〝人は、生まれついて悪を知らない〟前編


 ―――〝人は、生まれついて善を知らない〟

     少なくとも俺は、その男から教わった。


          *


 ―――六年前の春。

 俺が通っていた学校には、逆廻十六夜とかいう怪物みたいな後輩がいた。

 此れがまあ、珍妙な新入生ということで一時期評判になったのだ。


 曰く、新年早々に飛び込みで編入試験を満点でクリアしたとか。

 曰く、そのくせ学校には中々姿を見せないだとか。

 曰く、遭遇確率はツチノコ並みだ、とか。

 

 目立ちすぎる新入生を疎ましいと思う上級生なんていうのは何処の学校にもいるもので、俺や俺の取り巻きも例に漏れずその類だった。

 何せコチトラ華の最上級生。

 鬱陶しい上に馬鹿の集まりだった先輩方が丸々っと抜けてくれたおかげで、これから一年間はやりたい放題。なのに話題を新入生にかっぱらわれちまうなんて見逃せるわけがないだろ?

 だから放課後に呼び出したのさ。

 此れからも安全に学校へ登校したいなら、黙って校舎裏に来いってな。


 ………。

 ……………。

 ………………。


 今にして思えば、アレが全ての災難の始まりだった。

 ツチノコ? 雪男? 秋田のナマハゲ? 大江の南蛮鬼? 

 いやいや、あの野郎の恐ろしさを生身で味わった人間からしてみればそういう架空の生物の方がまだ可愛げがある。何せどんなに恐ろしくても無害だからな。

 しかしあの野郎―――逆廻十六夜は違った。

 俺たちが呼び出したクソ生意気な新入生は嬉々として俺たちの挑発に乗り、サッカーボールでも蹴るような軽い仕草で学校の壁を蹴り抜きやがった。

 その一発で俺のツレは腰を抜かし、俺はその蹴りが手加減されたものだと悟って震え上がった。………今思い出しても不可解な一発だった。


 一年坊主にからかわれた俺たちは怒り心頭になったわけだが、コンクリを一蹴りでぶち抜く様な化け物を相手に喧嘩を売るほど俺は馬鹿じゃない

 足先にダイナマイトでもつけてるんじゃないかと錯覚しかねない蹴り技を見てビビらない人間がいたら是非とも俺の前に連れてきて欲しい。少なくとも俺以外の奴はチビってた。

 猿山の大将と思われるだろうが、俺だって伊達に学校のトップを張っていたわけじゃねえ。本当にヤバイ奴と手を出しちゃいけない奴くらいは分かる。

 触らぬ神に祟りなし。本人が積極的に俺らと絡むことを望んでない以上、互いに棲み分けして生活していくのがベストな選択だ。

 不良同士の派閥争いなんて古風なものは二年も前に決着がついて最近は穏やかなもんだ。卒業するまでは穏やかに暮らしたい俺としては、あんなダイナマイト小僧なんぞにかまけている時間はない。

 アレは一度でも火が着いたら最後、野原一面を焼き払わなければ気が済まない類の人間だ。

 俺の不良としての危機管理能力がそう訴えてやまなかった。

 結果として俺の直感は後々になって証明されたわけだが………


 ………この時は、まだわかっていなかった。

 逆廻十六夜という男が、ダイナマイトなんぞよりよっぽど危険な男だということを。


          *


 ―――事件が起きたのは、それから三日後のことだった。

 よくつるんでる二年生の後輩―――篠原達哉の所在が分からなくなったと聞いた俺は、ソイツの同級生から良からぬ噂を聞いた。

「達哉? アイツなら昨日、一年坊主に気に食わねえ奴がいるって愚痴り倒してましたよ」


 ………。

 ……………。

 ………………、マジか。


 俺は思わず頭を抱えた。

 絶対に手を出すなとあれほど口を酸っぱくして関わるなと言ったのに、三日と経たずに手を出したのか。

「まあ、アイツ馬鹿っすからね。出席日数ギリギリまでバイト入れてるらしいっすけど、金貸してくれたこと一度もねえし。きっと馬鹿みたいに使い込んでるんですよ。馬鹿だから。何時も金欠のくせして、カツアゲするときも他校でツッパッてる同じような馬鹿しか狙わねえし。お前は山賊かっての。………ああ、そうそう。金で思い出しましたけど、何だか割のいいバイトを見つけたって言ってましたよ」

 バイト?

「はい。地図の写真とUSBを持ち運ぶだけの簡単なバイトだって言ってました。OBの哀川さんにお願いされたとか」

 OBの哀川さん―――その名前を聞いた俺は、痛烈に舌打ちした。 

 哀川さんと言えば暴力沙汰で一昨年中退した先輩の一人だ。今は本物のヤクザと付き合いもあるとかいう危険な人だと聞いている。

 行方が分からなくなったことに事件性があるとしたら、例の一年坊主より哀川さんの持ち込んだ厄介ごとに巻き込まれた可能性の方が高い。

 ちなみに達哉が持っていたその写真、どんな写真かわかるか?

「はい。写メで送ってもらいましたから。送りましょうか?」

 頼む。

 ………ってか達哉の奴、そんな危ないものを知人にバラまいたのか。

「あはは~アイツマジもんの馬鹿っすからね。目を離した隙に死んでてもおかしくないっすよ」

 違いない。

 取り敢えず哀川さんの前に例の一年坊主の方から当たってみるわ。


          *


 ………とはいえ、本当なら関わり合いになんてなりたくない相手だ。

 登下校する日程が不明瞭なのもいただけない。

 何せ相手はツチノコだからな。

 本当なら家の前で待ち伏せするのがベターなんだが、あの手のタイプは家まで押しかけられると必要以上にぶち切れる可能性がある。会うのであれば偶然を装うのが好ましい。

 噂では、一年坊主がよく通っているという孤児院があるという。

 その孤児院の近くで待ち伏せするのが最も効率的――—


「―――なんだ。また来たのか、お前」


 突然声を掛けられた俺は、大声を上げて飛びのいた。

 まさかこんなに早く見つかるとは思っていなかったからだ。

 孤児院の近くにあるコンビニで腰を下ろした途端に声を掛けられるとは、俺の悪運も捨てたもんじゃない。

 例の一年坊主―――逆廻十六夜は、スーパーの袋に大量の雑貨を詰め込んでそこに立っていた。

 何十人前ものカレールーが詰め込まれた袋が実に印象的だ。

「悪いけど、今日は相手してやる時間はねえぞ。カレーの日にはホームに帰るっていう約束なんでな」

 ………ホーム?

「そこの孤児院。俺の実家みたいなもんでね。………その様子だと、俺の住居を知っていた感じでもなさそうだな」

 訝るような視線を向ける逆廻十六夜。如何やら俺がこのコンビニに偶然来たものと思ったらしい。

 まあ、そりゃそうだろう。俺だって妹から聞くまではコイツが孤児院出身だなんて思っていなかった。………如何やら、意外に苦労しているらしい。

 回りくどい真似が嫌いな俺は、達哉が居なくなったということと、達哉がバイトで手に入れた地図を見せる事にした。

 十六夜に地図を見せると、今までの表情を一変させて興味深そうに覗き込んできた。その様子はまるで獲物でも見つけた猫のようだ。

 ………いや、そんな可愛いもんじゃないな。

 猫というよりは、獅子や虎のような猛獣が新しい玩具を見つけてどうやって壊そうかと思案している、とでも言った方が的確だろう。

 二分ほど地図と睨めっこをしていた十六夜だったが、ふと何かに気が付いたように口角を上げた。

「ああ、思い出した。この島、インド洋の無人島だ」

 インド洋?

「形が変わっていて分かりにくかったが間違いない。近隣の孤島にも見覚えがある。………でもおかしいな。俺の記憶が正しければ、この無人島は何の資源もない孤島のはずだ。この写真を持っていたのがOBのチンピラなのか?」

 間違いない。最近になってこの辺りに帰って来たらしく、危険な商売に巻き込まれたウチの学生も少なくない。

 俺も周りの奴にも哀川さんには近づくなと言っておいたんだが………

「………へえ?」

 ………?

 何だよ、その顔。

「いや、意外に番長らしいことしてるんだなって感心してた。俺に突っかかってきた時は珍しくもない猿山の大将かと思っていたんだけどな」

 十六夜はそう言うと、初めて俺の目を真正面から見た。

 如何やらこの瞬間まで俺は会話する価値のある人間として見られてなかったらしい。他の一年坊主が言ったのなら一発殴るところだが、この男に拳を振り上げても返り討ちに遭うのが関の山である。

 俺は十六夜の言葉をスルーして結論を求める。

 要するに、如何いう事なんだ?

 まさか麻薬とか絡んでいるのか?

「いや、運ばされたのが地図とUSBなら麻薬や拳銃といった密売品ということはないだろう。おそらく何かの情報なんだろうが、相手は日本のヤクザじゃないな。俺の考えているような物なら学生に運ばせるような代物じゃない。取引先にも何らかのトラブルがあって止むに止まれずといったところだろう。………もしかしたら、その哀川ってチンピラも中身が何なのか分かっていないのかもしれない」

 ………。

 お前は、達哉の行方を知っているのか?

 それとも、推理しているのか?

「そんな大仰なもんじゃねえよ。ただ暇つぶしにはなりそうだからな。荷物を置いたらもう少し付き合ってやる。探す当てがないならホームの応接間で待ってな」

 そう言って手招きする生意気な一年坊主。

 胡散臭いことこの上なかったが、探す当てがないのも事実だ。

 この写真一枚で達哉に辿り着けるというのならやって見せてもらおうじゃねえか。


          *


 ………なんて息巻いていたのもこの時までだった。

 俺はこの後、思い知ることになる。

 このカナリアファミリーホームという孤児院には―――逆廻十六夜という怪物の他にもまだ、とんでもない怪物がいるということを。


          *


 カナリアファミリーホームの門の前まで来た俺は、理由もなく震える背筋を必死に抑えていた。

 白塗りの外壁、横滑りの鉄の門。

 学校の半分ほどもあるその施設には、百人以上もの少年少女が住んでいる。

 引き取り手のない少年少女が行きつく施設だと聞いていた俺は、悲壮感の漂う少年少女が出てきても負けねえように最強の笑顔で討ち入ると、


「イザ兄だ!! イザ兄が帰ってきたぞ!!」

「みなのもの、であえであえ!!」

「カレールーを奪うのだ!!」


 ドドドドドドド!!! と地鳴りのような音共に走ってくるチビッ子たち。

 ウリボウの群れにでも出くわしたのではないかと錯覚した俺は思わず跳び下がったが、凶暴化したチビッ子たちは俺になど目もくれずに逆廻十六夜―――もといカレールーに飛び掛かる。

 十六夜は暴走するチビッ子たちを無視してスタスタを歩き出すが、チビッ子たちもスーパーの袋を手放しはしない。

 その結果、床をズルズルと十六夜に引きずられる少年少女の絵が出来上がった。

(………いや、ちょっと待て。何十人引きずるつもりだ?)

 両腕と背中と頭とスーパーの袋に絡みつく少年少女の合計は軽く三〇人はいる。

 どう見ても人間が引き連れる限界重量を超えているし、スーパーの袋が破れないのも不可解だ。

「おい、何をぼさっとしてる。応接間はもう少し先だ。荷物置いてガキ共振り払ったらすぐに向かうからソッチで待ってろ」

「ええー!? 今日は遊んでくれる日じゃないの!?」

「カレーの日は何時も遊んでくれるじゃん!!」

「何時もみたいにお手玉してよ! ただしボールは俺な!」

「っていうか誰あの無精ひげ!!」

 ガルルル、と俺を睨んで怒るチビッ子たち。

 ガキ相手に拳を振るうことを嫌う俺だが、相手が三〇人オーバーとなると話は別だ。

 素手ならプロレスごっこで遊んでやるのもやぶさかではないが、小道具箱からスパナやバールのようなものまで取り出して武装している三〇人の悪ガキが相手となると本気で命に関わる。

 ったく、誰が教育してんだ。俺だって光物なんて使ったことないのに。

 十六夜が教育してんのか? なら納得だ、後で先輩として説教してやる。

 

「―――あ、そうだイザ兄。今日は丑松オジサンの奥さんも来てるよ」

「爺さんの愛人? 誰のことだ?」

「違うよ、奥さんだよ。『アイジンはその他大勢、本妻は唯一無二。ちゃんと覚えときや』ってすんごん美人のお姉さんが言ってたもん」

 ああ? と不可解そうな声を漏らす十六夜。

 丑松という名前には俺も聞き覚えがある。確か近隣でも有名な資産家の名前だ。

 如何やらこのカナリアファミリーホームは丑松というご老公の出資によって成り立っているようだ。

 出資者の関係者を待たせてしまえば施設の今後に関わるかもしれない。

 ………しかたない。

 カレールー半分持ってやるから、何処に運べばいいか教えろ。

 そしてさっさと応接間に行くぞ。


          *


 調理室から出てきた十六夜はガキ共を「しゃらくせえ」の一蹴りで吹き飛ばした後、応接間に向かい始めた。

 如何して俺まで応接間に向かっているのかって?

 そんなもん、噂の『すんごい美人』とやらを拝むために決まってる。達也の行方についてはその後でも十分に間に合うからな。

 期待半分、冷やかし半分で応接間の前に立つ。


 ………。

 ……………。

 ………………。


 ………今度こそ、俺は後悔した。

 俺は応接間に来る前に十六夜に達也のことを聞いて、さっさと助けに行くべきだった。

 応接間の前に立っただけで吐き気と震えが止まらない。生涯二度目の死の悪寒に脳味噌が縦揺れを起こして眩暈を誘発する。

 俺はこんな場所に来るべきではなかった。

 応接間の扉など開くべきではなかった。

 

 今すぐにでも施設の少年少女の手を引いて逃げ出さなければならなのに。

 逆廻十六夜は何も気づかないまま扉を開け放ち、その怪物の前に立っちやがったのだ。

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