like a love

 僕らはたった一人に認められただけで、生まれたことを少し誇れたりする。

 誰かと「好き」を交換できたとき、何故この世に生まれたのだろうかとか、どうせ死んでしまうなら今に意味なんてあるのだろうかとか、そんな自問自答はどうでもいいやという気持ちになれる。


 腐った映画やドラマみたいに恋愛をするために生まれてきただなんて思わない。

 本当の愛だとか恋だとか名乗る偽物たちの、思ってもいない「ごめんね」や「愛してる」や涙や騙しあいや、素直にエゴを認めない上滑りの言葉たち。

 そんなものに心は少しも動かない。

「頑張ればいつか報われる」

 そんな言葉、無宗教な僕には聖書やお経の文句と同じに聞こえてしまう。


 だけど、僕らは何かを好きになる。

 好きな何かが振り向いてくれたなら、とても嬉しくなる。

 好きな何かが「頑張って」と言えば、頑張ってみたくもなる。

 俗っぽくて構わないやと、そう思える気持ちになる。

 好きって不思議な感情だ。

 それは欲ではない。

 ましてや嘘はつけない。


 きっと「好き」には「嫌い」という感情とは比較にならないほどの起伏があって、僕らは人生というレースを、負けたり惨敗したり辛勝の後に完敗したり失敗したりしながら、そうして命を削り運命の名の通りにゴールへと命を運んでいくのだろう。

 そう、人生に出走する僕らをゴール前で最終的に踏ん張らせるのは「好き」という気持ちでしかなかったりする。

 どこでどんな暮らしをして、どれだけ何を考えていようとも、たったそれだけの単純な気持ちが複雑に重なり合うことが、いつも僕らを悩ませるのだ


「帰ってきたら一緒になろう」

 彼は戦場で一度たりとも、出兵前に二人涙して語ったその風景を忘れたことはなかった。

『あたし、絶対に待ってるから』

 彼女のその言葉を胸に彼は無我夢中で生き抜いた。


 戦局は明らかに不利で、何百人という同朋達の死を目の当たりにした。戦争としての負けは確定しているようなものだった。

 それでも彼は死ぬわけにはいかなかった。

 約束を果たすために彼は必死で生きた。死んでゆく仲間の分まで生き抜いた。


 やがて彼の元に終戦の報せが届いた。

 長い長い戦いがようやく終わったのだ。

 多くの仲間を失っただけで結局は敗れ、何一つ得るものなどなかった戦いだったと思いながらも、彼は唯一つの希望を抱き急いで帰路へついた。

 帰ったらあの約束が待っているという希望を。


 しかし、何も待っていなかった。

 戦火に巻き込まれたから?それならばまだ諦めがついただろう。


『ごめんね。本当に貴方を待っていたかったの。でも・・・淋しくて。もう生きて会えないと思っていたから。そんな時にあの人が優しくしてくれて。お腹にはあの人の子供がいるの。今でも貴方を好きよ。でもごめ・』

「もういい。それ以上謝るな」


 こんな仕打ちがあるだろうか?と彼は思った。

 自分は彼女だけを想い必死で戦い抜いたのに、彼女は待つことすらせずに傍の違う男と寝ていたなんてあまりに不条理だ。


 心の底から彼女を憎んだ。

 そして、のこのこと無事に生きて帰った、間抜けな自分を呪った。

 実は、誰も自分が帰ってくるのを望んではいなかった、そんな現実に対して自嘲した。

 地獄がこの世にもあることは戦場で知っているつもりだったが、まさか普通の街角に転がっていようとは思っていなかった。


 だからといってその先、漫画やドラマのマニュアル通りに、彼は酒に溺れて人生を駄目にしたわけではなかった。

 薬もやらなかったし、自暴自棄に裏の世界へと走りもしなかった。

 人生というものは諦めて、自ら意識的にマニュアルのレールを外れたレールに乗らない限り、そんなつまらないテンプレートの道理には流れないものだ。

 そうでなければ、戦場から生きて帰るなんて不可能だということを、彼はよく知っていたのだ。


 だから彼は、現実から逃げることすらできなかった。

 思えばあの出兵の別れの朝も、どんより曇った冴えない景色だったし、最後の別れも夜ではなく昼で、別れのマニュアルにありそうな雪はおろか雨も降らない普通の景色だった。

 それどころか、お決まりである筈の涙ですら出なかった。

 全ては淡々と日常に溶け込む物語で、それを彩る事実だけがどこか脚色されているのではないかと思えるぐらいに、やけに突拍子もなく印象的だったと、彼は他人事のように思った。


 彼は結局その宿命を受け入れ、数年後には、再び誰かを好きになり結ばれた。

 誰かと結ばれた後で、昔の気持ちを思い出そうとしてもうまくはいかなかった。


 それは馬鹿げた試行錯誤に思えたけれど、自分の気持ちの切り替わりに驚いていた彼は、幾度も思い出そうと試みた。

 殆どうまくはいかなかった。

 だけど彼は稀に、予期せぬ風の静かな夜などに突然、出兵の風景を思い出すことがあった。

 彼はその瞬間だけは、数年という日々が何かを変えたわけではないという、確信を持つことができた。


 彼は結ばれた誰かを、確かに愛していた。

 その誰かを愛したことで、彼女への憎しみは和らいでいった。

 執着することの意味を思わないわけではなかったけれど、彼女の行動も自分のその後も、なるほどそういう仕組みだったのかと、少し納得しないわけにはいかなかった。


 彼と、結ばれた誰かとの間には、一人の男の子が生まれた。

 大人になる過程で、その男の子もまた、女の子と出会う。


 女の子は、ただ何となく生きているだけの日々に、希望も絶望も見出だせていなかった。

 男の子の友達は「俺はビッグになるぜ。賢い奴は楽して生きるんだ。だって、一度しかない人生だろう」が口癖で、親の金で車を乗り回し遊び回っている。

 女の子の友達は「淋しくもないのよね。いい人がいれば別だけど。それに政治や経済や世の中には退屈しないわ」が口癖で、今をカッコよく生きようともがいている。


 男の子は言った。

「みんなが口にする、適当に異性とも付き合って適当にお金があって。だけど人生にはもっと大切な何かがあるって、そんな悩みはホント?」

 女の子は言った。

『まさか。みんなそんなマニュアルの幻想を見ているような気がするわ。一握りもそんな適当に何かを得られるような人生なんて描けないでしょうね。それに』

「それに?」

『わたしは少なくともそんな間抜けでナルシストな悩みは抱かない』


 男の子は少し、女の子を好きになった。


「男が女を好きになるのと、女が男を好きになるのは、どちらが正しいと思う?」

『女じゃないかしら?』

「僕は男だと思っていたのだけど」

『だってきっていう漢字はって書くのよ』


 女の子は男の子を少し、好きだった。


 女の子は、いつしか希望も絶望もそんなものどうでもいいやとすら思えている自分に驚いた。

 誰かが一人でも自分を認めてくれるのが嬉しかったし、それが少し好きな誰かだと素直に受け入れられることがわかった。

 そして、こういう気持ちのやり取りから自分が生まれたのだとしたら、それは素敵なことだと思えた。

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