ラストエンブリオ 短編集

角川スニーカー文庫

ディストピア編 聖女失墜①


 ―――その聖女は王を助ける為、髪を乱れさせ一心不乱に砦を目指していた。

 

 彼女の愛馬もまた泡を吹きながら主人の鞭に応え、力の限り大地を駆けている。

 しかし王の窮地だというのに、彼女の隣には騎士もいなければ供回りの従者もいない。

 此処まで常勝だった王を捕らえられて、多くのた諸将らは怖気づいてしまったのだろう。今一度王の為に奮い立てと檄文を送りはしたが、救援を寄越すか否かは五分五分というところだ。

 

 かく言う聖女もまた間に合うか否かの瀬戸際に立っていた。

 王の処刑の時刻は今日の夕刻。

 既に陽が陰りを帯びている。

 

 此のままでは聖女が砦に到達する頃には、王の首が刎ね飛ばされていることだろう。

 後少し―――後少しで、この戦いを終わらせることが出来るというのに。

 西と東に別たれた大国を王の威光で纏め上げることが出来れば、この大地で長く続く戦争にもようやく終わりが見えてくる。

 だがもしも王が討たれれば、王が占領した領地で新たな王を名乗る者が多く声を上げ、以前にも増して泥沼の大戦争が始まることだろう。

 虎視眈々とその瞬間を狙っている者も少なくないはずだ。

 王の死を阻止せねば、今まで築き上げてきた統一国家への道が全て断たれてしまう。

 聖女は奥歯を噛み締め乍ら、傾き始める太陽を睨んで叫ぶ。

「太陽よ………! 今日だけは……今日だけは、落陽までの時を延ばしておくれ………!」

 それが叶うのであれば、この命を捧げても構わない。

 落陽が一秒でも遠ざかってくれるのなら、その分だけこの命の火を使ってくれて構わない。

 神に祈りを捧げる様に聖女が叫んだその時―――信じられない奇跡が起きた。




「………アル。また『アーサー王伝記』を読んでいたのか?」


 ギョッと、彼は飛び上がった。

 そしてその勢いで分厚い本を閉じる少年。

 美しい装丁で飾られたその本のタイトルには『アーサー王伝記』と書かれており、この本そのものが貴重な品物であるのが一目でわかる。

『アーサー王伝記』を夢中で読んでいた彼―――アルと呼ばれた少年は、後ろから声をかけた悪友を睨みつけた。


「いや………それはコッチの台詞だよ、春日部。私が本を読んでいるときに後ろから話しかけるなと何時も言っているじゃないか」

「隙だらけのお前が悪い。そもそも此処は俺が見つけた裏庭だ。後から乗り込んできたのはそっちだろ」

 悪態を吐きながらアルの隣に座る春日部少年。

 アジア系にしては背丈が高く、その横顔は歳不相応に大人びている。

 何処か野性味を感じられる彼の風貌を見た一部の生徒たちからは、畏敬の念を込めて〝バンチョー〟とも呼ばれていた。

 二人が腰を下ろしたこの場所は、学園の裏手にある小道を真っ直ぐに進んだ場所にある裏庭だった。中心に聳え立つ石像は随分と年季が入った代物らしく、全身が苔むしており、胴体の大部分が蔦に絡まっている。

 しかし春日部少年はそれがいいとばかりにスケッチブックを取り出し、日課である絵の練習を始めてしまう。

 アルは彼のスケッチブックを覗き込んで呆れたように笑った。

「またこの石像を描いてるの? 何十枚も同じものを描いて、そろそろ飽きてこない?」

「描きたくて描いてるわけじゃない。此れでも一応は特待生として留学してきているからな。次かその次のコンテストで成果を出さないと日本に送り返される」

「ああ、そっか。春日部がフィレンツェに招かれたのは絵画を評価されたからだっけ。………ふふ。でも本当は彫刻家になりたいんだろ?」

 金髪のおさげを靡かせて微笑むアルは、少し意地悪な質問をする。

 春日部少年はこの芸術の都フィレンツェに来て二ヶ月足らずしか生活していない。体格が年齢の割にしっかりしている為、学生服も特注を用意せねばならず、稀に今日の様に日本の学生服である〝ガクラン〟を着ている日もあった。

 そんな彼が芸術の都フィレンツェにまで留学してきたのは、表向きは絵描き志望、裏の目的は彫刻家として勉学に励むためだった。

「背に腹は代えられない。絵を描くのも嫌いではないからな。デッサンの勉強にもなる。特にこの裏庭の石像はいい。何故か心が騒ぐ」

 鉛筆の先をナイフで削り始めた春日部少年は、畏敬の念を込めて石像を見上げる。

 壇上にある石像は、二人の男女のものだ。


 今にも命尽きようとしている聖女を、伝説のアーサー王が抱きかかえて涙する一幕。

『アーサー王伝記』の中でも最も有名で、今でも多くの人の心を打ち、その慟哭に涙を流す者も少なくない名シーンだ。。


「………処刑されそうになったアーサー王を助けるために、単身で砦に忍び込んだ聖女。間一髪のところで王を助けたものの、聖女はその命を落とす」

「アーサー王はその時になって初めて知る。………彼女が、腹違いの実姉であったこと。自分が王となる為にどれだけ血を流し、どの様な屈辱にも耐えて、陰ながら支え続けたこと」


 戴冠宝剣を引き抜いて以降、聖女は己の身分を隠して王の傍でその才覚を振るい続けた。

 そして最後は、その命さえも王の為に消費しきってしまった。

 王はその全てを知り、滂沱の涙を流しながら神に向かって慟哭する。


「………〝助けてください〟、か」

「ええ。しかし王の叫びは虚しく荒野に響き渡り、聖女はその命を落とす。ですがこの時の経験と出来事が、王に平和への祈りを抱かせる………というのが有名な歴史解釈ですね」

「そしてお前が一番好きな一幕でもある。今日読んでいたのもその一幕だろう?」

 春日部少年が問うと、苦笑しながら頬を掻くアル。

 そして聖女を抱きかかえる王の石像を見上げた。

「………フィレンツェの石像は、ギリシャ神話の物が多い。此処に来ると故郷を思い出します。私は幼いころから、この石像を見上げて育ちましたから」

 郷愁を込めて王と聖女の石像を見上げる。

 彼の故郷では何処にでも見られるありふれた物なのだろう。

 しかしその視線には、郷愁以外の様々な感情が見て取れた。

 きっとアルにとってこの一幕は特別な思い入れがあるものに違いない。

「………そういえば今度、『アーサー王伝記』を第一章から放送するそうですね」

「戴冠記念日が近いからな。現王の戴冠式の時にも前座の演劇が流れていたと聞いた。きっとお前の時も同じように―――」


 ―――ひゅぅ、と二人の間に風が吹く。

 春日部少年は意味もなく言葉を切り、周囲をゆっくりと見回す。

 アルも何か不自然なものを感じたらしく、自衛用の武器に手をかける。

 無言で背中合わせになり警戒心を高める二人。

 するとその時、何処からともなく声が聞こえた。


〝如何か―――助けてください〟


「っ………!?」

「誰だ!?」

 幻聴ではない。

 今の声は二人の耳にははっきりと声が聞こえた。

 春日部少年も護身用の武器を取り出して臨戦態勢に入る。

 しかし声の主の姿は見えず、尚も悲痛な叫びを上げた。


〝如何か―――助けてください

    ―――何一つ救われなかった彼女を

    ―――闇の中を彷徨う我が姉を、運命から救い出して………!!〟


 刹那、二人の眼前にある風景がガラス細工のように砕け散った。

「じ―――次元断傷!? 不味い、すぐに管理AIに連絡を」

「駄目だ間に合わない! 掴まれアル!!」

 足場が砕けて落下するアルの手を春日部少年が掴む。しかし同じように彼も落下して飲み込まれた。

 無数の星が巡る空間を落下していく二人。

 時間感覚がなくなる刹那の永遠を経験し、唐突に視界が開ける。

 二人は目の前に広がるのは遠大な草原と見たこともない山々。

 草原を駆け回る馬は翼を持ち、水飲み場から優雅に羽ばたいていく。

 遥か遠方には天を貫くほど巨大な塔が聳え立っている。

 眼前に広がる幻想的な光景を前にして、二人は思わず目を剥いて叫んだ。


「「ど―――何処だ此処!!?」」



 上空三〇〇〇m。

 落下する二人が呼び出されたのは―――完全無欠に異世界だった。

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