ディストピア編 戴冠石②

 神王とクロア=バロンが廃屋で会談をしていた同時刻。

 金糸雀はスカハサの動かなくなった右手を摩りつつ、彼女の業が失われてしまったことにしょんぼりとしていた。

「………先生。右手、もう治らないんですか?」

「治らないわね。義手にしたら動かすことは出来るかもしれないけど、今までみたいな精密な動きは難しいわ」

 永い年月をかけて積み上げられた神域の業。義手にして経験値がゼロに戻るだけではなく、死の瞳の呪いで動きそのものに制限が付くことになるだろう。

 ディストピアと今後戦い続けるとしても、第一線を張るのは難しい。

 事実上、戦士としてのスカハサは此処で死んだのだ。

「ごめんなさい。私にもっと力があればよかったのに………」

「あら、随分と傲慢ね。ほんの十数年しか生きていない貴女が私の戦いに割って入れるはずないでしょう? 戦場に居合わせた子供は上手に守られるのが仕事なんだから、さっきの貴女は十分に及第点をクリアしたわ」

 ポンポン、と頭を叩きながら茶目っ気を込めて笑うスカハサ。

 戦いの中で四肢を失うことはさほど珍しい話ではない。むしろ激しく戦ったという証とも言えなくない。

 勝利に奉じた結果に何時までも悲観し続けるのは良くないことだと、彼女は弟子である金糸雀を諭す。

 小さく頷いた金糸雀は師の言葉を噛み締めつつ、隣の芝生で寝ている少年に視線を移す。

「でも………それならこの男の子は違うのですか? この子も先生のお弟子さんなんですよね?」

 魔神バロールが乗っ取っていた金髪の少年。

 今は意識が戻っていないものの、安全上の都合により両手両足を縛り上げた状態で放置されている。

「………。この子は特別よ」

「特別?」

「ええ。世の中には、強くなることでしか生きることが出来ない者もいる。この子はその典型例。この子は生まれたその時から〝エリンを滅ぼす者〟として宿命づけられていた」

 金糸雀はバロールの話を思い出してハッと息を呑む。

 彼の子孫は〝星の巨釜〟を消費してしまった代償に、何時か一族を滅ぼす者として覚醒する星を背負うということだった。

 この少年がその呪いの新たな滅びの体現者だったのなら―――

「この子は………〝世界の敵〟なんですか?」

「立ち位置はね。………怖い?」

「わかりません。まだ話したこともない人です。言葉を交わさないまま判断は出来ません」

 嘘偽りのない真っ直ぐな言葉に、スカハサの口角が緩む。

 金糸雀の頭を優しく撫でながら彼の身の上を話す。

「此れは後から分かったことだけれど。〝世界の敵〟としての覚醒は世代を重ねるたびに強くなる代物だったのよ。ケルト神群の主神ルーから始まり、彼の息子のクー=フーリンまではその呪いに打ち克つことが出来た。けどこの子の世代になって、呪いの覚醒は強くなるだけでなく、年若いうちから始まってしまった。―――当時、七歳の事だったわ」

 スカハサの冷めた声に金糸雀は震えあがり、同時に痛ましく思った。

 金糸雀がディストピアを抜け出す覚悟をしたのは十二歳の頃だった。しかしこの金髪の少年はそれより更に五歳も若い。

 無垢なままに生きることが許される年齢で、何時か〝世界の敵〟になる宿命を知らされた少年の心情を思うと、言葉にならない悲しさが込み上げた。

「呪いに打ち克つ為に鍛錬を積んでいたんだけど………全てが裏目になってしまった」

「………それで、先生はどうしたんですか?」

「殺そうとしたわ」

 冷徹な即答に金糸雀の声が詰まる。

 だがスカハサは一転して苦笑いを浮かべた、

「でも………出来なかった。あの時ばかりは私も人の子なんだなって思い知ったわ。二代に渡って手がけた弟子を殺せるほど、私は冷徹じゃなかったそうよ」

「知ってます。先生は優しくて勇敢な人です。伝承でエッチな話題を広めた人は死ねばよいと思います」

 忘れていた話題に一瞬だけスカハサの瞳が遠くなる。

 が、すぐに記憶を抹殺して話を戻す。

「それでね。この子に全て話したのよ。自分が将来、怪物になることをね。そしたらまあ太々しく言い返してきたわ。


〝―――そうか。俺は最強の怪物になるのか。

    しかし俺が最強の怪物になるのなら、

    俺を討つのは最強の勇者たる親父殿しかいない。

    一騎打ちを仕掛ける口実をくれたこと、深く感謝する〟


 ………ってね。そのまま飛び出していったのよ、この馬鹿弟子は」

 悲観から一転、金糸雀は目を丸くした。

 この金髪の少年は七歳にして世界の敵となる自身の宿命を逆手に取り、自分の願いを叶える口実に転嫁したというのか。信じられない胆力である。

 スカハサも表情を明るくしながら少年の金髪を撫でてやった。

「ああ、血は争えないんだなって………あの時ばかりは私も一本取られたわ。この子は骨の髄まで、魂の色まで全てがエリンの戦士だった。この大地に呪いは残せない、しかし心残りは残したくない。その回答が〝神群最強の戦士に挑んで死ぬ〟だったのよ」

 クシャクシャと、撫でる手に力を籠めるスカハサ。

「………望み通り返り討ちにあったこの子の死体は、肉体が停止しただけで魂が死んでいなかった。だから死体を肉体を預かっていたの。いつの日か、呪いが解ける日を待ち続けてね」

「でもその死体を、ディストピアがバロールの依り代にした?」

「ええ。でもディストピアの目論見は外れた。或いはあのお爺さんの狙いの一つだったのかもしれないわね。彼を化身アバター化したことで肉体を再起動させたのなら………何時かこの子も、怪物となることなく目覚めるかもしれない。呪いが完全に消え去るその時まで、今は私が預かるわ」

 彼の額に〝消失言語〟ロストランゲージを書き込むスカハサ。

 すると金髪の少年は蔦の棺に囲まれて縮小し、彼女の手に収まる。

 話し終わったスカハサは大きなため息を吐いてから、勢いよく立ち上がった。

「さて、それじゃ私たちも神王様にお話ししに行きましょうか。丁度、戴冠石の話に入ってる頃だろうしね」

「はい。………でも、どうして初めからクロアと一緒にお話ししないのですか?」

「ふふ、それはまだ秘密。けど強いて言うなら、貴女の教育の為ってところね」

「………???」

 首を傾げる金糸雀。

 意味深に微笑むスカハサ。

 

 廃屋から神王の素っ頓狂な叫び声が聞こえてきたのは、その直後のことだった。

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