第9話 たった一人の親衛隊

 首長塔の解放広場に詰めかけた群衆を前に、首長であるマサリーが名調子で叫んでいた。老いているが、かつては数々の浮名を流したであろう端正な顔立ちだった。


「みなさん、不安はありません! 戦端は開かれましたが、前線のザプにてカリメア軍は食い止められ、ここに危険が及ぶことは万が一にもないのです!」


 歓声があがる。

 高く響く美声に誤魔化されてはいるが、その演説はなんら具体的なものを示していなかった。対岸の火事、そんな言葉が似合う。そしてそれを望んでいるのは、首長以上に群衆だった。


「巫女様とその父君スロット殿のいるかぎり、サーラナに負けはありません!」


 首長に勧められ、リオとスロットが眼前に立つと、ひと際大きな歓声があがった。

 スロットの人懐こい笑顔とは対照的に、リオはあいかわらずの不機嫌だった。


 マロロはリサの親衛隊とともに首長塔の一室で待機させられていた。時折響いてくる地響きにも似た歓声の度に、隅に縮こまるマロロは飛び上がった。


『怯えるでない』

『は、はい』


 マロロは所在なくまた隅に座る。

 マロロとザハードたちは、すでに編成されていたリオの親衛隊に組み込まれることとなった。

 だが、ザハード一行は蛮族であると同室を許されず、外で待機という呆れた処遇だった。抗議しようとしたマロロを止め、それだけで嬉しいと感謝した一行の姿が忘れられない。

 親衛隊はといえば、マロロを無視して好き放題に過ごしていた。酒を飲み、眠り、野卑た声で博打に興じる。そこらの道楽者かやくざ者と格好以外は何も変わらない。

 魔王曰く『蛆』である。

 

「はあ……」

「おい、ガキ」

「え? は、はい」


 突然親衛隊の一人がマロロの前に立った。

 短い髪の鋭い目の青年だ。その視線は怯えるマロロではなく、背負った魔王に注がれている。何人かが興味を持ったのか、手を止め2人を注視する。とはいえ、少年に味方をするような空気ではなかった。


「それが武器族か」

「は、はい」


 魔王へと乱暴に伸ばされた手に驚いたマロロが身を躱したことで、青年は僅かにつんのめる。それを見て、親衛隊が嗤い手を叩く。


「ガキ……」


 恥辱の怒りは、理不尽にもマロロに向けられた。

 マロロにとって魔王は生命線だ、どんな手段をしても守らねばならない。


「よこせ」

「だ、ダメですよ」

「ああ⁉」

「ひっ⁉」

『掴め小僧』


 迫る青年を前に、マロロは言われるがまま魔王を背から掴んで構えた。

 親衛隊の間に失笑が漏れる。へっぴり腰で魔王を突き出して震えているマロロは、意気地のない子供でしかなかった。


「舐めやがって!」


 挑発と受け取った青年が、マロロに飛び掛かった。


「きゃあ!」

『ふん』

「がっ⁉」

 

 情けない悲鳴を上げたのはマロロ。

 顎を砕かれて宙を舞ったのは青年だった。

 魔王を握った手が、引っ張られたかのように素早く、確実に、無駄なく青年を切り上げたのだ。まるでそこだけが熟練の強者であるかのような奇妙な動きだった。

 昏倒する青年を前に、親衛隊たちは状況の把握に刹那を費やし、色を失くして立ち上がった。

 青年を介抱し、マロロを囲んで伺う。


「お、おい大丈夫か⁉」

「てめえ!」

「あ、あの……こ、こなかったら怪我しません!」

『ばか者め』


 本人としては警告のつもりのマロロの挑発に、親衛隊たちはなだれ込むように突っ込んでいった。


「うう、痛いよお」

『虚弱めが』


 数刻と待たず、親衛隊は痛みに呻くか意識を失うかで倒れているものしかいなくなった。いずれも一振りの結果だった。

 彼らがマロロに与えらえた傷は、魔王を振るった腕の筋肉痛と、血の匂いにより誘発された隅の吐しゃ物だけだった。

 襲われたことへの興奮も消え去り、生み出した結果への恐れがマロロを支配していた。


「ど、どうしよう魔王様?」

『ありのままを言えばよかろう』

「で、でもこの人たち親衛隊で……ああ、どうして僕はいつも―」

「⁉」


 最初に入ってきたのは、リオだった。

 惨状と、血と吐しゃ物の匂いに思わずドレスの裾で鼻を覆う。


「あ、こ、これはその……」

「……あんたがやったの?」


 マロロは、常に苦虫をかんだ仏頂面であったリオの極々平常の表情を、その時初めて目にした。

 

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