第15話 愚行も善し
マロロは悩みぬいた。ザハードの言うことは正しいが、ここで逃げれば間違いようもなく裏切りである。
では残って戦うか? 魔王がいれば百人力の働きも出来よう。勝利であろうと敗北であろうと、武器族に選ばれた勇者が戦に刻んだ武勇は、数々の伝説となっている。
『ローワーの奇跡』、『ハイエンの大斬溝』、『黄金獅子』。ベッドに横たわり、まどろみが訪れるまでの間、姉に読み聞かせてもらったおとぎ話の本の中の心躍らせた英雄伝。幾度自分がそうなることを夢に見たことであろう。
だが、担い手となったことで、マロロは自分は力も意気地もない矮小な存在であることをより深く理解してしまった。一振りするだけで苦難を要し、闘いとなれば怯える。大凡、『武器族持ち』にふさわしからぬ存在だ。何より、戦場に立てるかどうか。想像しただけで、身が震えた。戦争である、道中の山賊や無法者相手とはわけが違うのだ。
魔王は、何も言わない。否、ザハード達の計画に賛同したのだからそれで終わりだ。生き残るための最良の選択に、今までの様にマロロは従うだけのはずだった。
それをここに来て鈍らせたのは、村を出てから始めて会った善良な人々の存在である。助けた商人たちとリオ。前者は宿を与えられているとはいえ、もうしばらく会っていない、どこにいるのかも不明だザハード達の方がよほど親しいだろう。後者に至ってはむしろ苦手意識すら持っている。
だが、切実に助かってほしかった。欲を言えば、スロットのようにザハード達を見下す者以外は全員だ。
皮肉にも、善き出会いが生き残るために必要だった『盲従』をマロロから奪い、枷となる、彼の根であった『やさしさ』を蘇らせてしまった。
『愚かよ』
苦悩するマロロに呟いた魔王の言葉は、響きとは裏腹にどこか温かく楽しむようですらあった。
「リオ……様」
「! マロロ!」
「ほうほう」
数日が経った、逃亡決行日の夜だった。
湯あみのあとの髪結いを終え、寝室に行こうと廊下を歩くリオをマロロが呼び止めた。
リオは喜色を隠さない、初めてマロロから話し掛けられたのだ。
「あ、あの……」
「ほら、来なさい」
リオはマロロに二の句を継がせず、手をとって部屋に連れ込み、まごまごしているマロロを座らせて、拙い動作で花蜜茶を淹れる。
差し出された器を受け取り、マロロは少し顔を顰めた。茶の温度が熱すぎるのだ、折角の香りが飛んでしまっている上に苦みが出ている。自分で淹れること自体少ないのだろう。
「ここは嫌いだけど、食べ物だけはいいわよね」
「語るではないか、小娘」
「そういえば、魔王様は食べないの?」
「くくく、生涯な。儂らはそういうものよ」
「あ、あのリオ様」
「リオ。そう呼んで」
リオは期待に満ちた目でマロロをじっと覗き込んだ。
『おめおめ逃げ帰ると言うのであろう? 小僧?』
わざわざ自分にだけ聞こえるように囁く、魔王のからかうような声が疎ましかった。悩みに悩んだ末、結局マロロは怖気づいた。いや、自分の意志を持つことを放棄した。ザハードと同行するという当初の計画に従うと決めたのだ。
無論、この場合リオに会いに行く理由はない。否、確実性だけならむしろ悪手である。何しろ警告と、別れを告げにきたのだ。下手をすればその場で捕まってしまう。
「……」
「どうしたの? あ、お菓子が欲しい?」
「あ、い、いいです」
にもかかわらず、マロロは来てしまった。罪悪感による引け目もある、
『どのような顔をするであろうな?』
歯を食いしばった。魔王の言葉に含まれる嘲りはわかっている。どういいつくろうと、マロロは両親と変わらない。むしろわざわざ伝えにくるのはよほど残酷かもしれなかった。単なる罪悪感を払しょくするための偽善なのだ。我が心を軽くすために、取り繕っているだけだ。
「マロロ?」
興奮がやや薄れ、不安の混じったリオの顔があった。
言わなければいけない。立ち去ることと、サーラナの危機を。頂点に近い立場のリオから伝えれば商人たちもきっと……。
そう、きっと……。
「……リオ」
「! お、おお」
マロロはしっかりとリオの目を見つめた。リオの頬に赤みが差す。
「僕、た、助けます。リオも皆も……助けます!」
「え? あ、ありがとう」
リオは戸惑った。妙に決意の籠ったありきたりな言葉だ、そこに何か特別な感情があるのではないかと必死に探った。
マロロは混乱した。咄嗟に出てしまった言葉だ、すぐにでも訂正すればいいのにできない。
『くくくくくくくくくくく』
魔王の高笑いが木霊した。
『小僧よ、つくづく楽しませる』
マロロは、何も言えなかった。妙な後悔と興奮、達成感が内で混じりあい坩堝と化していた。
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