自分の物語とうまくつき合う
人間だれしも、人生観と言っては大げさですがその人なりの物語を持っています。
自分がどんな物語を持っているのか明確に答えられる人は少ないかもしれませんが、なんにも持っていない人というのはいないでしょう。
とても単純な例なのですが、例えば「チキショー、バカにしやがって」などという物語を持っている人はいつもイライラしている場合が多いし、「人生万事塞翁が馬」と思っている人は、おそらく物事を前向きに考えている人が多いでしょう。
この種の話題でよく出てくる言葉に「どんな人生にも意味がある」「どんな時も人生には意味がある」というものがあります。
これは、オーストリアの精神科医・心理学者、フランクルの言葉です。フランクルは、この種の話題ではたぶん一番よく出てくる人の一人で、ナチスの強制収容所にいた体験を『夜と霧』という本に書いてベストセラーになったことでも知られています。
一方、ほとんどこれとは正反対の意味にもとれる「人生に意味なんかない」というものもあります。
この言葉は、20世紀イギリスの人気作家サマー・セット・モームの『人間の絆』という本にも出てきます。
この本の中で主人公のフィリップは「人生の意味など、そんなものは何もない」という考えに囚われますが、その時に絶望ではなく喜びの陶酔にひたり「完全な自由」を感じます。これは、すべてが無意味だと悟ることで力と勇気を手に入れるというニヒリズムの哲学です。
でも、こういった「いかにも」という感じの抽象的・総論的な物語を意識できる人は少なくて、多くの人は「なんとなくもやもやした何か」としか感じられないかもしれません。
こうした自分の物語とのつき合い方にはいろいろなやり方がありますが、気づく・見つめる・うまく間合いをとる・創るの4つがわりあいよくとられている方法だと思います。
自分の持っている物語に気づくことは、なかなか難しいようです。別の項目で書いた「死者との対話」で気づく場合もあるでしょう。また、親について考えたり、育った場所について考えたり、今まで読んだ本について考えたりすることで見えてくることがあるかもしれません。もしかしたら、夢を記録しているうちにわかってくる人もいるかもしれません。
人それぞれだと思いますが、「自分の持っている物語とはなんだろう?」という視点を忘れないようにするといいことがありそうです。
それと、感性や想像力に優れている人は「まだ大した物語を持っていないから、これから自分なりに創ろう」という方向もあります。
自分の物語に気づいたらそれを見つめることも大切です。それと、自分の物語を見つめるだけでなく、「自分の物語を見つめている自分を見つめる」ことができると、心のあり方が変わっていくと思います。
例えば「チキショー、みんな俺のことをバカにしやがって」という物語を持っている人が、「『チキショー、みんな俺のことをバカにしやがって』という物語を持っている、煩悩に囚われた人間性溢れる可愛いけどかわいそうな人間がいるなあ。それは自分だ」というふうに自分のことを見つめることができれば、自分の物語と自分との間合いがうまくとれるようになり、心の中にある怒りはいつの間にか小さくなって飼いならすことができるかもしれません。
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