10 ヒステリックな女教師の思い出
ぼくが勤務している自治体は、その時も今も「校長面接」というものを実施しています。これは普通学期に1回ずつ年間3回行っていて、3学期の場合は、それぞれの教員が書いた「自己申告書」という年間の目標や成果などが記された書類をもとに、校長室で校長と教員があれこれ話をするというものです。
副校長もその場にいるのですが、だいたい校長と教員の話し合いを聞いているだけのことが多く、たまに口を出す場合もあるけど、その内容は校長が言い忘れているあまり大したことない細かいことなどが多かったと思います。
3月の3学期に行う最後の校長面接の時、その終わりの方でなんだか気になることを言われました。
「筒美さんはかなり前にA高校にいたけど、その頃にA高校の校長さんだった軽部先生という方が、今教職員研修センターで学校経営アドバイザーという立場になっている。それで、その軽部先生が会って話をしたがっています。そのうち、電話がかかってくるかもしれません」
学校経営アドバイザーというのは60で定年退職になったあと、自治体の嘱託として勤務する職です。教職員研修センターというところにいて、各学校の管理職に学校経営についてアドバイスするのが仕事で、基本的には退職した校長が65になるまで務めます。
その頃、その職についていた軽部元校長は、10年くらい前に勤務していた学校の当時の校長でした。
それにしても、「今になってなんの話をしたいのだろうか」と不思議でした。
「どういう話なのか言ってましたか」
「うーん、私はよくわからない。たぶん電話がかかってくると思うから、その時聞いてみたら」
「わかりました」
その2日後、職場に電話がかかってきました。
「もしもし、軽部です」
「お久しぶりです。筒美です」
「やあ、本当に久しぶりだね。ところで非常に重要なことを話したいので、時間のとれる時に私が今いる教職員研修センターに来て欲しいんだ」
「そうですか。それで話というのはどんな話ですか」
「それは電話では言えない」
「どうして電話じゃだめなんですか」
「うーん、まあ、会って話したい内容なんだ」
「そうですか。それでは行くしかないですね。それでいつがいいですか」
「明後日の金曜なんかはどうですか。授業が終わってから来られませんか」
「時間は何時頃ですか」
「私は5時半くらいに退勤するので、それまでに来て欲しいんだ」
「4時半頃に学校を出なければいけないんで、それはまだ勤務時間内だから出張ということになりますが、行かれる可能性もありそうだと思います。でも、当日会議とか雑用などが入る可能性もあり、まだ行かれるかどうかわかりません。それで、例えば行くとして出張命令簿にはどう書くことになりますか」
「出張じゃなくて、年休をとって来られない」
「年休になるんですか。それじゃあ、正式な打ち合わせなどではなく個人的な話っていうことですか。それで、何についての話なんですか」
「それは、さっき言ったように電話では言えないんだ」
「それじゃあ、交通費もでないんですか」
「でも研修センターは、筒美さんの自宅に近いんで、ちょうど家に帰る途中みたいなところにあるんじゃない」
「まあ、そうですが」
「それじゃあ、明後日19日に来られますか」
「それは当日の会議や雑用などによります。その日になってみないとわからないので、行かれそうかどうかはその日に電話するということでどうでしょうか」
「そうしようか」
「それでお願いします」
「うん」
「失礼します」
「うん」
こんなやりとりでした。
しかし、交通費も出ず、年休をとって(公務員なので時間休はとれるが)、8年くらい前にいた学校の当時の校長と今になって話をしにいく。しかも電話では話せない要件。
いったいなんの話なのでしょうか。謎でした。
正式な仕事ではないということなので、別に行かなかったからといってどうなるというものでもなさそうでしたが、「非常に重要なことを言う」と言っていました。
どうも何の話なのか気になるので、重要な用事が入らなければ行くことにしました。
当日、会議等も入らなかったので年休(公務員なので時間休が取れる)をとって4時半頃に学校を出ました。
何の話なのかは、相変わらず見当がつきませんでした。
現在の勤務校に関することなら今の学校の管理職が話をするはずです。10年くらい前のA高校でのことについて、こんなに時間が経ってから何か言いたいことがあるのでしょうか。10年間も言いたいのを我慢していて、今になってついに言うことにしたのでしょうか。それは、しかしあり得ない話のような気がしました。
道を歩いている時も電車に乗っている時も、考えていました。と言うか、考える手がかりが全然ないので考えたとは言えないのかもしれませんが、とにかく、頭の中がその問いで占められていました。
教職員研修センターにつくと、トイレに行きたくなったので入口のところにいる警備員さんに場所を聞きました。その警備員さんは、黒っぽい制服を着た小柄で少し神経質層な雰囲気の人で、指で指してトイレのある方向を教えてくれました。
トイレに行ってから、指定された3階の軽部元校長先生のいる部屋に行きました。
軽部元校長先生は、四角い顔で髪がやや薄く白髪交じりで黒縁のメガネをかけていて、外見は10年前とほとんど変わっていませんでした。さすがに懐かしそうな顔をしていましたが、もしかしたら、自分もそう見られていたかもしれません。
となりの机の職員がいないのでその席に座るようにすすめてくれたので、そこに座りました。
「最近はこんなものも使えないと仕事ができなくてね」
なんて言いながらパソコンを終了させてから葉書を取り出しました。
それは、3枚あって昨年・一昨年・その前の年の12月に自分が書いた年賀状で、いずれも、A高校にいた時の同僚の田上先生という2歳くらい年下の女性の教員に宛てたものでした。
それを見て私は、「なんだそのことだったのか」と思いました。
なんでそんなことでわざわざ呼び出して話をしようとするのでしょうか。どういう資格とか立場で、この話をしようとしているのでしょうか。年賀状の内容なんて学校の勤務内容と直接関係があることではないのに、なぜ元校長という立場でそれについて言おうとするのでしょうか。
でも、確かにその年賀状の内容自体は一風変わったものではありました。
あけましておめでとうございます。
田上さんのヒステリックに叫んで叫んで叫びまくる凄まじい姿を今でも生々しく思い出します。
本当に恐ろしいものでした。
忘れようと思っても、どうしても思い出してしまいます。
(その年の年賀状)
あけましておめでとうございます。
私は、今でも田上さんの狂ったように怒鳴りあげる凄まじい有様をよく思い出します。
田上さんがああやって怒鳴りあげていたのは、怒鳴りあげること自体に楽しみを見出していたんじゃないかな。
私は、今では、そんなふうに考えています。
(その前の年の年賀状)
あけましておめでとうございます。
私は、今でもA高校にいた時のつらかったことを思い出します。
A高校にいた頃は、銀行のATMでお金をおろすのがつらかった。
ATMからお札が出てくるのを見ると、いつも「ああ、こんな紙切れをもらうために、田上さんのあの凄まじい叫び声や醜くゆがんだ顔を我慢するんだなあ。田上さんという頭のおかしいヒステリー女のことをいつもいつもバカにして「はい、はい」となんでもかんでも言うことを聞かなければならないんだなあ、本当に嫌だ。本当につらい」と、そんなふうに思っていました。
だから、その頃は銀行のATMに行く時は、どうにもうっとうしかった。
今は田上さんのようなすさまじいばけもののいない職場なので、本当によかった。天国だ。と思っています。
(その前の前の年の年賀状)
これが見せてもらった内容。
いずれもパソコンで打ってあるもので、特に3番目の葉書は、内容が多めなのでけっこう小さな字で打ってありました。
実際、自分で書いたものだし、自分の記憶の中にある内容とも一致していました。並べて読んでみると、特に前の前の年のものはかなりどぎつい内容で、貰った人はショックを受けるかもしれません。
軽部先生はこの手紙を見ながら、機関銃のように話し始めました。
「田上さんはねえ、田上さんはねえ、田上さんはこの手紙を見てパニックを起こしそうになっているんですよ」
「筒美さんから見ると田上さんは憧れのお姉さん」
「逆恋慕なんていうことで傷害事件でも起きたら大変だ」
「ストーカーなんだよストーカー」
あんまりストーリーになっていない乱雑なもの言いでしたが、とにかく「こういう手紙はよくない」「こんな手紙を書くのは絶対にやめるべきだ」ということを言おうとしていろいろとしゃべっていました。
そして、それはヒステリックに同じ内容を繰り返すだけでした。
軽部先生は、10年くらい前に自分の勤務校の校長だった頃はこれほどではなかったと思います。
確かにヤクザ映画に出てくる暴力団の幹部みたいな人格的圧力を重視する圧迫的・暗示しゃべり方を重視し頻繁に用いていました。そして、それがうまくいかないと興奮して同じ内容を繰り返すようなところは、確かにありました。でも、こんなに最初から興奮して支離滅裂な文言繰り返し言い続ける人ではありませんでした。
年を取ったのでしょうか。私は、あっけにとられ、「はいはい」という返事を繰り返していました。
でも、あんまりなんにも言わないで「はいはい」ばっかり言っているのもかえって失礼だと思いこちらからも話すことにした。
「それで、こういう手紙を出した場合と出さない場合で、出した場合の方が、傷害事件が起きる可能性が高まると考える根拠はなんですか」
「そんなことはどうでもいい」
「どうでもよくはないと思いますが。それで、こういう紙切れと言うか手紙がそんなに大変なことなんですか」
「そりゃーショックだったんだろう。わざわざ私のところに送ってくるんだから」
ここで私は嬉しくなりました。これら手紙は確かに効果があったようです。
「そうですか。まあ、こういう手紙を見て、自分がどういうふうに見られているのか客観的にわかって参考になるという人もいるだろうと思うんですが。でも、もしも、あんまり参考にならなければ、くしゃくしゃに丸めて捨てればいいんじゃないですか」
「男だったらくしゃくしゃに丸めて捨てればいいかもしれないけど、そこは女だから怖がっているんだ」
「こういうことは相手の立場に立って考えることが大事だと思います。やはり自分が田上先生の立場でこうした手紙をもらったら、なにかの参考にはなると思いますよ。まあ、『見てすぐに大反省し、心を入れ替える』というほどでもないかもしれませんが。基本的には、自分のことを知っている人の考えが書いてあるものというのは、自分について知るための第一級の基本的資料と考えて、できるだけ大事にした方がいい。自分だったらそう思いますけど」
「女だから、怖がっているんですよ」
「少なくともこういう場合は男より女の方が強いと思いますけどね」
「いや、女は弱いものだ」
「どういう根拠があってそう思うんですか」
「それで、田上さんのどういうところを批判したいの」
「その話題に入る前に、 『男より女の方が強いと思う』と言ったので、それに対する根拠なり理由なりを言ってください。どんどん別の話に移っていくようだと対話にならない」
「女が弱いに決まってるじゃないか」
「それはどうしてそう思うんですか」
「いちいちそう言うな…」
と元校長はものすごい声で怒鳴りあげました。まともな対話が成立しそうになると怒鳴りあげてぶち壊すところが田上ティーチャーと似ている。と思いました。
「…田上さんのどういうところが不満だったか聞いているんだ」
「うーん、本当はどんどん別の話に移っていかないで、ちゃんとそれぞれの話題について対話が成り立つように話し合いたいのですが仕方がありません。田上さんに関しては、結局、真面目にこちらの意見を言い始めるとヒステリックに怒り出すんですよ。だからいつもいつもバカにして『ハイハイ』言っていうことを聞いてないといけない。それじゃあ、自分も嫌だし、本人にとってもよくないでしょう」
「それは、田上さんは悪気があってやってるわけじゃないんだぞ」
元校長は、また怒鳴りあげました。
「うーん、悪気がないんだったら、時間がたってから教えてあげれば、なにか気づくところもあるんじゃないですか。少なくとも考える材料ができていいんじゃないですか」
「とにかく、こんなものが管理主事レベルに知れたら取り返しのつかないことになるぞ」
元校長は、ハガキを指さしてものすごく強い口調で言いました。なお、管理主事というのは、民間企業で言えば人事課長か人事課長補佐のような立場の人です。
さて、これまで書いてきたやりとりをこうして文字にして読むと、もちろん内容的にはお互いに自分の演説をやっているだけで対話とはいえないのですが、形式的には一応交互に話をしていたようにもとれます。でも、実際には、軽部元校長が話す時間が圧倒的に長く、たまに私がチャンスを見つけて話すというふうで、上記の文は、多少はやりとりらしくなっていたところを無理やりつなぎ合わせたものです。軽部校長が言っていることは、同じ話の重複が圧倒的に多かったので大幅に省略しました。
こんな調子で話はかなり続きましたが、最後は、いくら聞いていても聞いても果てしない感じだったので「はい、それじゃあ、これについてはちゃんと真面目に考えます」などということを言って帰らせてもらいました。
部屋を出て一階に下りて行ったら、警備員さんにいきなり襟首をつかまれ、「おい」と呼び止められました。
ついてない日だったのでしょう。
「おい、お前、今までどうしていたんだ。トイレを貸してほしいというから場所を教えたら戻ってこないじゃないか」
いきなり、「おい」とか「お前」なんていわれたので私は少しむっとしていたと思います。
「いえ、トイレの場所を教えてもらっただけで、トイレのためだけにここに来たわけではありません。その後、3階に行きました」
「おい、お前。なんで3階なんかにいったんだ」
「3階で経営アドバイザーの人と話す用事がありました」
「おい、お前、なにやってたんだ」
「話をしていました」
「あい、お前、トイレを貸してほしいっていってただろう」
「トイレはどこですかって聞いたんですよ」
「おい、お前はトイレを貸して欲しいって言ってたじゃないか」
「トイレはどこですかって聞いただけですよ」
「おい、お前はトイレを貸して欲しいって言ってたじゃないか」
「同じことを何回もいわないでもわかりますよ。トイレの場所を聞くのがそんなにいけないことなんですか」
警備員さんもその日の軽部元校長と同じで、あんまり相手の話を聞かずひたすら自分の言いたいことを繰り返し話し続けます。
その時通りかかった、研修センターの職員らしきスーツを着た背の高い中年の男性が口をはさみました。
「えーと、今のお話を少し聞かせていただいていたんですが、トイレに行ったあとどこに行ったんでしたっけ」
「それは今、警備員さんに話したんですけど3階に行きました」
「それで3階の誰かに用があったんですか」
「ええ、学校経営アドバイザーの軽部先生と話をする約束をしていました」
「まあ、そういう時は入口で警備員さんにそのことを話した方がいい」
「でも、いつもの研修の時はそんなことしませんよ」
「『何時から何々の研修がある』という時は、あらかじめその時間に教員がぞろぞろ来るとわかっているからそういう場合はいいんだけど、今日みたいなときは言わないと誤解される」
「わかりました」
すると、警備員さんが急に態度を変え「すみません」と謝りました。
それにしても、私が話をしてもあんまり聞いてなくて同じことを何度も何度も質問するのに、センターの職員が話すと急に態度が変わるのだから、どうにも腹が立ちます。なんとなく話の進め方が軽部元校長に似ていると思いました。この建物の中にいると人間が似てきてしまうのでしょうか。
もっとも、その時通りかかった職員らしき人はわりあい冷静で話がわかる感じではあったのですが、でも、第三者的な視点で物事を見られる立場にいたのですから、彼が他の二人と本質的に違うのかどうかはなんとも言えません。
警備員さんもあやまっているんだし、早く帰りたいので、文句も言わず帰ることにしました。
<なんだかなあー。なんだか今日は、極端に一方的にものを言う人物によく会う日だな。それにしても、ずっと公務員ばかりやっていると、軽部元校長みたいになっちゃうのかな。どうも自分の将来の姿を見せられているみたいで嫌だなあ。まあ、しょうがないか>
と思いながら教職員研修センターを出ました。
あたりはもうすっかり暗くなっていて、振り返ると、研修センターの巨大な建物が見えます。「どこか寂しげな感じだなあ」「まるで恐竜みたいだ」と、そんなことを思いました。
帰りの電車の中で研修センターでのやりとりを思い出しました。
<田上ティーチャーが憧れのお姉さんとは笑止の沙汰だなあ>
実際には、向こうの方が2つくらい年下でした。でも、私は教員採用試験を受ける前に予備校の先生をしていた時代が長く、少し年をとってから学校の先生になったので、教員になったのは田上ティーチャーの方が5年くらい早かった。だから軽部元校長先生は「お姉さん」と言っていたのでしょうか。
それはともかく、幸子(自分の奥さん)の方が10歳くらい年下でずっと可愛いし、どうして田上ティーチャーに憧れないといけないのでしょうか。でも、「それではなんで田上ティーチャーにあんな変わった内容の年賀状や暑中見舞いを出すのか」と聞かれると、自分でも不思議です。
<なんでなのだろうか?>
確か、さっきのやりとりの中で、軽部元校長が「そりゃーショックだったんだろう」と言ったとき、「ふっふっふ、効果があったぞ」という感じで嬉しかったのです。
ということは復讐心のようなものなのが心の中に存在していたのでしょうか。でも、それはいかにも見方が単純と言うか一面的です。「全然でたらめ」とは言い切れませんが、心の働きのごく一部分しか説明していないように思われます。
一方、「私がああいう手紙を出して教えてあげれば、自分は嫌がられるにしても、田上ティーチャーにとってはそれなりに考える材料ができる。それによってあの方も、多少人間関係がうまくいくようになったりすることが、もしかしたらあるかもしれない。また、あの方の周りにいる先生方もあの先生に接しやすくなって助かるかもしれない」という動機が「全然ない」とも言い切れません。そんな見方もできるのでしょうか。
でも、冷静に考えてみると、自分がそんなに他人のためを考えてわざわざ面倒なハガキを書いたりするような立派な人のようにも思えません。
とは言うものの「人類の大多数の人々は、人のために役に立てば嬉しいという気持ちがある」らしいし、なんとなく「意外とそんな気持ちもあったのかなあ」という感じもします。
それと、「笑止の沙汰」だと思ったけど、それは「憧れのお姉さん」とまで言ってしまっては「笑止の沙汰」かもしれないけど、確かに全然なんの関心もない人にそれなりに内容のある年賀状を出すわけがないから、何らかの関心はあるのでしょう。でも、どういうふうに関心があるのか、と聞かれると、結局いろいろと考えてみるのですが、結論は「わからない」ということになります。
「自分の考えを発表したいのでなんとなく書いて出した」というのが一番近いのでしょうか。「なんとなく」じゃあんまり説明していないのですが、他に言いようがありません。
<自分の心なんて、自分でわかるもんじゃないなあ>
もっとも、それでは他人の心がわかるかと言えばそんなことはなく、正しくは「人間の心なんてわからない」と言うべきでしょうか。
そんなことを考えているうちに、8年くらい前の田上ティーチャーとのやり取りを二・三思い出しました。
あれは、3月のある日、職員会議の始まる前の出来事でした。
私と田上ティーチャーが来年度の野球部の顧問に決まっていて、春休みのことについて話そうと思い尋ねました。
「春休み中の予定はどうですか」
すると田上ティーチャーは恐ろしい顔を見せつけ、怒気を含んだ震える声で叫びました。
「どうしてそんなこと聞くんですか」
私は驚きました。
春休み中の予定を聞くだけなのに、急にあんなに顔全体から凶暴な空気が噴き出すのは、いくらなんでもすご過ぎます。
「野球部…」
「まさか。筒美さんは野球部の仕事を全然やらないってことないでしょうね、私はね、私はね、私は春休み中は忙しくて学校には来られないんですよ」
とすごい剣幕で怒鳴りあげました。
田上ティーチャーの顔と体全体から吹き上げる凶暴な空気に圧されて、どうしてもそれ以上話すことはできず、私は春休み中ずっと野球部の練習のために毎日学校に来ることになりました。
一方、田上ティーチャーは学校には自分の用があるときに二日くらい来ただけでした。
それから、試験問題に関して怒鳴られたこともありました。
その学校の自分が担当している教科・英語では、同じ学年の定期試験は共通問題を作り、事前にどんな問題になるのか見せて、担当者が全員納得してから印刷することになっていました。
その時は私が問題を作る番だったので、田上ティーチャーに自分の作った問題を見せました。
「こんな記号問題ばかりではやさし過ぎて生徒が勉強しなくなる」
田上ティーチャーは言いました。
「でも選択問題の考え方も学んだ方がいいと思いますが」
と言ったら、「えー」という変な声を上げて笑いました。そしてその笑い方は、私にはバカにしているような笑い方に聞こえました。
「選択肢を選んだ方が簡単に決まってるじゃないのよ。なに言ってんの」
と、怒りでゆがんだ凄まじい形相を見せつけ、ヒステリックに怒鳴りあげました。
こんなに怒りつつ怒鳴っている人に真面目に話をしても無駄だな、と思いました。
確かに特定の場合において、選択問題よりも記述問題の方が難しくなることもあります。例えば、「『記号問題の選択肢をただ単になくしただけで、ほぼ同じ狙いを持つ問題として成立する場合』において、選択肢がある場合とない場合を単純に比較する」という場合などが考えられます。
でも、「紛らわしい選択肢を見てしまうとかえって間違えてしまう場合」もあります。あるいは出題者が「選択問題だから記述よりは難しいことを聞いても同じくらいのできになるだろう」と習慣的・無意識的に考え、選択問題にした時の方が内容的に難しいことを聞く場合などは多いと思うし、要するにいちがいには言えないと思います。
今までのその学年の定期試験の結果を見ると、選択問題が多い時の方が平均点が低くなっていました。そして、難易度は選択問題と記述問題でそれほど違っていませんでした。だから、「この学校の生徒は記述よりも選択に弱く、その部分を鍛えた方がいい」というのはごく自然な結論だと思っていました。
この場合、まずは「同じ難易度では記述よりも選択問題(記号問題)の方が平均点が低くなる」という現象についてよく考えるなり分析するなりしてから、どちらの形式で出題するのがいいのか考えるべきだと、その時も思いましたし、今でもそう思っています。
いきなり怒鳴りあげてしまっては対話にならないので、なるべく対話を成立させるために怒鳴らないで普通に話すようにして欲しかったのです。
田上ティーチャーは、「相手が自分の言うことをきくかどうか」にしか関心がなく「どうすれば対話が成立するか」というところに全然興味がないようでした。あんなに狂ったように怒り出す様子を見ると、話し合うことはあきらめて言われたとおりやるしかないと思いました。
仕方がないので、「それではこの部分を記述式に直します。直したら印刷していいですか」と言うと、「直したら見せてください。印刷する前にちゃんと見せてください。信頼できない」とまたしてもすごい形相で怒鳴り上げました。
「こんな怒鳴ってばかりいる狂った人間に真面目に話をしても無駄だ」と思い、不本意ながらあきらめてなんでも言うこと聞くことにしたのに、それでも満足できないようでした。
次の定期テストでは田上ティーチャーが問題を作る番でした。
私は、田上ティーチャーが作った問題を見て、問題文に何を答えたらいいのかわかりにくい表現があるのを発見し、「こういうふうに直したらどうか」という相談をした。
すると田上ティーチャーは「筒美さんは、私に仕返しをした」と怒りに震える声で怒鳴り上げました。
問題文を直した方がいいかどうか、直す必要があるならば直し方をどうすればいいのか、冷静に話せばいいと思うのですがが、「…仕返しをした…」といきなり怒鳴り上げるところが例によって異常だと思いました。
帰りの電車はあまり混んでいませんでした。
立っている人は一つの車両に10人くらい。
どこか探せば座れるところもありそうですが、長時間乗るわけでもないので、私は立ったまま、その日の軽部元校長とのやりとりについて考えていました。
<うーん、それにしてもさっきのやり取りはなんだったのだろうか?軽部元校長はどうしてああいう一本調子で単純なものの見方しかできないのだろうか。まあ、ずっと高校の教員及び管理職ばかりやってきたのだから仕方がないのかな?でも、自分だって大した人生経験があるわけでもなく、まあ人のことは言えないのだだろうか?>
<それと田上ティーチャーも、わざわざあれらの手紙を軽部氏のところに送って、軽部氏の方から私に注意してもらうように頼んだみたいだけど、あんまり感心できない。「見ないで済むようになればそれでよし」という感じで非常に安易だ。進歩する機会を自ら遠ざけている。小学校の頃裏でこそこそと男の子をいじめて、ちょっとでも抗議されると直ちに先生のところに言いつけに行く女の子がいたのを思い出す。大人になってもそういう人はいるんだな。結局真面目に教えてあげてもわからない人だと思って見捨ててしまうのが無難なやり方なのだろう。上から目線の結論だけど、それ以外にいい考えが浮かばないのだから仕方がない>
なんだかがっかりでしたが、別に自分は軽部先生や田上ティーチャーの教師だとか親だとかいうわけではありません。結局かかわらないのが一番なのでしょう。
そう思い、次回から田上ティーチャーへの年賀状は書かないことにしました。
その後も、田上ティーチャーがわめき散らす凄まじい光景を思い出す機会はけっこうありました。別になんのきっかけもないのに、なぜか突然あの恐ろしいありさまを思い出してしまうのです。
でも、そういうときには「まあ、自分も人のことは言えないかもしれないが、あの先生も心に何か事情を抱えていてああいうふうにヒステリックにわめき散らさないといられないのだろう。可哀そうな人なんだなあ。上から目線かもしれないし、確実な根拠のない推定だけど、本当にそういう可能性が高いと思うのだからそう思っておこう」と考えたり、「ま、いいか」と心の中で唱えたり、「あんな凄まじい人を相手にしていたんだから自分も大変だったなあ」と自分で自分をねぎらったりして、うまく筋のいい思い出し方ができるように工夫しました。
ちょうどその頃、そういった関係の心理学の本などを読むのが好きでいろいろと読んでいたのが役に立ったのだと思います。
その結果、だんだんと田上ティーチャーの凄まじい怒鳴り上げる様子等を思い出す回数も減り、思い出した時にも筋のいい思い出し方ができるようになっていき、そんなに物凄い恐怖と怒りがこみあげてくることはなくなりました。
「確かに人間の心というのはわけのわからないものだけど、ある程度はトレーニングで強くしたり、いい方向にいくように習慣づけたりできるものなのだなあ。意外と言えば意外だ」
その頃そんな感想をいだいたのを、今でもたまに思い出します。
そして、「自分は本から学ぶタイプなのかな」とも思います。
※ 文中に出てきた人名は筒美を除いて仮名です。
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