ディストピア編 戴冠石⑦

 金糸雀の問いに、アイラーヴァタが反応した。

「モリガン………モリガン・ル・フェイということは、女神モリガンではなくアーサー王伝説の魔女のこと? あのアーサー王伝説を終焉に導いたという」

「はい、その魔女モリガンです。モリガンは元々、ケルト神群の神様でしたよね先生」

「………ええ。詳しくは省くけど、ケルト神群でもそこそこ有名な勝利の女神ね。その彼女が戴冠石の秘密を知っていると貴女は思うの?」

「はい。私にはその確証があり、立証する自信があります。―――ですがその前に、神王様に確認せねばならない事があるのです!」

「俺に?」

「はい。もしかして神王様は、アーサー王伝説について何か知りませんか?」

 神王は首を傾げながら金糸雀を見る。

 こう言っては何だが、神王はアーサー王伝説について余り詳しくない。

 何せ文化圏が違いする。西の果ての地に神王の威光は届いていないのだが………取り合えずは、望まれた通りに話してみる。


 アーサー王伝説―――其れは確か遠い昔に神々の箱庭で詩人に紡がれ、とある理由でブリテン島の五世紀後半頃、俗に〝歴史の空白期〟と呼ばれる時代に刷り込まれる筈だった伝説の一つだ。

 ブリテン島の五世紀~六世紀は明確な歴史的資料が残っておらず、人の手にも神の目にも観測が極めて難しい状態にあり、多様性のある過去が同時に起こり得る歴史的地域である。

 その〝歴史の空白期〟に存在する多様性を利用して人類をより善い方向に導くことは出来ないかという試みが、アーサー王伝説という物語である。

 ブリテン島統一、円卓の騎士、巨人族や悪鬼羅刹との闘い。

 後に語られる数々の物語と武勇伝は多くの人間を惹きつけるものとなった。

 ………しかし、神々の望んだ〝人類をより良い方向に導く〟という試みは成功しなかった。

 アーサー王伝説は奇跡にも等しい様々な恩恵を神々から授かり、様々な時間流で繰り返されたにも関わらず………唯一つの例外なく、試みが成功することは無かった。

 アーサー王伝説は必ず、忠臣である円卓の騎士の誰かに裏切られて破滅したのだ。

 

「………ん? あれ? あれれ?」

「どうした?」

「いやだって、円卓の騎士の誰かに裏切られて破滅するって………裏切られるという事は、裏切る可能性のある騎士は一人ではないのですか?」

 意外そうに金糸雀が声を上げる。

 一般的に、アーサー王伝説はモルドレッドという騎士の裏切りで幕を閉じる。

 此れは外界でアーサー王伝説を語る時の一つのドレスコードであり、神々の視点から語られる〝歴史の収束点〟である。

 第三点観測宇宙である箱庭には様々な多様性のある世界が観測されるものの、この収束点にだけは多様性を認めない。

 歴史観測は始点と終点の狭間の揺らぎを変えても問題がないが、この二つを変えれば歴史の全体像が変わってしまうからだ。

 歴史の根幹を変えるほどの変革、即ち神の視点の切り替えは、第二桁に住む者たちによる過半数の承認か、かつて神王が引き起こした例外的奇跡の何れかが必要となる大変革。容易に行えることではない。

 アーサー王伝説がその有用性を明確にできたのなら兎も角、現状の様に滅びが確約されている状態では、〝歴史の空白期〟のまま多様な過去の一つとして捨て置くことしか出来ない。つまりアーサー王伝説は、史実と架空の狭間に浮いている状態にあるのだ。

 神王はやんわりと首を横に振り、

「少なくとも、俺はそう報告を受けた。これは多様な可能性を持つ〝歴史の空白期〟だからこそ可能なことなのだろう。………そうだよな、アイラ」

「うっす。箱庭から観測する空白期の事実は一次元的なものではなく、多次元的なものっすからね。現状の結論を言うと、円卓の騎士たちは全員―――ああいや、二人だけ例外がいますけど。基本的にはアーサー王の義兄とダゴネットという騎士を除いて、全員にアーサー王を裏切る理由が存在したと聞いてますよ」

 あれれ!? と仰天する金糸雀。

 如何やら彼女の中で何かの計算がズレたらしい。だがそれも仕方ないだろう。まさか円卓の騎士のほぼ全員に裏切る理由が存在するとは思わなかった。

 改めて腕を組んで考え込んだ彼女は、もう一度思考を張り巡らせる。

「てっきりモリガンの姉妹たちが女神モリガンの化身たちで、襲名した彼女たちに戴冠石を預けてアーサー王を導いたのかと思っていましたけど………もしかして、もっと別の要因があるのかな………?」

「? アーサー王伝説と戴冠石には何か関連性があるのか、アイラ」

「知らないっすけど、戴冠石の話を聞く限りあるんじゃないっすか? アーサー王伝説で一番有名なエピソードである〝王を選定する剣〟の源流って、どう考えても戴冠石でしょ」

 ポン、と手を叩く神王。

 そうだ、アーサー王伝説と言えば王の選定を行う儀式。

 抜いた者がブリテンの王座に着くだろうと予言された剣の儀式だ。

 此れは戴冠石という王の名を叫ぶ石を使った儀式との類似性は極めて高い。

 改めて戴冠石を手に取った神王は、その中心にある亀裂を指でなぞった。

「そうか………! 何の亀裂かと思って訝しんでいたが、この亀裂は剣が刺さっていた跡だったわけか!」

「そういう事っすね。………まあ、そのチビッ子の推理は半ば正解だと思いますよ。順序立てて説明すると要するに、こういう事っしょ?」

 アイラは先ほど提示された問いの中で判明したものを埋めていく。



 問1、女王メイヴが実在した年代は紀元前2500年付近と推測されるが、

    西暦前後を生きたとされる描写の女王メイヴとは年代的に差異がある。

 解1、女王メイヴの時代的矛盾は襲名文化の名残りであり、

    ケルト神群に襲名文化が存在していた証明である。


 問4、戴冠石には何故か奇妙な亀裂が入っている。

 解4、力を失った戴冠石の力を選定の儀式に使う為、剣という別の器を用意したと推測。

 

 問5、真実を知るドルイドの末裔が生きているとしたら何処にいるのか?

 解5、女神モリガンの名を襲名したと思われるモリガン・ル・フェイが

    戴冠石をブリテン島に持ち込んだと推測できる。


「―――とまあ、こんな感じっすよね。〝モリガン〟の名がケルト神話の女神を意味するなら、〝フェイ〟は〝魔法使い〟〝妖精〟って意味ですから………自分は〝ケルト派の魔法使いである〟という隠されたメッセージだったのかもしれませんね」

 カカッと解答を書き込むアイラ。

 おお~と感心の声を上げて両手を叩く神王、スカハサ、クロア=バロン。

 凡その辻褄は照らし合わせることが出来た。不明な点は残ったが、モリガンが戴冠石と何かしらの関係があることは間違いないだろう。捜索を開始するには十分すぎる理由だ。

 戴冠石に選ばれたのがアーサー王であるとしたら、王は〝アストラ〟とも関係が深い人物であったのかもしれない。

 そのアーサー王を陥れた魔女であるなら、モリガン・ル・フェイはディストピアと繋がっている可能性も―――

「………。いや、それはおかしくないか?」

「へ?」

「モリガン・ル・フェイを戴冠石、即ちアストラを託された女と仮定する。そしてその戴冠石を使って王の選出に成功した。………それなのに、苦労して選出したアーサー王を破滅させる一翼をモリガン自身が担うことになるのか? 流石に行動理念があべこべな様な気がするんだが………」

「そう、其処が謎なんです!!」

 ショキン! と右手と共に声を上げる金糸雀。

 彼女は顎に手を当てて唇を尖らせて続ける。

「選定の儀式は無事に終わり、戴冠石の儀式は成功した筈だった。なのにモリガンはその結果に反発し、最終的に息子のモルドレッドを使ってアーサー王を滅ぼし、国を亡ぼす事になった。………コレ、明らかに前後で矛盾してますよね」

「そうか? 私怨って可能性は十分にあるし、モリガンには復讐の動機もある」

「復讐も在り得なくは無いけど、動機からの推測は全ての可能性を排除した末の結論にするべきです。事実の伴わない推論は推理ではなく妄想と偏見です。―――それに、バロールお爺さんは言っていました。〝世界の敵〟の謎を暴くのは、〝偏見無き瞳〟を持つ者だと」

 ………ふぅん? と、アイラは瞳を細める。

 客観的にアーサー王伝説を読み込めば、モリガン・ル・フェイ本人にはアーサー王とその一派に復讐する理由が多々存在する。彼女と彼女の姉妹たちは、アーサー王を生み出すその仮定によって人生を大きく狂わされているからだ。

 だが………書き出されて書物となった物語と、史実は別物だ。

 執筆者が本人でない限り、その心情の全てを真実として映すことは出来ない。事実として受け止めていいのは、行動の結果だけだ。

 故に金糸雀は、本当に〝復讐〟の二文字で切り捨てて良いものだろうかと悩んだ。

 先ほどは省略したが、モリガンの打倒アーサー王に掛けた執念は筆舌に尽くしがたいものがある。

 魔法を使い、地位を使い、女としての身体を使い………腹を痛めて産み落とした子を使い、比喩ではなく、己の全てを捧げてアーサー王を倒そうとしていたと伝承には残っている。

 己の幸せになど目もくれず、アーサー王を倒す為だけに人生を消費した魔女。

 それほどまでに彼女を追い詰めた理由が、唯の復讐という事はあり得るのだろうか。

「〝モリガンは復讐者に落ちた魔女に違いない〟―――そんな動機からの逆算は唯の偏見であって、推理じゃない。ましてや今は物語の外側の事実が提示されている状態で、加えられた事実を元に再計算するべき時。それでも決めつけるというのであれば、それは明確な〝邪悪〟です。唯の悪ではなく、己を正当化したいがための〝邪なる悪〟です。私はそんなものを決して許容しない」

「そうかい。ご高説は結構だが、なら教えてくれよ。モリガン・ル・フェイが己の人生の全てを賭けて打倒アーサー王を掲げた理由に、復讐以外の動機があるのかどうかを」

 威圧するように金糸雀を睨むアイラ。

 彼はふざけた態度を好んで取るが、その本質が神霊、即ち試練を課す者であることに変わりはない。

 金糸雀の言葉に一理あると頷く反面、彼女の反論は一理未熟な反論だ。

 如何に善意に満ちた言葉であっても、仮定に推測を重ねた時点で善意ある偏見となり、己を正当化したいがための〝邪なる悪〟となる。

 金糸雀が己の言葉に矛盾しない推理を………ゲームメイクを出来るというのなら、象王アイラーヴァタの名の下に、彼女を認めてやってもいい。

「それじゃ、聞かせてもらおうじゃないか。お前の偏見の無い推理ってやつを。俺にこれだけ食って掛かったんだ。もう推理は出来上がってるんだろ?」

「……それは………」

 金糸雀が珍しく言い澱む。

 彼女はまだ再計算の最中で彼の推測にケチをつけた。此のままではモリガンの捜索方針が決定してしまうと判断したからだ。

 大雑把に焦点は絞れているが、まだ確信的な事実が足りていない。

(………焦るな。此れはきっと、視点問題だ。モリガン・ル・フェイの視点で物事を観測し直すんだ)

 アーサー王が選定の儀式を行うまで、モリガンは儀式に前向きで協力姿勢を取っていた。此れは間違いない。じゃないと戴冠石を提供した前提が崩れる。

 彼女はこの瞬間まで、復讐心があったとしても、それを押し殺すことが出来たはずだ。

 だがアーサー王が選定の儀式を成功させた途端、彼女の行動方針が変わった。

 此れはつまり………彼女の視点で見た場合、儀式は失敗だったからでは?

(………駄目だ駄目だ、これは論拠が足りない! フェアじゃない! 先生も言ってたじゃない! 仮定の上に重ねていいのは推測じゃなくて事実だけだって!)

 だが方向性は間違ってない筈だ。

 モリガンの行動理念が一変したのは、〝アーサー王が剣を抜いた直後〟でなければ、此処までの辻褄が合わなくなる。

 しかし如何しても、推理の欠片が噛み合わない。きっと、何か見落としがあるのだ。


 ドルイドたちに隠された謎があるのか

 戴冠石に纏わる伝承が欠けているのか。

 またはケルト神群の再編集による改変か。

 

 或いはその全てが足りてないのか。

「………っ、」

 苦々しい表情で黙り込む金糸雀。

 アイラーヴァタが失望した様に溜息を吐いた、その直後。


 外で待機していた一人の詩人が、廃屋の扉を開いた。

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