二学期⑥「彼はとても明るく、みんなから好かれていました」
マロが死んだ。
冗談だと思いたかったけど。
マロは死にました。
昨夜トラックに轢かれそのまま亡くなったのだと、担任は淡々と説明します。
嘘でしょう。嘘でしょう? 頭の中でただひたすらに問い続けました。ですが周りのクラスメイトは沈痛な面持ちを崩さず、それどころか一部の女子は涙を浮かべています。あのにやにやと人を小馬鹿にした笑みを浮かべる猫山田さんすら、さおりんのことしか頭にないぱっぱらぱーな月島君すら、真面目に担任の話を聞いていました。
僕は、
そんなこと、
信じられるわけない。
告別式は明日、と担任が言います。
ああ、そう。それより今日は思ったより雲が多いな。
青空を見て、ただそれだけを考えました。
✚
「残酷だね」
猫山田さんが言いました。顔を歪めたのはもしかしたら笑ったつもりなのかもしれません。
「かくも残酷だ。マロの父親はね――」
猫山田さんは今度こそ笑みを浮かべました。だけどそれは酷く歪な微笑みでした。
「夏に亡くなったんだって。よくわからないけどさ、難しい病気だってさ」
言葉が、出ませんでした。
「それで今度は自分だよ。なんだよそれ、やってられないね。でもあたし達は生きている普通に生きてる。おかしいね」
「……悲しいの?」
僕が尋ねると、猫山田さんは今度こそはっきりと笑みを浮かべました。ただしそれは自嘲の笑みでした。
「別に。ちょっと自分が嫌いなだけだよ」
✚
いつもは羽虫の騒がしさを伴う制服達も告別式となれば実にしめやかなものでした。皆一様に悲しそうな顔をして、うつむきがちにしています。
喪主はどうやらマロの母親のようでした。
マロの母親は白いハンカチを目にあて号泣しています。彼女を慰める術を知る者はいません。誰かが貰い泣きをします。僕はしませんでした。漠然としたやましさを覚えただけでした。
「自分が浅ましい、です」
マロの母親を見つめ隣にいた寺原さんが呟きます。彼女は涙を流していました。
「浅ましい?」
僕は尋ねました。
「はい。私は樋口くんのことをよく知りません。山口くんの友人、つまり友達の友達程度の繋がりしかありません。それなのに私はさぞ仲がよかったかのように涙を流し、悲しんでみせているのです。浅ましい。これを浅ましいと言わずなんと言うのでしょう。
私は悲しむべきだから悲しんでいるだけです。それならば私は喜ぶべきは喜び、怒るべきは怒るのでしょう。笑うべきで笑い、泣くべきで泣き、そうすべきところでそうするのでしょう。
でもそれなら、私の本当の感情はいったいどこにあるのですか? 周りの空気だとか雰囲気だとか常識だとかに従って、それで私はどこにあるのですか?
別にそういう常識だとか一般的な反応を否定したいわけじゃないんです。ただ、そういうものに沿ってしか行動出来ない私に自我なんて大それたものはなんじゃないかと、そう感じてしまうだけです。やがて私は本当に悲しくないときでも悲しんでしまわないかと曖昧に恐れているだけです。私、醜いです。浅ましいです」
「そう、かな。上っ面でも悲しみは悲しみじゃないかな。そんなふうに自分を責めてしまうと、何も悲しめなくなってしまうよ。何も感じることが出来なくなってしまうよ」
「……そうですね。そうかもしれませんね」
寺原さんは涙をぬぐい、曖昧に微笑んで頷きました。だけど僕だって自分の言ったことが、果たして本心からなのかどうかわかりませんでした。
✚
よくわからない司会進行により、見覚えはあるけど名前のわからない男子が生徒代表として模範的弔辞を述べます。
彼は僕をも代表します。僕はふざけるなと叫びたくてたまりませんでした。どうして君なんかが僕の心を代弁してしまうんだ。僕はそんなことを思っていない。マロは、マロは、マロは! あんなやつどうしようもない馬鹿で優等生でもなんでもなかった。
僕はきっとそんなことを叫びたかったのです。でも叫べませんでした。口にすれば自分の感情が嘘になってしまいそうで叫べませんでした。結局僕は寺原さんと同じように本当に自分が悲しんでいるのかどうか自信が持てなかったのです。
済むことが済めば生徒は蟻のように黒い列を作り、最寄りの駅へと歩を進めます。僕も一匹の蟻となり列に混ざります。
「なあ」
その帰り道、横を歩く月島君が静かに語り始めます。
「俺は、悲しくなんかないんだ。悲しくなんかない」
月島君は繰り返します。
「ちっとも悲しくないというか、マロが死んだなんて現実味がないよ。なあ、俺は帰ったらオナニーをするよ。俺の愛するさおりんのAVを一晩中見て何回もオナニーをするよ。なあ、俺は酷い人間だろ。友人が死んだ日にそんなことをするなんて酷い人間だろ。なあ、そうだろう?
だから俺は悲しくなんかないんだ。悲しくなんてないんだ。俺は酷い人間、最低な人間だから、悲しくなくて間違ってないんだ。他人なんてどうでもいいんだ。だから現実味なんて感じないんだ。おかしくない。俺はちっともおかしくないんだよ。ただ、酷いだけなんだ」
月島君は言います。
僕にはまるで彼が泣いているように見えました。僕も自分が泣いているんじゃないかと思えました。頬に手を当ててみます。だけどそこは乾いていました。ニキビがあるだけでした。
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