8 ワンルームマンションのセールスマン

 別の項目でも出て来たB高校に勤務していた頃のことです。

 夏休み中のある日、昼頃学校に外線電話がかかってきました。

 電話に出たら不動産会社の人からで、「ワンルームマンションの投資について話を聞いてほしいので、これから伺ってもいいか?」という内容で、特に自分を指名してかかってきた電話ではなかったのですが、飛び込みで誰か話を聞いてくれる人を探している、ということでした。

 その日は特別に用事もなく、不動産投資については今すぐに始めようと考えているわけではなかったのですが多少興味はあったので深く考えずに「いいですよ」という返事をしました。

 先方が予告していた夕方4時ごろに、スーツを着た二人組の男が現れました。二人とも中肉中背で精悍な顔つきの若者で、顔は真っ黒に焼けていて、営業で歩き回っている人たちなのだろうと思いました。

 その日は、夏休などを取って休んでいる人や出張に出ている人ばかりで、学校にいるはずの教頭先生もたぶん校長室で管理職の打ち合わせをしているのでしょう。職員室には自分しかいなかったので、職員室で話をすることにしました。

 まず挨拶をしてから二人の名刺をもらい、私は名刺を作っていなかったのでその旨を伝えて軽く「すみません」と言いました。その時なぜか名刺はしまわず、机の上に出しっぱなしにしていました。名前をわすれないように置いておいたのかもしれません。

 早速、マンション投資の概略と物件の説明が始まりました。二人のセールスマンの名前はAさんBさんとしておきます。主に話をしたのがAさんで、もう一人のBさんは黙って冊子をめくり話の内容に合った資料が見えるようにしていました。

 内容は「収益性の高い不動産をローンで買って持っておけば、定年退職後はその収益により現役時代よりも給与所得または年金による月々の収入が減っても困らなくなる」という明るい未来を予想するもので、たぶん説明時間は30分程度だったと思います。

 私は「うん」「うん」とうなずいて聞いていましたが、一通り説明が終わり「質問はございませんか?」と言われたので、気になっていたことを聞くことにしました。

「今はデフレによって毎年少しずつ物価が下がる経済状況で、不動産価格も下がっているようなのですが、そういう傾向が続くと家賃相場も下がっていき自分の所有している不動産の家賃も下がっていって、現金の価値が相対的に大きくなり、それによって将来借金の負担が重くなって困ったことになりませんか?」

 今まで穏やかに話していたAさんは突然イライラし始めました。

「今みたいなデフレがいつまでも続くと思っているんですか。こんなことが長く続くわけないでしょう。もうすぐインフレになって、不動産価格は上がるんです」

「そうですか?」

「そうですよ」

「どうしてわかるんですか?」

「今のような経済状況が長く続くわけないからですよ」

「そうですか。今のような経済状況が長く続くわけがないということは、どうしてわかるんですか」

「常識的に考えたってそうです」

 ここで、「なんで常識的に考えるとそういうことがわかるんですか」「どういった常識ですか」等々のこと言いたくなったのですが、それを言うとますます機嫌をそこねそうなので違う質問をしました。

 でも、その違う質問も相手にとっては不愉快な質問だったようです。

「それでは、仮にこれからインフレになり土地の値段が上がるという未来を正確に予測できるとして、その場合三菱地所などの優良な不動産物件をたくさんもっている会社の株を買った方が確実に儲かるんじゃないですか。個人が買えるような個別の小さな物件だとどうしても当たりはずれがあってリスクが高いということはないですか」

 これを聞いたAさんは、さらにイライラがつのってきたという様子でした。

「いいですか、こちらも真剣に話をするので真剣に聞いてください。いいですか。確かに株もいいでしょう。それもいいかもしれません。でも、不動産に直接投資するやりかたも取り入れることでさらに有利な投資行動をとることができる」

「うーん、私が今言ったのは、不動産に直接投資することはしないで、大手の不動産会社に投資した方が確実じゃないかということなんですけど」

 すると、Aさんはついに半分ブチ切れたような激しい口調でしゃべり始めました。

「いいですか。今大切なのはそんな細かい揚げ足取りじゃないんです。ちゃんと真剣に聞いて下さい。最初からワンルームマンションなんて買う気がないんでしょう。聞く態度に全然真剣みがない。細かい揚げ足取りばっかりだ」

 そういってAさんは机の上に置いてあった名刺を取り戻してポケットにしまい立ち上がり、それを見たBさんも同じように名刺をポケットにいれて立ち上がりました。

 そして二人は、ほんの少しだけ頭を下げてから無言で部屋を出て行きました。

 それにしても、「これからの日本の経済環境がインフレとデフレのどちらの方向にいくか」とか「株と不動産のどちらがいいか」という投資に関する根本的な事柄を聞いたのに「細かい揚げ足取り」とは、まったく変なことを言う人だ。真剣に聞いているからこそこういった質問が出てくるのに「真剣みがない」というのも変だな。とその時、思いました。

 少しして教頭先生が戻ってきたので、その時の出来事をかいつまんで話しました。

 教頭先生は、管理職なのでもう直接生徒に知識等を教える仕事はしていませんでしたが、もともと教員採用試験には社会科で受かった人なので経済に関する知識もあり、わりあい幅広くいろいろなことをよく知っていました。体格がよく真四角な弁当箱のような顔をしていて、時々くだらない駄洒落を言ったりする面白い人でした。

「ふーん。怒って帰ってしまったんですか。しかも1回相手に渡した名刺を取り戻して持って帰った。よっぽど感情的になっていたのかな。営業の人にしてはかなり珍しい行動だな」

「たぶんかなり怒っていたと思います」

「うーん。確かに筒美さんの言ったことは、とても不動産会社のウイークッポイントをついていて、相手にとって一番頭の痛いところに的中してしまっているようですね。あんたの仕事は将来性のない構造不況業種だと面と向かって露骨に言っているような面がある。あんまり学力が高くない生徒ばっかり相手にしていて難しいことなどわかりそうにない底辺高校の先生がそんなことを言うとは思っていなかった。予想外の質問だった。ということなのかもしれない。あと、今日は暑くて、その人たちは今日一日暑い中ずっと営業に歩いていてけっこう疲れていたんじゃないかな。それにしても、突然怒って帰ってしまうというのは、まだ経験の浅い若い人だったのかな」

「確かに二人とも若そうで、20代に見えました」

「まあ、デフレで土地の値段が下がるとか、個別の不動産1物件よりは優良な不動産をたくさん持っている優良企業に投資した方がいいとか、普通そんなことを言う人はそもそもワンルームマンションのセールスマンには最初から会わない。そこは、筒美さんの物好きなところですねえ」

 私は、この時の教頭先生の言ったことはなかなか的確なポイントが並んでいたと思います。

 こちらが質問した内容、営業マンの経験値やその日の気候などいくつかの要因が重なって非常に残念な結果になったのでしょう。その中でもやはり、自分の質問が向こうにとって「予想外」だった、というところがけっこう大きかったように思われました。

 多少なりとも時間が経ってから第3者に話しつつ振り返ってみると、自分も平気で地雷を踏むようなことを言っていたんだな。ということに気がつきます。

 そして、「デフレの悪影響や株のメリットを話すような人と不動産会社のセールスマンとは相当相性が悪い」ということもわかり、投資や経済について自分のような見方をする人は、この手の内容のセールスをする人と会うのは極力避けた方がいいのだ、とその時学びました。

 そして、確かに自分は物好きが過ぎたのかな、とも思い「物好きは災いの元」という自分のためだけの格言をつくりました。

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