神王VS戦神⑮ 解答編
太陽の赤子を乗せた枝の小舟が川を流れていく。
大嵐の夢は、雷鳴と共に砕け散った。
*
「―――……そして、何も変わらなかったんですね」
響く少女の声。どうやら先ほどの幻術はこの声の主の者らしい。だが幻術にしては現実味のある夢だった。まるで過去に遡り追想体験をさせられたかのような感覚が体に残っている。
バロールの仮面が割れて地に落ち、その瞳が開かれた。
顔を伏せた魔神は片膝をついたまま、皮肉気に笑る。
「………呵々。ワシに追憶の夢を見せるとは………娘よ。貴様、詩人の一人か」
「見習いです。師はオルフェウス卿、名は金糸雀。伝承を啄む幼鳥であり、同時に、〝偏見無き眼〟を持つ者として御身に真意を問いに来ました」
礼儀正しく一礼し、金糸雀は魔神に微笑みを向ける。
周囲の黒煙は神王と象王が巻き起こす旋風によって散らされているものの、消滅させているわけではない。無限に広がる黒煙は健在だ。中心部に激しい風が吹いている分、拡散が速くなっている。早々に手を打たねば人里にまで届いてしまうだろう。
だが金糸雀は焦る様子もなく、気まずそうに両手を合わせて言葉を選んでいる。
〝契約書類〟を取り出した彼女は文面に目を通しながら告げる。
「〝 黒煙は絶えず消せず滅ぼすこと此れ叶わず。
封蓋を握るは極西の王。
偏見無き眼を持つ者よ。
巨人王の真意を問い、来寇の蓋を告げよ。〟
この〝偏見無き眼〟とは前文にある侵略の歴史を客観的に書き記すことが出来る者―――文面に登場しない、物語を観測する第三者だと判断しました」
歴史の記録というのは必ず当事者の主観が反映されるもの。
故に〝真意を問う〟・〝偏見無き眼〟のキーワードに符号するのは、物語と歴史の外側に居る第三者しかありえない。
「魔王バロール。文面にある〝封蓋〟とは貴方自身のことだ。死の黒煙を発生させる巨釜の力を自身の中に封印し、黒煙を吐き出さなくなった巨釜を貴方は隷属させた侵略者に与えた。―――恐らく、此れが伝説の〝ダグザの巨釜〟のモデルです」
ケルト神話には〝ダグザの巨釜〟という食糧を無限に生み出し死者を蘇す巨釜があるという。
フォモールの巨釜と対局の力を宿したこの巨釜が無関係とは考えにくい。或いは文明交流の一文にある〝苗を与えた〟という解釈に含まれていたのかもしれないし、文明交流の騙った農奴制度の実地、というのも在り得たのかもしれない。
金糸雀は幼い胸を張り少し自慢げに告げる。
「尤も、此れはただの資格を得るための儀式でしかありません。偏見無き眼とは、このゲームの質問権を得る為の条件でしかない。〝巨人王の真意を問う〟ための」
「………呵々。なるほど、よく
魔神は瞳を抑えたまま呆れる。
周囲を確認することこそできないが黒煙は既に広範囲に渡って拡散しているはずだ。その黒煙をすり抜けて此処まで来るのは並大抵の苦労ではないはずだ。先ほどから響いている雷鳴から察するに、神王たちが道を切り開いたものなのだろう。
しかし黒煙は触れれば一瞬で命を刈り取る魔の霧だ。落ちかけのつり橋を渡るより危険な道のりをこのような少女が渡ってくるとは流石の魔神も予想していなかった。
「魔王様。私に魔王様の真意はわかりません。でも、このゲームの真意はわかります。此のゲームは―――〝真実を知る〟為だけのゲームだ」
幼くも力強い瞳が真っ直ぐとバロールを見据える。
バロールは素振りだけで先を促した。
「歴史を残すのは常に勝者だけ。記録が残るのは勝者に都合がいい部分だけです。連綿と続いてきた歴史の中で葬り去られてしまった事実を、誰かに記録して欲しいが為に、このような質疑だけのゲームにしたのではないですか?」
金糸雀はこのゲームに於ける最大の違和感を口にする。
このギフトゲームはゲームの体裁を成していない。
何せクリア条件が〝真意を問う〟だけだ。
質疑の資格さえあれば問うだけで勝てるなど、遊技としても試練としても破綻している。
「歴史は勝者によって改竄され、残された記録の中で敗者の正当性が語られることは無い。貴方は自分たちの軌跡を守るために、略奪された歴史を―――」
「それは違う」
有無を言わさぬ力強い声に、金糸雀は閉口させられた。
瞳を閉じたまま顔を上げたバロールは間違いを正す様に告げる。
「娘よ。はき違えるな。歴史は常に勝者の物だ。己の武勇、故国の功績、人類史に刻まれる軌跡をどの様に残すかは、勝者に与えられた権限だ。其処に異を唱えたところで負け犬の遠吠えと変わらぬ」
勝ち取ろうと奮起した者がいた。
守ろうと決起した者がいた。
相反する二つの集団が並び立った時に、血を流す事でしか贖えない争いが起きる。その結果を受け入れられないのであれば、初めから立ち上がるべきではない。
此れは大地に生きる全ての生命が尊守せねばならない摂理だと、魔神は少女を𠮟りつける。
「世界の成熟期で生きる者には理解できぬかもしれぬ。だが世界の黎明期に生きた者たちにとって、侵略は一概に悪と断じて良いモノではなかったのだ。剣と剣、槍と槍、弓と弓で命を鬩ぎ合っていた時代にはの。………侵略が悪と呼ばれるようになるのは、文明規模が違う者たちが争い、虐殺が起きる様になってからの話よ」
其れは例えば―――未開の地に生きる先住民族の虐殺であり。
其れは例えば―――武器を持たない無辜の民への砲火であり。
其れは例えば―――星を穢す程の大量破壊兵器の投下を指す。
「だがそんな古い時代の戦争でも遺恨は残る。その遺恨が我らを巨人族へと変貌させた。人と人とが血を流して争う行為に正統性を持たせる為―――或いは良心の呵責に耐える為に、我らは
人と人が、知恵ある霊長同士が争う事を合法化する最も単純な手段。
其れが―――〝敵対者を、人類と認めない〟という記録捏造である。
敵対者がそもそも人でないのであれば良心の呵責に苛まれることもない。略奪した土地をどの様に扱おうが問題ない。捕らえた捕虜をどの様に嬲ろうが咎めは無い。何故なら敵対していた先住民は、人類ではないのだから。
「………魔王様は、それでいいのですか? 偽りの歴史として語られているフォモール族は、永遠に怪物のままでいいの? 永遠に怨恨の対象でいいの?」
金糸雀は意外な反論を受け、困ったように視線を逸らした。
少なくともこのギフトゲームには、真実を理解して欲しいという願いが込められている様に思えたからだ。
そんな彼女の好意を受け、魔神は皮肉気に笑って首を横に振る。
「呵々………若い若い。永遠なんてもんは、この世に無いんじゃよ。故に永遠の怨恨なんてものは、唯一つの例外を除いて、この世には無いのだ。
戦争の当事者が死に、加害者と被害者が絶え、街々から傷跡が消えて風化し………全ての歴史が、唯の事実に昇華された時。〝偏見無き瞳〟を持つ者が、〝世界の敵〟の呪いを解くのだ」
その時が来るまで―――
世界の黎明期を生きた魔神がこの試練の真意を告げると同時に、黒煙は白い砂へと変貌し風に乗って此方から彼方へと散っていく。
其れがゲームクリアの合図だったのだろう。
同時に死の瞳から呪いの源泉と思われる雫が零れ落ち、大地へと溶けて消えて行った。
バロールは瞳を開き、初めて金糸雀の顔を直視する。
幾千年ぶりに血の通った生命を視たバロールは、懐かしむように金糸雀の頬に手を伸ばす。
「ほ………これはこれは。存外にめんこい娘じゃったのう。お楽しみまで十年というところか? まあ、ワシの愛娘には劣るに決まっとるがな」
「―――――、」
赤味の指した柔らかな頬を撫で、一度も見たことのない愛娘の面影を虚ろに重ねる。声に力が無いのは霊格が摩耗しきったからだろう。試練が終わった以上、魔王である彼は再度眠りに着くしかない。せめてこの命溢れる光景を目に焼き付けようと、魔神は周囲をゆっくりと見渡していく。
青い空を飛び交う鳥を。
翠の葉が生える樹々たちを。
そして成り行きを見届けた神王を見据え、瞳を細める。
「………呵々。アレが世界を救った功績を持つ神霊か。中々の面構えではないか」
雷光の様な青い髪は意外だったが、その面貌には凛々しさと勇猛さが感じられた。なるほど、世界を救った神王の一人というのは誇張ではないらしい。
その際に金糸雀は、薄々気が付いていた事実を確認する様に問いかけた。
「魔王様。やっぱり、貴方が使っている身体は………」
「うん? ―――呵々、この身体か。いやはや未成熟ながら見事な潜在能力よ。或いはワシを超える逸材やもしれぬ。まあ、ワシの子孫であるなら当然よな!」
一族の名は滅んだ。だが、一族の血は滅ばなかった。
其れだけでも、己の行動には価値があったのだ。
魔神は誇らしく呵々大笑を上げるものの、それが最期の力だったのだろう。
両膝を着いた魔神は最後の力を振り絞り、別れを惜しむ様に金糸雀の額に触れた。
「さあ、報酬じゃ。魔王ディストピアについて、ワシの知り得る全ての知識を与えよう。おぬしの頭に刻んでおく故、好きな時に知識の泉として開くが良い」
「い、いいのかな? 私、肝心なところで間違えましたよ?」
「構わぬ。おぬしが〝偏見無き瞳〟を持つ者とわかればそれでよいのだ。おぬしの様な童が育っていることを知れただけで、今回の覚醒には意味があった。もしもおぬしの様な瞳を持つ者が、今後も育つというのであれば―――」
〝世界の敵〟の呪いも、何時か解かれる日が来るかもしれない。
金糸雀は大きく息をのみ、その期待に応える様に大きく頷いた。
「………はい。何時か必ず、私が全ての呪いを解いて見せます。魔王様は眠りながら、その日を待っていてください」
「呵々。ならば………そうさせて、もらおうかの」
眠たそうに瞼が落ち始めるそろそろ限界が近いのだろう。
魔神は最後にチラリ、と。
岩山に凭れかかっているスカハサを見る。
「………あとはまあ、贅沢をいうのであれば、だが」
先ほどの感触を思い出したバロールは、今までにないほど真剣な顔でスカハサの服の隙間を凝視する。
破れた衣服から覗く、極上の絹にも似た肌。
美しく輝く白い指先と蠱惑的な唇。
程よく発育した乳房とその谷間を瞳に焼き付ける様に凝視した魔神は最期に―――
種付けしたかったなあ、と。
五臓六腑から絞り出すような悔恨の声を上げて、眠りに着くのだった。
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