神王VS戦神⑪

 上空でスカハサたちを待っていた神王は、黒煙の広がり方に焦りを感じ始めていた。死の魔眼から溢れた黒煙は森の小動物は勿論のこと、樹々を枯らし大地を焼き、微生物に至るまで死滅に至らしめている。

 だが其れが逆に腑に落ちなかった。

「………なあ、アイラ。お前はケルト神話にどの程度詳しい?」

「精通してるというわけではありませんが、陛下よりは詳しかとー」

「十分だ。お前はあの黒煙をどう判断する?」

 モクモクと音を立て、雷雲の中から人型のアイラーヴァタが首を出す。

 顎に手をあてて思案する彼はその手にギフトカードを取り出し、ケルト神話の資料に目を通す。

「ええと、判断するも何もないかと。あの黒煙は伝承に語られている通りの物かと思われますよ?」

「というと?」

「魔神バロールは幼い頃、一族の長たちが大釜から呼び出した黒煙を浴びたことにより死の魔眼を開眼させています。当時のフォモール族―――バーロルが所属していた巨人族は、他の神族から侵略を受けていたという記録もありますし」

「侵略を受けた? 魔神の一族が?」

「はい。そもそも〝ケルト〟という言葉の祖語は〝ケルトイ〟、つまり異国文明を持った人種を指す言葉なのです。勝者が語り継ぐケルト神話が侵略の神話であり、元来、極西の星地に元々栄えていた種族を指すのは、魔神バロールが率いるフォモール族のことなのでしょう」

 故に来寇しんりゃくを受けたゲームなのかと神王は頷く。

「となれば、あの黒煙はフォモール族が侵略を防ぐため、〝神殺し〟の魔眼を開眼させるための根幹とあったものでは? 例えば黒煙を使った魔術や戦術とか」

 アイラはパタパタと長い尾を振って小首を傾げる。だが神群を薙ぎ払うとされた〝神殺し〟の瞳の真実がそんな簡単なもののはずがない。

 そもそも死の魔眼を開眼させるための力が溢た結果がこの黒煙というのなら、バロールのあの焦りは何だったのだ。あれは明らかに自身の支配が及んでいないものに対する畏怖が込められていた。

 つまり死の魔眼を開眼させる儀式は意図的なものではなく、偶発的に起きた儀式だったのではないだろうか?

(恐らく、戦術や魔術といった概念より遥かに巨大な概念が根幹にあるはずだ。それこそ〝神殺し〟―――人類に降りかかる災厄と呼べるほどの真実が)

 だが災厄と一口に告げても簡単には絞れない。

 紀元前のこの時代、極西の地は様々な星の災厄が渦巻く時代でもあった。

 天揺らす大嵐、地を裂く大震、陸を呑む海象、極地寒冷、その他にも数えきれない災厄に覆われ、人類の住める土地ではなかったと聞く。今でこそ神々に愛された土地として栄えているが、其れは星の聖地が極東の地に移った結果に過ぎない。

(極東に匹敵する災厄の坩堝………もしや、星の大動脈が関係しているのか?)

 神王は親指の爪を噛みながらアイラーヴァタに向かって小さく呟く。

「アイラよ。もしやケルト神話には天地創造に当たる詩節………〝創造神話〟が存在しないのではないか?」

「え?………あ、そういえばそうですね。ケルト神話の神々は世界創造に携わりません。ケルト神話は初めから星という下地があるところから始まります。紀元前の神話にしては珍しいかも」

 アイラは今まで考え付かなかった着眼点に意外そうな声を上げる。

 紀元前から存在している神話はその多くに天地を創造する為の詩節、及びその権能が記されている。此れは神々が人類の世界の外側に生きるものの証明でもある。

 しかしその創造神話を持たないということは、ケルト神群は星の内側に直結した神話体系と死生観を持つ神群ということになる。

「やはりそうか………ではフォモールの巨人族とは星の聖地の番人だったわけか。ならば星霊と交渉する機会もあったはず。あの魔神がアストラの原型を知っていてもおかしくはない。ではやはり、大釜とは―――」

「………陛下。その〝アストラ〟とは? 魔神バロールも言っていましたが其れは一体、」

「よい。今は関係ない話だ。他にカギとなりそうな資料は?」

 神王に促されたアイラだが、質問に答えてもらえずやや不満そうにする。

 だが忠実なる戦車ヴィマナである彼は己の不満をグッと抑え、ページを捲って次の鍵になりそうなワードを告げる。

「へいへい、そうですねえ。このゲーム文面の苗ですが―――彼らは農耕文化に長け、独自の魔術文化を持っていたとされています。これが関係してるのでは?」

「………〝されています〟? 何故に仮定なんだ?」

「正しい記録が残っていないからです。極西の地ではギリシャ神群とローマ神群が交わるまで〝文字〟という文明そのものを嫌っていた―――或いは、必要性を感じていなかったようですね」

「必要性を?」

「はい。どうやら彼らはとんでもなく記憶力がよかった、もしくは文字以外の記録媒体を持っていたようです。古代の神話群も綿密に詳しく書かれているのはこの為かと。ですが史実はややパラドックスが目立ち、文字の文明を持たないが故に偽史書と成らずにはいられなかった。アルスター神話群サイクルがその一例です」

 ケルト神群が後に〝来寇の書〟という偽史書を作らざるを得なかったのは此の文字という文明を嫌うケルトの文明に理由がある。

 極西の地には文字の文明を嫌っていたが故に、語られざる〝空白の歴史〟に該当する期間が存在している。その〝空白の歴史〟を埋めるために作られたのが現在の〝来寇の書〟なのだ。

「………その偽史書だが。整合性は取れていないのか?」

「少なくともアルスター神話群はかなり捻じ曲げられてますね。ちょっと歴史に詳しい人間ならすぐに理解できます。何せ紀元前25世紀出身の女王メイヴと、紀元前1世紀出身の半神クーフーリンが戦うというトンデモ史書ですから」

 女王メイヴ―――アルスター神話群に於いて最強最大の敵として広く知られるこの女王と半神クーフーリンは、本来なら出会える時間軸に存在していない。

「襲名したという可能性も無きにしもあらずですが、間違いなくこのメイヴは歴史編集した人間の悪意によって生まれた架空の権力者か、女王メイヴの神性を謀った偽物だと断言します」

「ほう。強気だな。記録があるのか?」

「いえ、記録はありません。が、。女王メイヴは紀元前25世紀から現在我々が把握している19世紀までの間、その巨大な墓所が残り続けています。時代にしてギルガメシュ叙事詩とほぼ同時代の霊格です。対してクーフーリンは紀元前1世紀に生まれ、紀元後1世紀に死ぬ宿命を持つ。此れでは時代が合いません」

 此れに流石の神王も呆れた。

 墓所が残存し続けているにも関わらずそんな歴史的パラドックスを伝承にしてしまったというのか。それは史書としては、幾ら何でも無理があるだろう―――と言いかけて、神王は言葉を飲み込む。

「………いや。或いは、わざとパラドックスを内包させていたのかもな」

「へ?」

「簡単な理屈だ。この様に歴史と神話にパラドックスを内包させておけば、史書を神群の化身として扱うことが難しくなる。人類と神群の分断工作、というやつだ。

しかも半神のクーフーリン………太陽の子が紀元前に、紀元後すぐに? 随分と某神群に都合のいいように書き換えられてるじゃねえか」

 刹那、神王の覇気が跳ね上がった。

 だが其れは眼下の黒煙に向けられたものではない。

 遥か彼方、箱庭の西に本拠を構える神群を睨むかのように神王は牙を剥く。

(俺たちが到着する前にディストピアの軍勢が到着していたのも………やはり、アイツの仕業なのか………?)

「………陛下?」

「なんでもない。続けてくれ」

「は、はい。僕は此れらは全て極西の地に息吹いていた女性上位の文明を駆逐するためだと推測してます。女王メイヴはエリンの語源にされるほどの神格を得ていたわけですし。再編された〝来寇の書〟では女性上位の文明を崩す為に、ケルト神話の女性は性に過激な伝承を組み込まれています」

 神王の瞳が別の意味でギラリと光る。

「………。ほほう。そこんとこ詳しく」

「イエスイエス、淫ドラモード突入ですね。よくわかります。さっきのお姉さんもアレとコレとか感じのいいオッパイでしたし、つか何でもうちょっと粘らなかったそれでも本当にインドラかアンタ、故郷の駄伝承が泣いてるぜ」

「何のことかサッパリだが助けて後悔はない。微塵もない。他人に触られる乳より触る乳だ。救出したこの後の展開に期待したいのが真の男だろ?」

「流石は英雄神、色を好みまくりっすね! 嫁神に密告してやっからなテメェ!!―――で、話を戻しますけども。例えばさっき出てきた半神クーフーリンの師匠筋に該当する女戦士スカハサは、溺愛する弟子の為に―――」


「あら、それは興味深いお話ね」

「でもあの考察。ちょっと脇道逸れ過ぎじゃないですか、スカハサ先生」


 凛とした女性の声と、少し陽気な少女の声。

 象王アイラーヴァタは先ほどまでの女戦士の名前を聞いてヒェ! と恐怖に慄いたような声を上げて神王の後ろに隠れた。

「か、か、影の国の女王スカハサ………!」

「ほほう。お前が導師グルスカハサか。それであの鬼神も竦む武錬にも納得がいった」

「いえいえ、お褒めに預かり光栄です神王陛下。ご足労ありがとうございます………と、無作法なのは御目溢しください」

 スカハサは一礼しようとしたが、右腕が全く動かないことに気が付いて簡易的な挨拶で済ます。神王は痛ましそうにその姿を見て瞳を細めた

「………すまない。俺の到着が遅かったばかりにその至宝にも勝る右腕が、」

「神王ともあろうものが戦士の誉に頭を下げてはいけません。戦士として戦い続けたのならば四肢を失うこともあるでしょう。お気遣いは結構です」

 柔らかい口調ながら、槍捌きに勝る切れ味のある言葉だった。

 自身が負った傷を心より誉と思っているが故に、些か以上に心苦しい。

 実のところ、右腕について謝罪すべき案件がもう一つあったのだが―――其れを告げるのはまだ早い。

「―――ところで、そちらの象王陛下」

「は、はい!? 象王陛下って僕!? 僕なんぞただの戦車なので御気にせず、」

「そう? ならお互いに無礼講ね。ついては先ほどの考察ですけれども、ケルトの女性伝承について面白いことを言っていたわね。私は再編されたケルト神群の伝承について詳しくないので、ちょっと詳しく教えてくださいな。―――ええ、なるべく詳しく。一体何処の誰が、誰を、溺愛していたと? あとその溺愛とは、異性に向ける愛ということ?」

 先ほどの神王の覇気に勝るとも劣らない覇気を浴びせられ、ヒェ、とまた縮こまる象王。とりわけケルトの戦士は後代に伝わる伝承に過敏だ。

 下手なことを言うと命が危ない。

 アイラーヴァタは彼女の名誉の為、何より自身の命の為、即座に視線を逸らした。

「い、いえ………僕は別に、ケルト神話になんて詳しくありませんし、貴方の事なんて全く知りませんし、」

「あらそう? でも先ほどの考察、中々に興味深い話く深い考察だったわ。主人の為に知識を総動員して試練に立ち向かう殿方なんて、素敵じゃありません?」

「あ、やっぱりそう思います? いやあ僕もそう思ってました割と常に堂々と!」

「そんな博識な象王陛下は、どのような目で私を見ていたのですか?」

「そりゃあ勿論、スカハサといえば弟子にデレデレなちょっと頭がキレッキレな感じのちょいエロ淑女だと聞いていたのに、おかしいなー変だなー残念だなーとか考えていただけでして。ぶっちゃけ陛下ったら助けるの早すぎお前それでも本当にインドラかよふざけんなしキッチリバッチリキめる所まで待てよとか別に思ってませんし、さっきの痴態とか今も肌蹴てる胸とか見とれつつアレとかソレとかをなんてことは特に考えてませんし、っていうかお綺麗ですよねスカハサさん、このあと僕と一緒にお水掛け合いっこしませんか!! なんならお水以外でも」


「ていっ」


スグシャッッ!!


ぎゃああああ………


         *


「………そっかー。再編版の〝来寇の書〟だと私はそんな風に謳われてるのか………」

 そっかー…。

 そっかー……。

 そっかー………。

 そっか―……………。

 と、セルフこだまを演じるスカハサ。


 象王のアレやコレを貫いた彼女は、語らせた内容について、意外な程に傷心していた。此れは右腕の負傷など比べ物にならない消沈である。

 だがそれも仕方ない。

 歴史の空白を埋める為の叙事詩とはいえ、武勇を謳う詩編より愛憎を謳う詩編が主題になっていると知れば、武錬に生涯を捧げた意味とは何だったのかと黄昏たくなるのも仕方がないだろう。

 しばらくそっとして於いて欲しいという本人の希望により、高台の先端にそっと下すことにして。


 亜麻色の髪を持つ少女が、くるり、と舞踏ロンドを踏んで神王に振り返った。

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