Chain Story

『ね、これとこれ、どっちがいいと思う?』

「ああ始まった、面倒臭い」と僕は思う。思っても、もちろん口にはしない。


 両手に持った半袖のワンピースを交互に見ながら、ユマは悩んでいる仕草はするが、実際は少しも選んでいない。と、僕は思っている。

 例え僕が本気でいいなと思って選んでいても、『うーん、確かにいいんだけど値段が』とか、『でも似合わないような気がするわ、可愛いデザインだけど』とか、僕が指したのと違う方を手にレジへ向かい、一体僕に何を聞きたかったのかわからないこともザラにある。

 最後に決めるのは結局彼女だし(僕から見ると、むしろ最初に決めているのだ)、彼女は洋服に関して人の意見など参考にする性格ではない。

「最初っから決まってるくせに」とたまには言いたくもなるけれど、言えば必ず不機嫌になるだろうから我慢する。


 どうして既に決めていることを、さもこれから決めるみたいにいちいち意見を求めてくるのだろうかと、ときどき僕は考えることになる。

 無意識下の確認なのだろうか。決着はついている勝負を次のステージへ導くための、おまじないの儀式みたいなもんだろうか。

 答えは出ないがなんとなくわかるのは、どうあれこの手の質問って、賛同を得られたら安心できるし、反対意見には怯まないことでより意を強くできる、いわば自己解決という料理に彩りを添えるパセリのような役割なのだということだ。


 それはユマ・カルトQとでも呼ぶべき二択のクイズで、僕は確かに彼女を好きだけれど、失礼を承知で正直言うと彼女がどんな服をどのように着こなそうが少しも興味がない。

 だって服を着ている彼女を可愛いと思うことはあっても、彼女が脱いだ服をいちいち可愛いとかって思わないだろう?その状況では乳房にしゃぶりつくのに必死で、それどころじゃないというのを差し引いてもだ。

 他人の知りたくもない趣味をうかがうのは苦痛である。自分の得意分野をひけらかす人間が、どうにも目障りなのはそのためだと僕は思っている。


 どっちでもいい、発走時間までに早く買え、と投げやりな気持ちで僕は適当にユマの右手側を指差す。

『やっぱり?そうよね、色合いが何にでも合わせやすいし、同じようなのを持っていないし、やっぱりこっちよね』

 独りで納得して、途端に上機嫌だ。

「よしっ、来た」僕は心の中で叫び、ホッと胸を撫で下ろす。ショッピングという名のジーワンレースを僕は的中したのだ。

『どうしたの?ニヤニヤして』

 会計を済ませてきたユマが不思議そうに顔を覗き込んでくる。

「いや、別に」

 僕は競馬が好きだが、次に歩いて来るのが男か女かを当てるだけでも、的中というのはやはりくすぐる。僕は気分が顔に出やすい。


**

 運がいいというのは、時に絶対的な力を凌ぐ。それだけの価値がある。だから「運命」という言葉が、僕は最高に好きだ。命の運。

 僕らは選んでいるつもりで選ばされているし、常に手に負えない何かに翻弄され突き動かされている、そう考えているのだ。

 それならばと選ぶことを拒絶して、同じ馬を買い続ける「待つ馬券」を試みたこともあるが、それでもやはり操られている感は拭えない。


 だから僕は、運命に抗う術を知った馬を狙い撃ちしてしまう。自分と同じように巨大な何かから逃れようと必死にもがいて、結局飲み込まれてしまう、だけどあがく、そんな馬だ。

 つまり、決して人に従順でなく、時にレースの流れに飲まれてしまうけれど、とにかく直線まであがく馬。


『それってつまりは、中二病な馬でしょう?』以前にユマに言われた。僕はその意味がわからなかったが「中二病って何だ?」とはなんとなく聞けずに、「そうだね」って答えておいた。

 インターネットで調べてみると、中二病は思春期の病だった。病といっても身体的なものではないし、もちろん精神病に定義されているわけでもない。

 思春期の、あの切羽詰まった閉塞感の中でやってしまう、痛い系な自分探しの旅。間違ったアイデンティティを、最高に信じ切ってしまう状態。

 つまり「痛いが憎めない思春期の自信過剰と自意識過剰な黒歴史」のことだった。


 僕にも経験がある。

 真夜中ラジオを聞きながら綴るクサいポエム。

 曇った日でも夜中でもサングラス。

 短髪に無理矢理スタイリング剤、ある日から突然コンディショナー。

 彼女ができたこともないくせに結婚観を語る。

 自分だけは一生童貞なのではないかと疑心暗鬼。

 汚れた大人にゃなりたくねえ!

 俺は社会の歯車なんかにならねえ!

「因数分解が何の役に立つんだよ!」


 そういえば小学生の頃、風呂の中で、自分だけはカメハメ波な類の気孔波動が出せるのではないかと、ひそかに練習したが、あれも立派な中二病だなと思った。

「俺は一番強い!はず」「勝って目立ちたい」そう思い込んでるに違いないくせに、「ブラッド・騎手・厩舎・重賞のメジャー思考は悪」「人間に従うことは負けること」「俺は俺のために走る」とか言っちゃってそうな、僕が好きになる馬達は、確かに立派な中二病かも知れない。

**


『ふーん。あっ、そう』

 ユマは怪訝な顔を見せつつ、次の店へと歩き始めた。

「ちょっと待ってよ」次も時間をかけられてしまうとレースが始まってしまう。

 自分で言うのも何だが、僕は優しい。多少ムッとしても我慢して飲み込むし、友人からも、取引先からも、会社の後輩からも、ユマを含め今まで付き合った女の子達からも「怒り方を知らないんじゃないの」と言われるくらいで、仏の領域だ。

 ただ、そんな僕でもつい気を緩めると苛立ちを隠せない時があって、それは決まって週末の十五時前後だ。


『何よ?』

「何よって何だよ!そんなに服ばっかり買ってどうすんだよ!大体さっきのも同じようなのを持ってないって言うけど、この前買ったのとどこがどう違うのかわからないよ」

いつも口にしてしまった後から「あっ」と思うがもう遅い。


 ユマがあまりにも抑揚のないイントネーションで言うものだから、僕はつい笑ってしまった。

 しかし、口調はふざけていてもユマの目は笑っていない。

『何を笑ってるのよ!服ばっかり買う?毎週毎週、馬券ばっかり買うのは正しいってわけ?それとも何?俺は複ばっかりじゃなく単も買うじゃないかって?』

 さすが大阪の子は怒りながらもうまいこと言うなと感心する暇もない。まるで大助師匠のネタのように、病気のマンボウのように、僕は口をパクパクさせるので精一杯だ。


『バカじゃないの?同じような馬ばかり買って負けて、先週とどう違うのか全然わからないのはどこの誰よ!』

 もはや、グゥの音も出ない。叱られる子供のように俯き、つま先を見つめて願う。早く時間よ過ぎてくれ。

『で、どの馬を狙うのよ』

「えっ?」

『今日はジーワンなんでしょ。今週はどの馬を買って損をなさるつもりなのかって聞いてるの!』


 どの馬を買うか教えろと言われても、何だか恥ずかしくて言い辛い。

 それは、小学生の頃の音楽会の前日に母親から『今年はどんな歌を唄うのか聞かせて』と言われた時や、クラスの集合写真を見た父親に『お前の好きな女の子はどれだ』と聞かれた時の気持ちに似ている。パッと口にできるわけがない。

『何よ!まだ迷ってるの?』

 言い淀んでいる僕に、ユマが詰め寄る。

『初見だけが真実で後は嘘、誰かさんがいつも言ってなかったかしら?』

 違うんだ、なんとなく言うのが恥ずかしいということを伝えるのが難しいんだとは、どうやら上手く説明できそうにない。

『どうせ最初っから決まってるくせに』


 僕は心の中で叫んだ。

「ヘーッ、ソウキマシタカァ」

 その台詞はそのまま君に返すよ、もちろん口にしないで我慢した。


 確かに、いつだって僕は最初っから決めている。

 時々、予想に迷ったふりで馬柱を見直すのは、きっとユマの二択クイズと同じなのだろう。確認と決断のおまじないなのだ。

 僕には、最高峰のレースで、結果がどうであれ、前走で高く評価していた馬の評価を下げることも、評価してなかった馬を見直すこともできない。しない。ありえない。

 最高峰を前にそこまでじゃないと評価下す馬は蓋をあけるとやはり所詮はその程度であるし、評価していた馬はやっぱり強い、そういうものだ。

連続性が織り成すから競馬が好きで、最高峰のレースに向けての全てのトライアルレースがここで初めて意味を表現するからジーワンが面白いのだ。

 レースは単発勝負ではなく、そこまで全ての過程が詰まっている。つまり、その世代の四年前にファストクロップが産声をあげたその瞬間からレースは始まっている。一大戯曲だ。

 もっと拡大すれば、その産声はその父の世代の産声から繋がっており、世界中の遥か昔から途切れることなく遥か未来へと続く完璧な未完の物語。その一場面をそっと切り取ったのがレースであり競馬だ。

 だから、一回一回コロコロ評価を変えていては、僕の中で丁半博打と競馬の境界線が成立しないのだ。


 結局、もう一軒ショッピングに付き合わされた僕は、今から家に帰ってはもう発走時刻に間に合わないので、家電売場でレースを迎えることになった。

「よかった。間に合った」

 ゲート前で輪乗りが始まっている。


『で、どの馬が本命なのよ?』

「この馬。気難しいけど強い馬だ。君に似ている」僕は画面を指差す。

『じゃあ、きっと勝てるわよね。わたしに似てるんだから』

「さあ、それはどうだろう?」正直、この巻き返しは難しいかも知れない。「でも」

『でも?』

「ずっと好きでいると思う」

『ヘーッ、ソウキマシタカァ』

 今度はユマも笑っている。


 ゲートが開いた。

 今日もこの一大戯曲の結末に、壮大な人生の比喩に、賞賛と愛情ある皮肉をこめて、僕は呟くことになるだろう。


 ヘーッ、ソウキマシタカァ

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