少年の空

 あの日も今日と同じような突然の土砂降りの雨だった。

 秋の空模様は穏やかかと思えば突然に信じられない程の涙色になる。

 僕は網戸を開け、窓越しにそんな外の景色をぼんやり眺めていた。

 社宅のそばの小さな空き地では雨でも関係なく、びしょ濡れになりながら数人の近い年頃の男子がサッカーをしていた。

 幼い頃の僕は濡れない位置でそうして雨を眺めるのが嫌いだった。

 窓越しの雨や台風を悪くはないなと気付いたのはもっとずっと後のことで、一緒に暮らした女の子がそんな風景を好きだと言った後からだった。


 窓越しにサッカーを眺めながら、できればいつものようにその男子達に混じって僕はびしょ濡れになりたかった。

 濡れながら遊び回るその姿は、幼い僕にとってはとてもかっこよく感じたのだ。

 だけども確かに何度かそうしてそんな風景を眺めていた記憶が僕にあるのは、僕が季節の変わり目毎に風邪をひいてしまうようなひ弱い体質だったからだと思う。

 風邪をひいた僕の楽しみはいつもより母親が優しくて、甘く煮詰めたりんごとあんかけのうどんが食べられること、それに暇潰しになる本を買ってくれることだけだった。

 それを除けばどう考えても風邪なんてひきたくなかった。


 学校は好きで休みたくなかったというか、むしろ学校から帰りたくないぐらいだったし、仮に嫌いな授業で学校を休みたかったとしてもそれは仮病でずる休みでもしないと意味がない。

 僕の場合、扁桃腺の具合でただの風邪でもいきなり40度超えの熱が出る。頭の中を天麩羅と仮面ライダーが一緒に飛び回る譫言を呟くぐらいに意識が朦朧として鼻から吸う息が熱く感じるほどなのだ。

 普通の人は40度を超すと死ぬか生きるかの問題らしいが、僕はそれを繰り返したせいで多少の耐性ができてしまった。

 そのせいで六年生の卒業式の日には42度という細胞が活動停止しかねない程の熱があったにも関わらず卒業式を乗り切ってしまい、あまりに鼻が熱いと母親に言うと手を額にあてるや否や、式が終わってすぐ病院に運ばれたことがある。医者は僕の熱をはかると、立っていたことが驚異だとひどく感心していたのを覚えている。

 一番大切であろう友人との最後の談笑や写真といったエピローグもなく病院に担ぎ込まれた僕は、それ以来「式」というものに対して無頓着になってしまったくらいだ。


 あの日、窓越しのサッカーも見飽きた僕は母親に提案してみた。

「今日は一人で病院まで行きたい」

 雨だからダメかなと思っていたが、熱も大分下がってきていたし、母親は傘と長靴と診察券と電車賃と診察代が入った小さな財布を渡して何度も「気をつけなさい」と言って送り出してくれた。

 小学校低学年にとって何駅も離れた違う区へ行くというのはちょっとした小旅行である。

 空とは反対に少しだけ晴れた気持ちで僕は雨の中、病院へ向かった。


 電車は雨ということもあってか、平日の午後にしてはやけに混んでいた。

 子供にとって雨の日の電車は、濡れた傘がちょうど身長と被ってひどく憂鬱な気持ちにさせる。

 目の前が傘では視線を下げるしかなく、そこに広がる濡れた床の水を伝う汚れも一層不愉快な気持ちにさせる。

 知らず知らず不快さが顔に出ていたのだろうか?一人の若い男の人が席を譲るために立ってこちらへ座りなさいと手招きしてくれた。

 だけど僕は座らなかった。

「いいです。大丈夫ですから」

 僕は精一杯の声で誠意を持って断ったが、周りには妊婦も老人もいて、なんで僕が座らなきゃならないんだと内心では腹立たしい気持ちにすらなった。

 そんな人達の中で僕が座るのは精神的な罰ゲームに等しかったのだ。

 例え風邪をひいている小学生がそこにいたあらゆる弱者の中で最弱だとしてもだ。

 それでも僕は座りたくはなかった。

 何より、その中では最強の部類であろう人間から席を譲り受けるのは屈辱でしかなかったのだ。


 混んだ車内であれば最初から座るべきではない順位の人間が図々しくも座っていて、あたかも善人面して大衆の目につくようにそれを譲るという自己満足的な行為の恩恵には授かりたくなかった。

 幼い頃から、それを受け入れてしまえば僕の中では負けだった。

 それを一旦は善人面して受け入れて、力をつけてから仇で返す人間が俗に言う勝ち組なんだろうということぐらいは肌で感じてはいたが、それなら負け組として誇りだけは失わず生きたいと願っていた。


 最低の人間というのは人が見ている前でいいことをするためにその準備段階がいいことか悪いことかを考えない人間だと僕は思う。

 だから僕は今も混んだ電車では最初から座らない。座る場合はこれみよがしに譲らない。黙って立って違う車輌へ去るぐらいの器量は使う。

 僕にはなんてことはできそうにないとあの日に気付いたからだ。

 あの男の人が別段そんな気持ちではなかったというのはわかる。悪気があってあんな行為はしない。

 だけど、のだ。

 人が誰かに傷付けられてるのを遠くから関与せぬよう眺めておいて、ほとぼりが醒めてから近付き「大変だ!傷付いた人がいます」と騒ぎ立てる人間と本質的にどこがどう違うというのだろう?


 僕に席を譲ろうとした男の人は腑に落ちない顔をしながら次の駅で降りていった。

 空いた席には若い妊婦が座り、少し会釈をしながら驚いたことに僕にこう言った。

「なんとなく君の気持ちわかるわよ。ありがとう」

 僕はどう表現していいかわからない恥ずかしさと嬉しさに俯いたまま頷いた。なんとなくわかって欲しいことが伝わることほどこそばゆいことはない。

 そして目的の駅で降り病院へ向った。


 改札を出ると空はまた顔色を変えて優しい光を出来立ての水溜まりに乱反射させていた。

 僕はなんとなく空を見上げた。

 少年時代に見上げた夏の終わりの雨上がりの空は、どこまでも高くて澄んでいる気がした。

 いつかその果てまで飛んで行けそうな、見つめ続けると吸い込まれてしまいそうな、いつもそんな不思議な感じがした。

 あの頃の僕は、地球が自分を守ってくれているような、壮大な安心感に包まれていた。

 誰ひとり敵なんていないと思い込んでいたし、きっと僕らが大人になる頃には今は混乱している世界もそんな姿で待っているのだと信じていた。


 そして今度は僕らが、新しく生まれてくる子供たちにそんな空を見せてやらなくてはならない。

 偽りや飾りではない本当の優しさに包んでやらなくてはならない。

 新しく生まれた生命に、そう誓うのだ。

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