5 怒りに対する考え方

 「怒りをどういうものだと考えるか」という、怒りに対する基本的な考え方としては、次のようなものが代表的です。


① いろいろな害毒をもたらす悪いものと考える

② エネルギーを奮い立たせてくれる原動力だと考える

③ 何かを教えてくれる存在として考える


 ①の「悪いもの」という考え方は、たぶん一番オーソドックスな考えだと思います。

 この考え方は、さまざまな宗教に現れますし、哲学にも出てきます。

 仏教では、怒りは「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」の三毒の一つとされています。貪は、むさぼり求める心。瞋が怒りの心。癡は真理に対する無知の心です。    

 三毒は、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩です。

 キリスト教では7つの大罪の一つに挙げられています。7つの大罪とは「傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴飲・色欲」。三番目に憤怒というのが書いてあります。 

 古代ローマのストア哲学の本に 紀元1世紀のローマの政治家・哲学者、キケロが書いた『怒りについて』というものがあります。

 それには、こう書いてあります。


 …怒りは何一つ有益なものを内蔵せず、心を勇敢な行為に駆り立てることもない。というのは、徳は決して悪徳の助けを必要とせず、ただそれだけで十分足りているからである。突撃を必要とするときは怒るのではなく、奮い立つのである。…


 大変に立場が明確です。無条件で怒りを悪いものと考えています。

 このように宗教では、怒りは悪いものとして考えられる場合が圧倒的に多く、哲学においてはいろいろな立場がとられていますが、悪いものと考える場合も多々あります。 


 ②の「エネルギーを奮い立たせてくれる原動力」という考え方。

 これは、スポーツ根性ものの漫画などによく出てくるし、現実にもよくある考え方です。

 「バカにされて頭にに来たので、見返してやろうと思って努力し、実力をつけた。偉くなった」というパターン。

 怒りというものは、悪いばかりではなく、いい方に利用することもできる。という立場です。


 ③の「何かを教えてくれる存在」という考え方ですが、これは、「悪いばかりじゃない」と考える点では②と似てますが、同じではありません。

 例えば「思い通りにできない自分に怒りを感じている」とき、その怒りを見つめてみると、自分の弱さに気がつき、それを克服する行動をとることができる。という場合があります。

 この場合、「怒りが自分自身の弱さを教えてくれた」と考えられます。 


 大きく分けてこの3つの立場があり、どれも間違ってはいないと思います。

 怒りという感情はもちろん「悪者」だと考えられる場合が多いのですが、多面性があり、一方的に悪いことばかりと決めつけることはできないのでしょう。

 ケースバイケースで、その時々に合った見方を採用することが大切です。

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