Copy Robot

 江嶋がコピーロボットを手に入れたのは通販だった。

 通販と言っても、普通にいかがわしいと思われるビニ本の白黒ページの広告やらインターネットで狙って購入したわけではない。

 どちらかと言えばそれは間違えて届いた品物だった。

『バイ★グラ1錠5000円090-****-****』

 江嶋が電話をかけたチラシには確かにそう書いてあった筈だ。

 どこの街角のどこの交差点の歩道橋付近にでも違和感なく貼られていそうなそのチラシは、いかがわしさのチャンピオンとも言えるものだ。

 電話をしたのはちょっとした好奇心だった。


「確かにああいうチラシって、どんな人が貼って、どんな人が電話をかけているのか興味があるわね」

 スミレが言った。

「そうやろ。今度ちょっと試しに注文してみたろかと思うねん」

「それは別に構わないけれど、変なことにあたしを巻き込まないでよ」

「それは大丈夫やろ。アシがつかないように偽名で、使い捨ての携帯電話を使うつもりや」

「使い捨ての携帯なんてどこで手に入るのよ?そもそも、偽名や使い捨て携帯だなんて、どちらがいかがわしいのかわからないわね」

 スミレは笑う。


 スミレは江嶋の妻だ。

 夫のひいき目でというわけではなくスミレの容姿は整っているし人あたりもいい。

 まだ結婚する以前「彼女はお前には不似合いだよ」と友人たちに口を揃えるように言われていたが、実際に江嶋にも何故スミレが自分のような男と付き合っているのかがわからなかった。

 そればかりか、いつか捨てられるのではないかといつも不安だった。

 自虐するわけじゃなく、江嶋は外見がパッとしないし、人付き合いも苦手で、仕事も遊びも下手だ。

 結婚すれば多少はその不安が治まるかと思っていたが、実際は逆だった。スミレがいつか他の男になびいてしまうんじゃないかと気が気ではなくなったのだ。

 それは心配を通り越して病的ですらあった。

 いつもスミレの行動を気にかけ、事あるごとに浮気をしている妄想に胸を痛め、揚句は妻の携帯電話に盗聴器を仕掛けようかなどと本気で考えたりもした。

 だから使い捨ての携帯なんかはその時に調べた業者から簡単に手に入ることを知っている。


 それでも江嶋はスミレの前では懸命に平静を装った。

 優しく、誠実で、余裕がある夫を演じることを心掛け、何よりもスミレに本当の自分を知られ嫌われてしまうことを恐れていた。

 そしてそんな不安を掻き消すかのように、執拗にスミレの身体を求め、夜な夜な抱いた。

 たいしたテクも体力もないのは承知しているから、せめて前儀を丁寧に、できる限りの努力はしているつもりだった。

 スミレが演技してくれる性格なのはわかっているが、それでも疲れているのか反応が悪い日は不安になったりする。

 そして一度も自分の前で本気で果てたことがないという事実がずっと引っ掛かりでもあり、江嶋は自分だけ果てた後で酷く自己嫌悪するのだった。

「まぁ、バイアグラなんか手に入れなくても俺はいつだってギンギンやけどな」

 まさにジェラシーのフィードバック制御だと江嶋は自嘲する。

「それはあたしが魅力的ってことかしら」

 そう言って笑うスミレを見ていると江嶋は自分の勘繰りが情けなくてますます鬱になる。

 憂さ晴らしで怪しいチラシに電話をかけてみるとか馬鹿なことはやめよう、そう考え直したところでスミレが言う。

「でも、バイアグラって女性が飲んでも凄いみたいよ」

 アッと言う間にさっきの決意は消えて新たな決意を生む。

 明日、使い捨て携帯を注文しよう。


 スミレのあの言葉は、もっと満足を得たいという欲求が出たのではないだろうか、江嶋はチラシの番号をプッシュしながらそんな事を考えていた。

「こちら○×商会ですが」

 電話に出たのは、意外なことに女性のようだ。

「あの、チラシを見たんですが・・・」

「はい。送り先のご住所をどうぞ。振込み先を申しますのでそちらに入金が確認され次第、商品を発送させていただきます」

 江嶋が住所を伝えると、女性は振込み先を一方的に告げて電話は切られてしまった。

 せっかく用意しておいたのに偽名は必要ないらしい。

 確かに明らかに偽名が使われるであろう商売において、そのような形式ばったやり取りは不要に思えた。

 ただ、江嶋が「10錠下さい」と伝えようとする前にさっさと電話が切られてしまったのは腑に落ちなかったが、それも振込み金額を見れば判断できることではないかと考えた。

 そして、わざわざもう一度電話する気にはなれない雰囲気がある。

 冷静に考えたならば、これは単純な振り込め詐欺ではないかとも思えたが、まぁそれならそれでいいような気もした。

 火傷しない程度の金額をこちらが振り込めば済む話だ。

 江嶋は結局悩んだ揚句に用意しておいた5万円を振込んだ。

 高いか安いかは考えようだが、これならば自分にとってはギリギリ許せる範囲の損失で済むだろうと判断したのだ。

 しばらく酒や競馬を我慢すればいい、ある意味ではこれが詐欺であった方がいい教訓にもなる、そんな風にすら思った。


 しかし、思惑に反して商品はすぐに届いた。

 送り先を架空の貸し事務所にしておいたせいで誰にも知られることはなかった。

「配達員が代金引き換えになると5万円請求されましたので立て替えておきました」

 代理の事務員の言葉に耳を疑ったが、まぁ値段は詐欺にしろ商品が届いただけよしとしなければと江嶋は納得していた。

まさか事務員も5万円もの代金引き換えの嘘はつくまい。


 江嶋は久々の胸の高鳴りを抑えるのに苦労していた。

 思っていたより一回り大きい箱で届いたそれは、意外としっかりした重量ではあったが、その手応えが嬉しい。

 ひょっとしたら倍送られての倍アグラなのかも知れないなどと、少しも笑えない推測をしながらニヤけてしまう。

 楽しみは後に置いておく主義の江嶋としては家の自分の部屋まで中身を確認することはできない。

 これがあれば、スミレを満足させることができる、俺から離れられなくさせてやる、そんなことを思うと江嶋の今までの鬱は嘘のように晴れた。

 しかし、箱を開けてみて江嶋は愕然とする。

 中から出て来たのは赤い鼻だけがついた、のっぺらぼうの小さな人形だった。


 説明書も何もなかったが、江嶋にはそれが何を真似たものでどう使うかの想像ができた。

 昔、小学生ぐらいの頃に漫画で見たことがある。

 鼻を押すと人形が自分ソックリの姿に変形するのだ。

 そうして人形は身代わりに生活をし、オデコを引っ付けることで身代わりをしていた期間の記憶を引き継げる。

 確か、そういった人形ではなかっただろうか。

 江嶋は思った。バカバカしい、いくら自分の知らないところで科学が飛躍的に進歩していたとしてもありえない。そもそも、例えそのような物が生み出されたとしてもたった10万円ぽっちで手に入るわけがない。

 それでも江嶋は鼻に触れずにはいられなかった。

 10万円ぽっちとは言っても自分にはかなりの痛手だ。触れるくらいの期待はしても仕方あるまい、と。

 軽く鼻に触れると人形はムクムクと膨れ上がり、見る見る内に人の形を形成した。

 信じられない。

 が、目の前に現れたのは冴えない男で、だけど余りに知り尽くしたその姿に、それが自分の分身であることは認めざるをえなかった。


 江嶋はゆっくりと記憶を辿る。

 確か、コピーロボットに対して持ち主は優位に立てる筈だ。

 身代わりとして何でも命令できるし、何でもやってくれる。

「よう、同志。明日は会社に行って働いてくれ。嫌な会議があるんや」

『わかった。いつもみたいに意見もせず適当にやり過ごせばええんやな』 コピー江嶋が口を開く。

「コラコラ、いつもみたいて何やねん。せっかくやからできるだけ積極的に無理してみんかい」

『まあ努力はするけどな、所詮俺は君なんやから、期待するだけ無駄やで』

 奴の発する一語一句がカンに障ったが、しょうがない。

 それよりも、えらいものを手に入れてしまったという興奮が遥かに大きく江嶋を包み込んでいた。

 バイアグラなんて比較にならないではないか。

 明日からはコピーに働かせておいて、自分は好きにのんびり過ごせばいい。

 江嶋は考えを廻らせた。そうだな、取り敢えずは念願だったスミレの監視をして、一日尾行してみよう。


 監視したスミレの一日は妄想とは違い、退屈で単調なものだった。

 掃除と洗濯をし、パートを終えて買い物をし、夕食を作る。

 パート先で同僚の男に声をかけられていたものの、笑ってかわしているようだった。

 一日だけではわからない、安心できないぞと、一週間に渡ってスミレを監視したが、毎日が最初に見た一日の繰り返しだった。

 江嶋はホッとした反面、なんだかつまらなくなってしまったような気がしていた。

 生きる張り合いを失いつつあるようなそんな気分だった。

 そんな江嶋が新しい生き甲斐にしつつあったのはコピーの虐待だった。

 江嶋は出勤と帰宅の合間に、借りっ放しにしてあった貸し事務所でコピーとの入れ代わりをしていたのだが、帰宅時にコピーから額を伝い記憶を貰う。

 案の定、初日にコピーは会議で居眠りを指摘された上、その後で意見を求められて筋違いな発言をし、失笑をかっていた。

「お前のせいで明日から会社に行き辛いやろがボケ!」

 それはいつもの自分の姿なのだが、お構いなしに文句を言う。

『そうは言われても、一生懸命にやった結果の失敗をあれこれ言うてもしゃあないやん』

 当たり前だが言い訳まで自分そっくりなことが余計に腹立たしくて江嶋は思わず手を出した。

 やり返してくるかと思ったが、コピーは口では反抗するが暴力に対して抵抗はしない。

 そういう設計をされているのか、自分の臆病さがコピーされてるせいかはわからないが、殴る蹴るに対してただうずくまり終わりを待つだけだった。


 コピーを虐待することは今や江嶋のライフワークとしてかかせないものだった。

 まるで駄目な自分を殺していくようでゾクゾクしたのだ。

コピーだって血が出るし傷もできるが、一度人形に戻せば翌日には回復するというのも都合がよかった。

 ある日、江嶋はいつものようにコピーの失態を詰り、事務所の机に思い切り奴の顔面をブツけようとした時に気付いた。

 奴は必死に顔面の鼻の部分を庇ったのだ。

 きっと鼻を潰されると壊れてしまうのだろう。

 コピーは自分が鼻を押し、身代わりに生命を吹き込んでやることによってのみ存在できる。

 やはり、持ち主との間に主従関係が存在するのだ。

「いいか、これからは口ごたえもするなよ。反抗するようなら鼻を壊して二度と存在できなくするからな」

 その日以来、コピーは江嶋に逆らうことはなくなった。

「もうしません。ごめんなさい。江嶋さんのためにもっと頑張ります」

 そうして健気なコピーロボットは、江嶋が思う理想の江嶋に近付くようにと、毎日虐待を耐えた。


 コピーロボットを手に入れて半年も経った頃、江嶋は家に帰らなくなっていた。

 いつしかビジネスホテルでコピーを待ち、記憶を貰い、虐待してから帰宅させるという生活が普通になっていたのだ。

 浮気はしていないと知った途端、急激にスミレへの興味は失われた。

 コピーに相手させれば自分が傷付くこともないし十分である。

 さらに半年が経ち、コピーを手にして一年を過ぎた頃には、コピーは順調に理想の江嶋に近付いていた。

 仕事バリバリで、人に好かれる江嶋へと。

 しかし、ある日からコピーは江嶋の元に帰らなくなった。

 危険を承知で江嶋は自分の家へ忍び込んだ。

 半年以上も帰ってないせいか自分の部屋は、完全に他人の部屋にしか思えず不思議だった。

 遅れて会社から帰宅し、部屋に戻ったコピーは一瞬あからさまに嫌悪感を示したが、それを包み隠すように笑う。

『お久しぶりです。ホンモノの江嶋さん』

 江嶋は何もこたえずにコピーに額を預ける。

「そうか、昇進か。俺には考えられなかったことや」

『いいえ。江嶋さんの秘めた実力を出したまでです』

「わかっとったらええねん。オッ、スミレもイかせるようになったんか」

『・・・ええ、まぁ』

「どうした?何故俺がここに現れたか気付いとるんやろ?そろそろ潮時や。身代わりは、お役ゴメンというこっちゃ」

『それはあんまりです江嶋さん、私の生活を邪魔しな・』


 コピーが最後まで話す前に江嶋はその鼻面を目掛けて思い切り傍にあったトロフィーを振り抜いた。

 血に濡れたそれをよく見ると、どうやら会社のコンペで貰ったトロフィーらしい。

「ご苦労さん。俺のために面倒なことをようやってくれた。おかげさまで自信満々に生きていけるわ。やがな、偽物のくせに居場所を奪おうとは百年早い。後は本物に任せといたらええんや」

 江嶋は独り言に頷く。

 しかし、自分と同じ姿形のモノを壊すのはあまり気分がいいもんじゃないなと動かなくなった人形を見つめて思う。

 まあいい、明日からは新しい自分として華々しいスタートだ、いや、まずは今晩からだな。

「あなた、何の音?」

 久しぶりに聞くスミレの声は酷く欲情させる。

 人形が開発済みの感じやすい肉体を久しぶりに玩んでやるか。

「いや、なんでもない。ゴキブリがいたんだ」


 仕事ができるようになったのも妻を悦ばせるようになったのも江嶋だが、自分じゃない。

 そう思い知るのに一日あれば充分だった。

 劇的に変わった自分を見る目や期待と、何も変わっちゃいない自分という現実とのギャップに発狂しそうだった。

「今日は調子が」

 そう、ごまかして過ごせるのも、もって数日だろう。

 たった一年にも満たない期間で、自分という存在が失くなっている。

 江嶋は縋るような気持ちでコピーロボットの鼻を押す。

 頼むから動いてくれ。今までと逆の立場でもいい。

『わかればいいんだ。後は偽物の江嶋に任せておけよ』

 そう言って自分を虐待してくれるとどれだけ楽になるだろう。


 だけど人形はもう動かない。

 そしてどれだけ探しても居場所はもう何処にもない。

 昨夜、江嶋は人形を殺してその時間を止めたつもりだったが、自分の時間は人形によって一年以上前から止められていたのだから。

 いや、正確には人形によってではなく、自分によって。自分を殺したつもりになっていたあの時に。

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