ディストピア編① 神王、発つ

 ふと見上げた時―――一条の流れ星が夜空に輝いた。

 煌々と燃え上る流星は、吼え猛る獣の様でもある。

 神王は其の流星が何を示唆するのかを悟り、僅かに嘆息した。

「極西の星が落ちた………か」

 忉利天の善見城から星見を行っていた神王は、瞳を閉じて時を待つ。

 程なくすると、星見の間に続く廊下橋を渡る足音が聞こえた。

 気配が扉の前まで近づくと、神王は振り返ることなく使者に声をかける。

「………毘沙門天。星見を妨げるのは厳罰と知ってのことか?」

「はい。火急の事態につき禁を破りました。罰は覚悟しております。どうか拝謁の許可を」

 鎧甲冑に身を包み、髪を長く垂らした男性が扉の前で跪く。

 神王は暫し沈黙した後、皮肉気な笑みを口元に浮かべて頷いた。

「気にするな。星見は既に終わっている。話は道すがら聞こう」

 踵を返す神王と、それに続く男性―――毘沙門天と呼ばれた鎧甲冑の男。

 二人は星見の間から続く長い廊下橋を渡り切り、裏門から玉座の間に続く回廊に入る。其処に来て、先に神王が切り出した。

「それで、火急の事態とは?」

「はい。件の魔王―――〝閉鎖世界〟ディストピアから我々〝天部〟ディーヴァに使者が来ました」

「使者だと?」

 神王は青髪を靡かせて振り返る。彼にとっても意外なことだったのだろう。

 毘沙門天は大様に頷き、使者の手紙を取り出して読み上げる。

「―――〝箱庭の主、偉大なる天部に告ぐ。我が軍勢は魔王に在らず。我らは同じ理想を共有する同胞である。話し合いの場を設ける故、神王にご足労願いたく候〟………以上です。如何されますか?」

「ハッ、如何も何もあるものかよ。神群を一つ滅ぼしたこのタイミングで、講和政策を仕掛けてくる筈がない。間違いなく罠だろう」

 足早に玉座に向かった神王は、苛立たし気に腰を下ろして悪態をつく。

 普段の毘沙門天ならまずはその悪態を咎めていただろうが、其れよりも神王の口にしたことに驚愕し耳を疑った。

「………神群を、滅ぼした?」

「ああ。星見の結果が正しければ、極西の神群が滅んだ。恐らくはケルト神群だろう。大神ダグザ殿が〝来寇の書〟を持って南側に逃亡したという話だったが………如何やら保護は間に合わなかったらしい。此れで奴らは西側の半分を制圧したことになる。未だに一枚岩ではない俺たち〝天部〟を相手に和平を持ち掛ける筈がない」

 戦争とは勢いのあるうちに勝ち進めるだけ勝ち進むのが定石だ。常勝の敵軍がこのタイミングで講和政策を持ち掛けてくる理由がない。

「此れが人間同士の戦争ならまだ理解できる。敵軍から切り取った土地の治世を行う為に一度講和政策をとるのも分かる。―――だが、奴らは〝魔王〟だ。如何に取り繕ったところで奴らの戦い方を見ればわかる。でなければ、神群を滅ぼすなんて狂った考えは絶対に出てこないからな」

 神群―――箱庭の世界から、人類の発展と共存を試みる強力なコミュニティの総称。あらゆる時代で人類の発展に寄与してきた彼らは、人類史そのものと言っても過言ではない。

 その神群を滅ぼすということは、人類史そのものを破壊する行為に他ならない。

 相互観測者である箱庭の世界で神群を滅ぼすということは、一つの民族、国家、既存概念を破壊するということでもある。

 有体に言えば―――民族浄化という名の、大量虐殺を行っているに等しい魔王のはずだ。

 その冷徹な魔王に対し静かな怒りを燃やす神王は、歯噛みしながら毘沙門天に視線を向ける。

「ケルト神群が滅びた以上、劣勢のローマ神群や北欧神群も危うい。壊滅もそう遠くないだろうな。………連中もいよいよ、聖書に手を加え始めるか?」

「まさか、其れは流石に無いかと。聖書に手を出せば、今の〝紀元〟や〝太陽暦〟に触れます。最高位の〝歴史の転換期〟に手を出してしまえば、其れこそ人類史が破綻します」

「どうだか。現に奴らはケルト神群を一つ滅ぼしても人類史を破綻させる事無く此処まで進撃し続けている。何か俺たちの知らない手段を使っているのは間違いないだろうよ」

 投げやりに告げる神王。

 そう、其れが最大の謎なのだ。

 魔王〝閉鎖世界〟は神群を滅ぼしながら、既存の人類史を破綻させていない。もし本当にケルト神群が滅んだのなら、それに相応しい歴史にシフトするはずなのだ。

「今まで〝人類最終試練〟と呼ばれる魔王はいたが、〝絶対悪〟アジ=ダカーハ以外にこんな例外はいなかった。だが逆に推測すれば、この二体の魔王には共通点があるという見方もできる」

「………なるほど。共通の謎を持っている魔王であるが故の性質だと?」

「そうだ。上手く謎を解きさえすれば、連中を一網打尽にすることも可能かもな」

 ハッと、毘沙門天は息を呑む。

 神王は悪巧みをする少年のような笑みを浮かべ、使者からの手紙を手に取る。

「となれば―――虎穴に入らずんば、とも考えられるのかね?」

 その悪戯っぽい物言いに、毘沙門天は大慌てで神王を嗜める。

「ちょ、ちょっとお待ちください! 〝天部〟の再編成に向けて動いている最中に貴方が玉座を開けてどうするのですか!? しかも敵の懐に飛び込むなど論外ですッ!」

 全く持ってその通りだ、と他の側近たちの声が聞こえてきそうになる。ディストピアを辛うじて抑えられているのは〝天部〟とギリシャ神群、そして一部の化生たちの力があってこそだ。その一角が席を開ければ瞬く間に戦況は敵に傾くだろう。

 だが神王はそんな側近の静止など気にも留めず、するりと軽い足取りで門に歩き出した。

「そうは言うが、これ以上のチャンスは早々あるまい。東のアジ=ダカーハ、西のディストピア。この二体の魔王が相手では並みの一手ではジリ貧よ。他の最終試練の様に棚上げが出来ない以上、多少の無茶は覚悟しないとな」

「で、ですが御一人で向かうなど! 貴方は神王―――三〇〇〇体もの神霊の上に立つ、神王インドラなのですよ!!?」

 毘沙門天がその名を口にすると、神王インドラは面倒くさそうに頭を掻く。

 テメェは俺の保護者か何かかよ、と場にそぐわない悪態を吐きかけた神王だったが―――ふと、真剣な顔で南側に視線を向ける。

「………そうかい。なら、俺一人じゃなければいいんだな?」

「無論です。我が化身を預けます。あの娘、猪武者ではありますが心根の清さは保証します故、きっとその身に変えても御身を―――」

「馬鹿たれ。俺たちの化身は最終試練に対する最後の切り札だって言ってるだろ。その娘は最終決戦までは、せめて良い思いをさせてやれ」

 ピシャリ、と提案を蹴る神王。

 押し黙る毘沙門天を尻目に歩みを進める神王は、南側に視線を向けたまま、ゆっくりと視線の角度を上げて星空を見る。

「安心しろ。共の候補は他に居る。丁度、南側に迎えに行きたい逸材が居るのだ」

「南側に?」

「ああ。新興の………なんだっけか。確かブードゥ教とかいう神群の神霊から、少し前に密書が届いてな。もし話が本当なら、この状況を打破しうる逸材が居るかもしれん」

 そういって胸元から、また別の手紙を取り出す。

 其れは毘沙門天も見たことのない旗印が刻まれている封蝋の手紙。

 燕尾服にシルクハットを模した剽軽な旗印は、とてもではないが神霊の者とは思えない。毘沙門天は首を傾げてはっきりと疑問を口にした。

「………ブードゥ教………聞いたことありません。何時の時代の神霊ですか?」

「それもわからん。だが箱庭に存在している以上、何処かで〝歴史の転換期〟を起こしたに違いない。其れも極めて最近にな。ディストピアの魔王と無関係とは思えないだろ?」

 神王は外套を脱ぎ棄て、サッと腕を振る。

 すると全ての装飾が剥がれ、庶民の服装に早変わりした。

「会合は三カ月後だと使者を送れ。それまで一切の戦争行為を禁ずる。双方ともにな」

「わかりました。ですが受け入れられない場合は?」

「無理やりにでも戦線を維持しろ。手段は問わん。最悪の場合は聖典〝リグ・ヴェーダ〟の開帳を許可する」

 神王の言葉に、毘沙門天は大きく息を呑んだ。

 聖典〝リグ・ヴェーダ〟―――神王インドラが最強の軍神だった頃の力を封印している書物。其れを開帳するということは、最大の切り札を一枚託されたということだ。

 其れほどまでに重要な旅ならば、これ以上の言葉は不要だろう。

 毘沙門天は恭しく膝を着き、神王の背中を見送る。

「わかりました。神王の不在、この毘沙門天がお預かりします」

「任せた。もし俺が不在の間にジブリールが訪れたら、南側に向かったと伝えてくれ」

 

 

 ―――斯くして、神王は南側に戦車を向けた。

 後に、箱庭全ての希望の星となる少女を迎えに行く為に。

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