〝人は、生まれついて悪を知らない〟中編①

 逆廻十六夜が扉を開くと、その先には二人の大人の女性が腰かけていた。

 一人はショートカットの金髪と人懐っこい笑顔が特徴的な女性だ。十六夜と俺に気が付いたその女性は笑みを浮かべて手を振っている。

 その女性に気が付いた十六夜は、これ以上ないくらい面倒くさそうな顔をした。

「おい、金糸雀。退院は来週じゃなかったのか? それともまた抜け出してきたのか?」

「ホームが愛しくて早期退院しちゃった。今回は院長の許可は取ってるわよ?」

「当たり前だ馬鹿。次倒れたら運んでやらねえからな」

 ぶっきら棒に言いながら腰に手を当てる十六夜。

 目上の人に対して随分と失礼な物言いだが、金糸雀と呼ばれた女性は不快そうな顔をすることもなくニヤニヤして肩を竦めた。

 十六夜はまだ何か言おうとしたが、もう一人の女性の存在に気が付いて視線を変える。

「………んで、そっちのアンタが丑松の爺さんの本妻か?」

「せやで。そういう君は、例の十六夜少年かいな?」

 ド派手な蝶々の柄が入ったコートを着込み、火の付いていない煙管を指で弄る黒髪の美女。恐らく少年少女たちが口にしていたすんごい美人というのはこの女性のことだろう。肩から胸元にかけての美しいボディラインが実に艶めかしく、普通の高校生ならば視線に困って思わず目が泳いでいただろう。

 イントネーションが少し変な関西弁の発音から察するに、日本生まれの日本育ちというわけではなさそうだ。もしかしたら誰かに教わった日本語が関西弁だったのかもしれない。

 彼女の笑顔は友好的な色が濃く出ているものの、瞳の奥には十六夜を値踏みしようという感情が見て取れる。

「ふぅん………丑松の爺さんが結婚しているなんて聞いたことないが………」

「ウチの人ったら偏屈極まっとるからなあ。籍を入れてはいるけれど、公にするのは嫌みたいなんや。なんでやろね?」

「そりゃアンタ、嫁の有無を公にしちまったら好き勝手できなく」

「十六夜君。それ以上はいけない」

 クスクスと笑いながら十六夜を止める金糸雀。

 十六夜は肩を竦めて会話を切り上げた。

「まあいい。丑松の爺さんはホームの出資者じゃ最大手だからな。今日のところは歓迎するぜ」

「うんうん、素直でよろしい。まあ今日は顔見せに来ただけやから、お茶したらすぐに………ん?」

 丑松夫人はふと俺の方を見ると、不思議そうに首を傾げた。

「………そちらの少年はどうしたんや? 顔が真っ青やで?」

「っ………!」

 心配そうに視線を向けられて、思わず目を逸らしてしまう。

 けど今まで直視していたのは丑松夫人の顔ではない。俺が凝視していたのは、彼女の頭上にある―――在ってはならないモノを凝視していただけだ。

 十六夜も気が付いていたのかと思っていたが、そういう素振りは全く見られない。まさかアレだけの膂力を持ちながら、この男、じゃないのか。

 俺の実家でも此処までの霊格の化生は見たことがない。というか、こんなモノが現世うつしよに顕現しているなんて在りえない。常人なら同じ空気を吸うことだって出来ないはずだ。

 全身から冷や汗を流し奥歯を震わせながら、もう一度丑松夫人の頭上を見る。

 丑松夫人の艶やかな髪を分ける様に聳えるソレは―――見間違いようがないほど凶悪な、鬼神の角だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る