法を唱えようとした。しかし、偶然にも目に入った時計を見て、止めた。

「……やっぱ、“今日”の昼にしよ……ふわあぁぁ……」

 時間の短い針は、2時を指していた。私は時計を見るなり急に襲ってきた眠気に耐えかねて、ベッドに潜り込んだ。


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 はるか昔。人間は魔法使いを世界から追い出した。後に魔女狩りと呼ばれる大惨事によって、私たち魔法使いは住処を無くした。生き残った者たちが全ての能力を結集させて作ったのがこの時空間だといわれている。しばらくはそこで復讐の機会を探っていた魔法使いたちだったが、魔法技術が発展していくと同時に、向こうの時空間の機械技術も発展していった。

技術力では、方向は違うが同等だった。だが、圧倒的な人数差があるため、自分たちが不利になるのは目に見えていた。

魔法使いたちは復讐を諦めた。というより、止めた。人間たちは、復讐なんてしなくても勝手に滅亡の道を進んでいたからだ。そして、魔法使いたちは人間たちの時空間にこっそりと調査に向かい、滅亡する前にできるだけ技術を盗んでおくことにした。幸いなことに、向こうの人間は私たちを絵空事だと認識しているうえ、人間自体が大勢いる為に見知らぬ人が一人増えるくらいでは誰も怪しまなかった。

 

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 ここは転移門。魔法使いの時空間と人間の時空間を行き来するための施設だ。人間の時空間から故郷へ帰るために転移魔法を唱えると、必ずここに辿り着く。

「あれ? レムネスじゃねえか。なんだ、忘れ物か?」

 その転移門をくぐり抜けた直後、言われたセリフがそれだ。如何にも子ども扱いな感じのセリフだ。

「そんなんじゃないですよ。ちょっと気になることがあったので帰ってきたんです」

 レムネスは少し怒り口調でそう答えた。確かに、調査組の中では一番年下だけど、私だって結構優秀なんですよ。全部で20人しかいないんですよ。もっとこう、敬った感じに迎えてくれてもいいじゃないですか。レムネスは内心そう思いながら、幼少期からの付き合いの者にそれを求めても無駄だということを知覚した。

「へえ~。じゃあ、アンジェスの旦那に会いにいくわけか。じゃあ、今なら丁度書庫にいるぜ」

「それくらい魔力の気配でわかります」

 怒り口調の抜けないままレムネスはそう返し、アンジェスのもとへ向かった。


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 転移門のある広間を真っ直ぐ進み、突き当りを左に曲がったところに、薄く漆の塗った木製の両開き扉がある。その向こうにあるのが書庫だ。レムネスがその扉を開けて中に入ると、横に広がった空間がある。その空間の両側にはまた扉があり、左側の扉を開けると魔法書。右側の扉を開けると小説などの娯楽本が保管されている。

 レムネスは少し悩み、右の扉を開けた。そこには、大量の巨大な本棚が何列も並べられた空間があった。向こう側の壁に大きな文字で『火気厳禁』と書かれてあったが、その文字がぼやけてなんと書いてあるのか読めないくらいに、奥行きは広い。

「アンジェスさ~ん。ここにいますか~?」

 書庫の扉を開け、レムネスはお腹から声を出した。すると、書庫の奥の方から男性の声が反響しながら帰ってきた。

「おや? レムネスさんではありませんか」

 その声とともに、遠くのほうで淡い青の光が瞬く。次の瞬間、その光が風に乗った砂のように動き出し、レムネスの目の前まで近づく。その砂は宙に浮いたまま、一つの球に姿を変え、眩い光を発した。その眩しさに目を閉じ、再び目を開けると、そこには残光を帯びた青年が立っていた。

「どうされました? 私になにか、用事でもあるのですか?」

 その青年、アンジェスのかしこまった態度に、レムネスは感動を覚えた。そう、こんな感じよ。普通は子ども扱いしたあんな感じじゃなくて、こんな風に敬った接し方をされるべきなのよ。だって私は調査組なんだもの。

 そんな風に感動にふけるレムネスを見て、アンジェスはからかうように言った。

「私が敬語をあなたに使ったというだけでそんなに喜ぶようでは、まだまだお子様ですよ。レムネス」

 ……前言撤回。やっぱこいつも子ども扱いするやつだ。6歳年上のアンジェスは、レムネスが幼いころからよく一緒にいて、血のつながりはないけど、実質兄妹のような関係だ。だから普通に考えて、兄が妹を敬うような態度をとることは、からかいが目的でなければ到底あり得ない。

「……うるさい。アンジェスもまた仕事サボってるくせに」

 アンジェスの仕事は魔法書の保存と管理、研究と応用技術の作成だ。魔法書に記されている呪文の中には、誤字のせいで発現出来ないものや、誤字の為にまったく異なる効果が偶然発現することがある。アンジェスはそれを応用し、新しい呪文を開発する仕事をしている。

 だから、普通仕事をしていたら、一般の本を保管するこっちの書庫にいるわけがない。

「いえいえ、とんでもございません。魔法書というカテゴリだけでものを見ていても、発見というものはなかなか見つからないものなのですよ。ですから、私はこの一般向けの小説を読むことによって、なにか良い発見が出来ないものかと思案しているのですよ」

「もっともらしい言い訳をしないの。ていうかアンジェス。そのわざとらしい敬語、なんか、ハラがたつ……」

 レムネスはさりげなく論点をずらして呟いた。だが、そこを指摘せずにからかうのがアンジェスだ。

「おや、これは失礼しました。レムネス様が、私の敬語にお喜びになられていらしたので、てっきり所望しておられていらしたのかと思っておりました。誠にもうしわけございません」

 アンジェスは、そう言いながら深くお辞儀をした。だが、そのお辞儀は詫びではなく、今にも吹き出しそうなのをこらえているようにしか見えなかった。というより、実際そうだ。肩が震えている。

「わ、私をからかうなぁーー! このアンジェ兄ぃ!」

 レムネスは思い切り、目の前にあった後頭部をはたいた。しかし、アンジェスはそれをもろともせずににこやかな笑顔を見せた。

「ふふっ、久し振りにその呼び方をしてくれましたね。お兄さん、とても嬉しいですよ」

 アンジェスはそう言うと、レムネスの頭をなでた。

「う゛。また子ども扱いする……」

 何度会っても、アンジェスは毎回レムネスのことを子ども扱いする。調査組に入って立派な大人だと認めてもらったら、そんな子ども扱いもしなくなるだろうという期待はあったが、どうにもそれは期待できそうにない。

「それで、いったい何故、私のもとへ訪れたのかな?」

「あ、えっと、そうだ。ちょっと見てもらいたい魔法書を見つけたの」

 レムネスは気を取り直して、肩にかけたバッグの中から、件の魔法書を取り出した。

「私が知ってるタイプとは全く違うし、使われている文字も向こうのものなのよ」

 アンジェスに魔法書を手渡すと、アンジェスはその魔法書をパラパラとめくった。

「へえ……一見ただの羅列に見えるけど、規則性はあるみたいだね」

「え!? 規則性!?」

 夜中に見たときは規則性なんて全く掴めなかった。というか、ただの羅列にしか見えなかったのだ。それをアンジェスは、パラパラとめくっただけで規則性を見つけたなんて、正直信じられない。だけど、アンジェスはその規則性を説明し始めた。

「うん。例えば1ページの1文字目。Aって書いてあるだろう。そして、1文字分空けて、地祇の文章になったときの1文字目はB」

「あ、ほんとだ」

 確かにそうなっていた。次はC。その次はDというふうに、文章の1文字目は必ずアルファベットだ。そして、次の文章へ移るとアルファベットも次の文字に変わっていた。

「これは予想だけど、この羅列は向こうの技術で言うところの“プログラム”というやつなんだろう。恐らくこの魔法書は、こっちの技術とあっちの技術を混ぜ合わせた、全く別物のプログラムの形。呪文を唱えるのではなく、プログラムを構築することによって、魔法を発現させる仕組みなんだと思う。“読む”というより、“起動する”と呼んだ方が正しいかも知れないね」

 さすがだった。真偽のほどはともかく、こんな短時間でここまで理解したのだ。やっぱり、相談に来て正解だった。

「レムネス、この魔法書はどこで手に入れたんだい?」

「昨日の晩に、庭で拾ったの。突然現れたわ」

 魔法書以外の気配も痕跡もなかった。普通なら、生き物が放つ霊力が痕跡として残っているはずなのに、それもなかった。空間転移でもしなければ、そんなふうになることはない。

「てことは、この魔法書はまだ試作段階で、誤作動かなにかを起こして跳んだのか……」

 アンジェスは魔法書をまじまじと見つめていた。魔法書が誤作動を起こす事例は少ない。けれど、一定量以上の魔力を魔法書が浴びてしまうと、その魔力を消費して魔法が発動することがある。これは、魔力に潮解性があるからで、紙で出来た魔法書には魔力が浸み込みやすいのだ。

「なんにしても、こんな魔法書を書いた人を探さないといけないね。作者も困っているだろうし……レムネス、作者の手掛かりはあるかい?」

「ううん。それについて調べて欲しいなって思って、こっちに戻ってきたんだもの」

 けれど、この魔法書には作者の名前は書いていなかった。一体だれが書いたのか、両方の次元の技術が使われているのなら、そもそもどっちの時空間の人なのかもわからない。

 だから、アンジェスを頼りに戻ってきたのだ。けれど、アンジェスは申し訳なさそうに言った。

「すまないレムネス。手伝ってあげたいのは山々だけど、片づけなければならない仕事があってね。代わりにドーミラスに手伝ってもらってはどうかな」

「仕事って……それ、やっぱりサボってたからじゃないの?」

 レムネスがそういうと、アンジェスは白を切るように顔を背け、レムネスを書庫から追い出した。

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